エピローグ
<匡サイド>
日曜日、いつもは掛けない目覚ましにじわじわと起こされる。
ジリジリ鳴り続けるタイプのこの音は、俺にはあまり即効性がないのだ。
暫く夢うつつでぼんやりと、なにか鳴っている音を聞いていると、違う硬い音がちらっと混ざった。
「…匡、起きろ。もう時間だぞ」
その声に、ぱしっと覚醒して飛び起きる。
勢いのままベッドを飛び出してドアを開けると、兄貴が驚いた顔で俺を見た後、ふっと苦笑した。
綺麗な顔がくしゃりと歪む、俺の好きな表情のひとつ。
「どれだけ目覚ましを鳴らせば気が済むんだ?父さんが起こして来いって不機嫌そうだったぞ」
そういうと、俺の頭に手を伸ばして前髪を撫で付けた。
どうやらひどく寝癖があるらしい。…やっぱり風呂上りにドライヤーかけたほうが良いか。
でも、兄貴が楽しそうに何度も撫で付けるのが少し嬉しくてそのまま任せる。
「…でも匡、部屋は綺麗に使えよ。また汚れてきてる」
苦言を言う顔も、しょうがないやつだという表情で、以前だったらもっとポーカーフェイスで言っていたなと思い出した。
「じゃあ一緒に片付けてくれよ。兄貴が居やすい様に」
「甘えるんじゃない」
ぺんと撫でていた手で軽くはたいて、そっぽ向いた顔が少し照れ臭そうに目元を揺らしている。
「…早くしないとおいていくぞ。俺はもう支度が出来ているからな。5分で出来なければおいていくぞ」
「わ、まった急ぐから!」
慌ててパジャマを脱ぎ捨てると、「下で待ってる」とドアを閉めた。
なんか、兄貴やっぱりあの日からずいぶん分かりやすくなった気がする。
あの日、泣き続ける兄貴を抱きしめながら、ずっとその背中を撫で続けた。
俺としては、兄貴が言った「好き」って事を、もっと詳しく聞きたいところだったんだけどな。
泣き止んだ頃には母さんが帰ってきて、二人して何とかごまかそうとしたけど兄貴が泣いたのがばれて母さんに大目玉食らったし。それどころじゃなくなってしまった。
だから、本当の真意は聞けていないし、俺もどうすれば良いのか分からないけれど。
あの日から、なにかが大きく変わったことだけは確かだった。
「…やべ、いそがねぇと兄貴マジに置いてくからな」
箪笥からシャツとジーンズを取り出して、やっぱり最近買ったブラックジーンズを引っ張り出した。
今日は、兄貴と参考書を見に行くんだ。それから、食事して映画見て、街をぶらぶら歩き回る。
目に見える変化はそれくらい。でも、兄貴があの日。
少し落ち着いてきた兄貴を腕の中に支えながら、まだしゃくりあげている兄貴の背中を撫で続けると、引き攣る息に途切れながら、兄貴がポツリポツリと話し出した。
「本当は、少しでも傾いたらこぼれそうな感情を支えるだけで精一杯だったんだ」
ごめんと続ける兄貴に、俺はこれ以上謝ってほしくなくて、ただ回した腕に少し力を入れた。
「…じゃあ、俺が一緒に支えてやるよ。一人の手では余っても、二人分ならまだ余裕だろ」
そう言った俺を真っ赤にはらせた目で見つめて、またそこに新しい涙が浮かんだ。
「…そうだな。…そうだったんだな…一人の器じゃ足りないんだ。きっと、この感情は」
泣きながら笑う兄貴はすでにくしゃくしゃだったけど、今までで一番胸に響いた。
着替え終わると、財布と携帯を尻ポケットに突っ込んで部屋を飛び出した。
階段を下りると、もう玄関には兄貴の姿が。
「わり!過ぎたか?」
「あと15秒。もう出かけるのか?」
「ああ!」
「歯ぐらい磨いて来い。…待っててやるから」
そう言った兄貴からプルプルと電子音。
「あ…」
その表情に、誰からの電話か瞬時に分かる。
「出なよ」
「…ああ、分かってる」
上着のポケットからPHSを取り出したのを横から奪い取る。
「匡!」
「はい」
無視して電話に出ると、思ったとおり、向こうから嫌なやつの声が聞こえた。
『珪哉じゃねぇな。…ふぅん、弟君か』
「なんだよ。用がないなら切るぞ」
『なかったら掛けるか。こないだの食事の約束を今日はどうかと思ってな』
「いかねぇよ。今日は俺と出かけるんだ」
『ふーん。そうか』
「匡、人の電話に勝手に出るのはマナー違反だろうが!」
慌てる兄貴と余裕の阿久津にはかなりむっとするけれど、それでまたこの男を楽しませるのはもっと癪だった。
電話を兄貴に突き出すと、兄貴は止めていたくせに目を見開いて動きを止めた。
「匡?」
「食事の誘いだって。…断るよな」
「…ああ、もちろんだ」
ほっとしたように笑って、兄貴がPHSを耳に当てる。
「阿久津?悪いが今日は先約がある。…なに?違う。ばかか。…そんな!お前じゃあるまいし」
からかわれているらしい会話を少し聞きながら、内心やきもきしていた。
早く断って電話を切れば良いのに。
そう思っていると、兄貴がちらりと目を俺に向けて少し微笑んだ。
「悪いが阿久津、これからはあまり時間が取れなくなりそうだ。もともと活動範囲も違うし、付き合うのはつらかろう。まぁ今後は様子を見てな。時間があったら食事でもしよう」
そういって、じゃぁなと兄貴にしては一方的に電話を切った。
それを眺めると、兄貴は少し目を逸らしてから照れたように睨む。
「…歯磨き。さっさと行って来い。置いていくぞ」
「そんな!待っててくれるっていったじゃねぇか!」
「こんなところでゆっくり人を見ている時間があるなら有効に使えばか者!」
ふん!とそのまま玄関に下りてしまった兄貴を見て、慌てて洗面台に駆け込んだ。
本当は、外で待っててくれてるんだって分かるけれど、先に出たことを後悔する前に追いつきたい。
俺たちの関係は、変わったようで変わらないようで、きっと変わり続けていくんだろう。
最終的にどんな形に落ち着いても、俺はもうきっと兄貴ひとりに溢れそうな感情を支えさせることはしないんだと。
そうぼんやりと確信していた。
終わり
はい、終わりました。…長々とお付き合いくださり、ありがとうございました。
本当は11月中に終わらせるつもりだったのですが、あとがき書いていたら日付超えました。
最後は1日2話アップで終わらせたいという野心があったのですが…無念です。
ちょっとだけ裏話:
この話、書き出したのは10数年前。未完で放置し、投稿するに当たって続きを書き始めたのですが…文体も違えば立場も違う自分にも困りましたが、何より困ったのが時代の変化。
…なにせその頃はまだ携帯が今ほど普及していなかったもので、主人公はこの時代に来てもPHSの愛好者。弟は最近の子なので携帯なんです…(ああああやっちまった)。
書き始めはシリアス調だったのですが、時を経たらシリアスには出来るだけしたくなくなりまして、半シリアスのギャグ(だと思ってます)になり、曖昧な関係のままで終わりましたが…彼らの物語はこれで一巻の終わりです。
つたない文に最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
柊 拝