勉強会
お久しぶりです。
カリカリカリカリ……。
静まり返った部屋に、ノートとシャーペンが擦り合わさる音だけが微かに反響する。
俺と令美は今、机を通して向かい合うようにして座っている。彼女は時々「う〜ん……」と悩ましそうな声を漏らしながら参考書と睨み合い、対する俺は教科者を読むフリをしながら彼女をぼんやり眺めていた。
もちろん集中しなければ、とは思う。だが目の前に女神がいる中、手元の暗号文に集中するってのも無理な話だろう。
多分俺の問題とかではなくて、単純に令美がすごいだけなのだろう……ていうか、そうであってほしい。
そんなことを考えながらひたすらに無駄な時間を消費していき、教科書のページの代わりに時計の針だけが進んでいく中、ふと俺の心の中に細やかな悪戯心が湧いた。
参考書が勝手に閉じないようにと参考書に添えられた令美の左手。あれをいきなりギュッと握ったらどうなるのかな。
かのグ◯シャ・イェーガーは言った!
『人間の探究心とは、誰かにいわれて抑えられるものではないよ』
一度俺の心に湧いた好奇心は決して抑えられるものではないのだ。
ならばどうするか。
答えは一つしかない。
常に自分には正直であれ、だ。
机の上にそーっと蛇のように腕を這わせ、獲物たる令美の方へと近づけていく。
そして。
ギュッ。
俺の毒牙が、令美の左手を狙い惑わず捉えた。
「えっ」
あまりに咄嗟なことに、令美が小さく驚きの声を漏らす。
「ど、どうしたの? 急に……」
「いや、なんか手握りたいなーって思って」
「もー、ダメだよ。集中しなきゃ」
口先では俺のことを咎めながらも、彼女はしっかりと俺の手を握り返してくれる。うーむ、幸。ここで死んでも悔いはない。
「勉強の方はど、どうなってるの?」
シャーペンを動かすのを止めつつ、令美が訪ねてくる。俺は「あはは……」と上擦ってるのか引き攣ってるのかよく分からない中途半端な笑いを漏らしながら、
「ん、勉強? そりゃもう、もちのろんでスラスラと解けて……」
「解けて……?」
「ませんお願いしますどうしようもありません助けてください」
と、息もつかずにズラーっと文字を連ねながら俺はすぐさまテーブルにガンと頭をついた。
その様子にいささか困ったような表情を浮かべながら、
「え〜、ほんとに何一つ?」
「はい」
「基礎中の基礎も?」
「はい、申し訳ございません」
上司に叱られる新人社員のように肩をしゅんと落としながら、俺は項垂れる。が、ふと俺はある希望を見出し、藁にもすがる思いで顔を上げた。
「あの〜、何かの手違いで中国語の教科者が届いてたりなんてことは……?」
「う〜ん、あり得ないね」
「ですよね」
最後の希望も呆気なく打ち砕かれ、俺は「トホホ……」とさらに肩を落とす。
そんな俺を見かねてか、令美は呆れたようにため息を吐きつつ口を開いた。
「……もう、しょうがないな。分かんないところはぜ、全部教えてあげるよ」
「え、ほんとですか!」
「そ、そのための勉強会だからね」
「ありがとうございます神様!」
「か、神様は大袈裟だよ……」
少し顔を赤くして彼女は髪をいじる。その可愛らしさに思わず頬を緩ませながら、「じゃあここをまず教えてもらいたいんだけど……」と教科書の1番最初のページを指差した。
……このわずか数分後、令美は生まれて初めて頭から煙を出して机に突っ伏すことになる。




