05 聖女と王子様(16)~王都でお茶会
一週間の王子殿下の滞在期間が終わり、今度は私が王都へと向かう。薔薇園も見ごろだという、水の季の終わりの月だ。
王子殿下に連れられて東屋をくぐると、ふわりと華やかな香りがした。石造りの東屋を這う蔓薔薇も綺麗に咲き誇っているが、それ以上に前面に広がる薔薇園は圧巻だった。薔薇の生垣でできた迷路は、以前よりも格段に多くの種類からなっており、色鮮やかに咲き誇っている。
「良い香り……」
大きく息を吸い込んで肺いっぱいに薔薇の芳香を詰め込むと、王子殿下と顔を合わせる。わかっているとでもいうように軽く頷かれ、王子殿下とともに軽やかに東屋の階段を駆けおりる。間近に咲く薔薇に顔を寄せると、仄かに甘い香りがした。薄紅色のその薔薇は小ぶりだが、花弁の先が細かく波打っていて華やかさに欠けるようなことはない。
迷路を彩る多種多様な薔薇を目と鼻と耳で楽しむ。王子殿下の穏やかで優しい声色を聞きながら、少しずつ歩を進める。
真っ赤な大輪の力強い薔薇、白く控えめな花弁を持つ繊細な薔薇、紅色が鮮やかで目を引く薔薇、小ぶりだけれどたくさんの花が咲いている薔薇、薄紅色で花弁が何枚も重なっている薔薇、紫がかっている薔薇、橙色、白色、赤色、黄色、薄紅色、緑色、紅色……白から薄紅色へと色の変化がある薔薇もある。
薔薇に夢中になっていると、王子殿下の声が止んでくいっと手を軽く引っ張られた。つられて顔を向けると、少しだけ眉の下がった笑顔をしている。苦笑いとでも言うのだろうけれど、そのような表情をされる理由がわからない。
「……土の季に見た時も思いましたけれど、とても素晴らしいお庭ですわ」
とりあえず、とニコリと笑みを浮かべて褒めると、王子殿下の表情も少し和らいだ気がする。
「アリアナ嬢に楽しんでいただけて嬉しいです。……ここからだと、以前休憩した東屋が綺麗に見えますよ」
繋いでいない方の手で示された先を見ると、蔓薔薇に覆われた東屋があった。土の季に見た時よりももこもこと立派に茂っており、そこに薄紅色の薔薇がぽこぽこと花を咲かせている。まるで童謡に出てくるお姫様の庭園のような様子に、思わず感嘆の息がもれる。
駆け出したくてうずうずする足を必死に抑え、王子殿下の様子を見る。
「行ってみましょうか?」
「ええ!」
気持ち早足になりながら、東屋へと向かう。東屋の周りをぐるりと一周し、わくわくしながら薔薇に囲まれた中へと入る。
大きく取られた窓があるけれど、やはり少し薄暗い。長椅子に腰かけると、窓の縁から覗く蔓薔薇が間近に見えた。幾重にも重なった花びらは美しく、優雅で気品さえ感じる。遠景に見える薔薇園と王城の様子から、本当におとぎの国にでも来たかのようだ。
しばらく呆けてしまっていたのか、くくく、と笑う声が横から聞こえてはっとする。
子どもみたいに夢中になってしまったのが恥ずかしくて、顔が熱くなってくる。急いで否定の言葉をと口を開こうとしたが、事実であることに気付いて何も発さずに口を閉じる。恥ずかしさを紛らわすように、もぞもぞといつの間にか用意されていた茶器に向き直る。
白磁の器には、薔薇の絵が描かれている。薄く焼かれているからか絶妙な弧を描いているからか、その器は紅茶を飲もうと触れた唇に違和感なく馴染む。
「お恥ずかしいところをお見せしてしまいましたわ……」
「気に入っていただけたようで、何よりです」
幼い声の響きと子どもならではのやや単調な話し方でそれとわかるけれど、優しく笑まれて紡がれた言葉は穏やかで、言葉だけならばとても八歳児とは思えない。
もしかして王子殿下も中身は違うんじゃ、と疑ってしまいたくなるけれど、すぐにそれを否定する。王子殿下に年上と話している時の安心感は感じられないし、どちらかといえば背伸びしている可愛らしさの方が目立つ。
何口か紅茶を飲み進め、徐々に羞恥心が落ち着いてくる。
それからはいつも通り和やかに、東屋から見える薔薇について話したり、薔薇の鑑賞以外の利用方法について話したりした。
どうやら薔薇風呂はあるらしいけれど、ジャムやハーブティーなど食用には用いられていないようだ。ジャムは砂糖が貴重だし、ハーブティーは乾燥させる以外の手順がわからない。
前世だとローズの香りと銘打った商品がたくさんあった気がするけれど……ハンドクリームぐらいしか思い付かない。女子力が高かったとは決して言えない私には、少し荷が重いようだ。……そもそも香りってどうやって抽出するんだろう。単純に煮出してもダメだというのは、なんとなくわかる。
押し花ならできると思うけれど、立体的で花弁の数が多い薔薇は押し花には向かなそうだ。ドライフラワーやポプリをイメージして、上手に乾燥させたら長持ちしそうですよね、良い香りがするかもしれませんね、と話しておくに止めた。王城なら、研究熱心な人もいるかもしれない。
そのうち良い香りのする商品が出たらよいな、と希望的観測をしながら、薔薇園を後にする。
その後も恙無く王城で過ごした。よほど気に入られているのか子どもだからと心配されているのか、一人で王都に来たときは是非お城へ、と言われている。そして王都を発つ前日、久しぶりにお兄様とお茶をするために別邸へと戻った。今回はその為に、最終日だけ別邸に泊まるのだ。
お兄様は十四歳になったけれど、私も八歳……今年で九歳だ。駆け寄って抱き上げてもらいたいけれど、さすがにもう厳しいだろう。
令嬢教育で鍛えられた通り、完璧な挨拶をしてお兄様を迎え入れる。一瞬びっくりしたようにお兄様の足が止まったのを視界の端に捉え、いたずら成功!と顔を弛ませた。
しかし、それから令息教育通りなのか、今度はお兄様から完璧な挨拶を返される。
……やっぱりカッコいい!
そういう態度をとると、王子様然とした雰囲気に拍車がかかる。自分から仕掛けたとはいえ、お兄様にやられるとなんだか恥ずかしい。ちょっと負けた気分になって悔しく思いつつも、伸ばされた手に手を重ね、応接間へと入る。
「王子殿下はお元気そうだったかい?」
「ええ。一緒にお散歩したりお茶をしたり、たまに舞踏の練習をしたりしましたわ」
用意された紅茶とお気に入りの焼き菓子を前に、優雅に腰かける。お茶会としての体裁は変わらないはずだが、やはり王城でのお茶会よりも寛いでしまう。もちろん相手がお兄様だから、というのも大きな理由ではあるけれど。
仲睦まじいようで安心したよ、と慈愛のこもった目を向けられる。
「ラエルティオスの様子はどうだい?」
「変わりありませんわ。お父様の政策もうまくいっているようですし……下町の治安も良くなってきたようです」
救護院ができてからケガによる離職がかなり減り、それによって下町であぶれる領民の増加は抑えられている。そして魔術陣による農業の効率化もうまくいっている様子だ。嫡子ではない私は詳しく携われていないけれど、最近の税収は増加の一途だと聞く。
「それは良かった」
本当に安心したように微笑まれ、お兄様がラエルティオスを思っていることが伝わってくる。続いて最近の私について尋ねられる。
お兄様に話せる近況と言うと、と脳内を検索する。
「そうですわね……お茶会を開きましたわ」
「ラエルティオスで?」
頷き、昔お兄様とお母様とお茶をした東屋で、と返す。
楽しかったかと聞かれて、つい口ごもる。愚痴ってしまいたい気持ちと、言わない方がいいのではないかという気持ちが鬩ぎ合う。けれど、お兄様の笑顔に促されて口を開く。
「……王子殿下のことを聞かれましたわ」
やっぱり、とでも言うように頷かれる。
「上院にまで噂が流れているよ。……まあ上院は王都にあるから、噂が早いというのもあるだろうけれど。誕生祝の宴で、王子殿下と口づけしたんだって?」
「まあ!それでは語弊がありますわ!」
勢いよく反論する。
「口づけをしたのではありません、されたのです!」
ぷくっと頬に空気を溜め、抗議の意を示す。まるで同意であったかのように、私にその意思があったかのように噂をされるのは困る。
お兄様がなだめるように手のひらをあげ、苦笑いを浮かべる。
「わかったわかった、言い方が悪かったよ。まあ抗えるわけないよな」
その通りですわ、とこくこくと頭を上下に振る。
「でもお茶会でもその話題はやはり出されて……王子殿下にお尋ねください、とぶん投げ、いえ……お伝えしておきましたわ」
適切な言葉が思い浮かばず、素直に口にする。
「まあそれでいいんじゃないかな。僕も上院で何人かに聞かれたけど、僕の口から言う訳にもいかないから……一応お父様に手紙で問い合わせて、僕は正式発表まで知らない、ということにしたよ。たまたま宴でお眼鏡に叶ったんじゃないですか、って返してる」
たまたま宴でお眼鏡に叶ったって……それはそれで、他のご令嬢にケンカ売ってる感じになるような、と思わず恨めしい視線を向けそうになり、慌てて苦笑いで覆い隠す。するとそれを見てにっこり笑うと、まあアリアナを見ればその言い訳も納得するだろうし、強ち嘘じゃないと思うんだ、とお兄様は宣った。
「聖女の噂がもう少し浸透してくれば、また違ってくるのでしょうか……」
「まあ王子殿下とのことについては外野も少し静かになるかもしれないけど、他で忙しくなりそうだよね」
「うっ……」
確かに、と顔を歪める。
「あれ、でも……封都では聖女の噂が流れるんじゃないかと思いましたけれど、意外と静かでしたわ」
「まだ話半分に聞いてるんじゃないかな?実際に治癒を経験した貴族は、タラサディティカ侯爵の次男だけだろう?目撃者がティオテリマ以外にいたわけでもないし」
去年は話題作りに乗ろうとした人が多かったんだろうね、と事も無げに言われる。
見世物扱いか!と若干の憤りを覚えたけれど、爵位の低い貴族が多くの人と交流を持とうとすれば、何かしら話題になるような目玉が必要になるのかもしれない。私がそれに利用されそうだったと言うのは、納得いかないけれど。
「そういえば封都の聖堂で……」
そのまま無意識に封都であったことを口にしそうになり、慌てて手で自分の口を押さえる。お兄様に言うことではないし、言ったらきっと怒られる。
お兄様の様子を窺うと、なんだか迫力のある笑顔を浮かべている気がする。気のせいだろうか。
「……この間も、治癒をかけましたの」
それだけ言って、にっこり笑う。お兄様が小首をかしげて先を促してくる。
「今回も寄付金をお持ちしたのですけれど、固辞されてしまって……一応受け取っては頂いたのですが、次回からは不要ですと言われてしまったのです」
何がよろしいかしら?とお兄様に問う。お兄様は相変わらずの笑顔を浮かべたままだ。
「あっても困らない、消耗品なんかでいいんじゃないかな。聖堂から修道院にも流れるだろうし。それで、他には?」
「……患者様はお二人でしたけれど、お二人とも無事に治せましたわ」
「それから?」
「……ティオテリマにわたくしの治癒魔法の方法をお伝えしてみましたの」
「そう。それで?」
お兄様の追及の手は弱まらない。まだ何かあると、確信しているようだ。
浮かべていた令嬢スマイルを切り、目線を逸らす。言いにくいけれど、言わないとお兄様はきっと納得しない。
「……聖堂を出たところで、ヴィクトル様とお会いしましたわ」
「へえ」
怖い!なんかお兄様が怖い!
流れる冷や汗に気付かないふりをして、できる限りいつも通りの笑みを作る。
「少しだけですわ、少しお話しして、すぐに別れましたもの」
「どうしてヴィクトル殿が聖堂に?」
「存じ上げません。わたくしが去った後も残っているようでしたし、聖堂にご用があったのでは?」
「……ヴィクトル殿とはどのようなお話しを?」
「大したお話しは……、えと、メリーナ様とご婚約された、と」
誤魔化そうと思ったけれど、話すまで許してくれなさそうだった。髪飾りの話題は出せないし、ともう一つの話題であった婚約の話を出す。
しかし、やはり失敗だっただろうか。お兄様の視線が鋭くなった気がする。
どう思われているのか、何を言われるのか不安になりつつお兄様の顔色を窺っていると、一度目をつぶって大きくため息を吐かれた。そして開かれた瞳は、いつも通りのお兄様のものだった。
「ヴィクトル殿とは、もう会わないように」
発された言葉は、予期していたものではあったけれど、信じたくはないものだった。次期公爵として言ってるんだよ、と続けられれば、頷くしか私には選択肢はない。
疚しいことなどないのに、と貴族の風習に嫌気が差す。もやりとした何かが、心中を蝕んだ気がした。
ブックマーク、評価、ありがとうございます!
読んでくださる方々のおかげで、頑張れています。




