第4話「目覚める奇跡と運命の痛み」
エレニアの指先が透明な水晶に触れた瞬間、部屋の空気が一変した。
彼女の指先から、淡い緑色の光が溢れ出し、川の流れのように水晶へと吸い込まれていく。
それはベルン王国で彼女が命を削るようにして紡ぎ出していた、あの魔力とは全く異なっていた。
光は温かく、どこか大地の息吹を感じさせるような、生命力に満ちあふれた輝きを放っている。
水晶はまたたく間にその光を吸収し、元の透明な姿から、美しいエメラルドグリーンの高純度結晶へと姿を変えた。
部屋の中に、まるで深い森の中にいるような、清々しい香りが満ちていく。
「……これは、古代の精霊の祝福か」
アルフレートの声に、これまで聞いたことのないほどの動揺が混じっていた。
彼は目を見開き、エレニアの前に作り出された緑色の結晶を見つめている。
その視線には、驚愕と、そして深い畏敬の念が込められていた。
「私は、ただいつも通りに魔力を流しただけなのですが……」
エレニアは自身の両手を見つめながら、困惑したようにつぶやいた。
ベルン王国では、彼女の魔力は「不気味な緑色の澱み」と呼ばれ、不吉なものとして扱われていた。
だからこそ、彼女は周囲に知られないよう、深夜に一人で結晶を精製し、それをレナードに渡していたのだ。
レナードはそれをマリアの「聖なる祈りの成果」として仕立て上げ、エレニアの力を隠蔽していた。
「ベルン王国の連中は、本当にとんでもない愚か者たちの集まりだな。これはただの魔力ではない。大地そのものを活性化させ、あらゆる魔術的な歪みを正す、失われた古代の奇跡だ」
アルフレートはそう言うと、突如としてその場に膝をついた。
彼の顔から一瞬にして血の気が引き、額には大粒の汗が浮かんだ。
彼は自身の胸元を強く掴み、荒い呼吸を繰り返していた。
「アルフレート殿下!? どうされたのですか」
エレニアは慌ててベッドから身を乗り出し、彼の肩に手をかけた。
彼女の手が彼に触れた瞬間、アルフレートの身体から、どす黒い漆黒の魔力が暴風のように吹き荒れた。
それは彼が生まれ持った、制御不可能なほどの膨大な魔力だった。
帝国の王族としての強大すぎる力が、彼の身体を内側から焼き尽くそうと暴れている。
長年、彼はこの痛みに耐え続け、冷徹な仮面を被ることで周囲に弱みを見せないようにしてきたのだ。
『この人は、ずっと一人でこの苦しみに耐えてきたんだ』
エレニアは彼の苦痛に満ちた表情を見て、胸が締め付けられるような痛みを覚えた。
自分を救ってくれた、あの温かい手を今度は自分が救いたい。
その強い願いが、彼女の内側に眠る力を完全に覚醒させた。
エレニアは躊躇うことなく、両手でアルフレートの顔を包み込んだ。
彼の冷たい頬に、彼女の温かい手のひらが密着する。
「私の力を使ってください。この痛みを、すべて私が引き受けます」
エレニアがそう念じた瞬間、彼女の身体から溢れ出た緑色の光が、アルフレートの身体を包み込んだ。
暴れていた漆黒の魔力が、その光に触れた瞬間、まるで猛獣がなだめられるかのように、静かに収まっていく。
黒い霧は緑の光と混ざり合い、穏やかな粒子となって空気中に消えていった。
アルフレートの荒い呼吸が、次第に規則正しいものへと戻っていった。
彼の瞳に、再び氷河のような、しかし今はどこか潤んだ輝きが戻ってきた。
◆ ◆ ◆
部屋の中に、静寂が戻ってきた。
アルフレートはゆっくりと目を開け、至近距離にあるエレニアの顔を見つめた。
彼の身体を苛んでいたあの焼き付くような激痛は、跡形もなく消え去っていた。
それどころか、彼の内側はこれまでにないほどの爽快感と、満ち足りた魔力で満たされている。
「信じられない……私の魔力過多による苦痛を、完全に消し去る者がいるとは」
アルフレートは呟きながら、自身の顔を包んでいるエレニアの小さな手に、自身の大きな手を重ねた。
二人の距離は、お互いの吐息が触れ合うほどに近かった。
エレニアは自身の行動に今更ながら気づき、顔を真っ赤にして手を引こうとした。
しかし、アルフレートの強い力がそれを許さなかった。
彼は彼女の手を掴んだまま、その指先に静かに唇を寄せた。
「エレニア、お前は私の命の恩人だ。いや、それ以上の存在だ」
彼の声は低く、独占欲を孕んだ熱を帯びていた。
その視線は、もはや冷徹な王太子のそれではなく、一人の愛しい女性を見つめる男の瞳だった。
「お前を我が国に迎えたことは、生涯で最大の幸運だった。ベルン王国の者たちがどれほど後悔しようとも、私は二度とお前をあの国には返さない。お前のすべてを、私が生涯をかけて守り抜くと誓おう」
アルフレートの真っ直ぐな言葉が、エレニアの耳朶を打った。
彼女のうなじに、微かな震えが走る。
これまで誰からも必要とされず、ただ捨てられた悪役令嬢。
そんな自分が、この強大で美しい王太子から、これほどまでに求められている。
その事実が、彼女の傷ついた心に、これまでにないほどの深いカタルシスと、自己の価値を取り戻すための確かな光を与えてくれた。
エレニアは、彼の手のひらの中で、初めて心からの笑顔を浮かべて頷いた。




