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灰色の世界  作者: ken
第四章
66/140

第六十五話 =逃亡の果てに=

第六十五話です。よろしくお願いいたします。

 二人を心配の面持ちで見つめる叶は、ある事を考えていた。

 玲奈の声が、先ほど自分へとかけてきたものとは異なっている事だ。

 玲奈が叶と瞳、そして優次郎へ通信魔術の類を行使してきた時、彼女の『コエ』は生前のそれとは程遠い、ノイズがかかった様なものになっていた筈だ。叶の良く知っている、死霊へと堕とされた人間のコエに、である。

 だが今はどうか。玲奈の『声』は生前の色を取り戻し、瞳へと向けられている。この二つの違いは何なのか、考えなくても答えはすぐに出て来る。

 瞳だ。瞳の存在の有無だ。

 綾瀬川家の前で話をした時は、瞳が玲奈へ声をかける事は無く、そもそも発してもいなかった。だが、今は違う。瞳から、面と向かって玲奈へ声をかけた。それが明白な違い。

 やはり、玲奈にとって瞳も特別なのだと思い知る。それが親愛の情なのか、怨恨の念なのか、それは分からないが、叶や優次郎へ向ける感情と似て非なるものである事は確かだ。


(瞳……頑張ってね)


 瞳の言う通り、彼女には玲奈を止める何かがある。

 妹の後姿を見て、叶は旧知の二人が数年抱えた問題を解決する事を、ただ願っていた。

 自分が玲奈に対して抱いていた敵意は、そんな二人を前に、いつの間に薄らいでしまっていた。






 玲奈の返答に、胸にチクリと針が刺された気がしたのは、気のせいでは無いだろうと瞳は思う。少しばかり表情が歪むが、すぐに戻し、話をつないだ。


「酷い言い草ね。一度は友人だった仲でしょう?」


「そんな昔の話、もう忘れたよ。今の瞳ちゃんは、ワタシにとっちゃただの顔見知りでしか無いんだもん。その辺に転がってる石とも、あまり変わらないかもね」


 ズキズキと、再び胸が痛む。だが、慣れなければいけない。きっとこの先も、玲奈が自分へ突き刺す言葉はこんなものばかりだ。気にしている暇などない。


「あら、そう。でも仕方ないわよね。アナタと絶縁して、もう何年も経ってしまったものね」


「そういえば、そうだったかもね。絶縁した事すら忘れてたよ」


「全く興味が無いのね、私に」


「無いよ。言ったでしょ? 石と変わらないって。それとも瞳ちゃんは、河原の石ころ一つ一つに愛情を注げるような人間なのかな?」


 玲奈の冷たい視線が刺さる。お前など呼んでいないと、そう言っている事を感じ取る事は容易だった。

 当たり前だが、あの頃の玲奈とは違う。自分へ向ける視線も、言葉も、そして容姿も。

 今の玲奈は、生前の面影こそ残しているが、外見は全く異なっていた。

 綺麗な緑色に染まっていた髪は、薄汚れた白に変化し、ボサボサに乱れていた。肌もまた同色に染まり、所々ひびが入っているのが分かる。髪と同色の瞳も色を失い、自分たちの姿すら映っているのか疑ってしまう。

 唯一変わらないのは、彼女が亡くなった時に着用していた、尋問によってボロボロに切り刻まれた黒いコートだけ。それ以外のものは、天ヶ崎玲奈という存在がこの世のものでは無くなった事を……死霊に堕ちてしまった事を残酷に提示するだけだった。

 あの頃とは、何もかもが違う。全て変わってしまったのだ。分かっている。これは自業自得だと。自分たち―――――――いや、自分が間違い続けた果てにたどり着いた末路なんだと。

 

「もう、戻れないのね……平凡だけど、幸せだった。あの頃には……もう」


 一瞬。見逃しそうな時間。玲奈の表情が変化した事を、瞳だけが見ていた。

 だからこそ、瞳は止まらない。止まれない。すべて覚悟の上で、この場所へ訪れたのだ。


「当たり前だよ。瞳ちゃんも分かってたでしょう? もう、何もかも遅いんだよ。だから、そこをどいてくれないかな。ワタシ、君に用なんて何も無いし、素直にどいてくれれば何もしないよ。そんな時間も勿体ないしね。早くそこの(・・・)を殺して、優ちゃんの所に行かなきゃいけないから」


 うんざりだ。そんな感情が、玲奈の言葉に乗っかって外に出てきた。

 それが合図だったかのように、瞳の視線が鋭いものへ変わる。


「…………悪いけれど、それは出来ないわ」


 玲奈のそれも、瞳と同じ様に変化した。


「どういう事かな? さっさとどいてくれれば、君に危害は加えないって言ってるんだけど」


「えぇ、確かに聞いたわ。意味も理解した上で言っているの。私はここから離れる気は無いし、玲奈を姉さんや水瀬先生と争わせる気も無い。もしそうしたいのなら、無理やり私をどかせば良いわ」


「……まるで、自分と戦えって言ってるみたいに聞こえるんだけど」


「そう言っているのだから、当たり前でしょう?」


 瞳の返答に、玲奈はしばし黙った後――――――嘲笑う様に口角を吊り上げた。


「何を言い出すかと思えば……瞳ちゃんが私と戦う? そこの女の腰巾着だった君が? ははっ! 笑える冗談だね」


「私は真剣に言っているのだけれど。冗談に聞こえたと言うのなら、アナタの理解力は全く成長していない様ね。変わらない所もあるようで安心したわ」


 瞳も負けじと、玲奈と同じように口角を吊り上げた。玲奈の表情が歪んでいくのが分かる。

 玲奈とは、何度も意地の張り合いをして来た。彼女との言い争いには、慣れている。


「君の減らず口も、変わってないんだね……誰に似たのやら」


 ちらりと叶を一瞥する。叶は何も答えず、ただじっと玲奈を見つめ返すだけだった。

 それを受け、玲奈は確信する。叶は自分と瞳の戦いを承認しているのだと。手を出すつもりは無いのだと。


「……どういう風の吹き回しなのかな?」


「何の事かしら?」


 思わず問えば、玲奈はニヤリと笑った。



「瞳ちゃん、ずーっとワタシから逃げ続けてたのに、急にそんな事言い出すもんだからさ。気になっちゃって」



 その言葉は、今日瞳が玲奈から受けたどの言葉よりも鋭利だった。


「昔からそうだったよね、瞳ちゃんは。ワタシがどれだけ想いをぶつけても、君は話を逸らして逃げるだけだったじゃん。あの時も―――――優ちゃんへの想いを、君に伝えた時も」


 それは、瞳も確かに記憶していたものだ。いや、正確には違う。記憶の奥底に無理やりねじ込んで、もう二度と出て来ない様に願っていた記憶。忘れたフリをして、避け続けていた記憶だ。


「あの後、瞳ちゃんがワタシに何て言ったか覚えてる?」


「……私に興味が無いのに、そういう事だけは覚えているのね」


「ほら、またそうやって逃げた」


 意地の悪い笑みを絶やす事無く、玲奈は瞳を刺す事を止めない。


「さっきも言ったでしょ? 瞳ちゃんは、結局そうやってワタシから逃げ続けたんだ。あの時だってそうだったよね? ワタシは覚えているよ?

 

 『アナタには、お兄ちゃんを渡さない』

 『絶対に敵わないから、別の人を探しなさい』 

  

 瞳ちゃん、そう言ってたよね」


 瞳から反論は無い。それは紛れもなく、自分も記憶していた事実だったから。


「ワタシ、ショックだったんだよ? 親友だった(・・・)君になら、この想いを伝えても大丈夫だって、応援してもらえるって、そう思ってたんだからさ。でも、君は真向から否定したよね。しかも、それだけじゃなかった。君は次の日から、ワタシを家に呼ばなくなった。優ちゃんと会わせないために。ワタシが家に行きたいって言おうとすると、君はいつも話を逸らされてた」


 玲奈の表情が、徐々に変化していく。笑顔はもう、すっかり姿を消してしまった。代わりとして現れたのは、酷く歪んだ、憎悪に塗れたものだった。


「その日から、ワタシは君を憎んだ。ワタシの想いを拒絶して、自分だけはのうのうと優ちゃんとの関係を続けていた君が、憎くて憎くて仕方が無かった」


「だからアナタは……禁忌に手を出したの?」


 久方ぶりに紡がれた瞳の言葉を、玲奈は鼻で笑って肯定する。


「そうだよ? 会えない間に、優ちゃんは狂っちゃってた。狂人になっちゃってた。だから、ワタシも狂っちゃおうと思ったんだ。そうすれば、ワタシは優ちゃんを理解してあげられる。優ちゃんの隣にいられるって思ってね」


「水瀬先生を殺したい、なんて言っている人間とは思えない言葉ね」


「優ちゃんが世界から追われる立場になった後、何度も優ちゃんに会いに行ったんだよ? ワタシも同じだって。優ちゃんに寄り添ってあげられる狂人になったって。でも、優ちゃんはワタシを受け入れてくれなかった。何度行っても、いつも突き返されるだけだった。だから、殺しちゃえば自分のものに出来ると思っただけ。ただ、それだけだよ。それに、そうしている間は、優ちゃんもワタシを見てくれたから。殺意っていう形でね」


 それ以上は言いたくない。玲奈の表情が伝えて来た。瞳も、追及はしなかった。


「でもさ、そんな時でも君は逃げてたんだよね? ワタシだけじゃなく、狂っていく優ちゃんからも逃げた。ワタシと優ちゃんを引き裂いて、ワタシから逃げ続けて、挙句の果ては優ちゃんからも逃げてさぁ―――――ねぇ、瞳ちゃん。ワタシがどんな気持ちだったか分かる? 優ちゃんを奪われて、その優ちゃんに寄り添うために頑張ったのに、殺意って形でしか気持ちを受け取ってもらえなくて、しかもワタシから優ちゃんを奪った張本人である瞳ちゃんが、狂人になった優ちゃんをあっさり見捨てたって知った時に……ッ!


 ワタシが! どれだけ惨めな気持ちにさせられたか‼ 君に分かるっていうの!?」


 それは、初めて聞いた玲奈の心の叫びだった。親友だと思っていた瞳に自分の想いを振り払われ、想い人であった優次郎を理解しようとしても突き放された。


 だからこそ、玲奈は狂ってしまった。

 ただ純粋に、大好きな人を追い求めただけだったのに。

 ただひたすらに、自分の想いを貫いただけだったのに。

 

 瞳は、心の底からこう思った。


 玲奈を狂わせたのは――――――――自分だと。


「だからさ、そこをどいてよ。また逃げれば良いじゃん。ワタシからも、優ちゃんからもね」


 これが最期。そう言うように、玲奈は冷たく言い放った。瞳は俯いており、表情は分からない。

 玲奈の苛立ちが募る。早くどいてくれと。時間を取らせるなと。

 だが、瞳は。



「――――――それは出来ないって言ったでしょう?」



 もう、逃げないと決めていた。

 玲奈の表情が、再度歪む。それは憎悪か。嫌悪か。それとも別の何かなのか。唯一分かるのは、今の瞳の返答を決して快く思っていないという事だけだった。

 そして、今の瞳が携える、決意に満ちた強い眼差しもまた、玲奈の苛立ちを増幅させていた。


「玲奈。アナタの言った通り、私はアナタから逃げた。水瀬先生からも逃げた。その結末が、今の玲奈の姿だって事も、わかってる。アナタを狂わせたのは、アナタの人生を台無しにしたのは―――――――――私」


 でも。


「それを理解した上で、もう一度言うわ。私は此処をどかないし、どかしたいなら力づくでやってちょうだい」


「――――――――そう」


 たった一言そう呟き、玲奈は表情を白紙に戻した。


「しばらく見ない内に、瞳ちゃんも随分と馬鹿な人になっちゃったね。将来を有望視された君がさ。小学校時代の先生が見たら失望するだろうなぁ」


 玲奈の身体から、魔力が放出されたのを感じる。

 それは、他の死霊達の例にもれず、どす黒く、醜く、儚い。そんな死の魔力だった。


「だったら、お望み通りにしてあげるよ。君が逃げ続けた結果が今のワタシだって事、その身体に嫌という程教えてあげる。精々また逃げない様にね」


「心配しなくても、もう逃げたりしないわ。全部――――――ちゃんと、受け止めるから」


 二人は、同時に同じことを考えていた。

 これが正真正銘、目の前の相手との最期のケンカになると。

 そして―――――――このケンカだけは、絶対に負けられないと。
















「らしくないね」


 玲央の言葉を受けても、優次郎は微笑みを絶やさなかった。何も変えずに、ただ次の言葉を待つ。


「君はもっと、のんびり屋さんだと思っちゃったりしちゃったんだけどな」


「……ボクだって、本当はもっと愉しみたかったんですけどね」


 立ち振る舞いは、いつもの優次郎だ。しかし玲央には、どこか影が差している様に感じられた。優次郎をよく知らない美沙子は、口を挟む事もなく、二人の会話に耳を傾ける。


「今の死霊達、知り合いかい?」


「まぁ、そうですね」


「そっか。もしかして、御両親とか?」


 冗談半分。そのつもりで言った言葉だったが―――――――。




「まぁ……そうですね」



 

 彼は肯定した。

 玲央はしばし黙った後、柔らかく微笑む。


「それは残念だな。是非、ご挨拶したかったりしちゃったもんだけど」


「しなくていいですよ、あんなのに挨拶なんて。酸素の無駄です」


「あらら、随分と嫌っちゃったりしちゃってるんだね」


「色々ありましてね」


 優次郎が笑えば、玲央も「そっか」と一言返すのみにとどめた。これ以上の詮索は止めようと、話題を変える。


「さっきから、上の方が騒がしいね」


「あ、やっぱり玲央先輩も気付いてますよね」


「流石にわかるよ、屋上でしょ? いるのはアマちゃんと、それに…………なるほど」


 玲奈は、全てを理解した。いかんせん荒療治では無いかとも思えるが、自分もそう言った類の治療ばかり行ってきたので、人の事を言えた義理ではない。それに、近くに叶の魔力もあるようだし、大丈夫だろう。


「アマちゃん、自殺しちゃったんだって?」


「はい」


「そっか……」


「哀しそうですね?」


「まぁね。どんな人であれ、人間が自ら死を選んだんだ。これほど哀しい事は無いよ」


「そうですか」


 やっぱり、この人も医者なんだなと、優次郎は何となくそう思った。


「じゃあ、ミナセ君はこれから?」


「えぇ、行くつもりです。と言っても、手出しはしませんよ。ただの観戦です」


「僕も同席して構わないかな?」


「勿論です。それに、止めても来るでしょう?」


 悪戯っぽく笑う優次郎に、玲央は首肯した。


「あの二人のケンカは、何度も見てきちゃったりしちゃってるけどね」


「今回ばかりは、見逃がすわけには行かない。ですよね?」


「まぁね」


 玲央は次に、隣にいる美沙子へ視線を向けた。


「ミサコちゃんは、どうする?」


「私は、綾瀬川さんの妹や天ヶ崎玲奈については良く知らないが……怪我人が出るかもしれないなら、行かないわけにもいかんだろう。医師が必要な状況にもなり得るからな」


「一応、僕もいるんだけど」


「玲央は放っておけば、また妙な事をしでかすからな。言っただろう、完全に安心していないと」


「……はは」


 完全どころか、これっぽっちも安心していない様だなと思えば、思わず乾いた笑いが漏れる。まぁ断る事でも無いのだが。


「やっぱり、玲央先輩と美沙子さんは知り合いなんですね?」


「あー。まぁ……()職場・・で、ちょっとね」


「……そうですか!」


 さっきのお礼とばかりに、優次郎も詮索はしなかった。隣の美沙子も痛んだ表情をしているので、これが最善だろう。


「なら、さっそく行きましょうか……あぁ、一つだけ良いですか?」


「何かな?」


「これは、お二人に聞きたいんですけど……」


 自分も入っていると分かり、美沙子も優次郎を見つめた。そして、震える。


 初めて直で見た、優次郎の狂気を孕んだ笑顔に。



「大橋真衣さんって方、御存知ですか?」



 以前、旅行先で出会った人物の名前を口にする。彼女から、玲央や美沙子の名が出た事は無かったが、優次郎には疑問があった。

 もしかしたら彼女は、玲央の事を知っているのではないかと。

 理由は一つ。


 彼女、大橋真衣からは、戦場の匂いがしたから。


 玲央は、表情を変えずに優次郎を見据えていた。

 だが、隣の美沙子は違った。


 まるで彼女に怯える様な、それでいて怒りを覚えている様な、そんな複雑な表情を、一瞬覗かせた。


「……その答えは、急ぐのかな?」


 そう問うたのは玲央だ。しばし、無言の論争が行われる。美沙子が心配そうな顔で玲央を見つめている。

 そして、先に折れたのは優次郎の方だった。


「急ぎませんよ! 今回の件が終わった後で大丈夫です!」


「そう、ありがとう」


 それが、終戦の合図。美沙子もひとまず安心した様で、小さく息を漏らしていた。


「なら、行こうか。二人の可愛い妹分が、どんな結末を迎えるのか。ちゃんと見届けてあげないとね」


「はい!」


 そして、三人は屋上へ向けて歩き出した。その後ろから、もう一人の姉貴分が付いて来ているのを感じながら。

今回もありがとうございました!

二話連続で投稿させて頂きました。四章で一番書きたかった部分に差し掛かり、今も得ております故、致し方なし。


そんな感じの六十五話です。

玲奈の過去が明らかになり、何故今の様になってしまったのかも判明しましたね。それを聞いて、瞳はどう対処するんでしょうか。今から描くのが楽しみです。


では今回はこの辺で。

また次回もよろしくお願いします!

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