第1話 無料の心霊ツアー
電話が鳴ったのは、夜の九時を少し過ぎた頃だった。
ベッドに寝転がりながら動画を眺めていた俺は、画面の上に表示された名前を見て、通話ボタンを押した。
「もしもし」
『忠、今度の金曜って空いてるか?』
挨拶もなしに、啓介が尋ねてきた。
「今度の金曜?」
『そう。金曜の昼から日曜の夕方まで』
「二泊三日じゃねえか。何するんだよ」
『心霊ツアー』
反射的に電話を切りかけた。
『待て待て待て! 切るなって!』
「切るだろ、普通」
『話くらい聞けよ。かなり条件がいいんだぞ』
「心霊ツアーに条件の良し悪しなんかあるのか?」
『ある。今回はモニター募集だから、参加費は実質無料だ』
「実質って何だよ」
『現地までの交通費と、自分たちが食べるものは自腹。それ以外はかからない。山の中にある廃病院へ二泊して、最後に簡単なレポートを提出するだけだ』
廃病院。
その言葉を聞いただけで、行く気がなくなった。
俺は幽霊を信じているわけではない。
かといって、わざわざ夜の廃墟へ出かけて、何も出ないことを確かめたいとも思わなかった。
古い建物には、割れたガラスや腐った床がある。幽霊よりも、そちらのほうがよほど危険だ。
「絶対に行かない」
『まだ全部説明してないだろ』
「全部聞いても行かない」
『水は使えるらしいぞ』
「だから何だよ」
『寝る場所もある。昔の個室を宿泊用に整えてあって、ベッドとシーツも用意されてる。二階には食堂もあって、インスタント食品や保存食も少し置いてあるそうだ』
「それ、廃病院って言わないんじゃないか?」
『電気は通ってない』
「やっぱり廃病院じゃねえか」
『スマホを使うなら、モバイルバッテリーは持ってこいってさ』
「暗い病院で、充電が切れる心配までしながら二晩過ごすのか。何が楽しいんだよ」
『そこがいいんだろ』
啓介は昔からこうだった。
心霊写真、都市伝説、呪われた映像。そういうものを見つけては俺に送りつけてくる。
以前、夜中に突然電話をかけてきて、「今から絶対に後ろを見るな」と言われたこともある。何かいるのかと聞いたら、「振り返ったら怖いだろ」と笑っていた。
普段はろくでもない男だが、こういうことに関してだけは妙に詳しい。
廃墟へ入るときに必要な道具や、危険な場所の見分け方も知っている。オカルト絡みのときだけは、少し頼りになる男だった。
「一人で行けよ」
『俺は行くに決まってるだろ』
「なら問題ないな」
『美咲も行くってさ』
俺は身体を起こした。
「は?」
『美咲、お前の彼女。さっき声をかけたら、すぐに行くって言ってたぞ』
「どうして俺より先に美咲を誘ってるんだよ」
『お前から誘ったら断られそうだったから』
「だったら、断られるような場所に誘うな」
『でも美咲は乗り気だったぞ。前から一度、廃墟へ行ってみたかったんだってさ』
それは初耳だった。
美咲が怖い話を好きなのは知っていたが、本当に廃墟へ泊まりたいほどだとは思っていなかった。
『それで、美咲に「忠も来るんだよね」って聞かれたから、もちろん来るって答えておいた』
「勝手に決めるな!」
『来ないのか?』
啓介の声に、わずかに笑いが混じった。
『美咲だけ参加させて、自分は家で留守番するのか?』
「別に怖いわけじゃない。行きたくないだけだ」
『怖いなら心配するなって。俺がいるから大丈夫だ』
「お前が一番楽しんで、勝手にどこかへ行きそうなんだよ」
『そこは任せろ。こういうときの俺は頼りになるぞ』
それについては、否定しにくかった。
普段の啓介なら信用ならないが、心霊や廃墟が関係すると急に真剣になる。危険な場所へ無理に入ろうとはしないし、何かあれば真っ先に撤退を提案するくらいの慎重さもあった。
少なくとも、何も知らない人間だけで行くよりはましだろう。
「本当に危なくなったら、すぐに帰るからな」
『もちろん。緊急連絡先も教えてもらえるらしい。本当に何かあったら、ツアー会社へ電話すればいい』
「その会社は信用できるのか?」
『今回が最初の試験開催だから、参加者をモニターとして募集してるんだと。だから無料なんだよ』
「最初だから、まだ安全かどうか分からないってことじゃないか?」
『そういう言い方もできるな』
「できるな、じゃねえよ」
電話の向こうで、啓介が笑った。
『まあ、何も出なかったら、二泊三日で廃病院に泊まったって話の種ができる。何か出たら、もっと面白い』
「何か出たら帰る」
『分かったって。俺がちゃんと見てるから安心しろ』
啓介がそこまで言うなら、ひどいことにはならないだろう。
それに、俺が行かないと言っても、美咲は参加するかもしれない。
啓介が一緒とはいえ、彼女だけを廃病院へ行かせ、自分だけが家に残るのはさすがに気が引けた。
「……分かったよ」
『参加するんだな?』
「行けばいいんだろ」
『そう言うと思った。詳しいことはメッセージで送る。集合場所は現地に一番近い神戸線の高野駅。金曜の午後一時だ』
「遅れるなよ」
『お前に言われたくない』
啓介は笑いながら電話を切った。
間もなく、メッセージが届いた。
送られてきたのは、見覚えのない旅行会社のホームページだった。
黒い背景に、白い文字が並んでいる。
第一回、宿泊型心霊ツアー。
モニター参加者募集。
参加料金無料。
滞在期間、二泊三日。
その下には、山の中に建つ古びた病院の写真が載っていた。
壁は黒ずみ、窓ガラスの多くが割れている。建物の周囲には草木が生い茂り、正面玄関へ続く道も途中で見えなくなっていた。
いくら寝泊まりできるように整備されているとはいえ、写真を見る限りでは、今にも崩れそうに見える。
写真の下に、廃墟の名称が記されていた。
――稲田峰望病院。
声に出して読んでみても、聞いたことのない名前だった。
そのとき、美咲からメッセージが届いた。
『啓介君から聞いたよ。忠も来るんだよね?』
すぐに、もう一通続いた。
『廃病院に泊まるなんて初めて。ちょっと怖いけど、楽しみ!』
啓介には怖くないと言ったばかりだった。
ここで美咲に、自分は行きたくないとは言えなかった。
『もちろん行くよ』
そう返信すると、美咲から嬉しそうなスタンプが届いた。
俺はもう一度、ホームページに掲載された病院の写真を見る。
割れた窓の一つが、さっきよりも黒く見えた。
誰かが窓の向こうに立っているようにも見えたが、画面を拡大しても、そこには暗闇しか映っていなかった。
気のせいだろう。
そう思って画面を閉じようとしたとき、ホームページが自動的に更新された。
参加申し込みの欄に表示されていた文字が変わる。
――受付中。
それが、
――募集終了。
に変わっていた。




