第九十一話 =平穏の終わり=
第九十一話です。よろしくお願いします。
楽しく平穏な時間は、あっという間に過ぎ去っていく。綾瀬川邸にて行われていた辰正の歓迎会は現在、午後九時を以てお開きとなり、三人は辰正を見送ろうと家の前まで出てきていた。
「辰正君、本当に泊まっていかなくて大丈夫? 部屋は余っているから、遠慮しなくても良いのよ?」
「先輩のお気持ちは有難いですけど、俺もまだ荷解きをしなくてはいけないので。俺が担当する講義は明後日からだし、明日中には片しておきたいので」
それに、泊まる程の距離でも無いですから。と付け加える辰正は、まだ辛うじて灯りが灯っている街の方を指さす。彼が借りたアパートは此処から徒歩十分程の場所にあり、今も頭の部分が少し見えているのだ。そのアパートの事は、地元民である叶や、そして瞳も当然知っている。
だからこそ、瞳は心配そうに辰正を見つめていた。
「でも篠田先生が借りてるっていうアパート、確か建付けも悪いし条件最悪じゃあ……」
「まぁ仕方ないだろ。こんな時代だ。魔術を使えない人間は、金も碌に稼げはしないからな。ただ、先輩の話じゃ給料はそれなりに貰えるらしいから、不都合があれば引っ越すが」
「魔術が使えないってだけで、ホント大変だよねー。ちょっと前までは、それが普通だったってのにさー」
「そうね……だからこそ、科学都市が作られたとも言えるわね」
科学都市は、魔術を扱う事を許されなかった者達が持つ唯一の生存手段なのかもしれない。そう思えば、魔術の時代となってからの理不尽さに顔を顰めてしまいそうだ。
「魔術と科学……共存は無理なんでしょうか……」
辰正の受けて来た仕打ちを思い、瞳は顔を伏せてしまう。辰正は、魔術を扱える自分には想像も出来ない様な痛みや悲しみ、そして悔しさを体験してきた筈だ。自分は彼の人柄を知っている。不器用だけど、頼もしい兄の様な存在だ。ただ、時代に嫌われたと言うだけの。辰正の様な人間が、まだこの国にも多く存在している事を想像すると、居た堪れない。
辰正はそんな瞳をしばし見つめた後、わしゃわしゃと乱雑に頭を撫でた。
「っ、……篠田先生?」
「そんな顔するな。俺は家なんて最低限の生活さえ出来ればそれで良いし、別に困る事なんて無い。
だが……瞳が本当にそう思うなら、将来お前がこの時代を変えてくれないか」
「わ、私が……?」
出来るだろうか。そんな事が、自分に。
だが、辰正は確信している様に首を縦に動かした。
「俺は今日お前と再会したばかりだが、それでも顔を見れば分かる。瞳、お前は強くなった。それに一人じゃない。お前の隣には、辻上や芽衣もいる。アイツ等も色々と抱えていそうだが……お前、何とかしたいんだろ?」
言われてハッとした。
そうだ。私はあの時、消えて逝く親友を見て誓った。今の親友は、必ず支え切って見せると。
「だったら、まずそこからやってみろ。瞳の様な未来のある優秀な魔術師が『共存』を考えてくれているのは、俺たちの様な人間からすれば有難い。だが、最初から遠くを見つめていては、足元をすくわれるぞ」
「…………はい。私、やって見せます!」
「……そうか」
自分から焚きつけておいて、何とも素っ気ない返事だと、叶と優次郎は思わず笑ってしまった。
そんな時―――――――――。
「はっ! 魔術と科学の共存だぁ? おめでたい餓鬼だな」
聞き馴染みのない、それでいて何とも挑発的な声と言葉が四人に届いた。
叶と瞳は顔を顰め、優次郎はきょとんとして、そして辰正は表情を変えず、声のした方向へ目を向けると、そこに立っていたのは一人の男性だった。ニヤニヤと意地汚い笑顔を浮かべているのが、何とも目にこびりつこうとしてくる。
「現代最高の魔術師もその妹も堕ちたもんだなぁ。時代遅れの遺物共の事なんざ、奴隷とでも思っときゃいいものをよ。それに……そっちのクソみてぇなサイコ野郎とつるむなんざ、正気の沙汰とは思えねぇなぁ? ……狂人の分際で若い女二人侍らせて、どんな気分だ? ぁあ? 水瀬優次郎さんよぉ‼」
優次郎に対し、限りない憎悪を向ける男性を横目に、辰正は目だけを優次郎へ向けた。
「……知り合いか?」
「いや、知らない顔だよ?」
辰正の問いに、優次郎は首をひねってそう言うだけだった。その言葉に、男性はわざとらしく舌打ちし、表情を歪める。
「いい気なもんだな……テメェのせいで、俺の虫の居所が悪くなっちまったってのによぉ」
「そんな事言われてもなー。ボク、本当に君の事なんて知らないし……どちら様?」
「お前、また何かやらかしたんじゃないのか」
「いやいや、今回はホントに身に覚えがないんだって!」
優次郎の言葉に、どうやら嘘はない。ならば何故、彼はこんなにも優次郎へ憎悪を向けているのだろうか。
二人の脳裏を疑問が駆け巡る中、叶が一歩前に出る。
そして、目の前の男性に負けない程の強い殺気を込め、睨みつけた。
「十神幸成……アナタは既に取締委員会を解任されています。その際に、水瀬優次郎や私達現職の役員への接触は固く禁じられた筈ですが?」
「綾瀬川叶……よくそんな涼しい顔でいられるもんだな。吐き気がするぜ」
叶の言葉に対し男性――――十神幸成は優次郎へ向けるそれと変わらぬ憎悪を彼女へあてた。
「こっちは真面目に役員としての職務を全うしてただけだってのによぉ……テメェがそこのサイコ野郎を天ヶ崎玲奈に近づけたお陰でアイツは自殺して、俺は責任取らされてこのザマだぜ? クソッたれが」
「……アナタが彼女にやっていた事は『尋問』ではなく『拷問』です。以前から会長より散々注意を受けていた筈です。あんな事をして、職務を全うしただけ? 笑わせないで下さい」
天ヶ崎玲奈。その名が出てきた時、瞳が目を見開いた。そして、思い出す。
あの時、姉から玲奈は首を突いて自殺したと聞いていた。だが、死霊となった彼女の体は生前についたであろう傷が生々しく残っており、コートもボロボロの状態だった。
首を一突きして自殺、なんて違和感がある程に。
(この人が、玲奈を……)
瞬間、何とも言えない禍々しい感情が、自分の内側から溢れ出るのを感じる。
「そもそも、今更私達の前に現れて何の用ですか? 逆恨みして、腹いせに私達を殺そうとでも?」
「……はっ! 話が早くて助かるぜ」
叶の言葉に、幸成は再びニヤリと笑う。何とも意地汚く、不気味で、生理的に受け付けない笑顔だ。
「あの藤原会長にも言ったんだがなぁ……俺を解任するって事ぁ、どういう事か分かるよなぁ?」
パチン。
幸成が指を鳴らせば、四人の周囲にウジャウジャと魔力が群がる。そのどれもが、自分たちに対し良い感情を抱いていない事は明白だった。
そして―――――――おそらく此処にいる魔術師全員が、十神家の息がかかった者である事も。
「十神家を敵に回すってのが何を意味するのか! その身でじっくり味わうんだなぁ‼」
「はぁー。何でこういう人たちって三流小説みたいな悪役台詞吐くのかなぁ……おススメの本貸してあげようかな?」
「そんな事言ってる場合ですか? どうするんです? 流石に四人でこの人数は多すぎますよ」
能天気な優次郎に、思わず瞳がツッコミを入れた。
瞳の言う事は最もだ。天才だろうと狂人だろうと、身体は一つしかない。それに四人と言っても、こちらは学生が一人に、魔術を行使出来ない人間が一人いる。
正に四面楚歌。多勢に無勢と言ったところだ。
「はっ! その餓鬼は自分たちが置かれてる状況ってのを理解出来てるみてぇだな? 知ってんだぜ? その男、魔術を使えねぇんだろ? 足手まとい二人抱えて、この人数相手にどうしようってんだ?」
どこから仕入れたのか、幸成は辰正が魔術を使えない事を知っている様で、ニヤニヤと一層笑みを深めた。
今この瞬間を狙ったのも、瞳と辰正の二人を護りながらでは満足に戦えないと踏んでの事だろうと察すれば、叶も更に嫌悪感を露わにする。
だが、ここで幸成に誤算が一つ。
そしてそれを理解した講師陣三人は―――――――盛大にため息をついた。
「取締委員会に入ってたって言うのに……情けないなぁ」
「本当にね。でも無理もないのよ? この人、自分以外興味ない典型的なナルシストだったから」
「俺が科学都市にいる間に、取締委員会の役員の質も随分と堕ちてたみたいだな。久しく会っていなかった俺でも気づいたと言うのに…………優、お前もう一回暴れてみればどうだ。そうすりゃ相対的に、コイツ等の質も向上するんじゃないのか」
「辰正君、冗談でも止めなさい」
緊張感なく、三人は普段の様に会話を始める。
瞳はと言えば、最初は何を言っているんだと思ったが、やがて気付く。
この場にある、もう一つの馴染み深い魔力に。
だが、幸成はまだ気づいていない様で、三人の会話に笑顔を消し、怒りを露わにした。
「ウダウダとうっせぇなぁ……おいお前等! とっとと殺れ!」
幸成の言葉が合図だった様に、彼の子飼いであろう魔術師たちは一斉に魔術を放―――――とうとしたが、それは叶わなかった。
「―――――――認識」
この場に現れた五人目。その手によって、彼らの魔術は全てかき消されてしまったのだから。
「あ?」
幸成は一瞬驚いた様子で目を見開くが、すぐに理解し、再び怒りを顔に貼り付ける。
彼が飼っている魔術師の一部が、黒いナニカによって捕縛され、身動きが取れない状況になっているのを見れば。
そして、四人の前に現れた黒い少女の姿を見れば。
流石の幸成も、正体に気付くと言うものだ。
「邪魔すんじゃねぇぞ……シエル=ノーランド」
幸成の問いには答えず、突如現れた五人目―――――シエル=ノーランドは彼をしっかり見据え、告げた。
「十神。幸成。…………執行対象」
「はっ! そうかい」
「やっほーシエルちゃん! 相変わらず陰影魔術の完成度高いねぇ!」
それきり言葉を封じ、睨み合う二人。その間を、全く空気を読まない優次郎の声が通り抜けた。
シエルは目つきをそのままに、優次郎へと視線を移す。
「水瀬。笑顔。不快」
「……そういう所も相変わらずだね」
今は味方同士なんだから、その態度はもう少し何とかならないものかと呆れながら、言葉を返す。
シエルの魔術によって捕らえられた魔術師たちが、その中で暴れまわっているのを感じる。流石に選び抜かれた魔術師の様で、このままでは数分で破られるだろうと察すれば、なるほど本気で殺しにかかっているのが分かる。
そして、シエルはちらりと別の顔――――――辰正へと視線を移した。
「篠田。辰正」
「日本語が上達しないのも相変わらずみたいだな、ノーランド」
辰正の言葉に少しムッとするシエルだったが、すぐにまた視線を移す。今度は柔らかく、どこか優しいそれを向けられたのは綾瀬川姉妹、主に叶だった。
叶はシエルの視線を受け取ると、やがて優しく微笑む。
「……お願いね、シエルちゃん」
叶の言葉にうなずき、シエルは今にも解かれようとしている陰影魔術を引っ提げ、学院の校庭へと消えていった。
「さて、これで随分と減ったみたいだねー! ざっと見積もって四十人ってとこかな?」
「平等に行くなら、一人十人って計算だな」
優次郎と辰正の言葉を受け、叶は横にたつ妹へと視線を向けた。
『四人でこの数は流石に多すぎます』
瞳は確かにそう言っていた。
今の辰正と優次郎の言葉を聞けば、彼らもそれに気付いている。そして、瞳の意思を尊重しようとしている事が分かる。
「瞳……本当に、アナタも戦うつもりなのね?」
叶に問われれば、瞳も強い眼差しを携えて首肯した。
「私は、姉さんを支えたいと言った筈よ。心配しなくても、この前姉さんから聞いた教えはちゃんと覚えているわ。だから姉さんは何も気にしないで、思う存分戦ってちょうだい。
それに――――――――私もこの人が許せないもの」
瞳の視線が、未だ忌々し気にこちらを見つめる幸成へと向けられた。
彼は、玲奈を―――――――自分の親友を痛めつけた。
それが本当に、玲奈が自殺を図るきっかけになったのかどうか。その心境は分からない。
だが、あの時の玲奈の痛々しい姿。そして、先ほどの姉と幸成の会話。それを思えば、彼が玲奈を痛めつけた事が事実であることは分かる。
ならば。
「私だって、人の事言えないと思う。玲奈を七年間も苦しめていたんだもの。
でも、それでも……私は玲奈を痛めつけたこの人を許せないし、今後一切許さない。玲奈が受けた痛みを、何倍にしてでも返さない限りはね」
「……分かったわ」
愚問だったなと、叶は一人笑った。
そして、やはり妹は夏休みを通じて心身共に強くなったと実感し、嬉しく感じた。
「ユー君、辰正君」
叶に呼ばれ、二人は振り返る。
「悪いけれど、十神幸成の相手は私と瞳に任せて欲しいの。だから、アナタ達は周りの人達をお願い出来ないかしら?」
それはつまり、四十はいるであろう敵対者の内、数人を除いた全てを相手してくれと言っているのだ。普通に考えれば、そんな提案が通るわけも無い。選りすぐられた魔術師相手に、ましてや魔術を使えない人間が一人いる中で戦ってくれと言っているのだから。
だが叶は、そして瞳は確信していた。
この二人なら、この程度なら何の問題にもならないと。
そしてその確信が間違っていない事は、二人の返答によって証明される。
「構いませんよ! こっちは任せて存分にやってください! ね? 辰!」
「……二人と因縁のある相手の様だし、俺も構わない」
何ともない様に答える二人に、叶は微笑んだ。瞳は、幸成を睨みつけたままだったが。
「なら、お願いね二人とも」
叶の言葉に互いが頷き、優次郎と辰正は幸成に背を向ける形で魔術師たちと対峙する。
それをよく思わない人間は、この中でたった一人――――――幸成本人だけだった。
「俺も随分となめられたもんだなぁ……未熟者の餓鬼抱えて俺とやるだと? ふざけんのも大概にしろよ……綾瀬川叶ぇぇぇぇぇぇぇぇ‼‼‼‼」
怒りの咆哮を響かせる幸成の体から、魔力が溢れ出るを感じた。
かくして、それぞれの想いを胸に、四人は平穏へ別れを告げ、再び戦いの渦中へと飛び込んでいった。
今回もありがとうございました!
これにて日常パートは終了。ここから戦闘へ移っていきます。平穏が終わるのは、いつも突然ですよね。先日石川県で起こった自身や、交通事故なんかのニュースを見ていると本当に思います……。
そんな感じの九十一話です。
あの時のサディスト野郎、名前が判明しました。十神幸成って言うそうです。
書いてても不快な男ですよ全く。綾瀬川姉妹には頑張って欲しいものです。
では今回はこの辺で。
また次回もよろしくお願いします!




