第1話 旧式機は、まだ帰投しない
本作は『宇宙の漂流者、AI少女と文明再建。~ジャンクと技術で惑星インフラを構築する~ 』の外伝作品となります。単独でもお楽しみいただけるよう構成されておりますが、本編と合わせて読むとより良いのではないかと思います。 → 本編(https://ncode.syosetu.com/n5434ma/)
宇宙は静かだった。
静かすぎて、戦争が続いていることを忘れそうになる。窓の外には星があり、星と星のあいだには黒がある。そこを、無人戦闘機の群れが通過していく。音はない。炎もない。ただ航跡を示す白い線が、管制画面の中で細く伸び、消えた。
それが三百機。
そのうち七十二機が、十五秒後には失われる予定だった。
『第七戦域、敵無人群接近。中央管制AI、迎撃手順を確定』
通信士の声ではない。艦内放送に乗った合成音声だった。
『有人機隊は待機。繰り返す。有人機隊は待機』
格納庫の照明は半分だけ落とされていた。
古い戦闘機が一機、整備アームに吊られている。
機体番号、F-19R。
通称、レイヴン。
正式には旧連邦軍AI支援型単座戦闘機。中央管制AIとの完全同期に対応していない、三世代前の機体だった。
黒に近い濃紺の装甲。剥がれた塗装。翼の根元には補修跡。機首のセンサーは新型より大きく、鈍い。速く飛ぶために作られたというより、壊れながら帰ってくるために作られた機体に見えた。
その下で、狭霧ナギはヘルメットを抱えて立っていた。
「また待機か」
誰に言ったわけでもない。
だが機体側のランプが一つ点いた。
『待機は合理的です』
レイヴンの支援AI、通称クロウが答えた。声は低く、感情のない男の声に近い。古いAIらしく、微妙に間が悪い。
『現在の無人機戦における有人機の平均損耗率は、無人機の三・八倍です』
「聞き飽きた」
『では短縮します。あなたは遅い』
「ありがとう。短くて傷つく」
ナギは機体を見上げた。
戦闘は、もう人間が考えるものではなくなっていた。
中央管制AIが全域を読み、敵味方の無人機を駒として動かす。弾薬、推進剤、通信遅延、敵の予測モデル、損耗許容率。そういうものをまとめて計算し、盤面の端から端まで最適な手を打つ。
人間は遅い。
怯える。
迷う。
息をする。
だから、いらない。
それが今の戦争だった。
『第七戦域、交戦開始』
格納庫の壁面モニターに、白い点が流れた。
味方無人機群が斜めに展開する。敵は広がらない。槍のように細くなり、味方の左翼へ突き刺さる。
味方の三十二機が消えた。
すぐに敵も二十四機消える。
数字が減っていく。光点が消えていく。誰も叫ばない。誰も名前を呼ばない。
中央管制の戦争では、死ぬものに名前は要らなかった。
ナギはモニターを見ていた。
綺麗すぎる、と思った。
戦争はもっと汚いはずだった。少なくとも、訓練記録に残っている昔の戦闘はそうだった。もっと無駄があり、焦りがあり、間違いがあり、生き残ろうとする機体の乱れがあった。
今は違う。
すべてが正しい形で壊れていく。
『味方無人群、損耗率規定値超過』
艦内放送が告げた。
『第二迎撃群、投入』
格納庫の奥で、無人戦闘機が次々と射出カタパルトへ送られていく。小さく、鋭く、余計なものがない機体。コックピットも、生命維持装置も、脱出機構もない。人間を乗せない機体は、人間を守るための重量を持たない。
レイヴンの隣を、無人機が滑っていく。
ナギはそれを目で追った。
「なあ、クロウ」
『はい』
「あいつら、帰ってくると思うか」
『任務成功率は四十一パーセント。帰投率は二十二パーセント』
「そうじゃない」
『質問を再定義してください』
ナギは少し黙った。
言葉にすると、ひどく古くなる気がした。
帰ってきたいと思うか。
そう聞きたかった。
だが無人機にそれを問う意味はない。彼らは帰ってくるのではない。再利用可能なら回収されるだけだ。
モニターの中で、第二迎撃群が戦域に入った。
そして、乱れた。
ナギは目を細めた。
「……おい」
『確認しています』
味方無人機の一部が、中央管制AIの指示線から外れていた。いや、外されたのではない。追従できていない。敵が通信干渉を入れている。遅延はわずか〇・八秒。
だが中央AIの戦争で、〇・八秒は穴だった。
味方無人機が次々と局所判断へ切り替わる。個別AIが回避を選ぶ。別の個体が射線確保を選ぶ。その間に隊列が割れた。
敵はそこへ入った。
光点が消える。
白い線が裂ける。
『第二迎撃群、損耗率六十二パーセント』
格納庫の空気が、少しだけ変わった。
誰かが工具を落とした。乾いた音が床を転がった。
『有人機隊、出撃準備』
その命令が出た瞬間、ナギの胸の奥で何かが冷えた。
待っていたはずだった。
ずっと、自分たちはまだ使えると言いたかった。
なのに命令が来たとき、最初に浮かんだのは喜びではなかった。
怖い。
その一語を、ナギは飲み込んだ。
『搭乗を推奨します』
クロウが言った。
「勝てるか」
『勝率は二・四パーセント』
「あるな」
『誤差です』
「誤差でいい」
ナギはヘルメットを被り、タラップを上がった。
コックピットは狭かった。新型機の訓練シミュレーターよりもずっと狭い。計器のいくつかは物理スイッチのままで、タッチパネルには傷が入っている。シートに背中を預けると、機体の古い振動が骨に伝わった。
生き物みたいだ、と昔は誰かが言ったらしい。
今なら、それが少しわかる。
『生命維持接続。神経補助接続。操縦系、手動優先』
「中央同期は」
『不完全。従来どおり、私が翻訳します』
「頼む」
『頼まれました』
射出レールへ移動する。
格納庫の扉が開いた。
黒が見えた。
星が見えた。
そして、その向こうで、無人機の群れが死んでいた。
『F-19R、発進許可』
管制の声が割り込んだ。人間の声だった。久しぶりに聞いた気がした。
『狭霧少尉、任務は敵先鋒群の足止め。撃破ではない。繰り返す、撃破ではない』
「了解。足止めする」
『生還を優先しろ』
ナギは少しだけ笑った。
「それは命令ですか」
返事はなかった。
カタパルトが機体を掴む。
全身が押し潰される。
次の瞬間、レイヴンは宇宙へ放り出された。
音はない。
だが加速はあった。
胸が沈み、血が後ろへ持っていかれ、視界の端が薄く暗くなる。クロウが自動で補正を入れる。呼吸のタイミングが強制的に整えられる。
『敵無人機、十二。距離一八〇〇』
「見えてる」
『見えていません。あなたの視認能力では不可能です』
「気分の話だ」
『気分を記録しました』
レーダー上の敵機が散った。
速い。
速すぎる。
人間の目で追うものではなかった。光点が動いたと思った瞬間には、もう射線が通っている。警告灯が点く。ナギは操縦桿を倒す。クロウが補助を入れる。機体が横へ滑る。
レーザーが、さっきまでいた場所を通過した。
遅れて、警告音。
「順番が逆だろ」
『警告が間に合っていません』
「知ってる」
敵は三機でナギを囲みにきた。
中央AIの戦いなら、ここで味方無人機が側面から圧力をかける。だが今、その味方はいない。残骸だけが漂っている。白く光る破片。焼けた装甲。まだ熱を持つ推進剤の雲。
ナギはそれを見た。
見た、というより感じた。
そこだけ、空気が違う。
宇宙に空気はない。だが戦場には濃い場所と薄い場所がある。死んだ機体の熱。通信の乱れ。散った破片の流れ。無人機はそれを数値として処理する。中央AIなら盤面として読む。
ナギには、汚れに見えた。
「クロウ、左の残骸帯へ入る」
『非推奨。回避空間が狭すぎます』
「だから入る」
『敵AIは追撃を継続します』
「だろうな」
レイヴンは残骸の中へ突っ込んだ。
破片が装甲を叩く。細かな衝撃が連続する。視界が白く散る。センサーにノイズが走る。
敵無人機は迷わない。
一機が上から、一機が右から、一機が後方から来る。
完璧な角度だった。
ナギは操縦桿を握ったまま、二秒だけ何もしなかった。
『操作入力を確認できません』
「待ってる」
『待機は危険です』
「知ってる」
警告灯が三つ点く。
敵の射線が重なる。
クロウが自動回避を提案する。右下、推進剤噴射、姿勢反転。生存率一一パーセント。
ナギはそれを選ばなかった。
代わりに、機体下部の冷却材を排出した。
白い霧が残骸帯に広がる。
敵AIは熱源を再計算する。レイヴン本体、冷却材、破片の反射熱。三つの判断が発生する。
ほんの一瞬、敵の射線が割れた。
「今」
『了解』
クロウが機体を半回転させる。
ナギは引き金を引いた。
弾は一発だけ出た。
派手な光はなかった。
ただ敵無人機の一つが、白い点から黒い欠片に変わった。
『敵一機撃破』
クロウの声は変わらなかった。
ナギの呼吸だけが乱れていた。
残り二機が距離を取る。
学習したのだ。
次は同じ手は通じない。
「クロウ」
『はい』
「今の、偶然か」
『分析中』
「先に答えろ」
『偶然ではありません』
ナギは口の中で笑った。
だが次の瞬間、敵の一機が消えた。
レーダーからではない。
見えていた気配から消えた。
嫌な静けさが来た。
『敵機、推定ステルス噴射。位置不明』
「後ろじゃない」
『根拠は』
「後ろなら、もう撃ってる」
ナギは機体を残骸帯の奥へ沈めた。
戦闘速度を落とす。
宇宙で速度を落とすのは、的になるのと同じだ。無人機なら選ばない。中央AIなら許可しない。
だから、敵は一瞬だけ遅れた。
レイヴンの正面、破片の陰から敵機が出た。
近い。
近すぎる。
ナギは撃たなかった。
操縦桿を押し込み、機体の腹で敵機の進路を塞いだ。
『衝突警告』
「避けるな」
『機体損傷率』
「いい」
敵AIは衝突を避けた。
それは正しかった。
衝突すれば、敵も損耗する。有人機一機に対して、無人機一機を失うのは効率が悪い。だから回避する。
その回避先に、さっき撃墜した無人機の破片が流れていた。
敵機の翼が破片を食った。
姿勢が乱れる。
クロウが射線を置く。
ナギは撃った。
二機目が消えた。
沈黙。
長い沈黙だった。
最後の一機は、すぐには来なかった。
距離を取り、こちらを観察している。
ナギも追わなかった。
追えば死ぬ。
残骸帯の中で、レイヴンは静かに漂った。警告灯が赤く瞬いている。装甲損傷。冷却材低下。右姿勢制御ノズル不調。生命維持系、正常。
ナギは息を吐いた。
手が震えていた。
クロウは、それを指摘しなかった。
『敵先鋒群、進行速度低下』
通信が入る。
『F-19R、任務達成。帰投せよ』
帰投。
その言葉が、ひどく遠く聞こえた。
ナギは前を見た。
最後の敵機はまだいる。黒の中に、ほとんど見えない気配だけがある。向こうも、こちらを見ている気がした。
無人機が見ている。
そんなはずはない。
けれど戦場には、そういう錯覚が残る。
「クロウ」
『はい』
「今の戦い、中央AIはどう評価する」
『再現性の低い局所的成功。戦術価値は限定的』
「だろうな」
『ただし』
クロウが少しだけ黙った。
古いAIの沈黙には、処理待ち以上の何かがあるように感じることがある。
『敵機は、あなたを再評価しています』
「敵が?」
『はい』
ナギは最後の一機を見た。
見えない敵を、見た。
『帰投を推奨します』
「わかってる」
レイヴンはゆっくりと向きを変えた。
背後には、消えた無人機たちの熱が残っている。
前方には母艦の灯りがある。
そのあいだに、静かな黒が広がっていた。
戦争はまだ、将棋盤の上にある。
けれどナギは、ほんの少しだけ思った。
盤面の端が、崩れ始めている。
帰投信号が点滅する。
ナギは操縦桿を握り直した。
指の震えは、まだ止まっていなかった。
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