第一話 最高の進路相談(前編)
「お前さ、本当に商店街好きやな」
背中から聞こえた声に、俺は筆を止めた。
振り返ると、美術部顧問の村上先生が、腕を組んでキャンバスを眺めていた。
「もっと派手なん描いたらええのに。ドラゴンとか宇宙とか」
「描けませんよ」
「描こうともせえへんやろ」
「興味ないです」
先生は苦笑いしながら、キャンバスへ近づく。
夕暮れの商店街。
八百屋のおばちゃん。
犬を散歩させる老人。
学校帰りの小学生。
どこにでもある風景だった。
「なあ」
先生が言った。
「このおばちゃん、モデルおるんか?」
「駅前の八百屋さんです」
「こっちは?」
「クリーニング屋のおじさん」
先生はしばらく黙っていた。
「やっぱりな」
「何がですか?」
「お前、風景描いてるようで、人描いてる」
意味が分からなかった。
「人?」
「建物なんか全部脇役や。お前の絵は、人がおるから景色になっとる」
先生はそう言うと、俺の肩を軽く叩いた。
「まあ、褒めてる」
それだけ言って、美術室を出ていった。
俺は一人になってキャンバスを見つめる。
何度見ても、普通の絵だった。
少なくとも、自分ではそう思っていた。
帰り道、校門の前で健太が待っていた。
「遅っ」
「ごめん」
「また絵?」
「うん」
「好きやなあ」
健太は呆れたように笑う。
俺たちは駅までの坂道を歩く。
六月の終わり。
蒸し暑い風が制服にまとわりつく。
駅前の大型ビジョンではニュースが流れていた。
『超高精度進路支援AI、来週より全国の高校で運用開始』
『生徒一人ひとりの能力・適性・価値観を総合分析し、生涯幸福度を最大化する進路を提案します』
通り過ぎるサラリーマンも、高校生も、立ち止まって画面を見上げている。
「来週やな」
健太が言った。
「何が?」
「何がって、お前……ナビやん」
「ああ」
正直、あまり考えないようにしていた。
「うちの姉ちゃん、試験導入で使ってん」
「そうなん?」
「保育士向いてるって出てさ。本人、『子ども苦手やのに』ってめっちゃ文句言うてた」
「へえ」
「でも今、めっちゃ楽しそう」
健太は笑う。
「結局、AIの方が自分より自分のこと知ってるんやな」
その言葉が、妙に頭に残った。
自分より、自分を知っている。
そんなこと、本当にあるんだろうか。
家に帰ると、リビングからテレビの音が聞こえてきた。
『《ナビ》導入により、進路選択後の離職率は大幅な改善が期待されています』
父さんは腕を組みながら、真剣な顔でニュースを見ている。
「ただいま」
「おう」
テレビから目を離さないまま返事が返ってきた。
「来週やな」
またその言葉だった。
「みんな言うなあ」
「そら言うやろ」
父さんはテレビを消す。
「人生が変わる日や」
俺は苦笑いした。
「大げさやって」
「大げさちゃう」
父さんは真面目な顔だった。
「俺らの時代は、自分で決めるしかなかった」
少し間が空く。
「だから、いっぱい失敗した」
父さんは高校を卒業して町工場へ就職した。
景気が悪くなり工場は倒産。
転職を繰り返して、ようやく今の会社に落ち着いた。
「自分が何に向いてるかなんか、自分では分からん」
父さんは静かに言う。
「だから、分かるもんに聞いたらええ」
「AIに?」
「そうや」
そのとき、キッチンから母さんが顔を出した。
「私は反対」
父さんが振り向く。
「また始まった」
「進路を相談するのは賛成。でも、最後までAIの言う通りにする必要はないと思う」
「感情で人生決める方が危ない」
「感情ちゃう。この子の人生や」
父さんは少し声を強くした。
「だからこそや。失敗してほしくない」
母さんは何も言わなかった。
俺も何も言えなかった。
二人とも、俺のことを考えて言ってくれている。
だから余計に苦しかった。
その夜、自分の部屋でスケッチブックを開く。
何を描こうとしていたのか、分からなくなっていた。
白い紙を前に鉛筆を持つ。
でも線は一本も引けない。
机の上では、スマホに《ナビ》の事前案内が表示されていた。
『進路相談まで、あと七日』
画面を閉じても、その文字だけは頭の中から消えなかった。




