第三十七話 =禁忌の果てにあるモノ=
第三十七話です。よろしくお願いします。
突然だが、黒岩玲央は現在憂鬱である。
優次郎達と旅行に行けなかったから?
不正解。
夏休み期間中も数日しか休みが取れず、仕事に埋もれる日々が待っているから?
不正解。
行きたくもない場所に呼び出しをくらったから?
正解。
「はぁ……また此処に来る事になっちゃったりしちゃうとはねぇ……」
無駄に広い廊下を一人歩きながら、思わずそんな言葉が漏れた。魔術学院の二倍はあるかと言う巨大な建造物の中を進む足取りは重い。
すれ違う人々は皆、彼と同じ白衣姿をしている。違うのは常に誰かと一緒にいるという事と、玲央の姿を捉えてはひそひそと話している事くらいだろうか。
「ねぇ、あれ黒岩玲央じゃない?」
「ホントだ。治癒魔術界の異端児が、何しに来たんだろうね?」
「二度と来ないと思ってたのに……」
(聞こえちゃったりしちゃってるよ、全く……でも、僕もそう思ってたんだけどなぁ)
何なんだと言いたくなる。此処に足を踏み入れた時はいつもそうだ。街を歩く優次郎を見るそれと大差ない視線が自分を射抜いてくる。
そして聞こえてくるのは、一様に良い感情を全く感じさせない自分への言葉。
妬み、好奇、不快感、そして――――――
「あのまま戦場で殉職してれば良かったのに」
「ホントだよねぇー」
嫌悪。
玲央はおもむろに足を止め、声のした方向へ視線を向けてみた。おそらく言葉の主であった女性二人は、びくりと肩を震わせ、そそくさとその場を去っていった。
「……僕だって、もう二度と来たくなかったんだけどなぁ」
同じような独り言をその場に落とし、玲央は再び歩を進めた。受付嬢もそうだったが、ここまで不快感をあらわにされては、気も重くなるというものだ。
(ホント……お互い苦労するね、ミナセ君)
今頃は生徒達との旅行を楽しんでいるであろう後輩の顔を思い浮かべながら進んだ先に、彼の目的地は見えた。
『治癒魔術師連盟本部 第一会議室』
玲央が生きて来た中で、一番見たくも聞きたくも無かった文字をしばし見つめた後、ノックをする事もなく扉を開けた。
そうすれば、先ほどまでと同じ眼差しが彼に襲いかかる。中にいた十名程の医師に囲まれる様に委縮している椅子が、どうやら玲央に用意された席らしい。
十人分の嫌悪を受け止めた後、玲央はゆっくりと椅子の横へ歩み寄る。
「これはこれは、皆さん僕の為に集まったりしちゃったの? ありがたい限りだねぇ」
「座れ」
軽口を言って見れば、秒で跳ね飛ばされた。分かり切っていた事だが。
相変わらず冗談の通じない連中だと心の中で悪態をつき、玲央は無造作に椅子へ座る。
「黒岩玲央。今日この場に呼ばれた理由は分かっているな」
まるで自分を圧し潰そうとしている様な威圧的な言葉に、玲央は笑って返した。
「謝礼金でも貰えちゃったりしちゃうのかな?」
「口を慎め、黒岩玲央」
玲央の言葉にそう返したのは、彼から見て左。その末席に座っている女性医師だった。玲央より少し年上に見える彼女が眉間に皴を寄せているのを見れば、彼女もまた玲央に対し良い感情を抱いていないことは明白だ。
「貴様に渡す金など一円たりとも持ち合わせていない。身の程を知れ」
「……相変わらず厳しいね。それと大丈夫? 顔色悪いんじゃない? 仮にも日本各地にいる治癒魔術師をまとめる立場にいるって言うのに、自分の体調管理も出来なかったりしちゃうのかな?」
嫌味たっぷりの玲央の言葉に、女性医師は更に表情を歪め食って掛かろうと口を開く。
「よせ」
だが、止められる。止めたのは女性医師が口を開く前まで玲央に言葉を落としていた男性医師だった。
女性医師は渋々、と言った様子で口を閉ざすが、玲央を睨みつける眼力は今なお衰えていない。
「黒岩玲央。素直に招集に応じた事には、まず礼を述べておく」
「これはこれは、治癒魔術師連盟会長様から直々に礼の言葉を賜る日が来るとはね。僕も鼻が高いよ」
「先日、違法魔術師取締委員会から連絡が入った。貴様、楠木隆盛の事件に携わったそうだな」
「相変わらず人の話を聞かないね」
不機嫌を隠すことなく答える玲央に、男性医師もまた同様の感情を押し出している。
「貴様に問う。何故手を出した」
「手を出す? はて、何のことやら」
「とぼけるな」
変わらない軽口を一蹴し、会長と呼ばれた男性医師は更に眼力を強める。並みの人間であれば、それだけで卒倒してしまいそうなものだった。
「貴様が楠木隆盛に対し、魔術を行使した事は分かっている。楠木隆盛が自白したそうだからな」
「あらあら、あの人も口が軽いことで。まぁ、事実だったりしちゃうんだけどね」
「もう一度問う。何故手を出した」
未だ威圧の抜けない男性医師の言葉は、まるで玲央が魔術を行使した事そのものが問題だ、と言う様だった。
理由は明白だ。彼だって知っている。彼らは玲央が使っている治癒魔術を良く思っていないのだと。
「何でって言われてもねぇ……僕は保健医なんだよ? 自分が勤めてる学校の生徒が危険にさらされたとなっちゃ、普通止めちゃったりしちゃうでしょ」
「そんな事は聞いていない」
ぴしゃりと言ってのける男性医師。怪訝な表情を浮かべる玲央を気にすることなく、更に続けた。
「今回の件で言えば、貴様は自身が行使したものを治癒魔術と呼んでいる様だが、それは違う。貴様がやったのは殺人魔術だ。傷や痛みを他人に移し替える等、禁忌に触れる代物だ。そんなものを治癒魔術だなどとは、断じて認めん」
そんな事を言われれば、玲央もため息をつき顔をそむけた。面倒だ、と顔に書き入れながら。
「貴様には再三に渡り忠告してきた筈だ。今後そんなふざけた魔術を『治療』などと宣うなと。今までは綾瀬川叶が貴様を庇ってきたかも知れんが……今回ばかりはそうはいかんぞ」
「そうはいかない、ねぇ……だったら、僕はどうなっちゃったりしちゃうのかな?」
「貴様の医師免許を剥奪する」
それは、治癒魔術師にとって死刑宣告に近い言葉だった。簡単な治癒魔術、つまり『応急処置』の様なものならば、一般の魔術師にも行使は可能だ。かつて優次郎がやった様に。
だがそれは、あくまで『処置』ならばの話だ。『治療』となれば、当然人体の奥深くまで関わる事となる。だからこそ治癒魔術師という職業があり、医師免許も存在しているのだから。
玲央は今、日本の治癒魔術師のトップに君臨する医師から、直々に医師生命を絶たれたに等しい。
だが、死刑宣告を受けても尚、玲央は―――――笑った。
「それはそれで有難かったりしちゃうねぇ。もう二度と此処には来なくて済むし、それに―――――今後はアンタらが言う所の『殺人魔術』も、何の憂いも無く行使出来ちゃったりしちゃうわけだ」
先ほど玲央に噛みついた女性医師が、再度顔を怒りに染めた。 会長である男性医師は、目を細めて玲央を射抜く。
だが、玲央は止まらないし、止められない。
「だってそうでしょ? 君は僕の魔術を『治療』じゃないって言っちゃったりしちゃったんだから。なら、医師免許なんて無くたって、行使してもなーんの問題も無いよね?」
「何を馬鹿な事を言っている‼」
ダン! と机を強打し、女性医師が立ち上がった。
「確かに貴様の魔術は『治療』などと呼べる代物ではない! だが! それは殺人魔術を許容する理由にはならんぞ!」
「あらあら、ホント沸点低いねー。せっかく元は美人なのにさ。台無しだよ?」
「きさっ…‼」
「それにさっきから思ってたんだけど……僕がいつ殺人なんてしたかな?」
「っ!」
今までの軽薄なものとは違う視線に、女性医師は思わずたじろいだ。
玲央が今女性医師に向けているそれは、あきらかな敵意が込められていた。
「確かにアンタらの言う通り、僕が使っている治療法は一歩間違えれば殺人魔術になっちゃったりしちゃうだろうね。それは否定しないよ? でもさ、僕は今まで一度も人を殺した事なんて無いんだけど。日本に帰ってくる前……戦場にいた頃からもね。それとも、ひょっとして戦場医師時代に僕が人を殺したなんて、ふざけた報告でも入っちゃったりしちゃってるのかな?」
「……その様な報告は、入っていない」
口を開いたのは、男性医師。
「そもそもだけど、一歩間違えれば殺人魔術になるなんて、学校で教わる魔術全部当てはまっちゃったりしちゃうんじゃないの? 火炎魔術だって、極めれば人を焼き殺す事なんてわけないんだしさ」
その言葉に、反論は無い。当然だ。それもまた事実だと、全員が認めているのだから。
十人の反応を受け玲央はため息を漏らしつつ、懐から小さなカードを取り出し、会長席へと投げつけた。男性医師が視線を落とせば、それは医師免許だった。玲央の名前と、治癒魔術師としての会員番号も確かに記されている。
「話がそれちゃったね。とにかく、僕は医師免許剥奪されても別に困らないから、それ持ってっちゃって良いよ。証書も後で転移し。職は失うけど、まぁ頑張って見つけるさ。分かってるとは思うけど、学院長にはアンタからしっかり説明してね? 一応僕からも話しておくけど」
玲央の眼を見れば、これがハッタリではない事が分かる。彼は本気だ。本気で治癒魔術師としての人生に終わりを告げても良いと感じている。わざわざ医師免許も持って来ている事からも、この可能性をしっかり考慮していた事が見て取れた。
「ほら、どうしたの? それ、受け取らないの? さっさと懐に入れちゃえばいいじゃん。その『覚悟』があるならね」
そこで、初めて男性医師の表情が歪む。
玲央が行使しているのは殺人魔術。そう言ったのは、紛れもなく男性医師自身だ。彼とて治癒魔術師連盟の会長を務める男なのだから、自身の発言を撤回するつもりもない。そんな事は出来ない。
彼にもまた―――――プライドがある。
だからこそ、医師免許を受け取る事が出来ないでいた。もしこれを受け取り、治癒魔術師でなくなった玲央が本当に殺人を犯せばどうなるか?
答えは簡単だ。医師免許を剥奪し、黒岩玲央という違法魔術師予備軍を野放しにした自分たちに、世間の非難は集中するだろう。
「面倒だしさっさと帰りたいから、これで最後にするけど……さっさと受け取ったりしちゃったら? それとも……」
そこまで言えば、玲央は笑った。心底、馬鹿にした様な笑顔で。
「治癒魔術師連盟会長ともあろう御方が、こんな決断も出来なかったりしちゃうのかな」
男性医師の顔が、更に歪む。その中に見え隠れするのは、怒り、蔑み、そして―――――悔しさだった。
乱雑に玲央の医師免許を掴むと、勢いよく持主へと投げつける。玲央はそれを軽々と受け止めると、ゆっくり確認した。
書かれている名前も会員番号も、彼が良く知るものだった。
「あーあ……」
ふらりと立ち上がり、玲央は視線を医師免許へ落したまま出口へ向かって歩き出した。
「また、此処に来なきゃいけなかったりしちゃうのかねぇ」
決して早くない彼の歩みを止めるものは、誰もいない。当然だ。会長の決定は、彼らにとって絶対なのだから。
「我々にとっては、どちらも変わらないのだ」
そんな男性医師の言葉を聞けば、扉を開きかけていた手を止める。
「貴様も、水瀬優次郎もな」
しばしの沈黙の後、玲央は外へと踏み出す。
扉が閉まる音は、広い室内に思いのほか響いた。
会議室を出た後、玲央はしばし立ちすくみ、ただじっと医師免許と見つめあう。
退出する寸前、会長に言われた言葉が脳内を跳ね回る。
「僕もミナセ君と変わらない、か……」
一人呟けば、満足したのか医師免許を懐へ戻し足を進めた。が、まだ彼を帰そうとしない人物が一人。
「待て! 黒岩玲央‼」
あぁ、本当にこの人は苦手だな。
そんな事を考えながら振り返れば、そこにいたのは予想通りの人物。やけに玲央へ噛みついていた、あの女性医師だった。
息を荒げ、玲央を睨みつけるその眼光は、心なしか先ほどより鋭いものになっている様に思える。
だが、玲央は臆する事なく口を開いた。
「何? もう話は終わったでしょ? 来たくもなかった場所に呼ばれて僕も疲れたし、さっさと帰りたかったりしちゃうんだけど」
「何故だ……なぜ貴様はそうなのだ!」
玲央の言葉に返答する事なく、女性医師は叫んだ。
「いつだってそうだった‼ 『あの時』もだ‼ そうやってつらつらと妙な言葉を並べ、私を煙に巻いてきた! そして今回も! 前に呼び出された時もだ‼ いい加減にしろ‼」
「そう言われちゃったりしてもねぇ……あの時も今回も、僕の言葉は全部本心だったりしちゃうからさ。ほら、僕基本的に嘘つけないから」
「ふざけるな‼」
玲央が返事をすれば、更に女性医師は怒りを強めた。
「答えろ‼ 貴様は何故そうなんだ! 何故、そんなにも禁忌に手を染め続けるんだ‼ 治癒魔術は進歩した‼ 確実にだ‼ あの時とは違う‼ なのに、なのに――――‼‼」
「――――――ミサコちゃん」
不意に。本当に不意に名を呼ばれ、女性はハッとした様に彼を見た。
その憂いを帯びた笑顔を見れば、彼に名を呼ばれたのはいつ以来か、なんて場違いな感情が胸をよぎる。
「前も言ったけど、医者がそんな顔しちゃいけないよ。それじゃあ……本当に治したいもの、治せなくなっちゃうからさ」
それだけ言うと、じゃあね、と一言声をかけ、玲央は再び歩き出した。彼が、帰るべき場所へと。
女性は俯いてしまい、彼の背中を見ようとはしなかった。
「まだ、答えを聞いてないぞ……何故なんだ……何故……」
握りこぶしから血が滴り、床を濡らす。その上に透明な何かも重なった。
「何故、まだ過去に……罪に縛られ続けなければいけないんだ」
勢いよく顔を上げ、彼女――――――澄田美沙子は声を荒げた。
「答えろっ! 玲央‼」
玲央はもう振り返る事なく、その姿を消した。
今回もありがとうございました!
書いてて思ったので、一つ叫ばせてください……
次回から旅行の話になるって言ったのに、全然なってねぇじゃねぇかああぁぁぁぁぁぁぁぁ‼‼
すみません、感情が荒ぶりました。
本当に今回から四人の旅行話書こうと思ってたのに、何でこんなシリアス展開に……申し訳ありません(土下座)。
そんな感じの三十七話です。
今回は玲央先輩主役回でしたね。そして新キャラ、澄田美沙子さんが登場しました。何か玲央と因縁がありそうですが、今後どう物語に関わってくるのでしょうか。僕も楽しみです。
では今回はこの辺で。
また次回もよろしくお願いします!