21.望みの品
さっきよりも大きな悲鳴が、部屋中に響き渡った。悲鳴は煙からも、目の前の像からも出ているように聞こえる。
レーグラッドの中にいるのは一部だと話していたから、その一部と、残り部分が同時に叫んでいるのだろう。
思わず耳をふさぎたくなるような大音響だが、セスティアは構わずさらに像の奥へと剣を差し込んだ。
像にひびが入り、ぴしぴしと音がして割れ目が大きくなってくる。像が砕けてしまうのも、時間の問題だ。
ザインカーデの苦しげな声が続く。やはり、この世界での実体はこの像だった。人間にはどうにもできない、と油断したのが失敗だったのだ。
「おのれ……」
うめきながらも、黒煙のザインカーデが最後のあがきでセスティアに襲いかかった。
セスティアだけではない。煙がほとんど部屋全体に広がり、ここにいる人間全てを包み込もうとしていた。
天井に煙より黒い光が二つ浮かび、真っ赤な口が広がる。そこにいる人間など、簡単に飲み込めてしまいそうな口だ。
セスティアは像から剣を抜くと、その目と口の真正面に身構えた。
「この世界は、お前のものにはならない。お前なんかに、この世界を好きにはさせないっ! おもちゃにするなっ」
セスティアは大きく振りかぶり、襲いかかる黒煙のザインカーデを斬った。
渡さない、魔王なんかにこの世界は。
ケイジェスを傷付け、国を焼き、人々を恐怖に陥れた魔王なんか、絶対に許さない。
「帰れ、お前のいるべき世界に。ここはお前の勝手にできる世界じゃない!」
斬られたザインカーデは、断末魔の悲鳴を上げる。
この声に反応したかのように、ひびの入った像が破裂して砕けた。かけらは散らばり、黒煙のザインカーデはその姿を徐々に薄くしてゆく。
セスティアが斬った部分から、白くまぶしい光が部屋に満ちた。その場にいた人間は、そのまぶしさでまともに目を開けていられず、手で顔を覆った。
しばらくして、そっと目を開けてみる。さっき見た光はもう消えて、ザインカーデの姿も像のかけらもなかった。
静かな空気が、そこにある。
「父上っ」
ルシェーラ姫が、倒れている王の所へ駆け寄った。気を失っている父の顔を、軽く叩く。
「姉貴、いいのか?」
ディストが心配そうに、セスティアを見た。
ザインカーデの姿が見えなくなったからといって、王が元に戻っているとは限らない。近付いて大丈夫なのか。
誰もがそれを心配している。
「大丈夫。ザインカーデは消滅した。自分の世界ではまだ生きてるかも知れないけど、この世界の本体は失ったんだし。ほら、王の髪も変わってる」
セスティアに言われ、レーグラッドを見ると確かに赤かった髪が金になっていた。あれが本来の姿なのだろう。
「あ、父上」
ルシェーラ姫の手の中で、レーグラッドが目を覚ました。それはうつろでもなく、異様な光を放ってもいない、人間の瞳だ。
「ルシェーラ……」
王の口から、娘の名前がもれる。ザインカーデに操られる前の、優しい父の声だ。
ルシェーラ姫は、父を強く抱き締めた。
セスティアはそれを横目で見ながら微笑みを浮かべ、扉へ向かった。ディスト達も、その後を慌てて追い掛ける。
気配に気付いたルシェーラ姫の声が、セスティアの背中に飛んだ。
「セスティア、待ってください。どこへ行かれるのです」
振り返ったセスティアは、疲れたような顔をしていた。
「あたしの役目は終わりました。キアノーチェスへ帰ります。意識を奪われた人は、放っておいても元に戻るでしょうし」
最悪の根源が消えたのだ。ザインカーデの力はどこにも及ばないはず。
さっきから、剣が重く感じられるのだ。それはつまり「もう振り回さなくていい」ということ。
「で、でも、あの」
ルシェーラ姫はセスティアを引き止めようとしているが、言葉がうまく出てこない。困惑の表情を浮かべるだけだ。
「後の事はどうすればいいか、あたしにはわからないんです。それに」
一転して、セスティアは嬉しそうな表情に変わる。
「待ってる人がいるんです」
☆☆☆
キアノーチェスへ戻ったセスティアは、一番にケイジェスの元へ駆け付けた。
癒しの水で魔の毒を追い出したおかげで、ケイジェスの具合は驚く程に快方へ向かっていた。水を飲ませておいたのも、効いたのだろう。
普段は強気のセスティアも、この時だけは静かに眠っているケイジェスを抱き締めたまま、しばらく泣いた。
しばらくそうして時間をすごし(セスティアには非常に短く感じられたが)セスティア達は王の元へ報告に駆け付けた。
「そうか。大義であった。事情を知る者として、僭越だがこの世界の人間の代表として、礼を言う」
アスタークの言葉に頭を下げたものの、セスティアはどこか他人事のように感じていた。
何か望みはないか、と尋ねられたセスティアだが、丁寧に辞退する。望むとすれば、今回の件に自分の名前は世間に出さないでほしい、と言った。
「なぜだ? お前はこの世界を救ったのだ。人々から感謝されるべき立場ではないか」
「そんな立派なことはしていません。ザインカーデは世界を簡単に滅ぼす力があるとおっしゃっていましたが、それは自分のペースが保てた時だけ。あたしみたいな想定外の存在を前にすると、臨機応変に対応できなかった。世界を救ったと言うより、あいつが自滅したようなものです。村娘が魔王を討ち取るなんて、ありえませんから」
「そう……か」
賞賛されるより、静かに暮らしたい。
言葉にはしていないが、セスティアの気持ちを知ったアスタークは、それ以上言わなかった。
後に、オーウェルマの国王からも同じことを書状で尋ねられたが、やはりセスティアは辞退する。
しかし、納得しないルシェーラ姫から何度も書状が届き、あまり断り続けてもどうか、というアスタークの言葉で、セスティアは「リモーレの国の薬」を望みの品として伝えた。
幸い、キアノーチェスが魔物に焼かれたのは一部だったので、人々が再び暮らし始めるのにさして支障はなく、壊された建物の修復も短時間でなされる。
他の国も程度の差はあるものの、徐々に元の姿へと戻されていった。
☆☆☆
キアノーチェスがほぼ元に戻る頃、オーウェルマの薬商人ソームから「例の薬」が届けられた。
だが、ソームはそれがほうびの品とは知らない。オーウェルマの王も「セスティアのことを世に知らせない」という約束を守ってくれている。
「ほら、セスティア。長いこと待たせちまったな。代金はもう頂いてるから。しかし、セスティアに貴族の知り合いがいるなんざ、知らなかったなぁ」
王から、と言うと不審がられるので、とある貴族から、となっているらしかった。セスティアはそれを聞くと、くすくす笑いながら「ちょっとね」とごまかしておく。
「オーウェルマや、他の国の様子はどう?」
「ああ、ほとんど国交も回復してるさ。裏でオーウェルマにかけられていた疑いも、ちゃんと晴れたしな。どうだ。わしの言った通り、オーウェルマは無実だったろうが」
ソームが胸を張る。セスティアは笑いながら「そうね」とうなずいた。
彼が話すところによると、魔物によって人々は意識を消され、破滅への道を進んでいたところを剣士が救ってくれた、と伝えられているらしい。
実際に自分もその中にいたのだが、こうして聞くとやはりどこか現実離れしているように感じる。
だが、セスティアの名前は、永久に出ることもない。
そう思うと、ほっとするセスティアだった。
ソームと別れ、セスティアはケイジェスの家へ向かう。
ケイジェスのケガは、経過良好だ。あとは、折れた骨が完全に治るのを待てばいいだけ。すでにケイジェスは、何でもないような顔で動き回っている。
そんな彼を見ていると、セスティアは心から安心できた。
「ケイジェス、薬が来たわよ。これでばあちゃんの病気もよくなるわ」
家の中へ入り、ケイジェスにそう報告する。そんなセスティアを見て、ケイジェスが意味ありげに笑った。
「何?」
「いや。こうしてると、セスティアも普通の人間だな、と思ってさ」
「なーに、それ。今も昔もこれからも、あたしは普通よ」
セスティアは言いながら笑い、ツェルマのいる部屋へと一目散に駆けて行く。
「ばあちゃん、薬が来たよ。すぐ元気になれるからね!」





