第49話:定められた別れを拒否する
送別会の後、生徒会室の雰囲気は明らかに変わった。
当たり前のように、そこにあった先輩達と過ごしてきた場所。
そこは家族のような繋がりのある暖かな居場所だった。
けれど、時間の流れはいとも簡単にそれを断ち切る。
「高木、これから先はお前に任せる」
生徒会室の鍵を神木先輩から受け取った。
過去の世界でこれを受け取ったのは中森だ。
俺はやり直しの世界で起こる過去の出来事に対して、大きく抗ったことはない。
谷地さんの件が、唯一だったと思う。
その代償として、一ノ瀬との出会いが半年ほど遅くなった。
やり直しの世界は改変出来る。
そのことは解っていたが、あえてそれをしようとは思わなかった。
何故なら過去世界で俺が辿った日々は否定するようなものじゃなかったからだ。
欲をかいて、もっとひどい目に合うぐらいなら過去のままで良い。
神木先輩との決別は辛かった。
だからこそ、その反動が怖い。
今回も俺は神木先輩からの大切な申し出を断った。
それは一ノ瀬をもう一度好きになりたくないという身勝手な理由だ。
結果、俺は失敗した。
神木先輩の思いを踏みにじってまで、同じ過ちを繰り返してしまった。
でもその裏にあったのは恐れだ。
少なくとも、史実に従ってさえいれば一ノ瀬と日々を過ごせる。
それだけでも俺には十分だったんだ。
なのに、何も望まないと言いながら、すでに多くの事を望んでしまった。
ここから世界は神木先輩との決別へ向けて動き出すのだろう。
まず、中森が生徒会室に来なくなる。
そして、体育祭執行部が集まらず体育祭が中止に追い込まれる。
何が起こるかは知っているのだ。
俺に何か出来るだろうか?
仮に出来るとして、それをやっても良いのだろうか?
……愚問だな。
俺は胸を張って一ノ瀬を好きだと言える人間だ。
だから、こんなことで迷わない。
アイツならこう言うに決まっている。
――やりたいようにやれば良いじゃん!
そのせいで、どんな結末を招いたとしても。
俺は全てを受け入れる。
もう、過去に囚われるのは止めよう。
やり直しの世界を今と捉えて、自分らしく生きる。
それでいいはずだ。
「ありがとうございます」
そう言って俺は鍵を受け取った。
すでに今は変わっている。
「じゃあ、定例会を始めます」
俺は、会長席の隣にあるパイプ椅子に座って会議を始めた――。
まず、最初に何とかしなければならないのは中森だ。
アイツが生徒会室に来なくなった理由。
それにはひとつ、心当たりがある。
解消する方法として、一ノ瀬による説得はもちろん効果的だ。
あの時に打てる手としては最善だったと言って良い。
けれど、それは後に中森と一ノ瀬が付き合うきっかけのひとつになったと思う。
だから俺は、別の方法を考える。
これは、ズルいことかもしれない。
本当は一ノ瀬の運命を捻じ曲げるようなことはしたくなかった。
だってこれは、ある意味で反則行為だ。
大げさに言うと、未来の一ノ瀬の恋人を片っ端から殺してしまうのと同じ。
でも、別れの運命を回避できるのなら。
俺はたとえ、どんなに卑怯者だと言われても躊躇しない。
何を犠牲にしても構わない、俺は一ノ瀬だけは手放したくないんだ。
「本当に大丈夫なの?」
生徒会室には来るが、すぐに帰る中森のことを一ノ瀬は本気で心配していた。
当時の俺は結局、その本当の理由を知らないまま過ごしている。
でも、今なら解る。
中森が生徒会室に来なくなった理由は神木先輩の後継者としての重圧では無い。
アイツは俺と違ってそんな重圧など、ものともしない性格だ。
「うん、大丈夫……だと思う」
「なんだか頼りないよ?」
大丈夫だという確信はない。
もしかしたら、中森は当時と違って生徒会室には戻ってこないかもしれない。
中森には悪いけれど、俺はそれでも構わないと思っている。
「一ノ瀬は優しいね、いつも誰かを心配してる」
「そんなこと、ないよ……」
少しだけ照れた様子はあるものの、相変わらずの通常運転だ。
「実はさ、俺も上手くやれる自信が無くてね。
この後も山ほどやることあるけど、部活も辞めたくない」
「うん……」
一ノ瀬はちゃんと話を聞いてくれた。
「だからさ、一ノ瀬には俺を手伝ってもらいたいんだ。駄目かな……?」
「うーん、高木くんってそんなに心配な感じしないんだけど」
……なんて酷いヤツだ。
「お願いします、俺の傍に居てください!」
仕方がないので手を握って半泣きになりながら頼んだ。
もはや、ただの泣き落としである。
「もう、わかったから!」
そう言って俺の手を振り払う。
あまりにも脈がない。
「高木くんって……時々、凄く駄目になるよね?」
呆れたように言う一ノ瀬。
「いや、だから元々駄目なんだよ」
駄目じゃない時の方が稀である。
「しょうがないなあ、高木くんを手伝ってあげるよ」
そう言って、にっこりと笑う。その表情は可愛いぞ。
「ありがとう、一ノ瀬」
傍にいてくれるのなら何でもいい。
これで未来の何かが変わるかもしれないのだ。
体育祭執行部の募集手続きは遅れることなく正常に行った。
広報誌も適切なタイミングで発行している。
「しかし、本当に綺麗な字だね」
「そう? 私は嘉奈先輩の字の方が好きだなー」
相変わらず、奈津季さんは自分の価値がイマイチわかっていない。
「嘉奈先輩の字も可愛くていいよね。でも俺は奈津季さんの方が好きだよ!」
「あー、はいはい」
あいかわらず、つれなかった。
「久志君、そっちのファイルに過去の球技大会の資料があるから良く見ておいて」
「わかりましたー!」
1年生にはすでに主担当となる行事を決めてある。
俺は部活があるからほとんど指示だけ出して練習に行くことがほとんどだ。
当時はこれに背徳感があったが、今はそれほどでもない。
何せ、今の俺は神木先輩から正式に生徒会室の鍵を預かっているのだから。
実務は都合、大場と奈津季さんに任せることが多い。
ふたりとも指示が無いと動けないタイプだが、少しも駄目じゃない。
指示さえすれば自分で考えて完璧な仕事をしてくれるふたりだ。
社会に出ればわかる、指示しても何しても出来ない人はいる。
でも、そんな人も趣味の世界では有名なんてこともあるんだ。
一概に駄目な人なんていない。
だけど、仕事においてはどうしても信頼出来なかった。
やり直してわかる、やっぱりふたりは最高に信頼できる仲間だった。
一ノ瀬には特定の担当を決めずに全体を見てもらっている。
彼女は臨機応変な対応が出来るから細かい指示は逆効果だ。
「あー、これってそうなんだ。ごめん、考えれば解ることだったね」
……いいなあ、こんな部下がオフィスにも欲しかったよ。
社会人になってから学んだことは多い。
その一つは「言われなければ出来ないのは出来ないのと同じだ」ということだ。
学生の間は「それは教えてもらっていないので、出来ません」と簡単に言える。
だが社会に出るとその言葉は通用しない。
ただ……、通用しないからといって、それでクビになることも無いけどな。
少し嫌な思いをすることになるだけで、理不尽に咎められることはない。
俺は人に迷惑をかけるのが苦手な性格もあって、この辺りで存分に苦労した。
今は、やっぱり言わない方が悪いと思う。
最初から何でも出来る人間なんて、どこにもいないよ。
少なくとも、俺は自分が出来ないことを人に求めることはしたくない。
「いいんだよ、一ノ瀬。確認のためにも聞いてくれた方が嬉しい」
これも大切なことである。
報告、連絡、相談というのはいつでも大切なことだ。
体育祭執行部の勧誘以外は問題なく業務は進んでいた。
当時の俺は後継者という名目に拘っていたせいで思い切りが悪かったのだ。
そのせいで人に頼ることも出来ず、効率の悪い進め方をしていた。
資料を家に持ち帰って、夜遅くまで仕事をする。
そのくせ、誰よりも早く朝練に出ていたから朝も早い。
睡眠時間が常時足りていなかった。
……今思えば、生涯で2番目に忙しかったと思う。
なお、1番忙しかったのは入社してすぐの頃だ。
皮肉にも一ノ瀬が1番近くにいたあの頃。
俺はどうにもならないぐらい忙しかった。
上司にも恵まれず、いつも遅くまで残業し、出張で現場を飛び回る。
能力値の向上には良い経験だったと思う。
けど、そのせいで一ノ瀬との時間があまり取れなかった。
俺の人生はいつも、タイミングが悪い。
「集まりませんね、体育祭執行部」
心配そうにつぶやいたのは麻美ちゃんだ。
「これだけやっているのにね」
大場もうんざりしたような表情でそう返す。
チラシも配って、ポスターも貼った。
昼休みの度に教室へ行って勧誘活動をするが、まるで手ごたえが無い。
「いっそのこと、中止にしちゃえばいいんじゃないですかね?」
正樹君が過去と全く同じ台詞を言った。
やはり、この流れは止められない。
「うん、そういう前例を作るのもいいかもしれないね」
俺は軽くそう返した。
「でも、それはやれるだけやってから言うことだよ」
そして、真面目な顔で諭す。
「あ、すいません……」
「気持ちはわかるよ、さすがに厳しいよね」
一ノ瀬はフォローが早い。
やっぱり、お前が居ると空気が違うな。
昔の俺はよく、一ノ瀬を欠いた状態で進めていたと思う。
明らかに負担が減っているのを感じた。
中止の是非を問うアンケートは出さない。
仮にアンケートの結果、過半数の生徒が体育祭の中止を望んだとして。
中止すれば応援団やチア部、情熱を持つ人たちの気持ちを否定する。
そんなことが許されるだろうか。
少なくとも俺は嫌だ。多数決は数の暴力でもある。
この件に関して、俺に逆転の一手などない。
こればかりは過去と同じだ。
強いて言うのなら、帰宅部を狙った勧誘活動は行わなかった。
それは逆効果なのだ。
帰宅部は学校活動に興味がないからこそ、帰宅部なのである。
――運命の日。
「みんな、ごめん」
神木先輩が生徒会室に乗り込んで来たあの日。
生徒会室には中森が戻ってきた。
「拓斗!」
皆がそう言って中森を歓迎する。
……良かった。
それにしても一ノ瀬より遥かに早かったな。
さすが、嘉奈先輩。
中森があの日から生徒会室に来なくなった理由。
それは多分、嘉奈先輩が居なくなったからだ。
在学中、俺はアイツの気持ちには全く気がつかなかった。
もちろん、一ノ瀬も最後まで教えてくれなかった。
やり直してすぐに気がついたよ。
中森は気持ちの整理がつかなかったのだと思う。
アイツは俺と違って、簡単に告白など出来ない。
多分、何も出来なかったのだろう。
嘉奈先輩の居ない生徒会室が、耐えられなかったのだと思う。
中森のことを身勝手と責めるのは簡単だ。
でも、俺だって一ノ瀬の居ない生徒会室が受け入れ難かった。
その気持ちは解るつもりだ。
だから、俺は嘉奈先輩にお願いした。
これは残酷なことかもしれない。
でも、俺はこれが一番良いと思った。
先輩がどんな手段を取ったのかは分からない。
けれど、見事に連れ戻してくれた。
「よし、じゃあ中森が帰ってきたところで、行こうか」
「えっ? どこに?」
俺は生徒会執行部全員を引き連れて、3年生の教室へ向かった。
「3年生は体育祭執行部になれないから勧誘しても無意味だぞ?」
早速、的外れなツッコミを入れる中森。
うんうん、やっぱりお前が居た方が良いよ。
居なくなっても構わないとは言ったけど……。
俺は誰一人、欠けても嫌だからな。
「流石にそれは解っているよ」
ノックをして、引き戸を開ける。
「ごめんなさい、神木先輩。頑張ったけど駄目でした」
俺は神木先輩の前に出てそう言った。
「だから言ったろ、普段からちゃんとクラスメイトと仲良くしとけって」
神木先輩が時々、生徒会室を留守をするのにはちゃんと理由がある。
彼女が多くの人を惹きつけるのは単に容姿が良いからだけじゃない。
ちゃんと友達を大切にしているからだ。
仕事があるからと簡単に教室を出ていく俺とは違う。
彼女はいつも、好意に対し好意を返している。
だからこそ、多くの人が彼女の事を好きになるのだ。
「神木先輩、助けてください」
俺達の代は、仕事は出来る……と思う。
でもカリスマ性が全くない。校内での知名度も低い。
生徒会室で何かふざけ合っている人達。
そんなしょうもない印象しか与えていないのだ。
だから、人が集まらない。
「まあ、頑張ったのは見ていたよ。仕方がないから、私が力を貸してやる」
そう言って神木先輩は優しく笑ってくれた――。
憧れは、時として乗り越えるべき壁のように感じる。
対峙して、戦って、最後には決別しなければならない。
少年誌の王道ストーリーだ。
でも、先輩は敵じゃない。
最初から最後まで、味方だった。だから困った時はいつでも頼っていい。
きっと、あの時も、神木先輩は俺達が頼るのを待っていてくれたんだ。
「あー、高木」
生徒会室に戻ろうとする俺に、神木先輩が声をかけてくれた。
「何ですか、神木先輩?」
不思議と先輩は少し照れたような表情をしている。
「彩音でいいよ。もう上下関係に縛られることもないだろう」
ポリポリと頭を掻きながら、ぶっきらぼうにそう言った。
一瞬、言葉の意味が分からず、思考が停止する。
そしてすぐに気がついた。
胸の奥が熱くなっていくのを感じる。
「ありがとうございます、彩音先輩!」
俺は、目に涙をいっぱいためて、笑顔でそう答えた。
定めれらた別れなんてない。
照れ笑いする彩音先輩の優しい表情を見て、そう確信した。




