ヴェイロン①、歪な国
――新年が明けて一発目の書類整理をしている中に、神聖国ヴェイロンの枢機卿スィスティーナさんからの手紙が一通。
そこには、諸所の挨拶とヴェイロンへの招待が書いてあった。
運命と選択の神ゲーテの啓示を胸に、俺は屋敷を出発した。
――神聖国ヴェイロン。
マルドリッド帝国よりも、更に東にある宗教国家。
創造神が一度だけ降臨し建国した、この世界で最も古い国だ。
しかし、そんな尊い国も今となっては汚職が横行し腐敗の一途をたどっているらしい。
マルドリッドに転移し、馬車に乗ってヴェイロンを目指す。
揺られること数十日。
夜は人目を忍んで屋敷に転移しているとは言え、非常に長い道のりだ。
正に極東とも言える国は、遂にその市壁を露わにした。
市壁の検問は厳重だった。
否、厳重過ぎると言っても過言ではない。
身分証明から始まり、冒険者カードの提示。
俺が貴族だと分かれば紋章を照会し、最終的には身に着けた装備を全て預ける徹底ぶり。
『アイテムボックス』を持つ俺には関係ないことだが、通る者全てを丸裸にするようだった。
酷く臭う。
そこは、想像とは全く違った。
田舎を思わせるような田園風景に、同じような服を着る人々。
ある者は畑を耕し、ある者は中央に向かって祈りを捧げている。
一人の青年に話し掛けると、ここが如何に素晴らしいかを説き始め『自分は幸せだ』と病的な笑顔を浮かべた。
どうもこの国は半楕円形ぽい。
中心にある奇岩に向かって幾重にも市壁がそびえ立つ。
第二の市壁を越えれば、職人街が広がっていた。
それにしても、酷く臭う。
外側から運び込まれた食材や木材を加工し、内側に運ぶようだ。
『ここは、やりがいのある素敵な国よ』と、ギラギラした目の女性が特異に口を歪め聞いてもいないことを話し始めた。
何だこの臭いは?
三門、四門と超えれば超える程臭いは酷くなる。
そして、七門目を潜った先に広がったのは聖職者達の街。
腹の出た者達で溢れ返り、煌びやかな法衣を身に包んでいる。
奴隷だろうか? 首輪の繋がれた人間を引き回し、いたる所で乱痴気騒ぎ。
理性も、尊厳も、矜持さえない見受けられないこの場所で、誰しもの歪んだ笑顔だけが目についた。
八門目の市壁を通り過ぎれば、そびえ立つ奇岩を囲む焚き火の群れ。
臭いの正体はコレか。
火番は常に素材を投げ込み、外側にその煙を提供する。
成分を『鑑定』してみると、酩酊や多幸感を刺激する依存性物質であった。
薬物と、それに汚染され切った人間を燃やし続ける永久機関。
信仰と依存のディストピア。
その中心、奇岩を望む目の前で一人の少女が真剣な面持ちで俺を待っていた。
「――愚者達の楽園へようこそ、セイジュさん」
「スィスティーナさん……」
「あらあら、随分と心の風が乱れていらっしゃる。無理もありませんね、こんな物を見せられては。とりあえず、上に行きますか?」
彼女に連れられ、紋章が刻まれた石に乗る。
石は俺達が乗ると浮かび上がり、数百メートル上の奇岩頂上を目指して上昇。
着いた先には、目を見張る大聖堂が鎮座していた。
乳白色の壁に、人知を超えた建設技術。
尖塔が幾つも立ち並び、その一本一本の頂上には属神が彫刻され、一際大きい中心の塔に創造神が輝く。
中に入れば大理石の石畳と、両サイドの壁には細長いステンドグラスが敷き詰められていた。
グラス越しの日光は荘厳と静謐な空気を生み出し、誰しもが跪いて祈りを捧げてしまいそうだ。
今まで見てきたどの教会よりも美しく、まさしく神の御業と呼んで相応しい。
だからこそ、下の状況を思えば心が苦しくなってくる。
「セイジュさん、貴方はやはり神の御使いなのですね……」
「はい?」
「ここで創造神の息吹を感じ、下の現状を憂いている。そして、何よりその濃密な神の残り香……つい最近も啓示を受けられましたわね……あら? まさか神界にまで行きましたか? クンクン」
「ちょ、ちょっと!」
彼女は俺の胸元に顔を埋め、腰に腕を回しながら匂いを嗅ぎ始めた。
タブリエ越しに伝わる柔らかい感触。
ゲーテから吹きかけられた煙管の煙が、彼女には神域の香りに取れたようだ。
「あらあら? ここにはもう誰も居ませんから、多少のことは創造神様も見逃してくれるはずですよ?」
「いや、他の枢機卿もいらっしゃるでしょ?」
「居ませんよ。下で見たでしょう? 醜く太った者達を。枢機卿も大司教も、教皇さえもあの中に紛れて、お好きに振る舞っていらっしゃいますよ」
「何たることだ……ここは、もはや地獄だ」
「だから、言ったではありませんか? ここは、愚者達の楽園だと……セイジュさん? ヴェイロンに『夕焼け』は何時訪れるのでしょうか?」
瞑ったままの瞳に見つめられながら、そんなことを呟いた。
夕焼け……アンドラ領で話したことだろう。
今日を浄化し、新しい明日を迎える。
即ち、ヴェイロンの堕落を焼き尽くし本来の姿に戻す。
彼女はソレを願い俺を招待したのだと思う。
そして、実行の鍵となるのがゲーテから預かった短剣。
今この場で渡して良いのか?
「ふふっ……また一つ心が乱れた。でも、今日は大聖堂を案内させてください。お部屋も用意してますから、ゆっくりしてくださいね」
「スィステーナさん……貴女は……」
「セイジュさんは、啓示の通りに行動して頂ければ構いません。さぁ、こちらの大天蓋は素晴らしいですよ」
まるで見えているかのような案内は続く。
「それにしても、どこもピカピカですね? これだけの大聖堂を綺麗に保つには、相当な人員が必要なはず」
「はい、何時も一生懸命に掃除してますからね?」
「え?」
「はい。ですから、何時も欠かさず掃除してますよ。時々、懇意の大司教に手伝ってもらっていますが、基本私が掃除をしています。魔法もありますから、案外上手くいくものですよ?」
「いやいやいやいや、これだけの広さですよ? とても一人では……」
「奉仕をして、祈り、慎ましく暮らす。私は、シスターとして当たり前のことをしているだけですから……」
その後もひとしきり案内されたところで、今日俺が宿泊する部屋に通された。
簡素ながら清潔感の保たれた部屋。
元は司教やシスターが使っていた部屋だろうか?
必要最低限の物しかなく、寧ろそれが俺にとっては好ましかった。
「狭くて申し訳ありません。下にいけばもっと豪華な宿を用意できると思いますが」
「問題ありません。寧ろ、こう言った質素な方が落ち着けますから」
「そう言って頂けると助かります。そうそう? 私の部屋は隣ですから人肌寂しくなったら、何時でもお越しください。鍵は開けておきますからね?」
「笑えないですよ……?」
「あら、残念。っとまぁ、それは置いといて明日は聖堂関係者が集まる諮問会があります。今となっては名ばかりですが、是非セイジュさんもご参加ください」
「分かりました。でも、良いのですか?」
「はい。全員が集まるのは明日しかありませんから。それでは、おやすみなさい」
彼女と別れ、一人ベッドに横たわる。
二人しか居ない大聖堂は水を打ったように静まり返り、取り出したゲーテの短剣は煌々と神気を放っていた――




