第1話 侯爵家、雨漏りしています
第1話 侯爵家、雨漏りしています
結婚式を終えた翌日の午後、新興貴族ベルモンド家から由緒あるローゼンベルク侯爵家へ嫁いできたヴァレンティナは、ゆっくりと森の中を進む馬車の窓から、これから自分が暮らすことになる土地を眺めていた。
王都内ではあるものの、中心を離れてしばらくすると、石造りの建物が並ぶ街並みはとうに姿を消し、窓の外には深い緑が広がっている。道の両側には古い樫の木が立ち並び、その隙間から午後の光が細長く差し込んでいた。
やがて森が途切れ、視界が大きく開ける。
「まあ。立派じゃない」
ヴァレンティナは思わず窓へ身を寄せた。
森を抜けた先の小高い場所に、灰白色の石で造られた巨大な邸宅が建っている。
三階建ての本館を中心として、その左右から翼を広げるように東棟と西棟が伸び、正面には噴水を中心とした広大な庭園まで造られていた。年月を経た石壁には新築にはない重厚さがあり、遠目からでも、この家が昨日今日に財を築いた家ではないことが分かる。
さすがは、建国以前から続くと言われるローゼンベルク侯爵家である。
ヴァレンティナの実家も十分に大きいが、ベルモンド家の屋敷には商人らしい新しさがあった。明るい壁紙、大きな窓、流行の家具、父が気に入ったという理由だけで外国から取り寄せられた絨毯まである。
対して目の前の屋敷には、建物そのものが家の歴史を語っているような威厳があった。
「お気に召したなら何よりだ」
向かい側に座る夫、アルベルト・ローゼンベルク侯爵が静かに答えた。
二十九歳になる彼は、艶のある黒髪を後ろへ整え、灰色の瞳にはどこか近寄りがたい落ち着きがある。背が高く姿勢もよいため、ただ馬車に座っているだけでも妙に隙がなく、昨日の結婚式でも笑ったところをほとんど見なかった。
華やかなものを好み、思ったことがすぐ顔と口に出るヴァレンティナとは、何から何まで対照的な男だった。
今日のヴァレンティナは、鮮やかな赤紫色のドレスに大ぶりの真珠の耳飾りを合わせている。豊かな金髪は幾重にも巻いて背中へ流し、唇には赤い紅を引いていた。
これでも本人としては、長時間馬車に乗るのだから相当に控えたつもりである。
「庭もずいぶん広いのね」
ヴァレンティナは、屋敷の前へ広がる庭園を見渡した。
左右対称に造られた花壇や、低く刈り込まれた植木からは、かつて相当な手間をかけて整えられていたことが分かる。
ただし、馬車が近づくにつれて、少し様子が違うことにも気づいた。
遠目には美しかった生垣から枝がところどころ飛び出し、庭園の端へ行くほど雑草が増えている。正面からは見えにくい場所など、ほとんど小さな草原だった。
「ああ。祖父の代までは庭師を六人置いていた」
「六人も?」
「この広さだからな」
「今は?」
「一人だ」
ヴァレンティナはもう一度庭を見た。
「……一人で六人分を?」
「いや。管理できない部分は自然に返した」
「それ、荒れてるって言わない?」
アルベルトは答えず、静かに窓の外へ視線を移した。
どうやら聞こえなかったらしい。
都合の悪いときだけ耳まで貴族になる男である。
やがて馬車が正面玄関の前へ止まると、すでに使用人たちが出迎えのため一列に並んでいた。
人数は、屋敷の大きさからヴァレンティナが想像していたより少ない。
その先頭には、痩身の女性が立っていた。
三十代半ばほどだろうか。濃い茶色の髪を一分の隙もなくまとめ、古典的な黒いドレスに白い襟を合わせている。切れ長の目元はやや厳しく、背筋は定規でも入っているかのように伸びていた。
アルベルトが先に馬車を降りると、女性は深く一礼する。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「ああ。留守を任せたな、エレノア」
「もったいなきお言葉でございます」
エレノアと呼ばれた女性の表情が、そのときだけほんのわずかに柔らかくなった。
長く仕えている人間なのだろう、とヴァレンティナは思った。
しかし、アルベルトに続いて自分が馬車から降りた途端、その柔らかさは跡形もなく消えた。
「奥様。お初にお目にかかります。メイド長を務めております、エレノア・グレイと申します」
「ヴァレンティナよ。これからよろしくね」
「……はい。よろしくお願い申し上げます」
丁寧ではある。
礼儀にも何一つ問題はない。
それでも顔を上げたエレノアの視線が、ヴァレンティナの巻かれた金髪から鮮やかなドレスへ移り、最後に大粒の真珠の耳飾りへ一瞬だけ落ちたのを、本人は見逃さなかった。
なるほど、とヴァレンティナは笑顔のまま納得した。
どうやら、あまり好かれてはいないらしい。
もっとも、新興貴族の娘が金の力で名門侯爵家へ嫁いできたのだから、古くからこの家に仕える人間が面白く思わなくても不思議ではない。
初対面の人間全員から好かれようと努力するほど、ヴァレンティナは暇でも繊細でもなかった。
「こちらが執事長のセドリックだ」
アルベルトに紹介され、一人の男性が前へ出た。
エレノアより少し年上に見える。三十代後半ほどで、焦げ茶色の長い髪を首の後ろで低く束ね、華美ではないが仕立てのよい執事服を着ている。穏やかな目元と物腰の柔らかさは、いかにも人と人の間を取り持つ仕事に向いていそうだった。
「セドリック・ハワードでございます。奥様のお越しを、心よりお待ち申し上げておりました」
「よろしく、セドリック」
「何かございましたら、何なりとお申し付けください」
「ありがとう。頼りにするわ」
セドリックは柔らかく微笑んで一礼した。
エレノアとはずいぶん雰囲気が違う。
そんなことを考えながら、ヴァレンティナはアルベルトに続いて屋敷の中へ入った。
そして、玄関ホールへ三歩ほど進んだところで気づいた。
――あら?
外から見れば壮麗だった。
中も、一見すれば十分に壮麗である。
磨かれた大理石が広がる玄関ホールには二階へ続く大階段があり、壁には歴代当主らしい男たちの肖像画がずらりと並んでいる。天井から吊るされた巨大なシャンデリアや、長い廊下の奥まで続く装飾を見れば、これが王国でも指折りの名門侯爵家だと言われても疑う者はいないだろう。
けれど、ヴァレンティナは商人の家で育った。
父に連れられて倉庫や店へ出入りすることも多く、母からは家計や屋敷の管理まで教え込まれている。
華やかな全体を見るより先に、細かいところへ目が行く癖があった。
玄関に敷かれた上等な絨毯は、中央こそまだ美しいものの、人が頻繁に歩く端の部分が薄く擦り切れている。
壁紙には、遠目では分からないほど薄い染みがいくつか残っていた。
頭上のシャンデリアには十二本の蝋燭を立てられるようになっているのに、火が灯っているのは八本だけだった。
大きな花瓶には季節の花が豪華に生けられているが、珍しい品種ではない。先ほど庭で見かけた花と同じなので、おそらく庭から摘んできたものだろう。
そして廊下の壁際には、いかにも古そうな長椅子が置かれていた。
彫刻の施された立派な品だが、よく見ると脚の一本がわずかに短い。
使用人たちが荷物へ気を取られている隙に、ヴァレンティナは爪先でそっと長椅子を押した。
カタン、と小さく揺れる。
やはり短い。
「ヴァレンティナ?」
前を歩いていたアルベルトが振り返った。
「なんでもないわ」
ヴァレンティナは何事もなかったように微笑み、再び歩き出した。
なるほど。
これは、思っていたより面白そうだ。
もちろん、ローゼンベルク侯爵家が財政難に陥っていること自体は知っていた。
知らなければ、そもそもこの結婚は成立していない。
ヴァレンティナの父、オスカー・ベルモンドは貿易と織物で莫大な財を築き、十二年前に爵位を買った。
金はある。
しかし歴史がない。
一方のローゼンベルク侯爵家には、王国が建国される以前から続く家柄と、王侯貴族の間で通用する名前がある。
ただし、金がない。
だからベルモンド家は娘を名門侯爵家へ嫁がせ、ローゼンベルク家は結婚に際してベルモンド家から多額の支度金を受け取る。
身も蓋もない言い方をすれば、ベルモンド家は格式を、ローゼンベルク家は金を必要としていた。
実に分かりやすい結婚である。
父は大いに喜んだ。
アルベルトも家の事情を考えて受け入れた。
そしてヴァレンティナ自身にも、特に異存はなかった。
恋愛結婚ではないが、貴族の家になった以上、結婚に家同士の事情が絡むことくらい理解している。
それにアルベルトは二十九歳と若く、顔も悪くないどころか相当に整っている。
七十歳の伯爵に嫁がされるより百倍ましである。
「こちらがお二人の寝室でございます」
二階へ上がり、長い廊下を進んだ先でエレノアが扉を開けた。
部屋へ入ったヴァレンティナは、今度こそ素直に声を上げた。
「まあ!」
かなり広い。
中央には二人で眠っても十分な大きさの天蓋付き寝台が置かれ、その向かいには石造りの暖炉がある。壁際には化粧台や衣装箪笥が並び、窓辺には二人掛けの長椅子まで置かれていた。
そして何より気に入ったのは、南向きの大きな窓だった。
窓辺へ近づけば、先ほど通ってきた庭園が一望できる。少々荒れてはいるものの、きちんと手を入れれば相当美しい景色になるだろう。
「気に入ったわ」
「それは何よりでございます」
エレノアの返事は相変わらず硬かったが、ヴァレンティナは気にせず部屋を見回した。
寝具も家具も古いものではあるが、丁寧に手入れされている。
ただ、大きな窓を覆う濃い臙脂色のカーテンだけは、部屋全体を少し暗く見せていた。
「カーテンは替えたいわね」
その瞬間、エレノアの眉がわずかに動いた。
「こちらは先代侯爵夫人がお選びになったものでございます」
「素敵な生地よ。でも、この部屋には少し暗いでしょう?」
「最高級のダマスク織でございます。現在、同等のものを新調なさいますと、かなりの金額になるかと」
「だから捨てないわよ」
ヴァレンティナはカーテンの端を手に取り、生地の厚みと傷み具合を確かめた。
「まだ全然使えるもの。ほどいて二階の客間へ持っていけばいいじゃない」
「……ほどく、のでございますか?」
「ええ。この窓にはもう少し薄い色の生地を買って、これは仕立て直して客間へ回すの。あっちの窓なら幅も丈も合うと思うわ」
エレノアが黙った。
なぜかアルベルトまで黙っている。
ヴァレンティナは二人を交互に見た。
「何?」
「いや」
先に口を開いたのはアルベルトだった。
「君なら、気に入らないものはすべて新調したいと言うかと思っていた」
「どうして?」
「……いや」
アルベルトの視線が、ヴァレンティナのドレスへ向かう。
そこでようやく理由に気づいた。
ヴァレンティナは自分の格好を見下ろした。
鮮やかな赤紫色の生地に金糸の刺繍が入り、胸元と袖にはたっぷりとレースが使われている。確かに見た目だけなら、かなり金のかかっていそうなドレスである。
「ああ、これ?」
「いや、別にドレスの話では」
「三リルよ」
「何が?」
「このドレス」
アルベルトが一瞬、聞き間違えたような顔をした。
「……三リル?」
「そう。先月号の商品だから値下げされてたの。『ベル・モード通信』の通販よ」
部屋に妙な沈黙が落ちた。
エレノアまで、先ほどとは違う意味でヴァレンティナのドレスを見ている。
ヴァレンティナにとっては、特に驚かれるような話ではない。
気に入った服を安く買えたのだから、むしろいい買い物をしたと思っている。
「その耳飾りは?」
アルベルトが訊いた。
「これ?」
ヴァレンティナは耳元に揺れる大粒の真珠を指先で軽く弾いた。
「偽物よ」
「…………」
「本物を馬車移動で着けるわけないでしょう。途中で落としたらどうするのよ」
「君は……」
「何?」
アルベルトは何か言いかけたものの、結局口を閉じた。
「いや。何でもない」
ヴァレンティナには、その反応の意味がよく分からなかった。
派手な服が好きなのと、高い金を払うのが好きなのは別の話である。
安くても気に入れば着るし、必要なら高いものでも買う。
ただ、同じ役目を果たすものに理由もなく余計な金を払う趣味はなかった。
◇
その夜、夫婦として迎える最初の晩餐は、ヴァレンティナが想像していたよりずっと質素だった。
長い食卓に並んだのは、季節の野菜を使った温かなスープに、川魚の香草焼き、鶏肉料理、焼きたてのパンといった品々である。
品数そのものは少なくないが、珍しい食材や遠方から取り寄せた高級品は見当たらない。
侯爵家の食卓として考えれば、かなり簡素な部類だろう。
しかしヴァレンティナは、むしろ少し安心した。
財政難だと聞いているのに、初日から孔雀の丸焼きでも出されたら、この家の未来を本気で心配するところだった。
料理そのものは丁寧に作られており、特に川魚は香草の香りがよく、火の通し方も申し分ない。
問題があるとすれば、料理ではなかった。
「このワイン、美味しいわね」
ヴァレンティナは深い赤色のワインを一口飲んだ。
普段から酒に詳しいわけではないが、香りが豊かで、安いものとは違うことくらいは分かる。
「そうだろう。北部のシャトー・ド・ヴァリエールで造られたものだ。王室にも納められている」
「へえ」
王室にも、と聞いたところで、ヴァレンティナの中に商人の娘としての嫌な予感が生まれた。
「これ、高い?」
「一本十二リルほどだ」
危うく口に含んでいたワインを噴き出すところだった。
十二リル。
今日着ているドレスなら四着買える。
「……毎日これ?」
「夕食にはな」
「…………」
「どうした?」
アルベルトは本気で分かっていない顔をしている。
ヴァレンティナはグラスの中の赤い液体を見つめた。
十二リル。
一本。
毎晩。
頭の中で勝手に掛け算が始まりかけたが、どうにか止める。
「なんでもないわ」
今日は初日である。
嫁いできた初日の晩餐で、いきなり夫のワイン代を問い詰める女にはなりたくない。
正確には、今日から自分の家計でもあるので他人事ではないのだが、それでもまだ初日なのだ。
ヴァレンティナは自分へそう言い聞かせ、大人しく鶏肉へナイフを入れた。
ただし、十二リルという数字だけは、頭の隅へしっかり残った。
◇
深夜。
ヴァレンティナは、妙な音で目を覚ました。
窓の外では雨が降っているらしく、ガラスを叩く雨音が暗い寝室へ一定の調子で響いている。
けれど、彼女を起こしたのはその音ではなかった。
もっと近いところから、規則的な音が聞こえる。
ぽつ、と何かが落ち、その少しあとに、ぴちゃん、と床を打つ。
「……ん?」
隣を見ると、アルベルトはまだ眠っている。
ヴァレンティナは掛布を退け、寝台からそっと足を下ろした。
もう一度、ぴちゃん、と音がする。
数歩進んだところで、裸足の爪先に冷たいものが触れた。
水だった。
そこでようやく、猛烈に嫌な予感がした。
ヴァレンティナは燭台へ火を灯し、明かりを掲げながら天井を見上げた。
「……嘘でしょ」
白い天井の一角に、大きな染みが広がっていた。
その中心には水滴が膨らみ、しばらく耐えたあと、重みに負けたように落ちてくる。
ぴちゃん。
先ほどから聞こえていた音の正体だった。
「アルベルト」
「……ん」
「アルベルト、起きて」
「どうした」
「雨漏りしてる」
「ああ」
アルベルトは眠そうに目を開け、ヴァレンティナが示す先を見た。
「雨漏りだな」
「雨漏りだな、じゃないわよ!」
ヴァレンティナの声で、今度こそ完全に目が覚めたらしい。
アルベルトが身体を起こした。
「大声を出すな。使用人が来る」
「呼びなさいよ! 雨漏りしてるのよ!」
「桶を持ってこさせればいい」
「桶!?」
「毎年この時期はそうしている」
「毎年!?」
ヴァレンティナは言葉を失った。
雨漏りというものは、発見したら修理するものだと思っていた。
少なくとも実家ではそうだった。
ところがアルベルトの口ぶりでは、季節になれば雨が降るのと同じくらい当然の出来事らしい。
ほどなくして騒ぎを聞きつけたセドリックとエレノアが寝室へやってきた。
しかも、本当に桶を持っている。
エレノアは天井の染みを見るなり、水滴の落下地点を確かめ、慣れた手つきで桶を置いた。
ぽちゃん、と水滴が桶の底へ落ちる。
「これで朝までは問題ございません」
「問題しかないわよ」
ヴァレンティナは信じられないものを見る目でエレノアを見たあと、天井を指差した。
「屋根を直しなさいよ!」
その瞬間、部屋に妙な沈黙が落ちた。
アルベルトも、エレノアも、セドリックも、誰一人としてヴァレンティナと目を合わせない。
その反応を見て、嫌な予感がさらに強くなった。
「……何?」
アルベルトが咳払いした。
「修繕の見積もりは取った」
「だったら直せばいいじゃない」
「今年は予算がない」
「いくら?」
「屋根全体を直すなら、およそ二千リルだ」
ヴァレンティナは一瞬黙った。
確かに安い金額ではない。
だからといって、寝室へ雨が降っている状態を毎年桶で乗り切る理由になるとも思えなかった。
「部分修理は?」
「去年した」
「去年!?」
「一昨年もしております」
セドリックが律儀に付け加えた。
ヴァレンティナはゆっくりと天井を見上げた。
広がった染みから落ちる水。
その真下に置かれた桶。
由緒正しきローゼンベルク侯爵。
完璧な姿勢を崩さないメイド長。
夜中でもきちんと上着を羽織って現れた執事長。
そして、三リルの通販ドレスを着て名門侯爵家へ嫁いできた成金令嬢。
何かがおかしい。
いや、かなりおかしい。
「……ねえ」
ヴァレンティナはゆっくりアルベルトを見た。
「今日のワイン、一本十二リルって言ったわよね」
「ああ」
「年間いくら?」
「何が?」
「ワイン代」
今度はアルベルトが黙った。
セドリックがそっと目を伏せる。
エレノアも何も言わない。
三人の反応を見た瞬間、ヴァレンティナの中で、昼間から感じていた小さな違和感が一本につながった。
六人いた庭師が一人になった庭。
擦り切れた絨毯。
十二本のうち八本しか灯していないシャンデリア。
脚の長さが合わない長椅子。
替えられない古いカーテン。
そして、修理する金がない屋根。
それなのに、夕食には毎晩十二リルのワインを開けている。
「帳簿を見せて」
「今からか?」
「明日の朝!」
ぽちゃん、と桶の中へ水滴が落ちた。
ヴァレンティナは腰へ両手を当て、雨染みの広がった天井を睨みつける。
ローゼンベルク侯爵家が貧乏だとは聞いていた。
援助が必要なことも知っていたし、その事情を承知したうえで嫁いできた。
金が足りないこと自体に文句を言うつもりはない。
けれど。
「屋根に穴が開いてるとは聞いてないわよ!」
由緒正しきローゼンベルク侯爵家。
格式も歴史も、申し分ない。
ただし、その屋根からは雨が降る。
どうやらヴァレンティナが思っていたより、この家の家計はずっと大変らしい。




