ヴェイロン③、落日
――ヴェイロンでの諮問会は始まり、運命と選択の神ゲーテの降臨。
スィスティーナさんの使徒への生まれ変わり。
刻々と変化する状況は、遂に落日を迎えることとなった。
「――生まれ変わった気分はどうだ? 我が使徒スィスティーナ。それとも、創造神の使徒の方が良かったか?」
「いいえ、ゲーテ様。彼方様の使徒となったことで、全てを理解しました。この世界の現状、セイジュさんを使わせた意味。全ては御心のままに」
「ふむ。では、我が使徒として最初の責務を全うせよ」
「はい。ふふっ……物を見ると言う行為は初めてですが、セイジュさんは思っていた以上に幼い顔をしていたのですね。それに、クレメンスは想像通りの真面目顔。そして、今だから見える。二人の魂は気高く美しい光を放っているわ。それに比べて、他はなんと醜い」
彼女は俺とクレメンスさんを見比べ、悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
真っ黒い瞳につり上がる口端。
ゲーテの生き写しとも言える慧眼は、続いて裁かれるべき人間を一瞥した。
「……し…使徒スィスティーナ卿!! 我らは大聖堂に帰依する身。より一層信仰の道を共に歩もうではありませんか! そ、そ、そうであろう、皆の衆?」
「その通りです! 今こそあるべき姿に戻り、敬虔な道を……」
「今後は創造神ではなく、運命と選択神様に祈りを……」
暗黒の瞳に射抜かれた聖職者たちは、命乞いとばかりに言葉を並べ始める。
勿論そんな美辞麗句は見透かされ、スィスティーナさんの逆鱗に触れてしまった。
「あらあら? 随分と薄っぺらい信仰心ですね。皆様どうされました? 奴隷と遊ぶのでしょう? 酒に溺れるのでしょう? 少女を弄ぶのでしょう? しかし、夕焼けは直ぐそこまで迫っています。さぁ、静寂を前に祈りを捧げましょう――」
――落日、来る。
大聖堂の鐘が国中に鳴り響き、裁きの夕日は罪人を焼き尽くす。
跪き、手を組んで祈りを捧げるスィスティーナさん。
阿鼻叫喚が木霊する聖堂内で、彼女とクレメンスさんだけが満たされた表情であった。
「見事である。だが、ゆめ忘れるなスィスティーナ。貴様は使徒になったことで最早人に非ず。我の許可なく死ぬこともできず、一度堕落を知ればその短剣が己を焼き尽くす。貴様に残された道は聖道のみ。精進せよ」
「元よりそのつもりでございます」
「そうか、大義なり」
ゲーテは彼女の頬を撫でると、光の中に消えていった。
神の残り香に満たされた大聖堂。
試しに『マップ』検索をしてみると、一壁二壁以外の国民の反応はなかった。
本当に堕落した人間を燃やし尽くしたのだな。
これからの運営は大丈夫なのだろうか?
「セイジュさんにも感謝します。貴方のお蔭でヴェイロンをあるべき姿に戻せました」
「本当に良かったのですか? 国民の殆どはいなくなりましたし、その……国の運営とか……?」
「それなら、問題はありません。使徒が誕生したことは、既に世界中の教会にお告げがあった筈です。少なからずこの国の腐敗に気付いていた方もいましたから、直ぐに人々は集まるでしょう。それまでは、私とクレメンスでできる限りの準備をしておきます」
「成程、僕も手伝いますので何でも言ってくださいね」
「あらあら? セイジュさん知っていますか? 使徒は人使いが荒いですよ?」
「シスターコンクラーヴェ……ゲーテ様はセイジュさんを自分の半身と呼んでました。また神の怒りに触れますよ?」
「それは大丈夫よ、クレメンス? 私はゲーテ様の御心と繋がっていますから、好きなだけセイジュさんを使えと仰ってますの」
「お、お手柔らかにお願いします……」
ここから始まる、ヴェイロン再興への道。
彼女をトップとして素晴らしい国ができあがるだろう。
後に『落日の使徒』や『短剣の聖女』と呼ばれる生ける伝説。
三人で見た朝日が、その一歩となった。
――落日から数週間、俺はまだヴェイロンに滞在している。
スィスティーナさんやクレメンスさんの仕事を手伝いながら、新たに受け入れる住人への準備を行う。
本当に全教会へ使徒誕生のお告げがあったらしく、屋敷に転移する度に事細かく聞かれてしまった。
セレスさんの話だと、王国や帝国は積極的に移民を推奨するらしく、各国の交流は更に盛んになるだろう。
幸いヴェイロンは人が減っただけで、建物は幾らでもある。
無駄な市壁を取り払えば暮らしやすい国になるはずだ。
市壁撤去や各種整備など、俺の魔法があれば直ぐにできる。
今日も程よい疲れを感じながら、大聖堂の客室で休んでいると不意にノック音が響いた。
「セイジュさん、少しよろしいですか?」
「どうぞ、開いています」
「お疲れ様です、セイジュさん。今日もありがとうございます」
「いえいえ、好きでやっていることですから。セレスさんの話だと、後数日もすれば最初の移民がくるそうですよ」
「セレスさん? あぁ、そうでしたね。セレス様はドゥーヴェルニ家の御当主。そして、貴方の妻でしたね」
お礼を言うスィスティーナさんは、ベッドに腰掛ける。見えるようになったはずの瞳は再び閉じられ、当時のままの姿を映し出した。
「目は開けないのですか?」
「ええ。今までずっとこうでしたから、この方が落ち着くのです。それに、私の目は少し特殊でしょ? 真っ黒い目では、今から来る人を驚かせてしまうかもしれません。必要な時だけ開けようと思います」
「そうですか。確かにゲーテと同じ瞳で見つめられたら、僕でも身動きが取れなくなってしまいます」
「でしょう? それは、このようにですか?」
目を開くスィスティーナさん。
暗黒の瞳に燭台の炎が反射し、星空のようにキラキラと輝く。
これがゲーテ本人なら縛り付けられるが、いかんせん彼女だ。
「う~ん。まだまだですね。ゲーテなら心臓を握り潰されそうなくらいになりますから」
「あら、残念。身動きがとれなくなったら、ゲーテ様からの使命を果たしていましたのに……」
「使命ですか?」
「ええ。それは、セイジュさんの御子を身籠ることです」
「ちょっと何言ってるかわかりませんが……」
「誤魔化しは通じませんよ? 以前屋敷の地下礼拝堂で約束したじゃありませんか。神とその最高傑作との子……怪物が出来たら創造神に弓を引くんでしょ?」
「あれはゲーテの冗談だったはず。それに、今のスィスティーナさんではゲーテの足元にも及びませんし、仮に身籠ってしまったら再興が遅れてしまいますよ?」
「あらあら? 痛い所を突かれてしまいました。では、今回は諦めましょう。もっと力を付けて、もっとゲーテ様の信仰を集めて、本物の神の器に成れた時は……ね?」
目を細め、悪辣に笑う。
一瞬だけ重なる神の面影。
どこか道化じみて揶揄いを楽しんでいる様子は、紛うことなくゲーテの使徒であった。
そして、さらに数日後。
大方の準備が終わった頃、最初の移民集団が見えた。
大聖堂が鎮座する奇岩周辺はすっかりと市壁がなくなり、広々とした街並みが広がっている。
これでもう大丈夫だ。
スィスティーナさんクレメンスさんと一緒に大聖堂から眼下を臨み、俺は神聖国ヴェイロンを後にした――




