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⑤113話「小さな進歩、大きな一歩」〜125話「天使のアリア」

内容重くなっていく回が続いてすみませんだった記憶です

113話: 「小さな進歩、大きな一歩」


朝日が窓から差し込み、温かな光が室内を照らしていた。ヒナはリビングのテーブルで手を動かしながら治癒魔法の練習に取り組んでいる。その様子を、エリン──ご主人が椅子に座り、静かに見守っていた。


「ふぅ…これでどうかな、ご主人!」

ヒナは、手のひらに載せた小さな花を得意げにエリンに見せた。

昨日まで枯れていたその花は、ふっくらとした生命力を取り戻している。


「うん、素晴らしいよ。魔法が安定してきているね。」

エリンはそっと微笑みながら、ヒナの頭に手を置いた。


「あっ…!」

思わずヒナの体がピクリと震える。

初めてではないのに、まだ慣れていないのか、頬がほんのり赤く染まっていく。


「どうしたの?」

「い、いえっ!なんでもありません!」

ヒナはあわてて顔を伏せながら、小さな声で言葉を絞り出した。


エリンはその反応を見て、くすっと笑う。

「そんなに緊張しなくていいよ。君はよく頑張ってる。」

その優しい声に、ヒナの胸が温かく満たされていく。


「ご主人…ありがとうございます。」

少し落ち着きを取り戻したヒナが顔を上げ、はにかみながら微笑んだ。


「じゃあ、次はもう少し挑戦してみようか。」

エリンがテーブルの上に小さな果物──ほんの少し傷の入ったリンゴを置いた。


「はい、ご主人!やってみます!」

ヒナはリンゴに集中し、手をかざす。

その動作は慎重で、昨夜の決意を胸に秘めた彼の覚悟がにじみ出ている。


柔らかな光が手のひらから溢れ、リンゴを包み込むように漂った。その瞬間、傷が薄れ、リンゴが艶やかな表面を取り戻す。


「やった…できた!」

ヒナが目を輝かせながら、嬉しそうにそのリンゴを手に取った。


「よくやったね、ヒナ。」

エリンは再びヒナの頭に手を置き、優しく撫でる。

その仕草に、ヒナの鼓動が早まり、顔が再び熱を帯びていく。


「……こうして、ちゃんと成長している姿を見られるのは嬉しいな。」

エリンのその言葉に、ヒナは一瞬戸惑い、でもすぐに小さく頷いた。


「ボク、ご主人にずっと支えてもらってばかりで…。

でも、これからはちゃんと恩返しします!もっと強くなって、ご主人の力になります!」


「ヒナ。」

エリンの声が少しだけ低く、でも温かく響く。


「君がそう思ってくれるのは嬉しい。でも、無理はしなくていいんだ。僕たちは家族なんだから、君が幸せでいることが一番大切なんだよ。」


「家族…。」

その言葉に、ヒナの胸がじんわりと満たされる。

ボクは、この場所で愛されている。そう実感できる温かさと少しの切なさが心を包み込む。


昼下がりの穏やかな光が、2人の時間を優しく照らしていた。

ヒナは魔法の練習を続けながら、時折エリンと目を合わせて微笑む。

その度に、ご主人が静かに微笑みを返してくれる。


2人が築いた信頼と愛情が、この穏やかな日々の中に確かに存在していた。

ヒナの胸には、ご主人との絆が強まったことへの感謝と、これからの決意が深く刻まれていた。


「ご主人様、これからも…よろしくお願いします」

「もちろん。こちらこそ、よろしくお願いします」

その小さく微笑む笑い声とともに、柔らかな風が庭を吹き抜け、小さな花々を揺らした。

静かで、穏やかで、心が満たされる日常が、そこにあった。


第114話「窓越しの帰還」


午後の穏やかな陽光が差し込むリビングで、ヒナはエリンと共に治癒魔法の練習をしていた。手の平を光らせ、ゆっくりと指先に魔力を集中させる。小さな傷が癒える様子に、ヒナは目を輝かせた。


「ほら!ご主人!見てください、うまくいきました!」

「本当にすごいね、ヒナ。君の努力が実を結んでいるのが分かるよ。」

エリンが優しく微笑み、ヒナの肩に手を置いてその頑張りを称える。


その時、不意にリビングの窓がカチャリと音を立てた。

ヒナが驚いて振り返ると、窓を押し開けながらリオンが軽やかに室内へと入ってきた。


「またここで魔法ごっこ?」

軽い口調で言いながらも、リオンの赤い瞳はヒナの手元に注がれている。


「リオンさん…!」

ヒナが目を丸くして立ち上がる。


「リオン、次は玄関から入ってくれたら嬉しいな。」

エリンがリオンを穏やかに見つめながら注意する。その声には軽い冗談めいた響きも含まれていた。


「…まー、考えとくね」

リオンはちっとも改めるつもりがなさそうに言うと肩をすくめ、ソファに腰掛ける。


「それで…リオンは どこに行ってたの?」

「ちょっと息抜き。特に何かしてたわけじゃないよ。」

リオンはあっさりと答え、視線をヒナに向けた。


「で、ヒナはエリンの魔力、もらえたの?」

他人の魔力量を感じ取れるリオンが、わざとヒナの口から言わせるように問いかける。


その一言に、ヒナは一気に顔を赤くする。

「あ…えっと…その…。…はい…!」

声が裏返りそうになりながら、何とか答える。


リオンはヒナを見つめたまま、唇の端を軽く上げる。

「へぇ、そうなんだ。」


エリンはそのやり取りを見守りながら、ふと視線をヒナの手元に戻す。

「治癒魔法、随分上達したみたい。ヒナが頑張って練習した成果だと思うよ。」

その優しい声に、ヒナの頬がさらに赤くなる。


リオンも何気ない様子で言葉を挟む。

「…まー、その調子で頑張ってね。」

視線を外しながらつぶやくリオンの表情には、微かに満足感が滲んでいた。


「リオンさん、ありがとうございます!リオンさんが教えてくれたから…!」

ヒナは真剣な表情で言葉を続けた。

「それに、ご主人様にも魔力をいただいて…

本当に、ボク…こんなに良くしてもらえて…幸せで…。ありがとうございます」


リオンは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに飄々とした表情に戻った。

「…まだ成長しきれてないし、これからだけどね」

軽口を叩きつつも、どこか微笑ましげな空気を纏うリオンに、エリンも小さく笑った。


「リオン、ヒナがここまで来られたのは君のおかげでもあるよ。」

エリンが静かに言葉を紡ぐと、

リオンはほんの少しだけ驚いたように目を丸くしたが、すぐに肩をすくめる。

「ま、オレが手伝ったんだから当然でしょ。」

そう言いながらヒナを見つめていた


第115話「湯煙に揺れる心」


湯船に深く浸かり、ヒナは顔を赤くして縮こまっていた。

突然、遠慮なく扉を開け入ってきたリオンに

顔を合わせるのも恥ずかしく、タオルを握りしめながら小さく身を縮める。


一方、リオンは湯船に浸かるヒナに合わせるように座り、赤い瞳を細めながらヒナを見下ろした。

「で、どうやって説得したの?この後すんの?」


ズバリと核心を突いたリオンの言葉に、ヒナは一瞬固まったまま、呆然とした表情で見上げる。

「え……っ、そ、それは……!」


「なに?」

リオンはくすっと笑いながら、ヒナにじわりと近づいた。

「先につまみ食いしちゃおっかな〜。」

悪魔の低い声が耳元に囁かれる。ヒナは思わずぎゅっと目を閉じ、顔を逸らした。


その様子を見たリオンは、楽しそうにくすくすと笑った。

「……正直、安心したよ。」


思いがけない言葉に、ヒナは驚いてリオンを見つめる。

「えっ……?」


リオンは軽く肩をすくめると、壁に背を預けて目を閉じた。

「あとは本当にヒナの努力次第だけどさ。そこそこ期待してるから、頑張ってよ。」


「リオンさん……」

ふっと、ヒナの顔に安堵と感謝の笑みが浮かぶ。


しかし次の瞬間、突然リオンが顔を近づけてきて、その唇を奪った。

「……っ!ちょっ、んっ……」

ヒナは目を見開き、驚きのあまり体をよじって逃げようとするが、湯船の縁に追い詰められる。


「や、やめてっ…っ…!」

震える声で懇願しても、リオンは一切気にしない。赤い瞳が微かに輝き、彼の手がヒナの腕を掴む。


「……んっ、……っ!」

激しく深いキスが続き、唇の熱と圧力にヒナの身体は次第に脱力していく。

最初は抵抗しようとしていた手も、力を失い、小さく震えながら もじもじと動くだけだった。


唇が離れたとき、ヒナは赤くなった顔で

か細い声を漏らした。

「……リオンさん…。」


リオンはそのままヒナの首筋に唇を滑らせ、牙が軽く当たる感触を与える。

「……どうする?」

低く囁くような声が、湯気に溶ける。


ヒナは困惑した表情で顔を背けたまま、小さく震えていた。


第116話「濡れた夜の続き」


湯船の中で縮こまるヒナの前で、リオンは湯気の中でくすくすと笑みを浮かべた。

「まぁ…、エリンがヒナの頑張りをちゃんと支えてるなら、それでいいんじゃない?」


ヒナはおずおずと顔を上げ、湯気の向こうで揺れるリオンの姿を見つめた。

「……リオンさん……。ボク、リオンさんにも……本当に感謝してるんです。」


「ん〜?」

リオンが振り返り、楽しげに片眉を上げる。

「なんで?」


「ボク……リオンさんに、何度も励まされました。

……だから、ボクも天使として……もう少し頑張ってみたいって思えたんです。」


その言葉に、リオンは少しだけ視線を柔らかくしてヒナを見つめた。

「へぇ、偉いじゃん。……けど。」


リオンは再びヒナの前に屈み込み、今度はその耳元に囁いた。

「……自信がなくなったら、またオレに来れば?」


ヒナは顔を赤くし、ぎゅっと目を閉じて小さく首を振る。


「……ボク……もう、前を向いて歩きます……!」

ヒナが小さく決意を口にする。それは、これまでの彼なら言えなかった一歩だった。


しかし、そんなヒナを前に、リオンは挑発するように口元を歪めた微笑みを浮かべると、湯船の縁に手をつき、ゆっくりとヒナの顔に近づいた。


「へぇ……前向きになったヒナくんが、どれだけ頑張れるか見ものだね〜?」

低く囁く声に、ヒナは息を呑み、湯の中で肩を竦ませる。


「でもさ、“本能”ってそう簡単には抑えられないもんでしょ?」

リオンの指が湯気の中でヒナの顎を持ち上げ、強引に目を合わせさせる。


「……リオンさん……や、やめて……」

ヒナは視線を泳がせ、掴まれた腕に力を込めて振り解こうとした。

しかし、その手の力はすぐに緩んでしまう。

リオンの視線と近さに、身体が反射的に硬直してしまったのだ。


「……それ、ほんとに抵抗してるの?」

リオンは楽しげにくすっと笑いながら、顎を掴んだまま唇を寄せる。


「んっ、……んんっ……!」

ヒナはわずかに身体を捩じり、どうにか逃れようとするが、湯船という狭い空間で壁際に追い詰められる。


リオンの唇が深く重なるたびに、ヒナの意思が揺らぎ、次第に身体から力が抜けていくのが自分でも分かった。抵抗するつもりだったのに、胸の奥から溢れる快楽に思い出され、身体が熱くなっていく。


「だ、め……っ……ボクは……」

呟く声がかき消されるように再び唇が重なる。

心では必死に抗おうとしているつもりでも、身体がそれに逆らえなくなっていく自分がいる。


ようやく唇が離された瞬間、ヒナは湯気の中で荒い息を吐きながら、リオンの赤い瞳を見上げた。


「……ま、冗談だよ。」

リオンが笑みを浮かべながら立ち上がると、湯船から水が揺れた。


「エリンとうまくやれてるなら、それでいいんじゃない?とりあえずは。」

軽く肩をすくめてそう言うと、リオンは湯船を出て、無造作に髪を掻き上げた。


ヒナは湯船の中で肩を抱き、自分の小さな力の無さと、どうしようもない自分の負い目を感じて俯いた。


「……頑張ろう、ボク……」

小さく呟いたその声は、湯気に溶けて消えていった。


第117話: 揺れる決意と微かな希望


夜の静寂が屋敷を包む中、ヒナは自室で一人膝を抱えていた。湯船での出来事が頭から離れない。

リオンの言葉や態度はいつもどこか挑発的で、時に甘さすら感じさせるけれど、それがヒナの中に芽生え始めていた小さな迷いを揺さぶっていた。


(ボク、本当にこのままでいいのかな…?)


エリン──ご主人への想いは強い。けれど、その気持ちが報われることはないと、どこかで自覚している自分がいる。それでも、諦めたくない。ご主人の力になりたい。

家族として愛されていることは分かっている。

でも、それ以上を望むのは間違いなんじゃないかという罪悪感が、ヒナの心を締め付けていた。


ふと、リオンの言葉が脳裏に蘇る。


「……自信がなくなったら、またオレに来れば?」


リオンは、いつだってヒナをからかう。

でも、その言葉の裏に、ほんの少しだけ温かさを感じてしまう自分がいる。

もしかしたら、リオンさんはボクの弱さを見透かしていて、それでも受け入れてくれるのかもしれない──そんな淡い期待が、ヒナの胸に宿る。


しかし同時に、エリンの言葉もまた心に響いていた。


「君が幸せでいることが一番大切なんだよ。」


(ご主人はボクを大切に思ってくれている。でも、それは家族として。ボクの気持ちとは違う…。)


ヒナの胸の奥に渦巻く感情が、少しずつ膨れ上がっていく。自分の中で消化しきれない想いに押しつぶされそうになりながらも、ヒナはそっと目を閉じた。


─────────────────────


翌朝、リビングに向かったヒナを迎えたのは、ご主人の穏やかな笑顔だった。

いつも通りの優しさがそこにあった。


「おはよう、ヒナ。昨日はよく眠れた?」


「……おはようございます、ご主人。はい、ちゃんと休めました。」


ぎこちない笑顔を浮かべながらも、ヒナの声にはわずかな震えが混じっていた。

ご主人はその様子に気づいたのか、優しく頭に手を置いた。


「ヒナ、無理はしなくていいんだよ。君が頑張っていること、ちゃんと分かっているから。」


その言葉に、ヒナは胸がいっぱいになり、思わず目を伏せた。

頬に伝う涙を拭おうとするが、手が震えて上手くいかない。


「ご主人……ボク……」


何かを言いかけたヒナだったが、その瞬間、リオンの姿が現れた。

窓から軽やかに飛び込んできた彼は、ヒナの涙を見てからかうように笑った

「おやおや、天使くん、また泣いてるの?」


「リオンさん…!」


ヒナが驚いたように顔を上げると、リオンは彼の隣に腰を下ろし、無遠慮に頭を撫でた。

「そんな泣き顔見せて…、まだ甘やかされたいの?」


「そ、そんなこと……!」


リオンの軽口に、ヒナは慌てて涙を拭ったが、内心ではその何気ない一言にほんの少しだけ救われた気がした。


──────────────────────

その日の午後、庭で花の手入れをしているヒナにリオンが近づいた。

ヒナが手にした小さな花を眺めながら、彼はぽつりと呟いた。


「エリンの言葉に、そんなにこだわる必要あんの?」


ヒナは驚いて顔を上げた。


「…どういうことですか?」


「いや、別に。

たださ、家族だろうが何だろうが、自分がどうしたいか、じゃない?」

リオンの声には、いつも通りの軽さが含まれているが、ヒナにはその言葉が鋭く響いた。


「好きなら好きでいいけど、ヒナはずっとそれ我慢して言わないつもり?」


リオンが言うその言葉は、ヒナが今まで心の中で抱えていた葛藤をそのまま突きつけるようだった。


「でも、ボク……ご主人に迷惑をかけたくないんです。」


「迷惑って思うかどうかは、エリンが決めることだろ」


リオンの視線が鋭くなり、ヒナははっとした。

リオンがこの言葉で、エリンの気持ちを超えてヒナ自身の気持ちを見抜いているのだと気づく。


「……ボクは…一人でも大丈夫になりたいんです」


その声には、これまでの迷いや不安を振り切るような力強さが宿っていた。



第118話: 揺れる信念と決意


リオンは少し静かにし、目を細めてヒナを見つめていた。


「……ご主人に迷惑をかけたくないんです。

それに、ボクがこういう恋愛感情を抱いていること自体、間違いなんじゃないかって……。」


ヒナの言葉が震えながらも続く。その様子をリオンは黙って聞いていた。

リオンの心の中で、ヒナの苦しみが何処から来ているのかを少しだけ理解し、つい、口を開いてしまう。


「……間違いねぇ。」

リオンはくすっと笑いながら、言葉を続けた。


「それって誰が決めたこと?エリン?それともお前?」


リオンはそのまま視線を外して、何気なく窓の外を眺めた。

少しだけ考え込み、肩をすくめながら言った。

「好きなら好きでいいし、どうしてそれを我慢してるのかがわかんない。」


「……。」

ヒナはその言葉に反論しようとするが、思わず言葉が詰まってしまう。

リオンが微笑んでいるが、その裏に隠された本音を聞くような気がして、ヒナは思わず顔を上げた。


「迷惑だなんて、あいつは思わないだろうけどさ、

お前が勝手に思い込んで、自分の気持ちを潰すのはただの自己満足じゃない?」


その言葉がヒナの心に刺さる。

「自己満足。」


ヒナは呟きながら、自分の手のひらをじっと見つめた。

本当は、自分の気持ちを言葉にしたい。

そう思っていたが、今までの自分は周りを気にしてそれを抑え込んできた。


リオンの声が続く。

「お前、いつも言ってる『ボクはご主人様の力になりたい』って、それも間違いだって思ってるのか?」


「それは……!」

ヒナが驚き、顔を上げる。その言葉に、リオンの本音がひしひしと伝わってきた。


「ヒナがしたことを迷惑だなんてエリンは言わないだろ、まして『家族ごっこ』に夢中だしね。」

リオンは肩をすくめ、少し皮肉っぽく笑う。

「お前が好き勝手やるのは別にオレの問題じゃないけどさ、

自分の気持ちから逃げて、後悔すんのはバカらしいと思わない?」


その言葉に、ヒナの胸が小さく震えた。

リオンの言葉に、押し殺していた感情が突き動かされるような感じがした。


「……ボク、ご主人に、ちゃんと伝えてもいいんでしょうか……。」

ヒナは小さく呟く。その声には、ほんの少しの希望が滲んでいた。


リオンはヒナの顔を覗き込むと、くすっと笑う。

「好きにしなよ。でもさ、どうせ言うなら覚悟決めたら?

泣き言言いながらじゃ何言ってもエリンは心配にしかならないと思うけどね。」


ヒナはその言葉に、はっと息を呑む。

リオンの言葉はいつも辛辣で、時には痛みを伴う。

それでも、ヒナはその言葉が自分を奮い立たせる力になるのを感じた。


「……リオンさん、ありがとうございます。」


「…まー、あとは勝手に頑張って。」

リオンは軽く手を振り、飄々とした態度を崩さない。

それでも、その赤い瞳には確かな思いやりが込められているように見えた



第119話: 「選ぶべき道」


ヒナはリオンとの会話の後、自室でじっと考え込んでいた。

(ボクの気持ち……ご主人に伝えてもいいのかな……。)


けれど、ヒナの胸に浮かぶのは、ご主人の優しい笑顔。そしてその優しさが壊れる恐怖だった。

自分の気持ちを伝えたことで、ご主人との関係が変わってしまうかもしれない…。

しかし拒絶されることよりも、エリンが心を悩ませることがヒナにとって何より不安だった。


そんな葛藤に悩みつつ、ふとミアのペンダントに手を伸ばす。

手のひらに感じる冷たさが、ヒナの意識を現実へと引き戻した。


(今は……ミアさんを助けることが一番大切なんだ……、それまでは……。)

そう胸の中で呟くと、ヒナは握りしめたペンダントをそっと見つめた。


その時、部屋の扉が静かにノックされた。


「ヒナ、まだ起きてるかい?」

エリンの優しい声に、ヒナは慌ててペンダントをベッドの横に置き、声を返す。

「あ、はい!起きてます…!」


扉が静かに開き、エリンが部屋に入ってきた。

その表情は穏やかだが、どこか思案しているようだった


「少し話せるかな?」

「もちろんです!」

エリンが椅子を引き寄せて腰を下ろし、ヒナに静かな視線を向けた。


「今日のリオンとのやり取り、気になってね。」

エリンの言葉にヒナは一瞬固まる。

リオンとのやり取りが頭に浮かび、再び胸がざわめいた。


「リオンは君のことを心配しているんだと思うよ。

少し強引なところがあるけれど、君のためを思ってのことだ。」

エリンの言葉に、ヒナの胸が少しだけ温かくなる。


「それに、僕も君の気持ちは大切にしたいと思っているよ。」

「……ご主人……。」


ヒナは視線を伏せる。その優しい言葉に、嬉しさと同時に切なさが込み上げた。


「ヒナ、何か悩んでいることがあれば、遠慮せずに僕に言ってほしい。

僕は君の家族として出来る事ならヒナを支えたいと思ってる。」


エリンの優しい言葉に、ヒナの心が揺れる。


(家族として……。でもボクはそれ以上の気持ちを抱いているのに……。)


その思いを飲み込むように、ヒナは俯いたまま小さく答えた。

「……ありがとうございます、ご主人。」


エリンは優しく微笑みながらヒナの頭に手を置いた。


「もちろん言いたくないことを無理に話す必要はない。

リオンの方が言いやすいこともあるかもしれないしね。

君が何を選んでも僕は君を支えたいと思ってる。僕がそうしたいから、だけどね」


その言葉に、ヒナの胸に小さな決意が生まれる。

(ご主人……。ボクは……ボクの役目を果たしてから……。)


「ボク……今は…ご主人に恩返しがしたいんです!だから、もっと頑張ります」

ヒナのその言葉に、エリンは微笑んで頷いた。

「ヒナがそう思ってくれるのは嬉しいよ。でも無理はしないでね。」


その言葉に、ヒナは小さく頷いた。

そして、胸に抱いた思いを隠したまま、自分の使命を果たす決意を固めた。


小説120:求めすぎた温もり


エリンはヒナの体を優しく抱き寄せ、その震えを感じながら耳元で静かに囁いた。


「ヒナ、今日は少し疲れているんじゃない?無理はしなくていいんだよ。」


ヒナは一瞬だけ躊躇するように顔を伏せたが、深呼吸をして覚悟を決めたようにエリンを見上げた。

いつもはどこか控えめだった瞳が、今夜はほんの少しだけ違う光を帯びていた。


「……ご主人様……今日は……その……ボクからも……もっと……触れたいんです……。」


その言葉に、エリンは微かに眉を動かし、一瞬言葉を失った。

ヒナのいつもとは異なる積極的な態度に、胸の奥に小さな違和感が芽生える。


(ヒナ……君がこんな風に求めるなんて……。)


しかし、エリンはすぐにその表情を隠し、いつもの優しい笑みを浮かべた。


「……わかった。でも、無理はしないでね。」


その言葉に、ヒナは安心したように頷き、エリンの肩に頭を寄せた。

その仕草には、普段以上に親密な想いが込められているように感じられる。

ヒナはエリンの身体に手を触れながら、そっと指を滑らせていく。

その指先がエリンの肌に触れるたびに、ヒナの手の微かな震えと熱が伝わる。


「ご主人様……その……ボク……今日は、ご主人様にも……お返しがしたくて……。」


小さな声で呟きながら、ヒナはさらにエリンに顔を寄せた。

その視線は真剣で、どこか緊張しているようにも見える。


「……お返し?」


エリンが問い返すと、ヒナは恥ずかしそうに頬を染めながら、小さく頷いた。


「いつも……ご主人様に、舐めてもらっているので……ボクも……同じことをしてみたいんです……。」


その言葉に、エリンの目が驚きに見開かれる。

ヒナの顔には不安と決意が混じり合った表情が浮かんでいる。


「……ヒナ…本当に大丈夫?無理はよくないよ」


「……はいっ!無理してなんてないです、いつもご主人様がしてくれるから……ボクも…同じように…。…ご主人様を…」


ヒナの声が震えながらも真っ直ぐにエリンの胸に届く。

その姿を見たエリンは、迷いながらも小さくため息を吐き、どこか諦めるように静かに頷いた。

「……そんなこと、無理にする事はないんだよ。…ヒナがそうしたいならいいけど…」


その言葉に、ヒナは少しだけ顔を綻ばせ、嬉しそうに小さく微笑んだ。

そして、慎重な手つきでエリンに触れ、少しずつ距離を縮めていく。


ヒナはエリンの体に触れるたびに顔を赤くしながらも、どこか必死な様子でその行動を続けた。

エリンはそんなヒナのぎこちなさに気づきながらも、そっと見守るように手を伸ばし、

ヒナの髪を優しく撫でた。


「ヒナ、そんなに無理をしなくていいんだ、君の気持ちはちゃんと伝わっているから。」


しかし、ヒナは首を振り、目を閉じながら小さな声で言葉を絞り出した。


「ご主人様……ボクは……ただ……ご主人様に少しでも近づきたいんです……。」


その言葉に、エリンの胸が僅かにざわめく。

ヒナの言葉の奥に秘められた強い想いが、どこか胸の奥を静かに突き刺していた。


ヒナの手がエリンの肌を滑るたびに、彼の中で言葉にできない感情が少しずつ膨らんでいく。

それがどんな感情なのか、エリン自身もまだはっきりとは掴めていなかった。


─────────────


魔力の譲渡を終えた後、ヒナはエリンの胸元に顔を埋め、安堵のため息をついた。

その表情は満たされた幸福感に包まれているようだったが、

どこかまだ物足りなさを残しているようにも見える。


「……ご主人様、今日は……本当にありがとうございました……。」


エリンは静かにヒナの頭を撫で、優しい声で答えた。

「君が満足してくれたなら、それで十分だよ。だけど本当に無理はしないでね」


しばらくして、ヒナがそのまま穏やかな寝息を立て始めたのを確認すると、エリンはそっと毛布を引き上げ、彼の体を包み込んだ。そして、自分もその隣に横たわりながら、窓の外に視線を向けた。


月明かりが柔らかく差し込む部屋の中で、エリンの瞳には静かな迷いが浮かんでいた。


(……僕は家族として、正しくヒナの事を守っていくことができるのだろうか…

…もうこんなに踏み外しているのに…)


エリンの胸の内で静かに渦巻くその感情は、月明かりの中で深まっていくばかりだった。



小説121話: 「重なる気持ち、すれ違う心」


夜が更け、屋敷の中は静寂に包まれていた。

カーテンの隙間から月明かりが差し込み、優しい光がヒナの部屋を照らしている。


ベッドの上で横たわるヒナは、一度起きてから眠りにつくことができず、仰向けに天井を見つめていた。胸の中に広がる温かさと、それに伴う切なさが、彼を眠らせてくれなかったのだ。


(今日のご主人様との時間……ボク、本当に幸せだった……)


触れ合った手の感触、寄り添った温もり。

エリンの優しさが胸に刻まれるたびに、ヒナは満たされていくのを感じていた。

しかし、その一方で、満たされるほどに募る切ない想いもまた、自分の中で膨れ上がっていた。


(でも……ボクは……)


ヒナは自分の心を押さえ込むように胸元で手をぎゅっと握りしめる。 


────────────────


一方で、隣室にいるエリンもまた、同じように月明かりの中で瞑目しながら静かに思い悩んでいた。

彼の耳に、さっきまでのヒナの声や仕草が鮮明に蘇る。


(今日のヒナ……少し積極的だったな。いつもよりも、何か……特別な想いが込められていた気がする……)


エリンはふと、ヒナの顔を思い浮かべた。

その頬を赤らめ、どこか期待するような瞳で自分を見つめていた姿が、頭から離れない。


(……もしかして……いや、でも……)


エリンは大きく息を吐き、額に手を当てた。

頭の片隅では、ヒナの行動や言葉に隠された真意を探ろうとしている自分がいた。

しかし、それ以上深く考えることを拒むように、意識的に視線を窓の外へ向ける。


月明かりに照らされた庭をぼんやりと眺めながら、エリンは思う。


(ヒナが僕に抱いている感情が、もし……。

でも、それはきっと僕の思い過ごしだ。

ヒナが自分の役割を全うしようと必死に頑張っていることは、僕が一番分かっているんだから。)


─────────────────────


ヒナの部屋では、小さな溜息がこぼれた。

彼はエリンへの想いを、胸の奥に閉じ込めるために、必死に自分を律しようとしていた。


(……ボクはご主人様の役に立ちたい。ご主人様の力になりたい。

それだけ…。…もっと役に立てるように早く強くならなきゃ。)


彼は目を閉じ、エリンの微笑みを思い浮かべる。

その優しい声が耳元に響いてくるような感覚に、ヒナの胸は温かく満たされた。


しかし、それが「家族としての愛情」だということを思い出すと、胸が苦しくなる。

(ご主人様は、ボクの気持ちに気づいてない。今は気づかないままでいいんだ……。)


ヒナは自分の中の恋心を無理やり押し殺そうとしながら、布団をきつく握りしめた。


────────────────────


翌朝。


リビングでヒナとエリンが顔を合わせる。

いつも通りの朝食の風景だが、ヒナの中では昨夜の余韻がまだ色濃く残っていた。

エリンもまた、ヒナの行動や表情にどこかぎこちなさを感じつつも、言葉には出さない。


「ご主人様……今日も魔法の練習を一緒にしてもらえますか?」


ヒナの声はいつも通りの柔らかさを保っているが、その瞳には一瞬の迷いが映っていた。

その迷いに気づいたエリンは、一拍間を置いて微笑んだ。


「もちろんだよ。ヒナが頑張るなら僕も一緒にいるよ。」


エリンのその言葉に、ヒナの顔がぱっと明るくなる。その笑顔を見たエリンは、胸の奥に小さな違和感を覚えつつも、何も言わずにそのまま微笑み返した。


(どんな形でも…君が幸せなら、それでいいんだ……)


そう心の中で呟きながら、エリンはヒナを見つめていた。


第122話: 理想と現実の間で


ヒナが魔法練習に集中している。

彼の額には汗が滲み、エリンが穏やかな声で「よくやったよ、ヒナ」と優しく微笑む。

ヒナはその言葉に一瞬心を弾ませた。


「ボク、もっと頑張ります!ご主人様の役に立てるように……!」

無邪気な笑顔で言うヒナの姿を見て、エリンもつい微笑む。


「僕もヒナの努力が実れば、やっぱりそれはすごく嬉しい。家族として誇らしいよ。」


その瞬間、ヒナの胸は熱くなる。

だが、続けてエリンの口から出た「家族」という言葉が、彼の心を一気に沈ませた。


「……家族……」

ヒナは小さく呟いた。

微笑んだままの表情は崩れなかったが、その瞳には一瞬、揺れる感情が見え隠れしていた。


エリンは、それに気づいているような気もしたが、あえて深く触れないまま、

「今日はここまでにしようか」と声をかける。


─────────────────────


ヒナは一人、自室でベッドに座っていた。手を膝に置き、少しうつむいている。


「……家族として…か…」


エリンのあの言葉が頭の中で何度も繰り返される。

昨夜の触れ合いの温かさを思い返し、ほんの少し心が和らいだかと思えば、

またその言葉がチクリと胸を刺す。

誇らしいと言われて嬉しい反面、どうしても自分の気持ちが引っ掛かった


(ボクの気持ちは……罪なのかな……)


胸の中で揺れる感情を抑えようとするヒナ。

けれど、どうしても抑えきれないものがこみ上げてきた。


(昨夜のご主人様は、あんなに優しくて…

愛してくれたと思えて幸せだったけど…まるで魔法みたいに、消えちゃった……)


ヒナの胸の中に孤独感が押し寄せる。

誰にもこの気持ちを話せないことが、さらにその重さを増していた。


翌日、リオンはエリンを見つけて声をかけた。


「おーい、エリン。またヒナに『家族』って言ったでしょ」

その言葉には どうせそんなことだろう、という推測が含まれていた

エリンは軽く眉を寄せた。

「それがどうしたの?」


リオンは肩をすくめてから、不敵な笑みを浮かべた。

「いや、なんていうかさ……お前の理想の『家族』って、ヒナに押し付けすぎてない?」


「押し付ける?そんなことないよ。ただ……家族として正しくありたいとは思っているけど」


リオンは軽く鼻で笑った。

「そうか?お前のその『家族』ってやつ、ヒナにとっては理想じゃなくて苦痛になってるかもな。」


エリンはリオンの言葉に、不快感を示すように眉を下げ、無言のまま睨むような表情で動きを止めた。その沈黙に、リオンは肩をすくめるだけだった。


────────────────────


その夜、ヒナはひとり廊下を歩いていた。エリンに相談することはできない。

けれど、ずっと胸にたまっているものを誰かに聞いてほしかった。


リオンの部屋の前に立ち止まる。部屋の中から微かな物音が聞こえてくる。

扉に手を伸ばそうとするものの、ためらってしまう。


(リオンさんなら……何か答えをくれるかも……)


そう思いながらも、ヒナは少しだけ俯き、扉をノックする手を引っ込めた。


まだ、勇気が出ない。


扉を見つめながら、ヒナはただ小さく息を吐いた。

その扉は、エリンが「客人として常に出入りするのだから」と新たに用意した部屋の一つだったが、

ヒナにはそこがリオンの居場所であるように思えて、少しだけ心が落ち着いた。


第123話: 傾く天秤


ヒナは部屋に戻り、夜空を見上げていた。

小さな窓から月明かりが差し込み、その光が彼の不安げな表情を照らしている。


(リオンさんに相談すれば……ボクの悩み、少しは楽になるのかな……)


扉をノックする勇気が出ず、リオンの部屋の前から立ち去ったヒナだったが、

心の中ではまだ葛藤が続いていた。


─────────────────────


一方、リオンは部屋でくつろぎながら、ワイングラスを軽く傾けていた。

その表情はどこか余裕を見せているようで、同時に何かを見透かしているようでもある。


「ま、ヒナが来なかったのは正解だったかもな。」

リオンは独り言のように呟きながらグラスを置く。


エリンの表情を思い出し、愉快だと口の端に小さく笑みが漏れる

(あいつが悩むのを見るのも、案外悪くないかもね……)


彼の言葉には軽さがあったが、その瞳の奥には複雑な感情が垣間見えた。


──────────────────────


翌朝。ヒナはエリンの朝食を準備しながら、どこかぎこちない動きを見せていた。

そんな様子にエリンが気づかないはずもない。


「ヒナ、どうかした?いつもより調子が悪いように見えるけど……」


エリンの優しい声に、ヒナは一瞬動きを止めたが、すぐに微笑んで首を振る。

「いえ、大丈夫です。少し考え事をしていただけで……。」


「そうか。無理はしないようにね。」

エリンはヒナの頭を軽く撫でた。その手の温もりに、ヒナの胸は一瞬だけ高鳴る。

しかし、同時に「家族として」の温もりだと自分に言い聞かせる。


(家族……それでいいんだ。それ以上を望んじゃいけない……)


第124話: 明かされる過去


ヒナはリオンの部屋の前で、行ったり来たりしていた。

不安そうな顔とため息。どうしても扉を叩けずにいる。


「何してんの?」


突然後ろから声をかけられ、ヒナは飛び上がるほど驚いた。

振り返ると、そこにはワイングラスを手にしたリオンが立っている。


「……」

ヒナは答えられずに俯いたまま動けない。


「とりあえず、入れば?」

リオンが扉を開けて促すと、ヒナは困った顔のまま、恐る恐る中に入った。


─────────────────────


リオンの部屋は、エリンが長期の滞在を考えて用意したものだが、

もともとは使われていなかった空き部屋だ。

エリンの性格が窺えるような整った家具が揃っているものの、

黒に染まった空間が、どこか不思議な調和を見せていた。


その中でリオンは椅子に腰を下ろし、グラスを揺らしてヒナを見ている。


リオンの目が、ヒナの翼へと向けられる。

端が黒ずみ、灰色に変わり始めている。

それを確認した彼は、一瞬だけ眉を寄せたが、すぐにいつもの飄々とした態度に戻った。


「……何に悩んでる?エリンに家族を押し付けられること?」


その言葉にヒナは驚いたように振り返り、大きな声を上げた。

「…違います!」


震える声で続ける。

「…押し付けとかじゃ、ないですっ…!

…気持ちに応える義務なんて、ないんですから…

恋愛感情を持てない子供に…ご主人みたいな素敵な人が応えてくれるわけありません…!」


リオンは黙って話を聞いていたが、灰色に変わり始めた翼を横目に、少し呆れた声で言う。

「…いつまで『家族ごっこ』付き合わされてんの?」


その一言に、ヒナは顔を伏せると、ボロボロと涙を流し始めた。机に涙が静かに落ちていく音が響く。


リオンは軽く肩をすくめ、赤い酒を一口飲むと静かに口を開いた。

「あいつが家族に対して強いこだわりがあるのは知ってるよ。オレのせいだからね。」


ヒナは涙を拭いもせずに顔を上げた。

「……どういうことですか……?」


リオンはしばらく黙り込んでいたが、手元のグラスをいじりながらゆっくり話し始めた。

「……まだオレらが幼かった時の話だけどさ。エリンが奴隷として捕まってた時、

オレがあいつを部屋に持ち帰って魔力の譲渡したって話はしただろ?」


ヒナは黙って頷く。リオンは一度グラスを置き、指先で机を軽く叩いた。


「…あの時、色々あってさ。

オレは噛み殺した天使の血液の過剰摂取で正気を失ったんだ。

悪魔の本能に従って、自分の父親を殺した。」


その言葉にヒナは目を見開き、体を強ばらせたまま涙を流し続けた。


「父親を殺して、身体に天使の血液で魔力が溢れてるまま、本能のままに暴れた。

周りにいた悪魔もまとめて殺した。こんな奴らいても役に立たないって思ってね。

奪ってやるって、悪魔の本能に従ってさ。」


淡々と語るリオンの声が部屋に響く。ヒナはそれを黙って聞いていた。


「その時、エリンがオレを探してたみたいで そこに現れた。

顔が強張って固まったエリンを見て血を奪おうとして…オレは正気を失ったまま、迷わず噛み付いた。


……けど、どこで手に入れたのか、ミアの涙を体に塗ってたんだよね。

城内をうろつく為の魔除けかなんかのつもりだったんだろうけど、

それでオレは怯んで……噛み殺さずに済んだ。」


赤い酒を飲み干し、空になったグラスを机に置くとリオンは続けた。

「その後、母親…、エリンの母親が『聖域』を使ったんだ。

それでオレは弾かれて、魔力を吸い取られた。」


「……それで、母親は?」


ヒナのかすれた声に、リオンは小さく苦笑した。

「聖域を張ったせいで、元々の体力も限界だったんだろうな。その場で倒れたよ。」


「……『最期に2人に会えてよかった、リオン、頼ってばかりでごめんね…どうか、ミアのこともお願いね…愛しているわ、家族のこと、みんな…」って言い残して亡くなった。

エリンは泣きじゃくってさ……。

オレのことを責めもせず、感謝してるなんて言ってたけどな。」


リオンは肩をすくめた。

「どうだろうな。責める気力もなかっただけかもしれない。

……けど、それからあいつはずっと『家族を守りたい』って呪縛に縛られてる。」


ヒナは机に伏せるようにして泣いていた。リオンはその姿を見ながら、低い声で静かに呟いた。


「だから、ヒナが悪いわけじゃない。

オレが作り出した、あいつの歪んだ『家族愛』を押し付けられてるだけなんだ」


第125話:「天使のアリア」


リオンは酒を飲む手を止め、じっと目の前の光景を見つめていた。静かに泣くヒナ。


その肩に寄り添う白い羽根が、ほんのりと濁りを帯びている。

薄く黒ずむその端を見て、リオンは無意識に舌打ちした。


──まだ平気だ。間に合う。


心の中でそう繰り返しながら、グラスを傾ける。

視線はヒナから離れない。

涙を流し続ける彼の姿が、過去の天使の影と重なる

その瞬間、リオンの記憶の奥底から、殺した天使の声が蘇った


「リオンくん、おねがい……」

あの明るい声。リオンを呼ぶ彼女の瞳はいつも優しく、どこか儚げだった。


「愛を与え合うこと、それを知ってほしいんだ……。

そうじゃなきゃ、きっと君のお父さんと同じ道を辿ることになるよ……」


目の前で泣きじゃくる天使──アリアの姿が思い出される。

彼女の囁いた言葉が耳に残るたび、リオンは心の奥で鋭い痛みを感じた。


「奪い合いに縛られて、誰かを支配して……悪魔としての本能は満たされるけど……

…君の良心がきっと君を苦しめるよ」


アリアは微笑んでいたが、その瞳の奥には隠しきれない恐れがあった。


「天使は愛を失えば力を失うの……」

彼女の声が震える。

「そして……心から願う信念が折れれば堕天する。悪魔に堕ちるんだよ……」


──────────


その瞬間、アリアの絶望的な姿が脳裏に浮かんだ。黒く染まり切った彼女の羽根、泣きながら赦しを乞う言葉。そして、自分を救おうと手を伸ばしてきた、その最後の姿が。

アリアの水色だった瞳が紫色に変わり、徐々に赤く染まっていく─…


リオンはグラスを握り締めた手に力を込める。記憶の中の彼女は、自分に向かって最後の願いを口にしていた。


「お願い……たすけて……君の力で……君なりの『愛』で……」


リオンはその言葉を聞いたとき、自分がどう答えたのかを思い出したくなかった。

だが、その後に彼女を救えなかった事実は今でも彼の心に棘のように刺さっている。


──────────────────────


目の前のヒナの羽根は、確かに濁りを帯びている。だが、アリアのように深く染まるにはまだ遠い。

それでも、進行は止まらないのだろう


リオンは深く息を吐き、ちらりとヒナを見る。

目の端で涙を隠そうともしないヒナの小さな体が震えていた。

その姿が、リオンの中の何かを静かに揺さぶる。


リオンは立ち上がり、そっとヒナに近づく。

そして、何も言わず、ぽんと頭に手を置いた。


「ヒナ、お前……」

言葉が喉の奥で止まる。彼の視線は、泣きじゃくるヒナの羽根に固定されたままだった。


愛なんて知らないはずの自分が、こんな形でまた同じものを背負おうとしている。

それでも──何かを守りたいという衝動だけは、自分の中で確かに存在していた


「……何も心配すんなよ」

リオンの声はいつも通り軽い調子だったが、その言葉には不思議と温かみがあった。


ヒナが顔を上げたとき、リオンはいつも通りの飄々とした表情を浮かべていた。

それでも、どこか遠くを見つめるその瞳は、あの日のアリアを確かに思い出していた。


(今度は……同じことを繰り返さない…)


リオンは心の中で小さく呟く。ヒナの羽根はまだ白い部分が多い。間に合うかもしれない。今度こそ……。


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