04 王子様の噂(1)~それから
領主の屋敷から馬車で五分と少し。大きな縦長の窓が並ぶ石造りの館の前で降りる。既に慣れた光景だ。
やや時代を感じる角ばった特徴的な建物に入ると、綺麗に磨かれて清潔感のある玄関口が広がっている。玄関には受付が設置されており、紺色のベールを被って同色の露出のないワンピースを着た女性が、いつも通り優しくほほ笑んで迎え入れてくれた。
「お待ちしておりました、聖女様」
「水の神アニクセルキズモスの見守りが必要だと伺いました」
受付の女性とは対照的に、私は全体的に白い衣装に身を包んでいる。リリーと護衛を従えて、彼女の後を追う。
「こちらです」
軽く頷くと、扉を開けてもらって中に入る。中で待つのは、重症患者。
今日の患者は、わき腹に深く何かが刺さったような傷口がある。傷口を洗浄し、できる限り寄せる。
それからそっと手を翳し、細胞が分裂するよう想像して、目を閉じる。集中して、魔質を流し込んでいく。
すると、魔質が魔素を支配下に置いていくにつれ、私の支配下にあるプリマ・マテリアの密度が濃くなるにつれ、淡く白い靄が発生する。充分な量を支配下に置けたと思ったら、目を開けて傷口をその靄で埋めていき、最後にそっとなぞる。
初めて人に治癒魔法をかけてから、早二年。
私は七歳になり、お父様が先の水の季に設置した救護院に訪問しては、特に重いケガを負っている人々に治癒魔法をかけている。
「終わりました。失った血液が戻ったわけではありません。安静になさってください」
世の皆様に聖女の微笑みと言われる笑みをたたえ、治癒の完了を伝える。
深く頭を下げる受付の女性に会釈をし、建物から出る。
「聖女様!」
馬車寄せまでの僅か数メートルの間に、護衛がいる私に話しかけるような用件は大体決まっている。
ちらり、と声の方を向き、もう身体に染み付いている笑顔を浮かべる。呼びかけてきたのは、当然知らない領民だ。
「どうされましたか?」
すっかり聖女呼びに慣れてしまった。冷静に受け止めてしまうと恥ずかしいので、もうそういうあだ名だと思って気にしないことにしている。
「兄貴の腕を、治してくださって……っありがとうございます!」
たぶん何日か前の患者だったと思う。両腕が何かに押しつぶされたようにぐしゃっとつぶれている男性を、治癒した覚えがある。
あの日はちょうど雪がたくさん降っていて、連絡を受けてから患者の元に着くまで、いつもよりも時間を要した。気は逸ったが、どうしようもない。しかし寒い季節だったおかげで、患者が救護院に駆けこむまでの間も十分に冷やされていたに違いない。怪我の状態が比較的進行していなかったことが幸いした。
綺麗な切り傷のような傷でなくても、再生できることはわかっていた。しかし砕けた骨の修復は少し勝手が違って難しく、この日は確か久しぶりに気を失ったのだ。
物質を一度プリマ・マテリアに戻す作業は、相変わらず魔質を大量に使ってしまう。
重症患者の連絡がある度、出来る限り急いで赴き、治癒魔法を施す。元からあった聖女の噂に加えて、これは目論見通り箔付けに抜群の効果を生んだ。
とはいえ、私もどの程度の治癒魔法が使えているのかを知らないまま、お父様たちに露見しまったせいで、とても良いことばかりではなかった。
一番の予想外は、私の治癒魔法が元来の治癒魔法に比べ、異常に治りが良かったことだ。
あれだけの怪我をしたケフィソドトスに腕に少しの痕も残らなかったこと、そして後遺症も一切なかったこと。そんなことはありえない、とゼノヴィオスにさえ言われた。
治癒魔法を箔付けに使えればと考えてはいたけれど……ここまで持ち上げられるつもりはなかった。ちょっと慈悲深い印象がつけばいいと、そう考えていたのだ。
けれど、今まで治るはずのなかった怪我を、治せるようになってしまっていた。
ただでさえ貴重な治癒魔法の使い手で、しかも効果は抜群。放っておく理由などあるはずがない。それが例え、年端も行かない娘であっても。
にっこりと、笑みを深める。
「きっと今までのあなた方の行いを、火の神カフトカルケリーが見守っていてくださったのです」
一声返せば領民は満足し、引き下がる。
護衛に囲まれたまま馬車へと乗り込み、屋敷へと走らせる。相変わらずカーテンをしっかり閉められる箱馬車に押し込められ、息が詰まりそうだ。
……まんまと担ぎ上げられたわ……。
というより、領主としてはある意味で当然の判断だとは理解している。
一応お父様からは、救護院で緊急時だけでも対処してくれないか、流血も酷かったり綺麗な傷口ばかりではない思うんだけど大丈夫か、というようなお話しはあった。けれどその時点では私は深く考えもせず、箔付けにはちょうど良いや、ぐらいに思っていた。それが結局は、今まで治せなかった怪我を跡形もなく治してしまう聖女、として広まるきっかけとなってしまった。
つくづく私は考えがあまい。
はあ、とため息が漏れる。
「リリー、昼餐のあとに離れへ行ってもよろしくて?」
「……承知いたしました。そのように」
実は二年前の魔獣の事件以降、離れへと行く頻度もぐんと減らされた。しかし救護院に行った帰りは、比較的許可が出やすいのだ。
屋敷へと帰ると、スカートの中にパニエのようなものを仕込む。ふくらはぎ丈のスカートがふわりと膨らみ、膝丈ぐらいになる。また背が伸びる前に、服を新調しなくては。
「今日のお客様は……南にある侯爵領の領主様で間違いなかったかしら」
念のためお客様を確認する。
いくらなんでも、普通の七歳児は昼餐などしない。けれど、私は魔獣の事件で受けた謹慎期間に、みっちりと令嬢教育を受けさせられたのだ。季節一つ分……三か月は他のことを考える暇もないぐらい。
そしてそれは謹慎が解除されたからと言ってなくなりはせず、謹慎中よりは余裕のあるスケジュールではあるものの、それは今も続いている。
そして令嬢教育に一応の及第点がもらえてからは、昼食の時間を正餐として、お客様と一緒に食べる機会が増えた。
公爵家のお客様ということからも分かる通り、どの方もそれなりの地位についていて、低くても領内の地方主の方、高いと封内の領主様やそれに近しい方々と昼餐を共にする。
まだ封主様や封外の方とは昼餐をともにしていないけれど、時間の問題に違いない。
「ええ」
「では、ゼニファーフィボーノ侯爵ね。ご婦人もご一緒かしら?」
「いえ、今回はご子息様がいらっしゃっています」
「……初めてお会いする方ね」
お父様が迎えに来て、お父様と一緒に食堂へ向かう。ちなみに今まで家族で食べていた食堂ではなく、応接間に近い方の豪華な食堂だ。
扉の前で一呼吸置き、開けてもらう。
先にお父様に案内されていたのだろう、お客様は既に席についていた。ゼニファーフィボーノ侯爵はお父様より少し上……、三十五歳ぐらいだろうか。くすんだ金髪に深緑の瞳をしている。その隣に、よく似た顔立ち少年が一人、座っていた。
ゼニファーフィボーノ侯爵と挨拶を交わした後、お互いの親から紹介してもらう。
「風の神ヒレモシモーナのお導きを嬉しく思います。コンスタンティン・ゼニファーフィボーノと申します。以後お見知りおきを」
「こちらこそ風の神ヒレモシモーナのお導きを嬉しく思います。アリアナ・ラエルティオスと申します。よろしくお願いいたします」
コンスタンティンは侯爵の次男で、九歳だそうだ。活発そうなくるくるした瞳をしている。私が孤児を見つけて悶々としていた頃のお兄様よりは一つ上のはずだが、他貴族の前に出すにしては好奇心が抑えられていないと思う。
これが噂の聖女様か~とでも言いたげな視線がチクチク刺さる。
せめてお兄様と同じぐらいの余裕はある方じゃないと仲良くなれる気がしないわ!
とは内心思いつつも、笑顔で視線に気付かないふりをする。
退屈な昼餐を恙無く終わらせ、適当なタイミングで予定があるので、と退室する。申し訳なそうな、残念そうな顔はもちろん作っている。
自室に戻り、少し楽な服に着替えさせてもらう。そして早々に馬車に乗って離れへと向かう。
ここでのんびりしていると、時々礼儀のなっていないお子様が突撃してくることがあるのだ。お客様を無碍にもできないし、そんなことが起きないよう、早々にいなくなるに限る。
約二週間ぶりの離れに、気持ちが上向いていく。
離れについて馬車から下りると、少し遠くの開けたところで洗濯物を取り込んでいたカリオペが私に気が付いた。こちらに駆けてこようとするので、急いで声をあげる。
「お仕事が終わってからでよろしくてよ!」
「!ありがとうございます!すぐに片付けますので!」
はしたないですよ、とリリーに注意されるが、構わず手を大きく振る。
身体強化を習得したカリオペはびっくりするぐらい力持ちになった。山盛りの洗濯物を事も無げに運び、数分も待たせずにこちらに走ってくる。
「今日はケフィーとテオドラは?」
「テオドラは練習場に行っています。ケフィーはその辺にいると思うのですが……」
カリオペがきょろ、とすると、遠くの木の上を指さした。
「あそこですね。呼びましょうか」
「忙しくないのであれば、そうしてくださると嬉しいわ」
魔穴が開いていると身体強化は使えない。ケフィソドトスとカリオペは、魔法ではなく身体強化を選んだ。
本来ならとてもではないが声が届くような距離ではないけれど、身体強化によって視力も聴力も上がっている二人にとっては全く問題がない。
「ケフィー!」
木の上で何かが動いたような気がする。目を凝らすが、私にはよく見えない。
ちなみに唯一魔法を習得する事を選んだテオドラは、昨年芽吹きの儀を受け、魔法が使える一人目の孤児となった。練習場にいるということは、今も魔法を練習しているのだろう。
と、一分もしないうちにケフィーが目の前に現れた。相変わらず忍者のようで、どこからどう来たのか私にはわからない。
「きゃっ!ケフィー!驚かせないでちょうだい」
「はは、ごめんごめん」
「木の上で何をしていたの?」
「うん?ぼーっとしてた」
引き取った直後の厳しい目つきは少し柔らかくなり、誰も寄せ付けないような刺々しさは鳴りを潜めている。
「何それ、暇ならお勉強でもしなさいよ」
ふふ、と笑いながら返す。
カリオペは、洗濯物だけ畳んできますね、と家の中に入っていってしまった。ケフィソドトスと二人で、先ほどまで洗濯物が干されていた開けた場所に行く。もう人目につかないような場所にあえて行くようなことはない。
ケフィソドトスは当然のように芝生の上にハンカチを広げ、私を座らせてくれる。
「たまには良いんだよ。それにほら、お嬢の相手をするのも仕事のうちだろ?」
「ええ?仕事なの?ひどいわ」
青い空の下、何もない芝生の上でただお喋りをする。軽口を叩きあえるこの関係が貴重なものだと、今の私は痛いほど感じている。
ちなみにあれ以来、事件のあった場所には行っていない。特に禁止を言い渡されてはいないけれど、なんとなく敬遠してしまっているのだ。誰も言い出さないから、誰も行かない。
あの事件はなんとなく、私達の間では触れてはいけないもののようになっている。
処罰を受けたのは私だけでなく、孤児の三人も一か月の謹慎処分が下った。そして、あの時私についているはずだったジニアは、責任を取って辞めていった。挨拶に来た時に引き留めたけれど、聞き入れては貰えなかった。
自分の立場を自覚しているつもりだったけれど、そんなことは全然なかったのだと、周りを巻き込んでやっと痛感した。
だから、すぐ後ろにリリーや護衛が待機していたとしても、今のこの時間がとても大事なものだと思う。
「お嬢様!いらしてたんですね」
振り向くと、少し顔色の悪いテオドラが帰ってきた。
「テオドラ!おかえりなさい。少し顔色が悪いのではなくて?」
「へへ、ちょっと頑張って練習しすぎてしまいました」
「あまり根詰めないようにね。貴方は筋がいいって聞いているわ」
「ありがとうございます」
テオドラがにっこり笑う。私の先生でもあるゼノヴィオスが、身体強化の検証のついでにテオドラの指導もしてくれている。他の貴族が聞いたら信じられないような、破格の待遇だろう。
「……傷ができているわ。私に治させて」
手の甲についている傷跡に、そっと指を触れる。たぶんテオドラは、自分で自分を傷つけて治癒魔法を練習している。
いびつな傷跡は、すっと何もなかったかのように消えた。
「……ありがとうございます」
しばらくしてカリオペも戻ってきて、四人で座ってお喋りをする。楽しい時間はあっという間で、気付けば陽が傾き始めていた。
リリーが遠慮がちに声をかけてくる。
「お嬢様、そろそろ……」
「……そうね。じゃあまた、遊びに来るわ。お仕事の邪魔しちゃってごめんなさいね」
「お嬢様が来てくださると、私はとても嬉しいのです。またお待ちしていますね」
カリオペがヘーゼルナッツ色の瞳を和らげ、優しくほほ笑む。今年で九歳になるカリオペは、順調に美人に育っている。
「だから、お嬢の相手も仕事のうちだって!気にすんなよ」
「兄ちゃん、なんて言い方するの!……でもカリオペの言う通り、お嬢様が来てくださると私たちも楽しいので気にしないでください。また、来てくださいね」
「ありがとう。三人とも、頑張ってね」
名残惜しさ振り切って、馬車に乗り込む。
少しずつブックマークが増えているのが地味に嬉しいです、本当にありがとうございます。
頑張りますね。
少しでもお楽しみいただければ幸いです。
それから、活動報告に第3話(9)の直前のクレース視点のお話しを追加しました。
よろしければどうぞ!