第四十話 =大きな嘘と小さな決意=
第四十話です。よろしくお願いいたします。
優次郎が笑ったのを確認すれば、シエルも目を細める。
「水瀬。笑顔。不快」
単語をただ並べただけの台詞に、優次郎は思わず再度吹き出しそうになるが、何とか堪える。出会った当初からシエルは独特かつ理解するのに一定時間を要する話し方をしていたなと、どこか懐かしい感情が沸き上がった。
もう日本に来て十年は経っているだろうに成長しない日本語力には、ある意味で脱帽させられる。
「ごめんごめん! シエルちゃん昔から全然変わってないなーって思ったら、つい嬉しくなっちゃってさ!」
「……承認」
どうやら許してくれたらしい。この言葉遣いを瞬時に理解できるようになった事に一抹の喜びを感じる優次郎であったが、シエルは気にせず続けた。
「私。迷彩魔術。完璧。水瀬。看破。理解不能」
「んー……確かにシエルちゃんの迷彩魔術は完璧だよ? 流石だなーって思ったもん!
でもさ、ボクが此処に来てから全く人から怖がられないんだもん。昼間に買い物した時もそうだし、旅館に到着した時もそうだね。海に行った時は誰もいなかったけど……今は夏場で繁忙期の筈なのに、まだ少し早い時間に誰もいないなんて可笑しいなーと思ってたんだ。
だからもしかして、ボクの姿が別人に見える様にしたり、人が入ってこない様に空間そのものを迷彩する、なんて事をした人がいたのかなって」
「……未納得」
まだ納得していないらしく、優次郎は更なる理由は何だったかと思案する。
そして、ある一つの答えに行きついた。
「まぁ、そんな事出来るくらい高度な迷彩魔術が施せる人なんて、心当たりが一人しか無かったのもそうだけどさ。此処に来てから―――――なんか懐かしい魔力を感じたもんだから」
「―――――納得。一応」
「そっか。なら良かったよ! じゃあ今度は僕が質問する番だね」
「許可」
質問の許しを貰い、優次郎は怪しく笑った。そして、問う。
「それで? シエルちゃん程の…………違法魔術師取締委員会の上位魔術師であるキミ程の人間が、こんな所までどうしたの? もしかして――――――
ボクを殺すため、とか?」
二人の間に、不穏な空気が流れ始める。シエルの返答次第によっては、今からここでコロシアイが始まりそうな雰囲気だった。
シエルの答えは――――――。
「否」
否定だった。優次郎も、いつもの無邪気な笑顔へと戻る。
「安心したよ! ボクも、ここでキミとの決着をつけるのは本意じゃないし!」
「同意」
「でも、それなら何しに此処に来たわけ? まぁ、キミ達からしたら仇敵でもあるボクに教えるかは分からないけどさ」
彼のいう事は事実だ。
優次郎は過去、取締委員会と真向から対立し、多くの所属魔術師をその手にかけて来た。シエルはその頃から所属していたし、殉職者の中には当然、彼女が懇意にしていた者もいただろう。
本来であれば、今こうして普通に話をしているのも異常なのだが……今は割愛する。
「…………任務」
彼女は一言そういった。優次郎の望んだ答えでは無かったが。
だからこそ、優次郎は更に問う。
「任務ねぇ……ダメ元で聞くけど、どんな?」
「水瀬」
「ん? 何?」
「今回。任務。私。一人。否。二人。正」
優次郎は、思わず目を見開いてしまった。
彼女は言ったのは、今回の任務にあたっているのは自分だけでは無く、もう一人いると言う事だ。確かに優次郎は、シエルの魔力しか感じなかった筈だが……。
「もう一人って……」
「私よ、ユー君」
今度は馴染みのある声が、背中側から聞こえて来た。振り返れば、そこにいたのは自身が思い描いた人物であり、同時にその存在を見抜けなかった女性がいた。
「叶さん……」
ぽつんと落とされた声に静かに微笑んだのは、綾瀬川叶だった。彼女にとっては見慣れない、シエルと同じ黒いコートを着用した姿を見れば、なるほどと一人納得する。
「シエルちゃんの迷彩魔術で、叶さんの魔力を隠してたわけか。叶さんが魔力を放出していなかったから気付かなかったんだね。ははっ、やられたな!」
「勝利。愉悦」
此処で初めて、シエルの表情が変化する。勝ち誇った様なそれを優次郎に向ければ、彼も笑うしかなかった。
懐かしさに気を取られ、叶の存在にまで気付く事は出来なかった。うやら彼女も、叶たち凄腕の魔術師に囲まれて成長を遂げていたらしいと感じれば、優次郎も素直に負けを認める。むっとはしたが。
「でも、それなら尚更疑問だよ。シエルちゃんだけじゃなくて、切札でもある叶さんまで出て来たなんてさ。よっぽど大きな事が起きてるんだね?」
「まぁ今回は、私が取締委員会にお願いして、無理やり入れてもらったのだけどね。そして、今回の任務は…………いわば監視よ」
「監視?」
誰を? という疑問は、すぐに塵となった。
シエルは此処に来てからの自分を、ずっと監視していたのだとすれば、取締委員会の目的は自分と誰かが出会う事を危惧している。だからこその監視。そういう事だろうと。
そして、自分との邂逅を恐れる人物と言えば。
「天ヶ崎。玲奈」
優次郎の脳裏に浮かんだ人物の名を、シエルは口にした。
「へぇ、玲奈か。あの子も……この街に来てるんだね」
「人が悪いわね、ユー君も。あの子の行動原理は、アナタしか無いのは知ってるでしょう?」
「あはは! そうかも知れませんね!」
いたずらっ子の様な笑顔に、叶は困った様に笑った。シエルは、全く表情を変えない。彼女は前からそうだったな、なんて場違いな回想が過った。
「天ヶ崎。水瀬。邂逅。危険」
「まーそうだろうね。だってボクーーーーーつギニれいなにアッたら、あノこ殺しチゃウもん」
それは、間違いなく狂人の顔だった。叶は思わず目を細め、シエルのそれも雰囲気を変える。抹殺対象を捉えた時の様に。
「ユー君、やめなさい。私たちの目的は言ったわよね? もし此処で、アナタが玲奈ちゃんを探しにいく様な真似をすれば……いくらユー君でも、私が相手になるわよ」
「…………それは勘弁して欲しいですね」
叶の一言で、優次郎は狂気を収めた。これこそが、水瀬優次郎という狂人に打ち勝った叶だけが持つ、彼への抑止力というものなのだろう。シエルもそれを感じ、元の表情へ戻る。
「でも、まぁボクも今は旅行中だしね! 余計な争い事は避けたいし、あの子に出て来られても面倒だもん! 叶さんとシエルちゃんがいるなら、大事にもならないでしょ!」
優次郎は楽観的な笑顔と言葉を放った。
そう。彼は今旅行で此処に来ているのだ。それも自分だけではなく、生徒と共に。そんな状況で玲奈と戦闘をはじめ、彼女たちを巻き込む事は、彼にとっても本意ではない。むしろ最も避けたい事象だろう。
そんな事を考えれば、自分もすっかり講師だなと感じた。
「そうならない為に、私たちが来たんだもの。アナタ達が出会う事は無いわ。ただ……これだけは伝えておくわね」
叶が微笑をしまい込んだのを感じ、優次郎も彼女を見つめる。そして、叶は告げる。綾瀬川叶としてではなく――――――日本魔術学院の学院長としての彼女の言葉を。
「私達の目的は、あくまでユー君と玲奈ちゃんの邂逅を阻止する事。それだけよ。あの子がまた第三者を操ってアナタと戯れようとするなら……それを止める事は、私達の任務に入ってはいない。もし、そんな事が起これば、ユー君。アナタが生徒を護りなさい。これは――――――学院長命令よ」
学院長命令。その言葉に、優次郎は驚きを顔に出してしまった。
思えば、彼女が自分に対して命令を下した事があっただろうか? 答えは否。講師として赴任して三か月程経ったが、そんな記憶は一切ない。楠木隆盛の一件でも、彼女はすべてを抱え込み、悩み、決断し、そして―――――涙を流していた事を思い出す。
優次郎は直感的に感じた。
自分は今、講師として、学院長から頼られていると。
(昔っから何でも自分で抱え込んでたのに……なんか、嬉しいな)
優次郎は思わず笑みをこぼし、答えた。
彼の答えは、既に決まっている。
「りょーかいです! 学院長!」
わざとらしく敬礼して見せる優次郎に、叶は思わず笑った。そして同時に、信頼できる人間がいる事が、その人物が自分の命令を快諾してくれる事が、こんなにも頼もしいものなのかと、温かい気持ちになっていった。
「ありがとう、ユー君。頼りにしてるわ……シエルちゃん、行きましょうか」
「同意」
「ちょっと待って」
シエルが迷彩魔術を発動する寸前。今度はシエルの眼をしっかりと見据え、優次郎が口を開く。
自分に対して言っていると認識し、シエルもまた、その眼を見つめた。
「シエルちゃん。今キミ達が遂行してる任務が終わったら……どうする?」
おどけた様に。冗談を言っている様に。優次郎は明るい笑顔で彼女に問うた。
シエルにとっては、簡単な質問だ。答えるのに時間も思考も直感もいらない。
だからこそ彼女は即座に答えた―――――――恨みを込めた眼を見開き、しっかりと優次郎を捉えながら。
「――――――――殺す」
返答の直後、二人の気配は消え去った。
後に残されたのは、シエルが立っていた場所をじっと見つめる優次郎と、いつの間にか再び聞こえ始めた喧騒だった。
「相変わらず、その言葉だけは――――――ハッきリ言えルンだネ」
狂気が見え隠れする、とても愉しそうな笑顔で、優次郎は嗤った。だが、それもすぐに消え去る。彼も言ったように、今はその舞台ではないのだから。
優次郎は、おもむろに空を見上げる、そこにあるのは星の海と、学院にいる時は自分の特等席である、ビルの屋上だった。
一点を見つめると、やがて笑う。だが、それも一瞬。すぐに視線を前に戻した。
「……温泉入ろ」
誰に言うでもなく呟き、優次郎は再び来た道を歩いていく。
叶の願いを、遂行する為に。
「叶」
とある場所に、二つの影が見える。その片割れが、おもむろに口を開いた。
「何? シエルちゃん」
もう一方の影が答える。優次郎と別れた直後の叶とシエルだ。
「私。勝利。褒美。所望」
「ふふっ……よしよし、偉いわ」
頭を突き出し、撫でろと言わんばかりのシエルに癒されながら、その通りにした。シエルは気持ちよさそうに目を閉じ、されるがままになっている。
人生で初めて、水瀬優次郎を出し抜いたのだ。嬉しくてたまらないのも頷ける。
だが、と。叶は一人思う。
優次郎は最後、確実に見ていた――――――自分たちがいる屋上を。
そして、笑ったのだ。『自分に、同じ手は二度通用しない』とでも言うように。
シエルはそれに気づいていない。だが、言うつもりも無い。こんなに喜んでいる所に水を差す程、叶も野暮ではないのだから。
「……叶」
撫でられ続けていたシエルが、再度口を開く。今度は視線だけをそちらへ送った。
「任務。監視。嘘。何故?」
上目遣いにこちらを見上げるシエルに、叶は言葉を詰まらせ、思わず手を止めてしまった。
彼女の言う通り、今回の任務は監視ではない。監視ではなく――――――――。
あの会話の最中、当然シエルの心にも疑問が生じたが、あえて言及はしなかった。
理由は単純にして明快。叶を信頼しているからだ。
取締委員会に所属したばかりの未熟だった自分に、魔術を基礎から教えてくれたのは叶だった。右も左も分からない異国の地で、シエルにとって叶はまさに姉代わりの存在だ。
その叶が、何故優次郎に嘘をついたのか。それがシエルには理解できなかった。
しばし純粋な瞳を見つめた後、星の海へと顔を向ける。
「何故かしらね……私にも分からないわ。でも、ユー君に『本当の任務』を伝えてしまうと、取り返しがつかない何かが起きてしまいそうで……怖かったの」
あの時。もし優次郎に真実を伝えれば、きっと彼は遠くへ行ってしまう。遠く遠く、叶がどれだけ手を伸ばしても届かない場所へ。そう感じた叶は、咄嗟に真実を伏せた。
水瀬優次郎。
叶にとっては大切な後輩であり、講師であり、命を取り合った相手であり、愛していた相手であり……。
「叶。貴女。水瀬――――」
「シエルちゃん」
続けようとした言葉を察し、瞬時に止めた。叶はシエルへ視線を戻す。
「その先は、言わないで欲しいの。
もう――――――あの頃の無力な私に戻りたくない」
その笑顔は、シエルが見て来た中で最も美しく、それでいて哀しいものだった。
シエルはゆっくりと叶から離れ、そっぽ向いてしまう。
「私。水瀬。嫌悪」
発言からしばらくして再度顔を叶へ戻せば、驚いた表情を浮かべていた。
「叶。笑顔。哀愁。原因。水瀬」
「……そう、ありがとう」
シエルの頭を、再度撫でる。だが、彼女の表情は晴れない。彼女は恨んでいる。優次郎を……叶にこんな顔をさせている相手を。
彼女がどれだけ自分を慕ってくれているかを理解し、叶は少し嬉しくなった。
そして、シエルは決意する。優次郎を殺すのは、自分だと。叶ではなく、自分が抹殺すると。そう、誓った。
そして叶もまた、一人ある決意をする。
「ユー君。私は必ずアナタを……」
あまりにも小さな言葉は、シエルの耳には届かなかった。
今回もありがとうございました!
何だかんだで、四十話まで来ました。いつもご愛読下さり、本当にありがとうございます。これからも無理せず頑張ります!
そんな感じで、第四十話です。
シエルちゃんと叶。彼女らの本当の任務、一体何なんだ……(愕然)。
過去の話も見返しているんですが、取締委員会の名前はプロローグから出てきているのに、叶以外の名前があるメンバーが出て来たのは初な気がします。
第二章でもちらっと出てきましたが、名前無かったし……思えば長い事ためてたなと、一人驚愕しました(笑)
では今回はこの辺で。
また次回もよろしくお願いします!




