146話: 「ヒナという存在」
夜の帳が降りた屋敷の中、ヒナはリオンの部屋の前で足を止めた。
扉を叩くのをためらいながら、何度か深呼吸をする。
──何を聞かれても、ちゃんと答えよう。
ボクは、自分のことを知りたいんだから。
意を決して、コツコツと控えめにノックをする。
「どうしたの? さっきの続き?」
返ってきた声は、予想通りの軽い調子だった。
扉を開くと、リオンはソファに腰を下ろし、グラスを片手にくつろいでいた。
琥珀色の液体が揺れるそれは、アルコールだろう。
ヒナはリオンのからかうような言葉に、すぐさま首を横に振る。
「違…います、ずっと気になってたことがあって…」
リオンは肩をすくめ、グラスを軽く回しながら続きを促す。ヒナは少し迷いながらも、一歩踏み込んだ。
「天使って……何なんでしょうか……」
グラスの中で氷が音を立てる。
「ボクはリオンさんに天使だって言われるまで、自分の種族について全く自覚もなくて……
天使の情報は本にも残ってないから、リオンさんの話を聞くことでしか情報が得られません……」
ヒナは真剣なまなざしでリオンを見つめた。
「天使の本能って、何でしょうか……?」
リオンはグラスの縁に指を沿わせ、しばし考えるそぶりを見せる。そして、思い出すように呟いた。
「……『性愛』って聞いた気がするな。アリアに。」
ヒナの眉が僅かに動いた。
「性愛……?」
「天使って、天使同士が親にならないと生まれないんだってさ。特定のパートナーがいないと、自分をより強く愛してくれる相手に惹かれやすいらしい。」
リオンはさらりと言いながら、グラスを軽く傾ける。
「アリアはパートナーがいなかったから、
天使の種の存続に協力したって言ってたな」
「種の存続……」
ヒナはポツリと呟く。
天使は、誰かの愛を受け取ることで存在し、次の世代へと命をつなぐ。
それが種族としての本能なのだろうか。
「ヒナは幼い頃の記憶あるの? 親は?」
突然の問いに、ヒナの表情が硬くなる。
「……おいで。」
リオンが顎で合図すると、ヒナは戸惑いながらも近づいた。
「不安そうな顔してる。なんか嫌な思い出でもあんの?」
リオンの何気ない言葉が、胸に突き刺さる。
「……孤児だったんです。」
小さな声で告げると、リオンは視線を逸らさず、続けるよう促した。
「施設で育って……一度は引き取られたんですけど、義両親とボクの判断で施設に戻ることになって……」
ヒナは自分の手を強く握りしめた。
「しばらくして、今のご主人に引き取ってもらうことになって、この屋敷に来たんです。」
「ご主人様は、本当の家族みたいにいつも優しくしてくれて……今ならわかるけど
ボクのためと、ご主人様自身の願いで、本当の家族のように迎えてくれた。」
ヒナの言葉は静かだった。
「でも……不義理ですよね、ボクって。
ご主人様の家族愛を受けて、ボクは恋愛感情を抱いてしまったんですから。」
リオンは何も言わず、グラスの中の氷を軽く揺らした。
「……でも、今のボクには使命があります。」
ヒナはぎゅっと拳を握る。
「二人に与えてもらった魔力で、天使としてミアさんを必ず救います。」
強く、まっすぐな瞳が、リオンを捉えた。
「夢じゃなくて、本当のミアさんと会って、話してみたい。
それがボクの希望で、今の信念です。」
力強い言葉だった。
リオンはグラスをテーブルに置き、ヒナをじっと見つめた。
──揺れ動きながらも、自分の答えを見つけていく。
その姿に、かつての天使の影が重なる。
いつの間にか……いや、もしかしたら最初から、リオンの中に芽生えていたもの。
貴重な種族への純粋な興味。好奇心。
天使としての本能を揺さぶられ、
与えられた出来事に何を思い、どう行動し、成長するのか
天使がどこまで自分で自分を見つけられるか試してみたい
ヒナを通じて、かつて自分が理解できなかったものを知りたい
そして ヒナの水色の瞳に、彼女の姿を見た。
タダじゃ起き上がらない、アリアの芯の強さを。
─ふと、気がついた。
気がついたら、そうだとしか思えなくなった
幼く、羽根がないまま生きてきた少年。
天使の生き残り。
──ヒナは、アリアの───……。
リオンはその思考を振り払うように、ふっと笑う。
ヒナはヒナだ、アリアじゃないし、ミアでもない。
リオンとエリンが過去を思い出し、誰かの面影を重ねたとしても、それは目の前のヒナを見れば すぐにその姿を消す。
「……いいね、そういうとこ好きだよ。」
「えっ……」
ヒナが驚いた顔をする。
「お前がもしまた堕天しそうになったり、魔族に襲われそうになったら──」
「オレと、エリンで必ず護るよ。
絶対に、他のやつに奪わせない。」
リオンの声には、いつになく真剣な響きがあった。
リオンは目を細め、微笑を浮かべる。
「オレは、自分のモノが誰かに奪われるのは絶対に許さない……悪魔だからね。」
リオンらしいその言葉に、ヒナは胸が温かくなるのを感じた。
そして──同時に思った。
ボクも、強くなりたい。
二人と、対等な関係になりたい。
「……ありがとうございます。」
ヒナはまっすぐにリオンを見つめ、心からの感謝を告げた。
リオンはヒナのその姿に満足そうに微笑んだ。




