第六十五話 =逃亡の果てに=
第六十五話です。よろしくお願いいたします。
二人を心配の面持ちで見つめる叶は、ある事を考えていた。
玲奈の声が、先ほど自分へとかけてきたものとは異なっている事だ。
玲奈が叶と瞳、そして優次郎へ通信魔術の類を行使してきた時、彼女の『コエ』は生前のそれとは程遠い、ノイズがかかった様なものになっていた筈だ。叶の良く知っている、死霊へと堕とされた人間のコエに、である。
だが今はどうか。玲奈の『声』は生前の色を取り戻し、瞳へと向けられている。この二つの違いは何なのか、考えなくても答えはすぐに出て来る。
瞳だ。瞳の存在の有無だ。
綾瀬川家の前で話をした時は、瞳が玲奈へ声をかける事は無く、そもそも発してもいなかった。だが、今は違う。瞳から、面と向かって玲奈へ声をかけた。それが明白な違い。
やはり、玲奈にとって瞳も特別なのだと思い知る。それが親愛の情なのか、怨恨の念なのか、それは分からないが、叶や優次郎へ向ける感情と似て非なるものである事は確かだ。
(瞳……頑張ってね)
瞳の言う通り、彼女には玲奈を止める何かがある。
妹の後姿を見て、叶は旧知の二人が数年抱えた問題を解決する事を、ただ願っていた。
自分が玲奈に対して抱いていた敵意は、そんな二人を前に、いつの間に薄らいでしまっていた。
玲奈の返答に、胸にチクリと針が刺された気がしたのは、気のせいでは無いだろうと瞳は思う。少しばかり表情が歪むが、すぐに戻し、話をつないだ。
「酷い言い草ね。一度は友人だった仲でしょう?」
「そんな昔の話、もう忘れたよ。今の瞳ちゃんは、ワタシにとっちゃただの顔見知りでしか無いんだもん。その辺に転がってる石とも、あまり変わらないかもね」
ズキズキと、再び胸が痛む。だが、慣れなければいけない。きっとこの先も、玲奈が自分へ突き刺す言葉はこんなものばかりだ。気にしている暇などない。
「あら、そう。でも仕方ないわよね。アナタと絶縁して、もう何年も経ってしまったものね」
「そういえば、そうだったかもね。絶縁した事すら忘れてたよ」
「全く興味が無いのね、私に」
「無いよ。言ったでしょ? 石と変わらないって。それとも瞳ちゃんは、河原の石ころ一つ一つに愛情を注げるような人間なのかな?」
玲奈の冷たい視線が刺さる。お前など呼んでいないと、そう言っている事を感じ取る事は容易だった。
当たり前だが、あの頃の玲奈とは違う。自分へ向ける視線も、言葉も、そして容姿も。
今の玲奈は、生前の面影こそ残しているが、外見は全く異なっていた。
綺麗な緑色に染まっていた髪は、薄汚れた白に変化し、ボサボサに乱れていた。肌もまた同色に染まり、所々ひびが入っているのが分かる。髪と同色の瞳も色を失い、自分たちの姿すら映っているのか疑ってしまう。
唯一変わらないのは、彼女が亡くなった時に着用していた、尋問によってボロボロに切り刻まれた黒いコートだけ。それ以外のものは、天ヶ崎玲奈という存在がこの世のものでは無くなった事を……死霊に堕ちてしまった事を残酷に提示するだけだった。
あの頃とは、何もかもが違う。全て変わってしまったのだ。分かっている。これは自業自得だと。自分たち―――――――いや、自分が間違い続けた果てにたどり着いた末路なんだと。
「もう、戻れないのね……平凡だけど、幸せだった。あの頃には……もう」
一瞬。見逃しそうな時間。玲奈の表情が変化した事を、瞳だけが見ていた。
だからこそ、瞳は止まらない。止まれない。すべて覚悟の上で、この場所へ訪れたのだ。
「当たり前だよ。瞳ちゃんも分かってたでしょう? もう、何もかも遅いんだよ。だから、そこをどいてくれないかな。ワタシ、君に用なんて何も無いし、素直にどいてくれれば何もしないよ。そんな時間も勿体ないしね。早くそこの女を殺して、優ちゃんの所に行かなきゃいけないから」
うんざりだ。そんな感情が、玲奈の言葉に乗っかって外に出てきた。
それが合図だったかのように、瞳の視線が鋭いものへ変わる。
「…………悪いけれど、それは出来ないわ」
玲奈のそれも、瞳と同じ様に変化した。
「どういう事かな? さっさとどいてくれれば、君に危害は加えないって言ってるんだけど」
「えぇ、確かに聞いたわ。意味も理解した上で言っているの。私はここから離れる気は無いし、玲奈を姉さんや水瀬先生と争わせる気も無い。もしそうしたいのなら、無理やり私をどかせば良いわ」
「……まるで、自分と戦えって言ってるみたいに聞こえるんだけど」
「そう言っているのだから、当たり前でしょう?」
瞳の返答に、玲奈はしばし黙った後――――――嘲笑う様に口角を吊り上げた。
「何を言い出すかと思えば……瞳ちゃんが私と戦う? そこの女の腰巾着だった君が? ははっ! 笑える冗談だね」
「私は真剣に言っているのだけれど。冗談に聞こえたと言うのなら、アナタの理解力は全く成長していない様ね。変わらない所もあるようで安心したわ」
瞳も負けじと、玲奈と同じように口角を吊り上げた。玲奈の表情が歪んでいくのが分かる。
玲奈とは、何度も意地の張り合いをして来た。彼女との言い争いには、慣れている。
「君の減らず口も、変わってないんだね……誰に似たのやら」
ちらりと叶を一瞥する。叶は何も答えず、ただじっと玲奈を見つめ返すだけだった。
それを受け、玲奈は確信する。叶は自分と瞳の戦いを承認しているのだと。手を出すつもりは無いのだと。
「……どういう風の吹き回しなのかな?」
「何の事かしら?」
思わず問えば、玲奈はニヤリと笑った。
「瞳ちゃん、ずーっとワタシから逃げ続けてたのに、急にそんな事言い出すもんだからさ。気になっちゃって」
その言葉は、今日瞳が玲奈から受けたどの言葉よりも鋭利だった。
「昔からそうだったよね、瞳ちゃんは。ワタシがどれだけ想いをぶつけても、君は話を逸らして逃げるだけだったじゃん。あの時も―――――優ちゃんへの想いを、君に伝えた時も」
それは、瞳も確かに記憶していたものだ。いや、正確には違う。記憶の奥底に無理やりねじ込んで、もう二度と出て来ない様に願っていた記憶。忘れたフリをして、避け続けていた記憶だ。
「あの後、瞳ちゃんがワタシに何て言ったか覚えてる?」
「……私に興味が無いのに、そういう事だけは覚えているのね」
「ほら、またそうやって逃げた」
意地の悪い笑みを絶やす事無く、玲奈は瞳を刺す事を止めない。
「さっきも言ったでしょ? 瞳ちゃんは、結局そうやってワタシから逃げ続けたんだ。あの時だってそうだったよね? ワタシは覚えているよ?
『アナタには、お兄ちゃんを渡さない』
『絶対に敵わないから、別の人を探しなさい』
瞳ちゃん、そう言ってたよね」
瞳から反論は無い。それは紛れもなく、自分も記憶していた事実だったから。
「ワタシ、ショックだったんだよ? 親友だった君になら、この想いを伝えても大丈夫だって、応援してもらえるって、そう思ってたんだからさ。でも、君は真向から否定したよね。しかも、それだけじゃなかった。君は次の日から、ワタシを家に呼ばなくなった。優ちゃんと会わせないために。ワタシが家に行きたいって言おうとすると、君はいつも話を逸らされてた」
玲奈の表情が、徐々に変化していく。笑顔はもう、すっかり姿を消してしまった。代わりとして現れたのは、酷く歪んだ、憎悪に塗れたものだった。
「その日から、ワタシは君を憎んだ。ワタシの想いを拒絶して、自分だけはのうのうと優ちゃんとの関係を続けていた君が、憎くて憎くて仕方が無かった」
「だからアナタは……禁忌に手を出したの?」
久方ぶりに紡がれた瞳の言葉を、玲奈は鼻で笑って肯定する。
「そうだよ? 会えない間に、優ちゃんは狂っちゃってた。狂人になっちゃってた。だから、ワタシも狂っちゃおうと思ったんだ。そうすれば、ワタシは優ちゃんを理解してあげられる。優ちゃんの隣にいられるって思ってね」
「水瀬先生を殺したい、なんて言っている人間とは思えない言葉ね」
「優ちゃんが世界から追われる立場になった後、何度も優ちゃんに会いに行ったんだよ? ワタシも同じだって。優ちゃんに寄り添ってあげられる狂人になったって。でも、優ちゃんはワタシを受け入れてくれなかった。何度行っても、いつも突き返されるだけだった。だから、殺しちゃえば自分のものに出来ると思っただけ。ただ、それだけだよ。それに、そうしている間は、優ちゃんもワタシを見てくれたから。殺意っていう形でね」
それ以上は言いたくない。玲奈の表情が伝えて来た。瞳も、追及はしなかった。
「でもさ、そんな時でも君は逃げてたんだよね? ワタシだけじゃなく、狂っていく優ちゃんからも逃げた。ワタシと優ちゃんを引き裂いて、ワタシから逃げ続けて、挙句の果ては優ちゃんからも逃げてさぁ―――――ねぇ、瞳ちゃん。ワタシがどんな気持ちだったか分かる? 優ちゃんを奪われて、その優ちゃんに寄り添うために頑張ったのに、殺意って形でしか気持ちを受け取ってもらえなくて、しかもワタシから優ちゃんを奪った張本人である瞳ちゃんが、狂人になった優ちゃんをあっさり見捨てたって知った時に……ッ!
ワタシが! どれだけ惨めな気持ちにさせられたか‼ 君に分かるっていうの!?」
それは、初めて聞いた玲奈の心の叫びだった。親友だと思っていた瞳に自分の想いを振り払われ、想い人であった優次郎を理解しようとしても突き放された。
だからこそ、玲奈は狂ってしまった。
ただ純粋に、大好きな人を追い求めただけだったのに。
ただひたすらに、自分の想いを貫いただけだったのに。
瞳は、心の底からこう思った。
玲奈を狂わせたのは――――――――自分だと。
「だからさ、そこをどいてよ。また逃げれば良いじゃん。ワタシからも、優ちゃんからもね」
これが最期。そう言うように、玲奈は冷たく言い放った。瞳は俯いており、表情は分からない。
玲奈の苛立ちが募る。早くどいてくれと。時間を取らせるなと。
だが、瞳は。
「――――――それは出来ないって言ったでしょう?」
もう、逃げないと決めていた。
玲奈の表情が、再度歪む。それは憎悪か。嫌悪か。それとも別の何かなのか。唯一分かるのは、今の瞳の返答を決して快く思っていないという事だけだった。
そして、今の瞳が携える、決意に満ちた強い眼差しもまた、玲奈の苛立ちを増幅させていた。
「玲奈。アナタの言った通り、私はアナタから逃げた。水瀬先生からも逃げた。その結末が、今の玲奈の姿だって事も、わかってる。アナタを狂わせたのは、アナタの人生を台無しにしたのは―――――――――私」
でも。
「それを理解した上で、もう一度言うわ。私は此処をどかないし、どかしたいなら力づくでやってちょうだい」
「――――――――そう」
たった一言そう呟き、玲奈は表情を白紙に戻した。
「しばらく見ない内に、瞳ちゃんも随分と馬鹿な人になっちゃったね。将来を有望視された君がさ。小学校時代の先生が見たら失望するだろうなぁ」
玲奈の身体から、魔力が放出されたのを感じる。
それは、他の死霊達の例にもれず、どす黒く、醜く、儚い。そんな死の魔力だった。
「だったら、お望み通りにしてあげるよ。君が逃げ続けた結果が今のワタシだって事、その身体に嫌という程教えてあげる。精々また逃げない様にね」
「心配しなくても、もう逃げたりしないわ。全部――――――ちゃんと、受け止めるから」
二人は、同時に同じことを考えていた。
これが正真正銘、目の前の相手との最期のケンカになると。
そして―――――――このケンカだけは、絶対に負けられないと。
「らしくないね」
玲央の言葉を受けても、優次郎は微笑みを絶やさなかった。何も変えずに、ただ次の言葉を待つ。
「君はもっと、のんびり屋さんだと思っちゃったりしちゃったんだけどな」
「……ボクだって、本当はもっと愉しみたかったんですけどね」
立ち振る舞いは、いつもの優次郎だ。しかし玲央には、どこか影が差している様に感じられた。優次郎をよく知らない美沙子は、口を挟む事もなく、二人の会話に耳を傾ける。
「今の死霊達、知り合いかい?」
「まぁ、そうですね」
「そっか。もしかして、御両親とか?」
冗談半分。そのつもりで言った言葉だったが―――――――。
「まぁ……そうですね」
彼は肯定した。
玲央はしばし黙った後、柔らかく微笑む。
「それは残念だな。是非、ご挨拶したかったりしちゃったもんだけど」
「しなくていいですよ、あんなのに挨拶なんて。酸素の無駄です」
「あらら、随分と嫌っちゃったりしちゃってるんだね」
「色々ありましてね」
優次郎が笑えば、玲央も「そっか」と一言返すのみにとどめた。これ以上の詮索は止めようと、話題を変える。
「さっきから、上の方が騒がしいね」
「あ、やっぱり玲央先輩も気付いてますよね」
「流石にわかるよ、屋上でしょ? いるのはアマちゃんと、それに…………なるほど」
玲奈は、全てを理解した。いかんせん荒療治では無いかとも思えるが、自分もそう言った類の治療ばかり行ってきたので、人の事を言えた義理ではない。それに、近くに叶の魔力もあるようだし、大丈夫だろう。
「アマちゃん、自殺しちゃったんだって?」
「はい」
「そっか……」
「哀しそうですね?」
「まぁね。どんな人であれ、人間が自ら死を選んだんだ。これほど哀しい事は無いよ」
「そうですか」
やっぱり、この人も医者なんだなと、優次郎は何となくそう思った。
「じゃあ、ミナセ君はこれから?」
「えぇ、行くつもりです。と言っても、手出しはしませんよ。ただの観戦です」
「僕も同席して構わないかな?」
「勿論です。それに、止めても来るでしょう?」
悪戯っぽく笑う優次郎に、玲央は首肯した。
「あの二人のケンカは、何度も見てきちゃったりしちゃってるけどね」
「今回ばかりは、見逃がすわけには行かない。ですよね?」
「まぁね」
玲央は次に、隣にいる美沙子へ視線を向けた。
「ミサコちゃんは、どうする?」
「私は、綾瀬川さんの妹や天ヶ崎玲奈については良く知らないが……怪我人が出るかもしれないなら、行かないわけにもいかんだろう。医師が必要な状況にもなり得るからな」
「一応、僕もいるんだけど」
「玲央は放っておけば、また妙な事をしでかすからな。言っただろう、完全に安心していないと」
「……はは」
完全どころか、これっぽっちも安心していない様だなと思えば、思わず乾いた笑いが漏れる。まぁ断る事でも無いのだが。
「やっぱり、玲央先輩と美沙子さんは知り合いなんですね?」
「あー。まぁ……昔の職場で、ちょっとね」
「……そうですか!」
さっきのお礼とばかりに、優次郎も詮索はしなかった。隣の美沙子も痛んだ表情をしているので、これが最善だろう。
「なら、さっそく行きましょうか……あぁ、一つだけ良いですか?」
「何かな?」
「これは、お二人に聞きたいんですけど……」
自分も入っていると分かり、美沙子も優次郎を見つめた。そして、震える。
初めて直で見た、優次郎の狂気を孕んだ笑顔に。
「大橋真衣さんって方、御存知ですか?」
以前、旅行先で出会った人物の名前を口にする。彼女から、玲央や美沙子の名が出た事は無かったが、優次郎には疑問があった。
もしかしたら彼女は、玲央の事を知っているのではないかと。
理由は一つ。
彼女、大橋真衣からは、戦場の匂いがしたから。
玲央は、表情を変えずに優次郎を見据えていた。
だが、隣の美沙子は違った。
まるで彼女に怯える様な、それでいて怒りを覚えている様な、そんな複雑な表情を、一瞬覗かせた。
「……その答えは、急ぐのかな?」
そう問うたのは玲央だ。しばし、無言の論争が行われる。美沙子が心配そうな顔で玲央を見つめている。
そして、先に折れたのは優次郎の方だった。
「急ぎませんよ! 今回の件が終わった後で大丈夫です!」
「そう、ありがとう」
それが、終戦の合図。美沙子もひとまず安心した様で、小さく息を漏らしていた。
「なら、行こうか。二人の可愛い妹分が、どんな結末を迎えるのか。ちゃんと見届けてあげないとね」
「はい!」
そして、三人は屋上へ向けて歩き出した。その後ろから、もう一人の姉貴分が付いて来ているのを感じながら。
今回もありがとうございました!
二話連続で投稿させて頂きました。四章で一番書きたかった部分に差し掛かり、今も得ております故、致し方なし。
そんな感じの六十五話です。
玲奈の過去が明らかになり、何故今の様になってしまったのかも判明しましたね。それを聞いて、瞳はどう対処するんでしょうか。今から描くのが楽しみです。
では今回はこの辺で。
また次回もよろしくお願いします!




