アロマヘッドスパ60分コース クリス4
ふと気づくと、クリスは祭壇の前にいた。
手を組んだ、神に祈るポーズのままで。
立ち上がり、辺りを見回す。あのサイモンという男も、動く椅子も、頭を洗う白い桶も、色とりどりのボトルもない。
しかし、クリスは夢だとは思わなかった。それらを自分が体験したという、強い確信があったからだ。
頭に手をやると、ベトベトだった髪がフワフワになっている。
消えた不快感。少しの清涼感。そして、かすむ視界……。
(やっぱり、メガネの度が合ってない……)
クリスはメガネを外して、目の間を揉む。再びかけようとして、手を止めた。
視界が、妙にクリアだったからだ。
(うーん、近視が進んだと思ってたけど。どうやら、ただの疲れ目だったらしいね)
突然、背後から声が。
「所長っ! こんな所にいらしたんですか。会議のお時間になっても戻られないので、心配してたんですよ」
振り向くと、秘書が立っていた。
「ああ、悪いね。今日中に決めなければならない議題がいくつもあったのに……すっぽかしてしまった。僕抜きでは、会議は進まなかったろう?」
しかし、部下は平然と首を振る。
「いいえ。滞りなく終わりましたよ」
「えっ! 僕がいなくても、全然平気だったのかい?」
驚くクリスに、秘書は苦笑交じりで言う。
「一年もあなたの部下をやってるんですよ。大体のやり方はわかります。もちろん、後で所長には、決定事項の確認と承諾をお願いしますが。きっと、ご満足いただけるはずです」
クリスは少し黙った後、静かな声で言った。
「……そ、そうだね。僕は、一人で仕事を抱え込んでいたのかもな。もっと、みんなの力を借りていいのかもしれない」
ポケットを探ると、何かが入っていた。薄い袋のように見える。
指で挟んで押しつぶすと、中に少量の液体が詰まっているのがわかった。
後にクリスは知ることになるのだが、それはヘッドスパを受ける際に使われた、ハッカ入りシャンプーの試供品であった。
それから、しばらく後。
研究所の祭壇の脇に、小さな部屋が誕生した。名前は『洗髪室』だ。
通りすがりの女職員が、指さして言う。
「あれえ!? こんな部屋あったっけ?」
同僚の女所員が、答える。
「ついこないだ、できたのよ。ここの職員なら週一回、誰でも自由に使っていいんだって」
「ふうん。福利厚生の一環かな? 入ったことある?」
「うん。暖かいお湯とミントの入った薬液で、椅子に寝そべった状態で頭を洗ってくれるの! すっごく気持ちよかったわ」
「へえ~。でも、なんか、変な張り紙あるね。なになに……『利用前に必ず、祭壇で祈りを捧げること。白い部屋へと飛んだ者は、できるだけ会話をして知識を得ること。物を持ち帰った場合、私に見せること。王立研究所長クリス・マッケンジー。PS、サイモンという名の素敵な赤髪の青年を連れてきてくれたら、礼は弾む!』……なにこれ?」
「さあ。アレじゃない? 神様関係ってことにしとけば、予算が通しやすいとか……そういうんじゃない?」
「最後の一文、意味深だよね。素敵な赤髪の青年って。なんか、ロマンス感じるんだけど」
「っていうか、全体的に意味不でしょ。白い部屋って、なによ」
二人はしばし、顔を見合わせる。
「ま、なんでもいっか!」
「そだね。私、さっそく昼休みに頭洗ってもらおうっと!」
まあ、ものすごく単純に考えれば。
研究所内に嬉しい施設ができた……つまりは、それだけのことだった。




