四十・十八年前の自分だ
四十・十八年前の自分だ
・・・・・・しゃわしゃわしゃわしゃわ
・・・・・・みぃぃんみぃんみぃん
じじじじじじじじじ・・・・・・
しゃわわわしゃわわしゃわわわ・・・・・・
お盆の最終日。かあっとした陽射しと蝉時雨が、残暑を余計に暑く感じさせる。
「あー・・・・・・もぉー・・・・・・。あっついなぁー・・・・・・」
「お姉ちゃんー・・・・・・。暑いって言わないでよ。余計に暑いから・・・・・・」
「暑いもんはしょーがねーだろ! だいたい、優璃もなんでこんな時に、家にいんだよ?」
「お姉ちゃんこそ、なんで珍しく日曜なのに家にいるの? いつもみたいに、どっか行くとかするのかと思ったーっ」
「お前、アタシを暇人みてーに・・・・・・。・・・・・・数学やってんのかよ?」
「この問題、わかんなくて。あー、もーっ! どうやるんだろ?」
リビングでソファーに寝転がる紅葉と、キッチンテーブルで勉強中の優璃が、二人で日曜の昼間を共に過ごしている。
小紅は「クーラーは一時間だけね」と書き置きを残し、朝早く整体院へ行っているようだ。
「・・・・・・あっちぃ! アタシ、アイス食べる。・・・・・・優璃は?」
「いんなーい。お腹痛くするもん。・・・・・・あー。わかんなくて、脳みそが熱出そうー」
優璃が取り組んでいるのは、受験対策用の数学の問題集。紅葉は、冷凍庫からレモン味のアイスキャンディーを取り出し、咥えながら優璃の後ろから問題をじっと眺める。
「・・・・・・ふーん。・・・・・・そこ、間違ってんぞ? XとYも逆だし、4ルート3だぞ?」
「え! ・・・・・・あ! ほ、ほんとだ!」
「そそっかしいんだよ、優璃は。もーちっと、落ち着いて解けばいいんだよ」
「すごぉい、お姉ちゃん!」
「たかが中学生のやる数学なんざ、アタシには楽勝だよ」
「・・・・・・お姉ちゃんさぁ、なんで宇河女子とか、柏沼とか、進学校にしなかったの?」
優璃は、結い髪をぴょこんと揺らしながら、首を傾げる。
「イヤだよ。パパやママの後輩になるなんて、アタシはイヤだったの。そんだけだよ」
「ねー? なんでお姉ちゃんはさ、そこまでパパやママに反抗的なのー?」
「別に。これといった理由はないけど、親に縛られるっていうか、なーんか、イラついてダメなんだよ。アタシのこと、ちゃんとわかってくれなかったしな。バシッとした理由なんかない。・・・・・・優璃こそ、いっつもいい子で、昔から偉いじゃん。アタシと大違いだね」
「そんなことないよ。・・・・・・まったくもう。お姉ちゃん、素直じゃないんだからー」
紅葉は優璃の頭をくしゃっと撫で、再びソファーにどかっと座る。
「ゆりだって、本当は、お姉ちゃんみたいに強くなってみたいよ・・・・・・」
ぽそっと小声で呟く優璃。紅葉は、アイスキャンディーを咥えたまま、スマートフォンをいじっている。
「・・・・・・なに? 優璃、なんか言った?」
「・・・・・・ううん。別に。・・・・・・課題、やっちゃうね」
「公式間違うんじゃねーよ? 数学は、きちんとやりゃー、何とかなんだよ!」
「はぁい。・・・・・・お姉ちゃん、ありがと」
「うっさいよ! とっととやっちゃえよ。・・・・・・あ! アタシ、今度の土日は、イベントのバイトがあるから、いねーかんな?」
「あ、そっか。何か新しいバイト始めたって言ってたもんね? ゆりもね、今度の土日は、お友達と、出かけるからー。受験勉強の息抜きがてらにね!」
「ふーん。・・・・・・穂花ちゃん?」
「穂花ちゃんも一緒だね」
「も?」
「あ・・・・・・」
「まぁ、誰でもいーや。気をつけて行けよな?」
「うん。ありがと!」
紅葉は、優璃の方を見ることなく、リモコンでテレビの電源を入れ、ソファーにだらしなく座っている。
ふと、紅葉はテレビの脇にある引き出しに、目を留めた。
「(なんだ、あれ? アルバム・・・・・・?)」
その引き出しから顔をのぞかせていたのは、小さな古いアルバムだった。紅葉はそれを手に取り、ソファーに座って開く。
「(・・・・・・。へー。・・・・・・これ、ママのアルバム・・・・・・か?)」
ぺらり ひらり ぺらり ぺらり・・・・・・
ページをめくると、どこを見ても、高校時代から二十代前半ごろの小紅が写っていた。紅葉は、それを黙って、じっくりと眺めている。
「一番最初の写真は、平成十二年? ・・・・・・今が令和五年だから・・・・・・。二十三年前?」
紅葉の黒い瞳に、同じ年齢の小紅が映り込む。
奇しくも、同じ髪留めをつけた同じ年齢の少女が、時を隔てて目と目を合わせている。
・・・・・・はらり
「ん?」
アルバムの中から、一枚の写真が落ちた。紅葉はそれを拾い、じっと見つめる。
「え? ・・・・・・これ・・・・・・」
すると突然、紅葉の表情が真顔になった。その写真には、生まれたての乳児を抱いて微笑む、髪を下ろした小紅が写っていた。
[ 平成十七年 九月八日 くれはちゃん、誕生! ありがとう! ]
写真には、乳白色のペンで書き込まれた、母の筆跡が見える。
紅葉は、まじまじとその写真を眺める。何も言わず、ただ静かに、瞬きを繰り返している。
かちり こちり かちり こちり かちり こちり・・・・・・
かちり こちり かちり こちり かちり こちり・・・・・・
ぼーん ぼーん ぼーん ぼーん
和室の振り子時計が、大きく鳴り響いた。長針と短針が重なり、正午を指している。
「えー。もうこんな時間! ・・・・・・お姉ちゃん? あれ? どこー?」
いつの間にか、リビングに紅葉の姿はなかった。優璃は、きょろきょろと見回し、隣の和室を覗いてみた。すると、そこには、さっきの写真を見つめて座る、紅葉の姿が。
「・・・・・・お姉ちゃん? どしたの?」
優璃の声に、はっとする紅葉。ふっと首を振り、写真をポケットに入れる。その際に、目元から小さな雫が飛ぶ。それは、外からの陽射しに照らされ、真珠のように輝いていた。
「・・・・・・何でもない。なに?」
「もう、お昼だよ? ごはん、どーする?」
「そうか。もうそんな時間かよー。・・・・・・優璃、アタシと回転寿司にでも行く?」
「え! ほんと! いくーっ! ゆり、ツブ貝食べたーい!」
しばらくして、紅葉と優璃は、お互いTシャツにハーフパンツという似たような服装で、出かけていった。




