第十五話 =2ヶ月後=
どうも、作者です。
今回から第二章に入っていきます。今回は一章後の事を書いているので、会話が少なく地の文が多いです。少しだるくなるかもしれませんが、お願いします。
「はぁ………はぁ…………」
暗いくらい、それは宇宙の最果てにあるのではないかと錯覚してしまう様な部屋に、甘美な声が響き渡る。カーテンの隙間から除く月明りは、ソファに体育座りをしているその声の主を正確に照らし出していた。
深緑色の短いサイドポニー。その部屋に負けじと黒く塗られたコート。19歳だと言う割には小柄な体格。
それら3つの特徴を持つ少女の名は、天ヶ崎玲奈。たった1人の青年に深海色の愛情を注ぐ少女だ。
頬を赤く染め、目は涙目でとろんと垂れており、口からは不規則な吐息が漏れ出している。
「んっ……もう……優ちゃんに会っただけで……レイちゃん身体が熱くなっちゃったよ……」
自身の身体を強く抱きしめながら、今度は年相応の大人びたウィスパーボイスが、吐息と共に吐き出された。
彼女が優ちゃんと呼ぶのは、世界中にその名を轟かせる『狂気の魔術師』、現在は東京魔術学院で講師をしている、彼女が愛し求めて止まない青年、水瀬優次郎だ。
彼女の脳裏には今、つい先日再会した優次郎の、あの狂気にまみれた無邪気な笑顔が赤く赤く焼き付けられている。それはどんどん彼女の身体を侵食し、現在は彼女の最も深く淀んだ部分へと辿りついていた。
「あぁ、ホント、可愛かったなぁ優ちゃん…………早く、レイちゃんのモノにしてあげなきゃ……」
彼女は思う。
この世界に自分と優次郎の2人しか存在しなかったとしたら。
彼女は思う。
あぁ、なんて素敵で満たされた世界だろうか、と。
2人だけの世界。自分の命も、身体も、心も、視線も、声も。全てを優次郎にのみ捧げる事が許される、そんな世界。
それが、玲奈の望む世界だ。優次郎だけ見ていればいいなんて、彼女にとっては至福以外の何物でもないのだから。
だが、それは所詮夢物語であり、現実には不可能な事だ。だからこそ、玲奈は――――――。
「早く……早く殺してあげて……レイちゃんの……レイちゃんだけの優ちゃんに……。
叶ちゃんも瞳ちゃんも邪魔をしない……そんな世界で……2人だけで……あぁ……考えただけで……はぁ……からだ、が……」
火照りを強めた身体を押さえつける様に足をもじもじと動かし、更に強く己を抱きしめる玲奈。
彼女の対人関係は明確にして簡潔に出来ている。『優次郎』と『その他大勢』、そして自分たち2人を邪魔する瞳たち『敵』。彼女には、この3つしかない。優次郎の前では饒舌で素直、敵の前では不機嫌を隠そうともしない。その他大勢の人間の前では、見向きすらもしない。
そうやって、天ヶ崎玲奈は形成されていった。優次郎こそが全てであり、真理。世界の中心。
しかし、だ。
「でも……まだ、だめ……もっと……もっともっと…………………もっともっともっともっともっと……優ちゃんの顔が見たい……」
自分ほど欲張りな人間はいないのではないかと、玲奈は思う。
優次郎を殺したい。遺体を独り占めしたい。防腐の魔術も、既に研究している。一生腐らない、一生今のまま、自分が死んだあとも、彼の肉体は動かずに時を止め、愛しい彼の姿を保つのだ。その身体は、自分の思いのままだ。
彼の亡骸を抱きしめたい。彼の亡骸にキスをしたい。彼の亡骸に、この身をささげたい。
それが天ヶ崎玲奈最大の悲願である。
だが同時に、生きている彼の姿をもっと見ていたいと言う感情も、玲奈の中には存在していた。
彼の笑った顔が見たい。彼の泣き顔が見たい。彼の怒った顔が見たい。
彼の――――――――――狂気にまみれた顔が、何よりも愛おしく、何よりもこの目で見つめていたい。
彼女は、そういった人間なのだ。
「このまま、しばらくは『玩具』で遊んでみようかな………どうせ、レイちゃん以外には優ちゃんを殺せないんだし……もし殺せたとしても……そいつを壊して奪っちゃえばいいんだし」
優次郎に、自身が適当に見繕った『玩具』で、優次郎と戯れる。そしてそれを、自分は遠くから見つめている。
玩具が壊れても、優次郎の生き生きとした顔を見る事が出来る。
優次郎が殺されても、自分が玩具を壊して優次郎の亡骸を奪えばいい。
玲奈にとってそれは、どう転んでも得をする最高の案だった。
おもむろに、玲奈は胸元に手を入れた。一瞬、ん、と声を漏らした後、取り出したのは一枚の写真。その中で笑うのは、まだ学生服に身を包んだ優次郎だった。
玲奈はその写真にそっと唇を落とす。
「待っててね、優ちゃん……優ちゃんは、レイちゃんが救いだしてあげる……邪魔者ばかりのこの腐りきった醜い世界から、2人で一緒に離れられるように…………だから、待っててね」
玲奈の望む世界。優次郎と2人だけの世界。夢物語の中の世界。理想的で非現実的な世界。
その世界を求めてしまったがために。
その愛情を海の底に隠してしまったがために。
だからこそ玲奈は――――――――狂ってしまった。
雪菜の一件があってから、早二ヶ月近くが経とうとしていた。
あの後、叶は優次郎に告げた通り、『厳重注意』と『大幅の減給』、そして『二ヶ月間の授業外での魔術使用禁止』の処罰を受ける事となった。
文字列だけを見れば、彼が起こした事件に比べて軽いのではないか、と思わなくも無い。だが、叶による厳重注意は数時間にも及び、減給も彼がこの学院に勤務する期間中、要するには半永久的なものである。そして極め付けは、二ヶ月間の授業外での魔術使用禁止だ。魔術によって動く社会では、当然魔術によって引き起こされる犯罪も多い。そう言った事件に巻き込まれた場合には、魔術を使用した応戦は正当防衛になるのだが、今の優次郎はその術を剥奪されている、と言う事だ。
叶曰く『魔術を使用不可能となった水瀬優次郎は、四次元ポケットを剥奪されたドラえもんに等しい』との事らしい。その珍妙な例えを横で聞いていた優次郎は、隠すことなく笑いの大噴火を起こし、叶の隣にいた生徒代表の瞳に睨まれ、同じ理由で同席していた芽衣にも呆れ顔をされたのは、また別の話。
「って言うか、魔術の天才が科学思想の漫画を例えに持ち出すってどうなんだろ?」
東京魔術学院の研究棟の一室。ソファに寝そべって天井を眺めていた優次郎は、一人首を傾げた。その首には黒のチョーカーが付けられ、その黒に叶によって純白で刻まれた魔術陣はよく映えている。
これこそ、叶が自作した『魔力を体内に封じ込める力』を持つ魔術陣だ。どんな魔術でも、自然界に存在する元素と体内に存在する魔力を反応させなければ魔術は起こせない。
つまり魔力を体内に封じられれば、元素と反応させることが出来ず、魔術を行使する事が不可能となるのだ。
しかし、授業の際に実践で生徒たちに魔術を使って見せなければいけない事も出て来る。そこで叶は、このチョーカーに『魔力を制限した状態で放出可能』となるストッパーの様な機能を付けた。そのため、授業の際には、例えば火炎魔術はランプの灯をともせるくらいの量であれば魔術放出可能となっているのだ。しかも火曜日の午後、正確には優次郎の授業が行われている時間だけと言うタイマー付きだ。
「こんな都合のいいもの作っちゃうんだもんな……叶さんが天才なんて言われるのも頷けるね」
『現代最高の魔術師』と呼ばれる叶の力が、今は自分への罰則のためだけに向けられていると思えば、思わず苦笑してしまう。
ちらりと、壁にかけられた時計に目をやれば、時刻は既に一時を回った所だった。そろそろ授業が始まる。教室に向かわなければ。
そう思い、優次郎は少し気だるそうにソファから身体を起こし、机の上にあった現代版の教科書と、昨日の内に作成しておいた授業内容を記したノート、そして生徒たちの名簿を手に取り、出口へと進んでいく。
廊下を歩いていれば、視線を感じる。
その大多数は、やはりまだ恐怖を孕んだものだった。中には殺気じみたものまで混じっているが、気にしない。気にしたところで仕方ないし、優次郎自身、そんな視線には慣れっこだ。
この学院の講師となって早いもので3ヶ月近くたとうとしているが、やはりまだ自分は迎え入れられていないらしい。
優次郎の授業を受けているものは別として、当然と言えばそうかもしれない。
授業履修者は、3ヶ月も経てば流石になれた様で、今では学食や廊下で会った時には声を掛けてくれるし、中には昼食を一緒に取ろうと言い出すものまでいる。3ヶ月前までは考えられなかった事だ。
あの時の…………雪菜と瞳だけに授業をしていた時からは。
優次郎の講義は人気だ。だが、それでも学院の全生徒数と比べれば、当然少ない。だからこそ、こういった視線が止むことは無いのだろう。
だが、変わった事もある。ビクビクした様子でこちらを見つめて来る生徒たちも、最近は恐る恐る会釈をしてくれるようになった。
それに関しては、健二との1件が大きいのかもしれない。
雪菜との事は叶の意向で極少数の、優次郎を知る者にしか伝えられていないが、健二の引き起こした事件の顛末は語られている。
健二が雪菜に暴行を加え、それを優次郎が止めに入って健二を拘束し、肉体・精神共に大きな傷を受けた雪菜はそのまま自主退学した。
そう、生徒たちには伝えれらている。
生徒たちの話題となったのは、優次郎が健二を『拘束』したと言う点だ。
あの水瀬優次郎が、人を殺さずに解決した。
それによって、優次郎に対する恐怖心が少しだが薄れた様なのだ。
これから優次郎が講義を行う教室の手前を歩いていた生徒が、優次郎に対して頭を下げたのが、その証拠になるだろう。
それに優次郎はニコリと笑って答え、教室の扉を開けた。
「あ、先生! おはようございます!」
1人の生徒が、自分に挨拶をくれる。
「おはよ! と言っても、もう昼だけどね。じゃあ、授業を始めよっか」
後ろ手で扉を閉め、教室を見渡しながら優次郎は教壇へと向かう。
後ろでなる授業開始の鐘をBGMにして、一人優次郎は思う。
雪菜の1件が伏せられたのは、優次郎の授業が生徒たちから人気があるから。
叶曰く、それが伏せられた理由の一つでもあるらしい。
ならば今回の事件の真実を知れば、この子たちは自分をどう思うだろうか。
答えは決まっている。恐怖し、蔑み、または哀れみ、再び優次郎に近寄らなくなるだろう。
人がそう簡単に強固な信頼関係を結べるはずがない。この子たちとは仲良くなれたとはいえ、まだ会って3ヶ月しか経っていないのだ。そこまでの絆が生まれていれば、そもそも絆と言うものの存在すら怪しまなくてはならなくなってしまう。
まぁ、そんな事を考えていても仕方がない。とにかく今は、授業を行わなくてはならない。
(そうしないと、叶さんに何言われるか分かんないしね)
ノートと教科書を教壇に置き、名簿を教壇に広げる。
「それじゃ、出席取るよー」
そう言って、優次郎は一人一人の名前を読み上げていく。
名を呼ばれたものは、はいと一言返事をしていく。
「じゃあ次は……瞳ちゃん」
「はい」
言い忘れていたが、優次郎の授業で変わった点が一つだけある。
毎回一番前の机で授業を受けていた瞳は、あれから前から二番目の窓側の席に座るようになった。
そして今も、左手に顎を置き、窓に視線を向けたまま返事をしている。最近はずっとこんな感じだ。だからどうした、と言えばその程度なのだが、優次郎としても一抹の悲しさを覚えたとだけ言っておく。
その後も順調に名は読み上げられていき、
「はい次ー…………境子ちゃん」
名を呼ぶ。だが、答える声は無い。
あぁ、またか。そんな事を思いながら、優次郎は名簿から目を離し、教室を見渡す。
「境子ちゃん? いないの? 誰か何か聞いてる?」
そう問うてみたが、皆一様に首を横に振るだけだった。
それを受け、優次郎は小さく息を吐くと、名簿の『古谷境子』の欄に×印を書こうペンを取った。
ガラリ。
扉が開かれたのは、その時だった。
優次郎がそちらを見れば、そこに立っていたのは、何とも悪びれていない様子の女の子。
服装はロック調で、耳にはイヤホンを差している切れ長の目を持った美少女が、無表情でそこにいた。瞳と似た雰囲気を感じるが、根本は全く違う。
瞳は冷静沈着でクールな印象を受けるが、彼女は攻撃的で少し怖い印象を受ける。
そんな雰囲気と、この時代にイヤホンなんて差しているものだから、嫌でも目立っていたし、毎回毎回こんな風に教室に来れば名前も覚えるものだ。
「境子ちゃん、毎回言ってるけど、もう少し早く来てくれると嬉しいな」
「あー……すみません」
イヤホンを外し、軽く頭を下げると、そのまま境子は空いている席へと向かっていった。
いつもの棒読み。反省する気は無い様だ。
この5分ほどの時間で3度目になるため息を漏らし、優次郎は境子の欄に○を付ける。そして、その下にある線で消された名前をしばし見つめた後で名簿を閉じ、教室に目を向けた。
「それじゃ、授業始めよっか。今日は先週も言った通り、結界魔術と化学の関係について話そうと思います。先週やった解錠魔術の時に、少し難しい分野に入っていくって言ったけど、今回はもう一段階難しくなるから、分からないところがあったら遠慮なく言ってね。
こういう分野の話は、少しでも分からない部分を残すと、後々面倒だからさ。
それから先週も言った通り、今日の授業が終わったらノート集めるから、今日の内容を復習するつもりなら別のノートか紙に書くようにしてね」
そう前置きして、優次郎は黒板にコン、と軽くチョークを突き立てた。
今日もまた、優次郎による授業が始まろうとしていた。




