38. グランツ帝国:報告
グランツ帝国北東部、アウグスフェルト古戦原にほど近い駐屯地。
定期巡回に出ていた兵たちが戻ったのは、昼を少し過ぎたころだった。
古戦原そのものへ深く踏み込むことは、以前から避けられている。あの場所にはレイスやグールが多く、過去には討伐を試みた部隊が被害を受けたこともあった。中でも、帝国が長年記録してきた二体がいる。一体は、周囲のレイスとは明らかに力の違う個体。もう一体は、古びた法衣をまとったグール。名前も素性も分からない。ただ、どちらも古戦原からほとんど離れず、一定の範囲に姿を見せ続けていた。そのため現在では、無理に討伐するよりも、周辺への立ち入りを制限しながら動向を監視する方針が取られている。
巡回から戻った兵が提出した報告書を読み、駐屯地の指揮官は途中で顔を上げた。
「二体とも確認できなかったのか」
「はい。通常の観測地点を三か所回りましたが、どちらも姿がありませんでした」
報告に来た兵は、卓上に広げられた地図へ指を置く。
「いつも法衣のグールが確認されていたのが、この辺りです。特異なレイスは、こちらから中央部にかけて現れることが多かったのですが……今回は一度も」
「奥まで入ったのか?」
「平時より少しだけ。ただ、それ以上は命令の範囲を越えますので」
指揮官はうなずき、再び報告書へ視線を落とした。問題は、二体が見つからなかったことだけではない。
「レイスとグールの数も減っていた、とあるな」
「はい、ほとんど残っていませんでした。それに……」
兵が、言葉を選ぶ。
「……妙でした。途中でこちらへの興味をなくしたように離れていくものや、最初から何もしてこないものがほとんどでした」
それまでの記録とは合わない。アウグスフェルトのアンデッドは、討伐に訪れた者だけでなく、知らずに近づいた旅人まで襲われた例があった。
「戦闘の痕跡は?」
「少なくとも、二体を倒せるほどの戦いがあったようには見えません」
新しい焼け跡も、大きく抉れた地面もない。古戦原には昔の戦で残った傷が至るところにあるため、小さな変化まで見分けることは難しい。それでも、長年監視対象となってきた二体が同時に倒されたのであれば、それなりの痕跡が残るはずだった。
指揮官は報告書を閉じた。
「巡回人数を増やす。ただし、追跡するために深追いをしすぎるなよ」
「承知しました」
「周辺の村と関所にも確認を取れ。変わったものを見た者がいないか、聞いておけ」
兵が敬礼し、部屋を出ていく。指揮官は地図に目を戻した。二体が姿を消しただけなら、偶然という可能性もある。だが、周囲のレイスやグールまで行動を変えている。それを偶然で片づけるには、少し変化が大きかった。
*
数日後。
駐屯地から送られた報告書は、いくつかの部署を経て、帝都へ届いていた。それを受け取ったセレーナ・ヴァイゼルは、自室の机で二枚目まで読み終えると、最初の頁へ戻った。
「……二体とも、ですか」
向かいに立つ部下が、うなずく。
「現地からの追加報告でも確認できていません。巡回範囲を多少広げたそうですが、結果は同じです」
「周囲の個体については?」
「一部は、まだ古戦原に残っています。ただ、以前のように人間を見れば襲いかかるとは限らない、と」
セレーナは指先で、紙の端を軽く押さえた。
アウグスフェルトについては、過去の資料も残されている。討伐を試みて失敗した記録。古戦原へ入った冒険者が戻らなかった記録。周辺のアンデッドが一定の範囲からほとんど動かないという観測。法衣姿のグールと、もう一体の特異なレイスについても、何年分もの報告がまとめられていた。
「二体が最後に確認されたのは?」
「前回の巡回です。今回の巡回までの間隔は、いつもと同じです」
セレーナは、椅子の背へ少し身体を預ける。
「討伐されたと考える者は?」
「現地では少ないようです。痕跡がないことに加えて、周囲の個体まで同時期に変化していますので」
「でしょうね」
二体を倒した何者かがいたとして、それだけなら話は簡単だった。だが、ほかのレイスやグールまで散りはじめた理由にはならない。セレーナは報告書を横へ置き、今度はアウグスフェルト周辺の地図を引き寄せた。
「この二体は、長いあいだ古戦原を離れていないのですよね?」
「確認されている限りでは」
「なら、場所を変える理由ができた」
部下が、黙って続きを待つ。セレーナは、古戦原から延びる街道を指でなぞった。
「問題は、その理由が何なのかです。二体が別々に移動したのか。同じところへ向かったのか。それとも、誰かが連れ出したのか」
「追跡部隊を出しますか?」
「まだ必要ありません」
すぐに兵を送り込んでも、手掛かりがあるとは限らない。古戦原の中を探し回るより、まず外側を調べたほうが早い。
「周辺の町と関所へ照会を。異変が確認される少し前から遡って、アウグスフェルト方面へ向かった者がいなかったか、調べてください」
「商人や冒険者も含めてですか?」
「ええ。少しでも違和感のあるものは、すべて報告を」
「分かりました」
部下が書類を受け取り、退出する。セレーナは残された地図をしばらく眺めてから、アウグスフェルトの名が書かれた場所へ、小さく印をつけた。
まずは、何があったのかを調べなければならない。




