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灰色の世界  作者: ken
第六章
90/140

第八十九話 =過去と今と、そして――――=

第八十九話です。よろしくお願いいたします。

 

「それじゃあ、改めて。辰正君、講師としてこれからよろしくね」


「よろしくお願いします、篠田先生」


「またよろしくね! 辰!」


「……どうも」


 その日の夜。

 綾瀬川邸では現在、辰正の歓迎会と称した夕食が始まろうとしていた。

 食事を作ったのは叶と瞳。辰正も手伝うと言っていたのだが、「主役は座っていなさい」の鶴の一声に逆らえなかった。優次郎は姉妹の共同作業に水を差すのも悪いかと、自室にて後期の授業内容を整理していた様だ。


「どうですか? お味の方は」


「―――――うん、美味しい! 叶さんが作ったのは勿論だけど、瞳ちゃんのも同じくらい美味しいよ!」


「そ、そうですか。良かったです」

 

 努めて冷静に言う瞳だったが、内心の嬉しさは隠しきれなかった様で、顔がかすかに綻んでいる。その様子を見て叶も微笑み、辰正も変わっていないなと心の中で呟いた。


「篠田先生、どうですか?」


「……美味いと思うぞ。包丁見ただけで泣きわめいていた瞳が作ったとは思えないな」


「あーあったねぇ! 確か包丁の先端みて「怖い!」って言いだしたんだっけ?」


「ふふ、懐かしいわね」


「まだ覚えてたんですか……そんな事もう忘れて下さいよ……」


 無意識に頬を染めてしまう。思えば、昔は本当に泣き虫だったものだ。


「玲奈ちゃんとも、よく喧嘩して泣いていたものね。今じゃこんなにも頼もしくなっちゃって……嬉しいわ」


「あれは玲奈が意地の悪い事ばかり言うからよ」


 会った事は無いものの、何度か名前を聞いていた少女の名を聞き、今朝優次郎から聞いた話を思い出す。


「そう言えば、天ヶ崎玲奈は亡くなったらしいな」


 辰正が言えば、叶は悲しそうに笑い、瞳は少し表情が強張った。


「……はい、二週間ほど前でしょうか」


「そうか。学生の頃、優や叶先輩からお前等は喧嘩別れしたと聞いていたが?」


「えぇ。もう七年も会っていませんでした」


「……仲直り、出来たのか」


 辰正なりに瞳を気遣ったのか、それとも何かしら試そうとしていたのか。

 その質問の意図は瞳には分からなかったが、答える言葉は一つしかない。考える暇もなく、瞳の口から自然に言葉は出てきていた。



「―――――はい。最期に親友として、ちゃんとあの子を送ってあげられました」


 本人は気付いていないだろう。今の瞳が、とても美しく清々しい微笑みを浮かべている事に。

 それを見て叶と優次郎は嬉しそうに笑い、辰正は表情を変えず、


「そうか」


 とだけ言葉を紡いだ。

 辰正は天ヶ崎玲奈についてよく知らないが、当事者である瞳のこんな笑顔を見れば、きっと二人にとって納得のいく結末は迎えられたのだろうと思う。昔の瞳を知る人間として、嬉しいものだ。

 とはいえ、空気は少ししんみりとしてしまったので、優次郎が話題を変えようと言葉を発す。


「それにしても、美沙子さんも真面目だよねー! 今後について話したいから今日は参加できないなんてさ! それに応じる玲央先輩もだけど!」


 明日から同じ勤務なのにさ! と笑う優次郎を見れば、思わず辰正はため息をついた。彼だけではない、叶はやれやれと言った様子で微笑み、瞳もジト目で優次郎を見つめる。

 今日の歓迎会は、もう一人の新任講師である美沙子、そして玲央や義信にも声をかけていたのだが、玲央と美沙子は今の理由で断ったのだ。義信も、「今日は昔の知り合いと飲む約束をしている」と言っていた為、現在四人だけで食事を食べるに至っている。

 義信の知り合いは分からないとして、あの時その会話の一部始終を見ていた優次郎がこんな事を言うのかと三人も呆れるしかない。

 あの時の美沙子を見て、本当に何も気づかないのだろうか。


「お前、気付いてないのか?」


「へ? 何が?」


 確認するように辰正が問えば、優次郎もまたきょとんとした顔で即答した。

 こいつは本気で言っているのだろうか。いや、多分本気だろうな。

 辰正の脳裏にそんな考えが過ると同時に、そのまま視線を叶へと移した。


「先輩も苦労しますね」


「ふふ、また相談に乗ってくれるのかしら?」


「……まぁ、時間があえば」


「二人とも何の話してるの?」


「水瀬先生には一生分からないかと」


「何か瞳ちゃんが冷たい!?」


 ボクが何したって言うのさ! と叫ぶ優次郎に、またも三人の溜息が重なった。

 きっと彼は、この先ずっとこうなのだろうと、心の声までハモってしまった事には気づかなかったが。


「そういえば辰正君、福原先生にもお会い出来たの?」


「挨拶程度しか出来ませんでしたけど、会いましたよ。「また飲みに行こう」とだけ。あのおっさんも相変わらずみたいで安心しました」


「アハハ! 昔はよくボクと辰で連れまわされたもんねー!」


「今思えば、未成年連れてよく居酒屋なんて行けたもんだよ、あの人」


「でも福原先生の事だから、食事は奢ってくれていたんでしょう?」


「後で奥さんにはこっぴどく叱られてたみたいですがね」


「福原先生の奥さん……」


 瞳が思わず口を挟んだ。既婚である事は知っていたが、あのお酒大好き飲み会大好きの義信と連れ添える女性には興味がある。義信は確かに人としても講師としてもお世話になっているし、面倒見のいい人間で慕っているが、やはり女性としては寂しさの一つも覚えそうなものだ。


「ボクも会った事は無いから、どんな人かは分かんないんだ! でも相当肝の据わった人っぽいけどねー!」


「そう言えば、私達が学生の頃は惚気話もよく聞かされていたわね。夫婦仲も良好みたいよ?」


「ありましたね、そんな事も。「うちの女房は飯が上手くてな」なんてしょっちゅう聞かされてたし」


「そうそう! それ聞いたしーちゃんが対抗心燃やしたりね!」


 昔話が弾んでいく。思えば優次郎が赴任したのは前期の途中だったし、その後すぐに色々な事が重なってしまったため、あまりこう言った昔話に花を咲かせる事も無かったように思う。唯一その機会に恵まれたのは優次郎の歓迎会の時だが…………あの時は優次郎がすぐに酔い潰れてしまった。

 そんな中、瞳の脳裏にちらりと顔を出す疑問があった。だが、こんな席で言うべき事かと少し憚られる話題だ。一瞬悩んだ末、決心して声を上げる。


「あの、篠田先生」


「何だ?」


 瞳に声を掛けられそちらを見れば、彼女が強い目で自分を見つめていた。


「先生は、最近まで科学都市にいたんですよね」


「あぁ。越して来たのは三日前、それ以前はずっと科学都市にいた」




「一つお聞きしたいのですがーーーーー



   


  月城雪菜という子を、ご存知ですか?」





 叶が勢いよく、瞳へ顔を向ける。その目には驚きの色が見て取れた。優次郎は、微笑みを浮かべたまま黙っていた。

 辰正の顔を見た時から、ずっと聞きたいと思っていた事。それが雪菜の事だ。

 彼女は科学都市にいる。水瀬優次郎の手によって、それを余儀なくされた。

 以降、雪菜からの便りは無い。頼りが無いのは元気な証拠なんて言うが、やはり気になって仕方がない。

 雪菜は、元気にやっているだろうか。友達は出来ただろうか。特異な経歴故に、いじめられたりはしていないだろうか。

 それを聞いた辰正は、表情を変えず、こう告げた。




「……いや、知らない名だな」 




「そうですか……すみません、ありがとうございます」


 思わず肩を落としてしまう。科学都市の人口は少ないとはいえ、それでも数万人はいる。全員が顔見知りなわけが無いので当然と言えば当然だし、瞳もこの返答は覚悟していたのだが、やはり落胆を隠しきれなかった。

 そんな瞳の様子を見て、辰正は優次郎へと視線を移した。


「……優、お前また何かやらかしたのか」


「んー? いや、別に?」


 そう言って能天気に笑う優次郎に、辰正は今回も「そうか」とだけ返したのだった。





















 その頃、玲央と美沙子は医務室で仕事内容や備品の説明、今後の割り振りなどの話し合いを終える所だった。


「―――――――まぁ、こんな所かな? 後は仕事していく上でお互いのやりやすい様にしていけば良いと思うよ!」


「あぁ、そうだな。とりあえず、最低限やるべき事も分かったし、明日からの仕事もイメージ出来た事だし…………こんな時間まですまなかったな」


 時刻を見れば、既に夜八時を回った所だ。色々と質問している内にこんな時間になってしまい、美沙子も謝罪の言葉を口にするが、玲央は意に介していない様に笑った。


「構わなかったりしちゃうよ! それにしても、美沙子ちゃんも真面目だよね! 明日からしばらくは一緒の勤務になるわけだし、その時でも良かったりしちゃうのに」


「……まぁ、早めに知っておくに越した事は無いからな」


 嘘だ。

 本当は、一秒でも長く玲央と一緒にいたかっただけ。叶の誘いを断ってしまったのは申し訳ないと思うが、やはり自分もまだまだ女なんだなと思い知らされる。後日、ちゃんと埋め合わせはする予定だが。


「それより玲央、一応確認しておきたいんだが……芽衣は、間違いなく?」


「…………そうだね」


 分かってはいたが、その事実は美沙子の心をチクチクと刺激する。

 まだ少ししか話していないが、これは分かる。芽衣は、とても良い子だ。それに、真衣と芽衣は違う人間なのだから、真衣の事を引きずって芽衣に辛く当たるなんて事があってはならない。

 だが、それでも。

 トラウマと言うものは、そう簡単には消えてくれない。自分がどれだけ頭で理解しても、振り払おうと全力を振り絞っても、ジュクジュクと嫌らしく、心に突き刺さったまま抜けようとはしてくれなかった。

 

「真衣もオーハシちゃんに接触してきた。ミナセ君の話だと、「また近々合う予定だ」って言ってたみたいだし、きっと真衣は近くにいるんだろうね……怖い?」


「……正直に言えば、怖い。怖くて怖くてたまらないよ」


 無理もないかと、玲央は納得する。

 美沙子の身体が震えているのは、おそらく無意識下によるものだろうと推察出来た。

 そして、それを理解すれば―――――――玲央の中にある大橋真衣への嫌悪感もまた、膨れ上がっていった。


「――――――大丈夫だよ」


「え?」


 思わず玲央を見つめれば、彼は微笑みを浮かべていた。

 それは紛れもなく、何度も見てきた憎たらしくも頼もしく、そして愛おしいそれだった。


「カナエちゃんも言っていたけど、ミサコちゃんには僕やミナセ君達が付いてる。ミサコちゃんの実力だって、少なくとも僕は理解してる。今の君は一人じゃないんだからさ」


「……そうだな」


 何故だろうか。有り触れた言葉でも、玲央が言うとこれほどまでに頼もしく感じるのは。

 きっとそれが、玲央の持つ『魔術』なのかもしれない。だからこそ、戦場医師としての彼と出会った人々は、戦場と言う過酷な状況でも笑顔を忘れずにいられたのだろう。


「しかし、私は大丈夫でも篠田さんはどうなんだ? あの人は魔術を使えないと言っていたが……」


「シノダ君? それならもっと心配いらなかったりしちゃうよ!」


 あっけらかんと、玲央は笑った。


「シノダ君も恐ろしさは、僕もカナエちゃんも、ミナセ君だってよく知ってるさ。あの子はそこらの魔術師に後れを取る様な子じゃないよ」


「……そう、なのか」


 一体、篠田辰正とは何者なんだろうか。美沙子も、科学都市に関しては全くの無知に等しい。今日、挨拶の際に「科学都市では何をしていたのか」と問うた時に帰って来た言葉を思い出す。



『普通に科学者・・・をしていました。他には……まぁ色々と』



 科学に疎い美沙子には分からないが、玲央だけでなく、あの叶や優次郎が認めているのだから、きっと大丈夫なのだろうと自分に言い聞かせる。


「さて、じゃあ話も終わった事だし――――――ほら、行くよ」


「え?」


 玲央がそう言って立ち上がると、美沙子はキョトンとしてしまった。

 行くって、何処へ? そんな疑問が彼女の内側を跳ね回る。


「だから、街に行くよって。合鍵、作るんでしょ?」


「あっ」


 思わず声が漏れれば、玲央が呆れた様に息を吐いた。


「もしかして忘れてたの?」


「いや、そういう訳では無いが……」


 嘘である。本当はしっかり忘れていた。今日一日で様々な出会いを経験したため、必然的に記憶の奥底へ追いやられていたのだ。


「全くもう。ほら、思い出したんなら早く行こう? 僕が知ってるところ、九時まではやってるから。転移すれば間に合うよ。どうせ今日も泊まるんでしょ?」


「あぁ……なぁ玲央」


「ん? 何?」


「本当に、良いのか?」


 何を言い出すのかと考えていると、美沙子が更に言葉を続けた。


「昨日の夜言った事に嘘はない。だが、自分でも如何せん急すぎると分かっているんだ……。お前はすんなりと受け入れてくれたが……」


「はぁ。何を言い出すかと思えば」


 呆れられたのを見れば、心外だなとも思うが口には出さなかった。


「本当に嫌だと思ってたら受け入れたりなんかしないさ。ミサコちゃんがどれだけ詰め寄って来てもね。それに僕だって、こう見えてミサコちゃんの事心配してるんだよ?」


「心配……玲央が、私を?」


「そうだよ」


 さも当然と言った様子で即答する玲央を見れば、あの日ラウラに言われた言葉が蘇る。


『レオ先生にとって、ミサコ先生は大切な人なんですね』


 どうやら今でも、本当に玲央はそう想ってくれているらしいと感じ、嬉しくなってしまった。


「僕だって怖いんだよ。ミサコちゃんを一人にして、またあの時みたいな事になっちゃうんじゃないかってね。だから僕の近くにいてくれるって言うんなら、それはそれで有難いって今は思うよ。昨日言われた時は流石に耳を疑ったけどね」


「……そうか」


 初めてかもしれない。玲央から直接、こういった言葉をかけてもらうのは。

 彼も成長したという事なのか、それともあの日の事を後悔しているのか。そこまでは、流石に分からないが。


「だからほら、行くよ? 本当に間に合わなくなっちゃうから」


「あぁ……玲央」


「今度は何?」


「――――――ありがとう」


「――――――どういたしまして」


 そして二人は、転移魔術を用いる為に隣に立った。

 美沙子にとって望み続けた場所に、自然と顔も綻ぶ。ここまで来たら、もう少し踏み込んでみようかと玲央の腕に自信のそれを絡みつかせれば、玲央も驚いた様だった。それを何処か愛おしく感じながら、美沙子は転移魔術に身を委ねるのだった。


「玲央」


「何?」


「ここまでやったから言ってしまおうと思うんだが…………私はいつ襲ってくれても構わないからな」


「……こっちの気も知らないで」


 とんだ肉食獣に狙われたものだと、玲央も思わず笑った。

今回もありがとうございました!

美沙子ちゃんの食欲がマックスに近くなってますね。多分この作品で一番積極的な人じゃないかと思います。余談ですが、モデルは私の近所にいるお姉さんです。相手は私じゃ無いですが、旦那さんに聞きました。羨ましいと思いましたが、旦那さん曰く「ちょっと怖かった」そうです()


そんな感じの八十九話です。

懐かしい名前も出てきたりしましたね。大きな出来事はまだ起こっていませんが、平穏はいつまで持つか……皆結構バックボーンが暗かったりするので、こういう話書いてるのが実は楽しかったりします。


では今回はこの辺で

また次回もよろしくお願いします!

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