一、再会、そのあとに
砂が舞っている。この季節に飛来する北方の砂が風と混ざり合い、さわさわと木の葉を揺らしているのを眺めながら、黎明はゆっくりと筆を置いた。
近頃はひっきりなしに便りが届く。公的なものから私的なものまで、机の上には文が山のように積まれている。やれやれとため息をつく。ここから十里ほど離れた比永の街にある官府から、今朝も大量の文書が届けられた。そのひとつひとつに目を通し、必要に応じて署名する。ただでさえ多くの職務をこなしているのに、返事を書かなければならない便りが容赦なく増え続けている。
黎明は一通の文を手に取り、すでに幾度も目を通した文章を再び読み始めた。文の送り主は斎海啓史、黎明の旧友である。
(相変わらず、元気な男だな)
黎明は笑みを漏らした。若かりし頃に、共に学府で過ごした日々を思い出す。啓史は文武両道を体現したような男で、多くの学友から一目置かれていた。
「おい、ここを離れても、俺はずっとおまえを支えてやるからな!忘れるなよ!」
そう言って豪快に笑ったあの顔を、生涯忘れることはないだろう。
黎明が色鮮やかな日々に思いを馳せていると、
「当主様、御客人がお見えです」
と、閉められた襖の向こうから、控えめな声で侍者の湊が告げた。
「着いたか」
便りを受け取ってからずっと、この瞬間を待ちわびていた。浮き立つ心を抑えて、「上の間に通してくれ」と、黎明は深みのある声で答えた。
「承知いたしました」
心なしか、湊の声が耳に心地良い。
「では、参ろう」
黎明は優雅に立ち上がると、僅かばかりに着崩れた着物を直し、上の間へ向かった。
膝をつき、丁寧に襖を開ける湊に礼を言ってから中へ入ると、若い男がひとり、正しい姿勢で着席している。
「黎明様、ご無沙汰しております」
「荒人荒人か……。これは見違えたな」
深々と頭を下げる若者の顔を見た瞬間に懐かしさがこみ上げてきた。万感の思いで客人の前に座ると、黎明は相好を崩した。
「長旅で疲れただろう。よくぞ来てくれた」
「お心遣い、ありがとうございます。この度は手厚く迎え入れてくださり、心より感謝いたします」
「立派になったな。あの小さかった荒人が、まるで夢を見ているようだ」
「いいえ、まだまだ若輩者です。黎明様もお元気そうで、安心いたしました」
ほんのりと頬を赤らめながら、荒人は落ち着いた声色で言った。だが、その心は浮き立っていた。正式な客人として迎えられことが、一人前として認められたようで嬉しい。はにかみながら視線を上げると、
「時が経つのは早いものだな」
と言って、黎明は茶を一口飲んだ。なんと美しい所作だろうか。数年ぶりに見る黎明の洗練された身のこなしに、つい見入ってしまった。これは一朝一夕で身に付けられるものではない。幼い頃に厳しい躾を受けた者だけが習得できる一流の所作だ。
(父上も由緒ある家のはずなのに、この違いはなんだ?黎明様が君子なら、父上は冬眠明けの熊だな)
好き放題に伸びた髭で覆われた父の顔を思い浮かべ、荒人は笑いを噛みころした。
「親父どのは元気か?」
ハッと我に返り、荒人は背筋を伸ばした。
「はい。おかげさまで皆、元気にしております」
「堅苦しい言葉遣いはやめてくれ。そなたは息子のようなものだ。昔のように接してくれると嬉しい」
そう言うと、黎明は目を細めた。
「私も黎明様を実の父のように慕っております。図々しいかとは存じますが」
遠慮がちに言って、荒人は慌てて乾いた喉を茶で潤した。
黎明は改めて、目の前にいる青年の顔を見た。凛とした眼差しは父親の意志の強さを思い出させる。若かりし頃、共に笑い勉学に勤しんだ時代がありありと蘇る。
「父に似て、良い顔だ。立派に成長したな」
再び褒めると、
「とんでもございません。まだまだ未熟で、お恥ずかしい限りです」
と言って視線を逸らし、荒人は真っ赤になって俯いた。似てはいるが、父親ほど無骨ではない。色白な肌は滑らかで、美男と言っても差し支えない器量だ。その辺りは母親譲りか。
「よく文をもらうが、読む度に笑ってしまう。相変わらず活発に動き回っているようだな」
「父上は一時もじっとしていられない気性ですので…。まったく、困ったものです」
「その気性を、そなたも受け継いでいるのかな?」
そう問うと、荒人は困ったように微笑んだ。
「私は動き回るよりも、書物を読んだり楽器を奏でたりする方が性に合っております。父上ほど活動的にはなれません」
「そうだったな。幼いころから物静かで、聡明であった」
黎明は過去を愛しむように視線を僅かに上へ向けた。
荒人の父である斎海啓史が「壱の群」に郡司として赴任してから数年が経つ。ここ、巳玄の国には首都である比永の他に、「壱の群」「弐の群」「参の群」と三つの群があり、代々、斎海家が郡司を務めている。比永で生まれ育った荒人は遠く離れた地へ移り住むのをたいそう嫌がり、ここに残りたいと懇願したが、啓史は頑として許さなかった。
「巴慧には会ったか?」
「いえ、まだです」
巴慧という名を聞いた途端に体の奥が熱くなった。
「少しはおしとやかになってくれれば良いのだが、相変わらず、ちっともじっとしていられない子だ。まったく誰に似たのか。まるで、そなたの父親のようだな」
黎明は困ったように微笑を浮かべた。一人娘の巴慧を自由気ままに育ててしまったという自覚はある。昨夜、明日は大切な来客があるから身支度を整えて部屋で待つようにと伝えたはずだが、いつものごとく忘れてしまったらしい。どうせ比永の街に出掛けては付き人の与佐子を困らせているのだろう。先ほど湊を迎えに行かせたが、部屋は空っぽであったと言う。
(客人が誰であるかを伝えていれば、飛んで来ただろうが)
まったく、困った娘だ。
「巴慧に会うのも比永を離れて以来か」
「ええ。美しく成長したでしょうね」
「相変わらずのじゃじゃ馬だよ。いったい誰に似たのやら」
そう言いながらも、さほど困ったようには見えない。幼いころから誰よりも巴慧を愛しんできた黎明のことだ。そのおてんばなところも可愛くて仕方がないのだろう。荒人は懐かしそうに幼馴染の愛くるしい表情を思い浮かべた。この地を離れてから、巴慧のことを忘れた日は一日もなかった。ふたたび会える日をどれほど待ち焦がれたことか。




