【第1話】完璧な妹の陰で、私はひっそりと自由を噛み締める
「アリア、どうか分かってほしい。君を傷つけたいわけじゃないんだ。ただ、その……君も薄々は感じていただろう? 僕たちの間には、どうしても埋められない決定的な溝があるということに」
豪奢なシャンデリアが照らす実家の応接室。
重苦しい沈黙を破って発せられたその言葉に、私は静かに視線を上げた。
目の前に立つのは、私の婚約者であるはずのレオンハルト。彼はまるで自分が悲劇の主人公であるかのように、眉間に皺を寄せ、ひどく苦悩に満ちた表情を作っている。
「次期伯爵夫人として、君が裏方で努力してくれていたことは認めるよ。でも、社交界での華やかさや、周囲をパッと明るくするような愛嬌……そういったものが、君には致命的に欠けているんだ。僕だって必死に庇おうとした。でも、君のその、いつも日陰でじっとしているような態度は、将来当主となる僕の立場まで悪くしてしまう。貴族の義務を果たすには、君よりもっと……もっと、相応しい相手がいるんじゃないかって、ずっと一人で抱え込んで悩んでいたんだよ」
言い訳がましく、ぬらりくらりと責任を回避するような長台詞。
要するに『君は地味でつまらないから、もっと可愛い子に乗り換えたい』と言いたいのだろう。
「お姉様、ごめんなさい……っ! 私、レオン様を奪うつもりなんて、本当に、これっぽっちもなかったの!」
レオンハルトの背中から庇われるようにして顔を出したのは、私の妹・エリーゼだった。
彼女は大きな瞳に大粒の涙を浮かべ、両手で顔を覆いながら震えている。
「でも、レオン様が夜な夜な私の部屋にいらして、お姉様との婚約がどれほど重荷か、泣きながらご相談されて……。私、心身ともにすり減っていくレオン様を、どうしても放っておけなくて……っ。お姉様はいつも書斎に引きこもって本ばかり読んでいて、レオン様のお心を全然わかって差し上げないから……。だから、これはお姉様のためでもあるのよ? お互いに愛し合ってもいないのに結婚するなんて、そんなの、お姉様だって不幸だもの」
夜な夜な妹の部屋に通い詰め、婚約者の愚痴をこぼして同情を誘う男。
そして、それを『姉のため』と涙ながらに正当化する妹。
(……本ばかり読んでいたんじゃないわ。あなたが遊び歩いている間に、領地の魔物対策の結界維持と、滞っていた予算の書類仕事を、私が全部徹夜で片付けていただけなんだけど)
喉まで出かかった正論を、私はそっと呑み込んだ。
ここで反論したところで、彼らの自己陶酔に水を差すだけだ。それに、彼らが私を追い出そうとしてくれているこの状況は、私にとって『最高の好機』でもあった。
「……エリーゼの言う通りだ、アリア」
重々しい声で口を開いたのは、腕を組んで黙っていた父だった。
冷ややかなその眼差しには、実の娘に対する愛情など微塵も感じられない。
「我が家の誇りであるエリーゼの輝かしい未来に、お前のような無能な姉は不要だ。お前が家にいては、レオンハルト殿とエリーゼの結婚の障害になる。よって、お前にはこの家を出ていってもらう。……行き先は、北の辺境領だ。あそこなら、お前のような陰気な娘でも静かに暮らせるだろう」
北の辺境領。
それは、凶悪な魔物が蔓延り、人間がまともに住めるような場所ではないと噂される『死の土地』だった。事実上の死刑宣告である。
「アリア、すまない……。でも、君への手切れ金代わりに、辺境までの馬車は僕が手配したから。君の幸せを、遠くから祈っているよ」
どこまでも自分に酔いしれたレオンハルトの言葉に、私は深く、深く頭を下げた。
顔を伏せた私の唇が、思わず綻んでしまうのを隠すために。
「はい。お父様、レオンハルト様、そしてエリーゼ。今までお世話になりました。どうか、お幸せに」
(ああ……やっと、やっと自由になれる……!)
毎日毎日、魔力を搾り取られる結界維持も、終わりの見えない書類仕事も、妹の引き立て役として蔑まれる日々も、全部終わりだ。
辺境がどれほど過酷だろうと、この息が詰まるような家から出られるなら、なんだっていい。
こうして私は、小さなトランク一つだけを手に、屋敷を追い出された。
自分の身に宿る『規格外の魔法』が、これから辺境の地でどれほどの騒動を巻き起こすかなど、この時の私は知る由もなかったのだ――。




