並走する過去 第9話:仲違い
「もう、いい加減にして!」
一ノ瀬さんの悲鳴のような声が生徒会室に響いた。
僕は、一体何をしてしまったんだろう。
「いちいち私を理由にしないでよ!」
言葉の意味が分からなかった。
僕はただ、こう言っただけだ。
――ありがとう、君のおかげで今の僕がある。
一ノ瀬さんの事を好きになってから、僕は変わったと思う。
自分を好きになる努力をするようになった。
そのおかげで、色々な事が今までと違って見える。
体育祭や球技大会を通して、自信を持つことが出来たのもそうだ。
僕は一ノ瀬さんと過ごすことで強くなれたと思う。
だから感謝の気持ちを伝えたつもりだった。
「ごめん、でも僕は君がいたから……」
「高木君は私なんかいなくても最初から出来るでしょ!」
一ノ瀬さんは最後まで話を聞いてくれなかった。
こんなこと今までない。
「何で私なの? 別に私じゃなくて良いでしょ?」
僕は誤解されていると思った。これは駄目だ、許せない。
「違う! 僕は一ノ瀬さんが好きだ。他の誰かじゃ駄目だった」
「違わないよ! 高木君にとっての私は、自分が頑張るための理由付け。
私のためって言えば、恰好良いって思っているだけでしょ。
もう私のことを自分の為に利用しないで!」
気持ちを込めた言葉は見事に返り討ちにあう。
「そんなこと……」
無い、と言い切れなかった。
「私は高木君のために何もしてないよ。何か思いつく?
高木君が勝手にそう思って、勝手にそうなっただけ!
最初からひとりで出来たことを、私のおかげだなんて言わないでよ!」
「違う、一ノ瀬さんが傍に居たから、僕は……」
言いながらも、僕は一ノ瀬さん言う通りだと思った。
確かに彼女に何かしてもらったわけじゃない。
ただ居てくれるだけで十分だった。それだけで強くなれる気がした。
でもそれは「好きな人」が傍に居ればいいだけだ。
それが「一ノ瀬さん」である必要がない。
結局、僕は彼女の存在を身勝手に都合よく使っている。
「私は高木君の彼女じゃない。勝手に傍に居たって思わないで!」
ああ……そうか……。もう駄目なんだな。
でも、簡単に諦めたくない。
「ごめん、悪かったよ、だから……」
「謝らないでよ!」
いつもの一ノ瀬さんに戻って欲しい。
なんでこんなに……取りつく島もない感じになってしまったのだろう。
どうしたらいいんだ……。
一体、何がここまで一ノ瀬さんを怒らせてしまったのだろう。
「どうしたらいい? 何か僕に出来ることある?」
「何にもない! 何もしてくれなくていい! もう話したくないの……」
これ以上、一ノ瀬さんの顔を見ていられなかった。
はっきりと嫌悪されていることがわかる。
「わかった……」
これ以上、何も言えなかった。
僕が望んでいたことは、ありふれた、当たり前のような時間だった。
特別な事なんて無い。だけどもう、それも叶わないみたいだ。
この日はこれ以上、話すことは出来なかった。一緒に帰ることも無い。
もちろん、電話なんて掛けられるわけもなかった。
――3日後。
一ノ瀬さんとの関係は悪化の一途を辿っていた。
もう本当に、どうしたらいいのかわからない。
「おはよう、一ノ瀬さん」
「……おはよう」
話しかければ返事はしてくれる。
けれど、名前を呼んでくれることは無くなった。
出来れば話したくない、というのが見て取れる。
近寄ってくるどころか、避けられているのがわかる。
でも、追いかけるわけにもいかない。
「何かあったの?」
奈津季さんが心配そうに聞いてきた。
「わからない、でも多分、僕が悪いんだと思う」
「ちゃんと謝った方がいいよ。
私、あんなに苛々している梨香ちゃんは初めて見た」
……そんなに深刻だったのか。
遠巻きに見る限り、大場や中森、正樹君や久志君とは普通に話している。
間違いなく、僕だけが避けられていた。
「うん、そうするよ……」
絶望的だった。
謝ったところで機嫌が直るとはとても思えない。
けど……何もしないでいることは出来ない。
このまま話せないなんて、嫌だ。
一ノ瀬さんは文化祭執行部の仕事でこの時期は帰りが遅くなる。
僕は部活が終わってから生徒会室に行って、彼女に話しかけた。
「一ノ瀬さん、今日も遅いの?」
「高木君には関係ないでしょ」
何故、こんなにも頑ななのか。
僕も彼女がこんな風に人を拒むのを見たことが無い。
「ごめん、謝るから、普通に話してくれない?」
「普通に話してるよ! それにごめんって何?
高木君は何について謝っているの?」
何でこんなに、上手く話せないんだろう。
「それは……、君の機嫌を損ねたのは僕のせいだから……」
「高木君が何かしたの? 何を悪いと思っているの?」
言葉が見つからなかった。
彼女の機嫌を損ねた理由、僕にはそれがわかっていなかったのだから。
「ごめん……」
「意味もなく謝らないでよ。私は別に怒ってないから」
もう、目も合わせてくれなくなった。
――怒っていないなら、なんで……?
それを言葉にすることは出来なかった。
きっと、余計に一ノ瀬さんの機嫌を損ねてしまう。
「どいてよ」
生徒会室の扉の前で立ち尽くす僕に向かって、一ノ瀬さんは静かにそう言った。
「あ、ごめん……」
彼女は無言で隣をすり抜けていく。
僕は何も出来なかった。
――翌日。
雨だったので文化祭の準備を手伝うことにした。
ちょうど一年前の今頃を思い出す。
紙の造花をふたりで一緒に作ったっけ。
懐かしいな……。どうして今はこんな風になってしまったのだろう。
「誰かー、定規持ってないー?」
一ノ瀬さんが定規を探している。
生徒会室は例のごとく人が多くてごちゃごちゃしていた。
僕は定規が入っている棚の場所を知っている。
棚から取り出して、一ノ瀬さんに声をかけた。
「ここにあるよ!」
こっちを見てくれなかった。
もう、返事もしてもらえないのか。
諦めて近くにいた大場に声をかけた。
「大場、この定規、一ノ瀬さんに渡してあげて!」
「了解、ちょっと遠いから投げてくれない?」
僕と大場の間には数人が作業をしていたので横着して定規を投げ渡す。
……僕は忘れていた。
自分が肝心な時に、最悪の失敗をする人間だということを。
定規を投げた軌道が悪く、一ノ瀬さんに当たってしまった。
優しく投げたので傷をつけるような速度ではない。
だけど、そういう問題じゃなかった。
「おい、高木!」
中森に襟首を掴まれた。
「お前、何やってるんだよ! そんな嫌がらせするか、普通?」
「違う、そうじゃない!」
弁明をする前に、とにかく謝らないといけない。
僕はそう思って真っ先に一ノ瀬さんに声をかけた。
「ごめん、一ノ瀬さん、手が滑ったんだ!」
手が滑った、これは本当のことだ。
けど、こんなにもわざとらしい響きになると思わなかった。
一ノ瀬さんの方を見る。
とても悲しそうな顔をしていた。
違う、誤解なんだ。僕はただ……。
「何でそんなことするの?」
目があった瞬間に取り返しのつかないことをしたと悟った。
もう、本当に駄目なんだ……。
「ごめん、一ノ瀬さん。ごめんね……」
そう言って、生徒会室を出た。
動揺が激しくて、どうしたらいいのかわからない。
もう生徒会室には行かない方が良いのかな。
最近は上手くやれていたと思っていたのに、やっぱり僕は駄目だった。
自己嫌悪の闇の中に落ちていく。
僕の中で、一ノ瀬さんの存在がこんなにも大きかったのだと思い知った。
中学の頃の失恋なんて比較にならない。
生きているのが嫌になるぐらい、絶望が深かった……。
「高木君!」
追いかけてきたのは奈津季さんだった。
彼女にも嫌われてしまったかもしれない。
どんな顔をして話せばいいんだろう。
「大丈夫、梨香ちゃんは怪我してないよ。私は見てたから。高木君、落ち着いて」
幸いなことに責められるわけでは無さそうだった。
「大場君に渡そうとしたんでしょ? 梨香ちゃんには私から話しておくから」
「奈津季さん……」
この言葉は本当に嬉しかった。
誰も味方が居なかった頃とは違うんだな。
でも……駄目だった。
「どうしたらいいんだろ。今まで普通に話しているだけだった。
どうしたら、一ノ瀬さんは前みたいに笑ってくれるのかな?」
「ごめん、それは私に聞かれても……」
当たり前だ。他人に聞いたところで意味はない。
それを考えなきゃいけないのは、僕だ。
「そうだよね、ごめんなさい」
たとえ誤解が解けても、もう前にみたいには話せないのだろう。
僕はただ、一ノ瀬さんに笑ってほしいだけなのに。
……何も出来ない。
「高木先輩」
意外にも話しかけてきたのは正樹君だった。
「これ、言っちゃいけないヤツですけど……。もう見てられないんで話します」
後輩には散々にみっともない姿を見せてしまった。
でも、それどころじゃなかったんだ。
「梨香先輩、中森先輩のことが好きみたいですよ」
その言葉は衝撃的だった。
胸の奥にナイフが突き立てられた気分だ。
目の前の景色が歪んで見えた。
「えっ!? そうなの?」
驚いたのは奈津季さんも同じだったようだ。
一ノ瀬さんは、奈津季さんにも話さないようなことを正樹君に話していたのか。
「ああ、やっぱりそうなんだ」
「気が付いてたんですか?」
気が付いていた、というのは少し違う。
ただ、これを聞いた時、色んな事の辻褄があった気がした。
「いや、全然知らなかったよ。でも、それならわかるかな、って思った」
一ノ瀬さんの態度が変わった理由。
その原因が自分だけにあるとはどうしても思えなかったから。
「すいません、俺、余計な事しました。
中森先輩を選ぶなら高木先輩とは離れないと駄目だって……。
そう言ってしまったんです。あんな風になるとなんて思って無かった」
「そっか、良かった……」
「えっ!? 何で?」
奈津季さん、そんなに驚かないでよ。
「僕が何か、酷いことをしたわけじゃないってことだよね?
一ノ瀬さんを悲しませたり、苦しませたりしてないなら良かったよ」
せめて、それだけが救いだったんだ。
「……俺は、正直、梨香先輩は趣味が悪いと思います。
どう考えても中森先輩より高木先輩の方がマシでしょ」
マシ、か。でもそんな表現が一番合っている気がする。
「ありがとう、正樹君」
教えてくれて良かった。本当に助けられたと思う。
「すいません、でも俺は梨香先輩を応援します。俺が言えるのはここまでです」
「いいよ、それで。君は変わらずに一ノ瀬さんの味方で居てあげてね」
中森と上手くいくように、一ノ瀬さんを応援してあげて欲しい。
僕はもう、彼女と話せないから。
「先輩なら大丈夫だと思いますけど、俺が話したって事は言わないで下さいね」
そう言って、正樹君は生徒会室に戻っていった。
「高木君……」
奈津季さんが心配そうにこっちを見ている。
この人にまで見捨てられなくて本当に良かった。
「奈津季さんも、一ノ瀬さんの応援をしてあげてよ。
きっと、同世代だから話せなかったんだと思う。僕の事もあるし……」
「高木君はそれでいいの?」
そう言われると、困るな。本当は……僕の味方をして欲しい。
でも、奈津季さんは一ノ瀬さんの大切な友達だ。
絶対に仲違いをしてほしくない。
「僕が良いとか悪いとか、そういう問題じゃないでしょ。
奈津季さんが応援してくれなかったら、一ノ瀬さんは悲しいと思う」
「そうかもしれないけど……」
奈津季さんは僕に同情してくれている。
でも、もういいんだ。
「奈津季さん、ありがとう。話を聞いてくれるだけでも、凄く嬉しかった」
「本当に平気なの……?」
平気なわけ、ないじゃないか。
でも、そんなこと言えるわけない。
「奈津季さん、一ノ瀬さんのことは任せます。
そのこととは別にお願いしたいことがあるんだけどいいかな?」
「いいよ。聞かせて、高木君」
僕の恋愛はこれで終わり。それは仕方ないことだ。
でも、生徒会執行部のことは終わりには出来ない――。
あれから、僕は生徒会室には行かなくなった。
一ノ瀬さんの前にはしばらく姿を見せない方が良いだろうという判断だ。
文化祭が近いので、生徒会室には連日多くの人が訪れている。
定例会も一時的に中断しているから、僕が居なくても何とかなるだろう。
避けられるようになった理由は正樹君の言葉かもしれない。
でも、一ノ瀬さんの言った言葉は全て的を射ていた。
僕の一方的な想いはずっと一ノ瀬さんにとって重圧だったのだ。
それがずっと積って溜まっていた。
だから、あんな風に爆発してしまったのだ。
やっぱり、僕が悪かったのだろう。
一ノ瀬さんの優しさに甘えて、依存して。
僕はずっと彼女に無理をさせていた。
もしも、こんな僕に出来ることがあるのだとしたら。
それは彼女の前に姿を見せないことだ。
一ノ瀬さんに電話出来ない代わり、奈津季さんや大場と頻繁に連絡を取った。
生徒会室の外、近所のファーストフード店なんかで打合せを行うこともある。
別に一ノ瀬さんをシャットアウトして悪巧みしているわけじゃない。
神木先輩と上手くいかなくて、生徒会長にもなれなかった僕だけど。
仕事は仕事として、ちゃんとやらなくちゃいけないと思ったんだ。
一ノ瀬さんと話せなくなって、生徒会室にも行けなくなった。
それでも、やり遂げたいと思う。
もう自己嫌悪するのは嫌なんだ。
今でも一ノ瀬さんを好きだと言えるために、無責任なことはしたくなかった。
たとえ何もかも無駄だったとしても構わない。
中森の件はショックだったけど、仕方のないことだ。
どうせ僕はもともと片想い。
いつかはこうやって話せなくなる日が来ると分かっていた。
本当だったら、あの河川敷で終わってたはずなんだ。
それをここまで一緒に居てくれたことに、感謝している。
……ずっと覚悟はしていたんだ。必ず、こういう日がやってくると。
でも、どうしようもなく切ない。
もう一度、一ノ瀬さんに笑ってほしい。
僕のことを見てくれなくてもいいから。
声が聴きたい、笑顔が見たい。
逢いたいなあ……。
同じ学校で、すぐ近くにいるはずなのに、それが出来ない。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
僕以外の人は、生徒会室に行けば簡単に彼女に会える。
それが凄く羨ましく感じた。
ありふれた、当たり前のような時間?
違う、今まで僕はずっと、贅沢な時間を過ごしていたんだな。
しばらくは部活に専念しよう。
テニス部に入っていて良かった。生徒会執行部の皆は一ノ瀬さんの味方でいい。
代わりに、僕にはテニス部の皆がいる。
粗暴な仲間だけど、一ノ瀬さんのことを知らないから。
本当は悪役の僕に無条件に味方をしてくれるんだ。
文化祭が終われば、一ノ瀬さんにも少しゆとりが出来るはずだ。
もう一度謝って、彼女の希望を聞こう。
そこで話したくないと言われたら素直に受け止めるしかない。
僕はマイナス思考だ。
でも、そのおかげで悲しいことに耐えられる。
どうせダメだと思う。嫌われてしまうのだろう。
この恋はもう、終わっている。
でも、何もしないまま終わりだなんて嫌だった。
どんな結末になっても構わない。
せめて最後まで足掻きたい。
だって、今より最悪な状況なんて無いのだから。
もう2度と話せなくなっても良い。たとえ、そうなったとしても。
それでも、僕は……一ノ瀬さんが好きだ。




