05 聖女と王子様(17)~領内の令嬢
王都でのお茶会のあと、封都で行われるお茶会に何度か参加した。ようやくお父様から許可が出たのだ。
お友達が増えるかとわくわくしながら参加したけれど、どのお茶会でも王子殿下の話題を避けては通れず……。結果として、難航した。前半は楽しくお話ししていても、場が温まってきた頃に誰かが一度は突っ込むのだ。
特に、上流貴族のご令嬢からの当たりがキツい。同じご令嬢が、わざわざ違うお茶会でその話題を出してくることもあった。もちろん何度話題に出されても、王家にお伺いくださいませ、と笑顔でゴリ押ししたけれど。
相手は小学三年生、と自分に言い聞かせていなければ、大人気ない対応をしてしまったかもしれない。
そして火の季に入り、ようやく領内の令嬢とも会う約束を交わせた。
五歳の芽吹きの儀で会った時には、特に教育が行き届いていないとは感じなかった。だからこそ、お父様からの許可にこんなにも時間がかかったことに素直に驚いてしまう。
「風の神ヒレモシモーナのお導きを嬉しく思います。エクゾッヒ準男爵の娘、レリアでございます」
彼女は封都に行く途中にある街、エクゾッヒの地方主の長女だ。一つ年上で肩幅はかっちりしており、やや吊り上がった眼からは意志の強さを感じる。もし彼女が日本に生まれていたなら、ソフトボールかサッカーをしていそうだ。そして彼女の持つ快活な雰囲気は、裏表のない気持ちのいい性格、という印象を与える。
「風の神ヒレモシモーナのお導きを嬉しく思います。ポリマーノ準男爵の娘、フローラでございます」
ポリマーノと言えば、王都へ行く際に毎回一泊する港町だ。領都にある漁港は湾に流れ込む川の近く、つまり湾の内側にあるけれど、ポリマーノは湾口の半島にある街だ。領都の漁港はアテーズマティ公爵領が近いということもあって、王都と行き来するような大きな船や外洋船は、ポリマーノから出ている。ちなみにガラテアやコンスタンティンの領地、ゼニファーフィボーノ侯爵領と隣接している。
フローラは港町のイメージにそぐわない色白で、たおやかな印象を与える少女だ。港町というよりは、海の中で生きる人魚の方が似合いそうだ。裾のふわりと膨らんだ衣装を身に纏っているが、マーメイドラインのドレスを着せたくなる。同い年のはずなのに、どこか色気を感じる。
「風の神ヒレモシモーナのお導きを嬉しく思います。ミコスターモ騎士爵の娘、エレナでございます」
ミコスターモは、内陸の川沿いにある街だ。エクゾッヒの東に位置し、イリーニ領の外れにある町と接している。噂話が東の川を下ってくることもあるらしく、ラエルティオス領の領都よりも情報の鮮度がいいときもあるという。
ふわりと柔らかそうな茶髪を一つに束ね、他の二人に比べると装飾の少ない衣装を着ている。よく身体を動かしているのか、衣装の上からでも身体が引き締まっているのがわかる。
令嬢教育を受けるまで知らなかったけれど、騎士爵は世襲制ではない。
それでもラエルティオス領の場合は、子息や親類縁者が文武どちらかで功績を収めれば、優先して授爵するように配慮をしているという。それによって世襲に近い状態を保ってはいるものの、今代限りになるかどうかはその時の子息次第らしい。
そのような事情もあって、お父様は渋っていたのかもしれない。
そして芽吹きの儀で再会の約束をしたのは、エレナだ。
漸く再会の約束が果たせるとウキウキしていたけれど、どうやら彼女の顔色を見る限り相当な緊張を強いてしまっているらしい。もちろんエレナだけでなく、その隣に座るエレナの母親も、他のご令嬢とその母親も、顔をこわばらせてかなり緊張している様子だ。
なんだか申し訳なくなってくる。
ちらり、と隣に座るお母様を確認すると、笑顔で軽く頷かれた。恐らく、この場の空気を任されたのだと思う。
確かに私のワガママで開催されたお茶会かもしれないけれど……!
お母様の容赦のなさに戦慄を覚えつつ、鍛え上げられた令嬢スマイルを浮かべる。
とりあえず誰でもわかる話題を、と天気の話や茶菓子の話などを振ってみた。しかしどうにも緊張は取れないようで、私が顔を向けた人が恐る恐る口を開く、みたいな状態になる。
私の顔はそんなに怖いのだろうか。そのように言われたことは、今までないのだけれど。
なんとか会話をつなぎ、お菓子とお茶を勧め、意識して大げさに反応を返す。少しずつ少しずつ緊張を解いていくけれど、ここまで時間の進みが遅いお茶会は初めてだった。
紅茶を入れ替えるタイミングで、令嬢たちだけを別の机に誘導する。お母様はもちろん残した。百戦錬磨なお茶会話術があるだろうお母様は、きっと私がいなくなれば遺憾なくその実力を発揮することだろう。
令嬢方が一心地付いたのを見計らって、紅茶を一口飲む。茶器を戻す時に意識して柔らかい笑みを浮かべ、そっと人差し指を唇に当てて口を開く。
「お母様方とは席も離れましたし、皆様もう少し寛いでくださいませ」
にこ、といつもより口角を上げ、明るめの笑顔を作る。
ほっと誰かがため息を吐いたのが聞こえて、少しは緊張を和らげたかな、と安堵する。
「先ほどお名前はお伺いしましたけれど、今度は皆様の好きなことを教えてくださらない?」
好きなことなら話せるだろうと話題に挙げてみたけれど、三人とも目を泳がせて口を開かない。そんな難しい質問だっただろうか?読書でもお散歩でも、お菓子でも、なんでもいいんだけれど、と思って私から話すことにした。
「ちなみにわたくしは、お散歩がとても好きですわ」
前から外を出歩くのは好きだったけれど、最近特にそう思う。前みたいに町まで出ずとも良い。庭園でお花を愛でるだけでも、充分に気分がすっきりする。
「わ、わたしは、馬が好きですわ」
勇気を出してくれたのか、唯一今年十歳になるレリアが言葉を返してくれた。
「まあ、馬ですか!素敵ですわ。わたくしまだ馬には乗ったことがないのですけれど、レリア様は乗ったことがあって?」
「ええ、エクゾッヒは広い平野がございますし、たまに父とも乗馬を楽しみます」
「おいくつぐらいのときから、馬には乗っていらっしゃったの?」
「……初めて一人で乗ったのは、芽吹き式のあとだったと思います。なので五歳、でしょうか」
少し思い出すように視線をさ迷わせたが、初めて乗った時の失敗でも思い出したのか、くすりと自然な笑みを浮かべて返してくれた。レリアが笑顔になってくれたのが嬉しくて、私も笑顔を浮かべる。
「芽吹き式ですか。わたくしは大変でしたわ……船に酔ってしまって」
はあ、とあからさまにため息を吐いて、残念そうな苦笑いを浮かべながら言葉を続ける。
「王都はお祭りのようになっていると伺って楽しみにしていましたのに、全然遊べませんでしたの。皆様はいかがでしたか?もう五年近く前になりますけれど」
失敗談を話せば場が和むだろうか、と思って話題にしてみたけれど、気遣うような表情を浮かべさせてしまった。しまった、と慌てて疑問形にして話を振る。
「私は……残念ながらあまり覚えていません。ただ只管に、凄く緊張してしまって」
そう口にしたのは、エレナだ。
王都の芽吹き式で会ったのは彼女だけれど、五歳の時の約束なんてもう覚えていないのかもしれない。
首をゆっくり縦に振り、同意を示す。
「わかりますわ。わたくしも緊張いたしました。でも王都で行う芽吹きの儀ですもの、もっと神秘的な演出があるのかと期待しませんでしたか?」
「わかります、思ったよりもあっさり終わりましたよね」
「少し残念な気持ちになったのを覚えていますわ。フローラ様はいかがでしたか?」
エレナも笑顔で同意してくれたので、今度はフローラに話しかける。
「わたくしも緊張しましたわ。船には慣れていましたけれど、王都に住む方々の雰囲気に気圧されてしまって」
穏やかな笑みを浮かべ、緩やかに首を傾げる。フローラの長い髪が、肩からさらりと滑り落ちた。そのままゆったりと口を開き、フローラが言葉を続ける。
「やはり王都の方は、都会に住んでいらっしゃるから華やかというか……それに話し方も速いですよね」
本当に港町のご令嬢なのだろうか、と疑ってしまいたくなる。あの活気ある町にいて、なぜここまでおっとりした子に育ったのだろう。
そんなことを疑問に思いつつ、王都の街を思い出す。
そういえば王都の喫茶店は、平民向けだというのにとても素敵だった。フローラの言葉に納得するように頷く。
「確かに王都に住む方は、平民の方でも洗練されていますわね」
「!」
同意したつもりで言葉にしたのに、なぜか三人ともに気まずげな表情をされた。何かまずいことでも言ってしまったのだろうか、とは思い至るけれど、何が悪かったのかがわからない。
戸惑ったまま紅茶を口にして、場の空気を濁す。つられたように三人も紅茶を口にする。
しばらく無言が続いたけれど、意を決したようにレリアが口を開いた。
「ア、アリアナ様は、平民のことをどのようにお考えで……?」
平民のことを?どのように……?
カリオペやケフィソドトスのことを思えば友達だけれど、質問の意図を掴み損ねて一般論を返す。
「守るべき民だと思っていますけれど……」
一般論とはいえ、もちろん私が思っていることではある。
でもどうやら、聞きたかった答えではなかったらしい。私もうーん、と迷いながら言葉を続ける。
「下働きで雇っている者もいますが、素直でとても好ましく思っていますわ。もちろん色々な方がいらっしゃるのでしょうけれど、人情味に溢れているというか……優しくて真面目な方も多いと思っております。救護院で治癒した方も、後日お礼を言ってくれる方が多いですし」
期待に添える返事になっているだろうか、とこてりと首を傾げて三人を見る。
どこからかゴクリと息をのむ音が聞こえ、今度は膝の上で手を握りしめたエレナが口を開いた。
「……わ、私どもも平民なのですが」
「?」
言葉の使い方から、当主だけが貴族でその家族は貴族ではない、ということを言っているのではないとは分かった。だって私も正確に言うのであれば、平民の括りなのだし。
……当主であるエレナの父親も平民だと言いたいのだろうか?
え?爵位持ってるのに?
思わず開けてしまった口を慌てて閉じ、手を顎に当てて記憶を掘り起こす。でもやはり、三人の家の爵位は準男爵と騎士爵で間違いない。ちゃんと父親が爵位を持っているはずだ。
私が理解していないのがわかったのか、レリアが補足してくれた。
「わたしの父が持つ爵位……準男爵以下は、特権階級の平民という扱いなのですが」
「!?」
えっ特権階級って貴族のことじゃないの!?ずっとそう解釈してたんだけど!
内心焦りつつ、今までの授業を思い出してみる。
……確かに、貴族階級と特権階級を使い分けていたかもしれない。同義だと思い込んでいたから流しまくっていたし、まとめて貴族、と理解していたけれど。
実のところ、お父様が爵位を授けられるのは不思議だな、と少し思ってはいた。しかも男爵以上は王からの授与だし。何が違うんだろうと思っていたけれど、なるほど、平民のままか貴族になるかが違ったのか。
つまり特権階級という言葉には、貴族の他に一部の授爵した平民も含まれている、ということだろう。
そして、色々と合点がいった。お父様が渋ったのも、反対はしなかったお母様がお茶会では一歩引いていたのも。
それから脳内に、今日のお茶会の様子がフラッシュバックする。
何か失礼なことを言ったような気がしてくる。というかそもそも、招待するところから結構無理を言っていたのかもしれない。
羞恥から、顔がどんどん熱くなっていく。両手で顔を覆ったけれど、たぶん耳まで真っ赤になっている。
「……っ」
リリーが静かに紅茶を入れ替えてくれるのを感じ取り、必死に落ち着きを取り戻す。頬に手を当て、大きくため息を吐く。
「し、失礼いたしました。勉強不足でしたわ……。ご迷惑でなかったかしら?」
「……大丈夫です、アリアナ様」
エレナが緊張が解けたように、笑って言った。緊張が解けるようなことが、あっただろうか。私が謝ったから?
「実は……アリアナ様がどうして私なんかを招待してくださったのかわからなくて、どきどきしていたのです。勘違いだとわかって、逆に安心しました」
「!それは違いますわ!」
ぎゅっと自分の手を握って、力強く否定する。
「?」
「わたくし、あの……王都の芽吹き式で、エレナ様とお隣でしたの」
「!もしかして……」
完全に忘れられたわけではなかった、とホッとして笑みを浮かべる。
「そうなのです。またお会いしましょう、とお約束しましたでしょう?もう一度エレナ様とお話ししたいと、ずっと思っていたんですの」
それに、と他の二人にも目をやる。
「わたくしはあなた方が平民だと知っていたとしても、お呼びしましたよ」
「……」
「ラエルティオスを一緒に治めてくださっているお家でしょう?お話ししてみたいと、ずっと思っていましたもの」
二人からの反応は薄い。というよりも、不安そうな顔をしているのかもしれない。もう一押し、と、にこりと笑顔を浮かべる。
「もしお嫌でなければ、またお話ししていただけませんか?」
私の真意を窺うように視線を向けられたので、本気ですよ、と頷く。それにほっとしたような顔をすると、恐る恐るという感じで口を開く。
「わ、わたしでよろしければ……よろしくお願いします!」
フローラはどうだろうか、と視線を向ける。変化の薄い笑顔で、わたくしもよろしくお願いします、と頭を下げられた。
とりあえず、少しは誤解が解けただろうか。
アリアナ・ラエルティオスとして生を受けてもうすぐ九年。もうこの世界に染まっていると思っていたけれど、無意識に前世の常識に引っ張られてしまうようだ。思い込みには注意しなければと反省しつつ、だいぶ打ち解けた雰囲気でお茶会は終わった。
また、再会の約束をして。
ようやくアリアナの人間関係が広がってきて、第一章は一段落です。
そして、ついに五十ページです!
皆さんのお陰でここまでこれました。
いつもありがとうございます。
もしかしたらエピローグ入れるかもしれませんが、一応予定としては、次から第二章 学園編です。
よろしくお願いします。