年の瀬、とある一日
――ラトゥール王国とマルドリッド帝国の講和から、アンドラ領の浄化作戦。
今年は、王国に取って激動の一年だったのではないだろうか。
それは勿論俺も同じで、エルミアさんに続きセレスさんやマーガレット姉妹を娶る。
ゲルマニアに遠征してリムステラさんと知り合ってドラゴンを倒したり、吸血鬼の始祖を訪ねて気に入られたり何とも濃い一年だ。
今年も残り一ヶ月弱。
年の瀬が迫る中、ふとそんな一年を振り返ってしまった。
これで雪でも降ればより感慨深いものになるのだが、生憎ここは年中暖かい。
充実した生活を満喫しながら、今日と言う一日が過ぎていく。
「――おはようセイジュ坊、珍しい野菜が手に入ったから、帰りに持ってきな。こないだアンタがくれた薬が良く効いてね。そのお礼だよ」
「ありがと、おばちゃん。日が沈む前には寄るね」
朝一冒険者ギルドへ向かう途中で、市場のおばちゃんが声が掛かる。
元々よく野菜を買っていた店なのだが、以前腰を悪くしていたところを偶然助けて以来、何かとサービスしてもらっている仲だ。
「男爵様~、偶には飲みに来てよ? 新人も増えただろ? 先輩冒険者として太っ腹なところ見せないと」
「セイジュ、すまん! また魔獣の肉卸してくれないか? 安くて美味いって下町で人気なんだよ」
「兄ちゃん、また剣術教えて。僕達は兄ちゃんやセレス様みたいな冒険者になるんだ!!」
行きつけのパブのウェイトレスが、肉屋の旦那が、冒険者に憧れる子供達が全員俺を受け入れてくれる。
何と幸せで、満たされた日々だ。
運命と選択の神ゲーテに感謝しつつ、ギルドの扉を開いた。
「おはようございます、セイジュさん」
「おぉ、セイジュか。久しいな?」
「おはようございます。ダルマイヤックさん、カントメルルさん。お二人ともB級A級に昇級おめでとうございます。それに、ご結婚もおめでとうございます。末永い幸せをお祈りしますね!」
「ありがとうございます。セイジュさんもセレスティア様とお変わりありませんか?」
「ふむ、祝いの言葉感謝する。しかし、お前とセレスティア様との婚約は驚いたが、今となっては頷ける。共に王国の為に力を尽くそうぞ」
「あら? ダルマイヤック、成長したわね? 聞いた当初は思いっきり嫉妬してセイジュさんのこと無視してたくせに?」
「ハハッ! ここ二年で色々あったからな。尊敬や憧れだけでは、儘ならんからな。結局、俺にはお前が一番だったのだよ、カントメルル」
「もう…そう言うことはここで言わないでよ……」
「ご馳走様です。幸せそうで何よりです」
「ふん。セイジュ、俺も直ぐA級に上がるぞ? その時は、一緒に依頼をしよう」
「はい、喜んで」
「フッ、約束だぞ」
拳と拳をぶつけ合わせ約束をする。
あの傍若無人だったダルマイヤックが、ここまで成長するとは誰も思っていなかったらしい。
そんな彼らが今ではギルドの代表格で、後輩の面倒見も良いとは驚きだ。
「ルリさん、おはようございます。この依頼お願いします」
「おはよ……セイジュさん……豊穣の森の素材採取だね……受理します……無理しないでね……ところでセイジュさん……教会に来ていた……ヴェイロンのシスターが……アンドラ領の作戦に参加してたって本当……?」
「スィスティーナさんのことですか? えぇ、確かにいましたね。でも、作戦が終わったらいつの間にかいなくなってて、本国に帰ったみたいですよ?」
「そう……? ありがと……にしても……早速名前で呼んでる……流石セイジュさん……私もセイジュさんの屋敷で養ってもらおうかしら……?」
「ルリさん……そう言う冗談は止めましょうよ」
「冗談……? セイジュさん……黒烏族にとって……贈り物は求婚の証だよ……? この髪飾り……私の宝物……」
「えぇ!! 本当ですか!?」
「勿論冗談……では……ご武運を……」
「はぁ~」
「あれ……? 冗談じゃない方が良かった……?」
受付嬢のルリさんは、以前差し上げた髪飾りを撫でながらとんでもないことを言う。
しかしそれは冗談だったようで、意味深なことを呟きながら手を振り俺を見送ってくれた。
そびえ立つ市壁南門を通り抜け郊外へ。
入場を待つ長蛇の列を横目に、森方面に向けて走り出す。
三十分も走れば、目の前には鬱蒼とした森。
他の森とは一線を画す、文字通りの死地。
今まで幾人もの血と肉を啜り、ベテランでも気を抜けば死が待っている。
そんな森の中心が俺の出身地だ、と言っても極一部以外信じないだろう。
中に立ち入ると、今日も豊穣を称えるように貴重な薬草や果実が熟し、そしてそれを求めて獰猛な魔物達が鎬を削っている。
本当に不思議な場所だ。
目的の素材を回収しながら、久しぶりに住処に帰ってみたくなった。
最奥に向かって歩を進め、時折襲い掛かる魔物を間引く。
一年近く駆けずり回った森を懐かしみながら、その中心に着いた。
「全然変わらないな……」
そんなことをポツリと呟いた。
魚や水を取った川の清らかさも、寝っ転がった芝生も、封印した住処の洞窟もあの時のままだ。
住処には……入ってみようとは思わなかった。
だって、今の俺には帰る場所がある。
軽いノスタルジーを打ち払い、外に向けて走り出す。
少しだけ遠回りをして、薬草の群生地を、実りの多い地を、好物豊富な大地を、多くを屠った魔物の巣を、初めて森を出た日と同じルートで進んだ。
「ガルルッ!!」
「お!? 久しぶりじゃん。相変わらず元気そうだな」
駆け抜ける俺の隣を一頭の狼が並走しだした。
かつて激突した狼の王。
深紅の瞳を輝かせ、どこか嬉しそうだ。
「一緒に行くか?」
「グルル……」
「そっか。じゃあ、これはお土産だ。皆で分けてくれよ」
何となく付いて来なさそうな雰囲気を感じたので、『アイテムボックス』に溜まっている生肉を大量に置いていった。
あいつにも家族や、王としての責任があると思うしな。
そう言えば、従魔を持つのも良いかもしれない。
気に入った魔獣が見つかったら、従魔契約の魔法を試してみよう。
――再び王都に戻ってきた。
日は少し陰り、少しづつ夜が近づく。
依頼達成の報告を済まし、素材買取のカウンターに行くと不意に声を掛けられた。
「セイジュ様、お久しぶりです」
「え……? って、貴女は新人教育で一緒になったメルローさん?」
「はい、そうです。買取の素材お預かりしますね」
「でも、何故買取の窓口に?」
「それは、セイジュ様のお蔭ですよ。あの時、私に『鑑定』の才能があるって言ってくれたじゃないですか。あれから直ぐオジサンに相談して、ギルド職員になったんです」
「そうそう。ありがとよ坊主! おめーさんとセレスのお蔭で貴重な『鑑定』持ちが増えたぜ。それも、俺とは違う物が見えるから将来有望だぜ?」
「そうだったのですか。でも、良かったのですか? 冒険者を続けなくて?」
「元々、冒険者に拘りがあったわけではありません。兄弟を養う為に稼げる職を探してただけですから。でも、本当にセイジュ様とセレス様には感謝しています!」
「そうですか。では、これからもよろしくお願いしますね」
「はい!!」
着実に時は流れている。
この世界に転生した俺と言う異物がこちらに刺激を与え、様々な人々の運命を変えていく。
ゲーテに言われた通り、革新を与えられているだろうか?
未だ『ガイドブック』の空白ページは数え切れない。
物思いに耽ながら、屋敷を目指す。
「お帰りなさいませ、セイジュ様!」
屋敷に付くと、使用人達は手を止め挨拶をしてくる。
シンプルながら高品質なメイド服に、刺繍された当家の紋章。
清潔感を纏わせる姿は、仕事に誇りと使命感を持っており自慢の家族だ。
手入れされた中庭は美しく、噴水が夕日にキラキラと輝く。
その一角、見晴らしの良い場所で彼の麗人は待っていた。
艶めくエメラルドグリーンの長髪に、翠色と菫色の瞳。
完成された美と白磁の指先に遊ぶグラス。
そして、その後ろにはガーネットさんとセニエさんが侍っている。
まるで映画のようなワンシーンに、思わず口元が綻んでしまう。
「おう! 坊主、おかえり」
「お帰りなさいませ、セイジュ様~」
「お帰りなのじゃ、坊や。何か良いことでもあったのかのぅ? 口元が歪んでおるぞ?」
「只今戻りました、ユグドラティエさん、ガーネットさんにセニエさん。いえ、夕日に照らされた皆さんが余りにも美しかったので見蕩れてしまいました」
「そうかそうか、では見蕩れついでに付き合うが良いのじゃ。まだ、夕飯には時間があろぅ? ほれ、ガーネットもセニエも座るのじゃ」
強引な彼女に誘われて、夕方のお茶会は突如始まる。
特に代わり映えもしない一日だったが、この変わらない日常こそ大切なのだ。
時は、年の瀬。
新年にはゲーテに特別な祈りを捧げ、新たな冒険に出よう。
そう心に決めて、ティーカップに口を付けた――




