Episode 6: The Magnet for Weirdos
このエピソードの登場人物
田所カヨ
健一の妻。ハリウッド界では伝説的な裏方重鎮。データと栄養科学を武器に家庭を完璧に管理する。
エマ
カヨを深く尊敬するハリウッド女優。困っている友人の相談役にカヨに連れてきた。
レイチェル・ジマーマン
ロサンゼルスの弁護士。心優しくて慢性的に疲弊している。最大の欠点は「変で孤独なクライアントにノーと言えない」こと。
田所健一
カヨの夫。ホテルでゆっくりしている。彼だけが、妻の「道草」がどんどん奇妙になっていく状況を冷静に理解している。
次の日の午後。
カヨとエマは、ロサンゼルスダウンタウンの少し古びたオフィスビルに向かって歩いていた。
エマ
「カヨ、本当にありがとう。こんなこと頼んじゃって……」
エマはデザイナーのハンドバッグを胸の近くに抱き寄せながら言った。
カヨ
「問題ありません。」
カヨは一定のペースで静かに歩き続けた。
カヨ
「あなたの友人の状況を詳しく教えてくれますか?」
エマ
「かなり深刻よ。慢性的な燃え尽き症候群で……それに彼女のクライアントが……まあ、独特なの。」
カヨ
「独特?」
エマ
「着いたらわかるわ。言葉で説明しようとすると、ただ悪口を言ってるみたいになっちゃうから。」
三階に上がり、薄暗い廊下を進んで、すりガラスのドアの前で止まった。少し色褪せた文字で「Rachel Zimmerman, Attorney at Law」と書かれている。
エマが軽くノックした。
エマ
「レイチェル? エマよ。」
声
「……どうぞ。」
返事はかすれて疲れ切った声だった。
ドアを開けた瞬間、カヨは部屋全体を一瞬で分析した。机も床も棚も窓辺も——書類の山が至る所に積み上がっていた。文字通り、書類の要塞だった。
机の向こうに、大きめのスーツを着た女性が座っていた。髪は適当にまとめられ、目の下には濃いクマができている。数週間まともに寝ていないように見えた。
エマ
「レイチェル、こちらがカヨよ。」
エマが静かに紹介した。
カヨ
「はじめまして、ジマーマンさん。」
カヨは床に積まれた書類の山を丁寧に避けながら近づき、手を差し出した。レイチェルは力なく手を握り返した。
レイチェル
「遠くから来てもらって……ありがとうございます……」
カヨ
「座ってください。」
カヨは落ち着いて言った。しかし座る場所がない。カヨは無言で客用椅子の上の書類の山を床に移し、スカートを整えて座った。
カヨ
「では、ここで何が起きているのか、具体的に説明してください。」
レイチェルは震える息を吐いた。
レイチェル
「もう無理です……私のクライアントたちが……みんな頭がおかしいんです。もしくは、ロサンゼルス自体がおかしくなってるのかもしれません。」
カヨ
「具体的なデータをください。」
レイチェルは次々とファイルを取り上げ始めた。声は深い疲労に満ちていたが、依頼人たちへの本物の同情も感じられた。
• 政府がUFO誘拐から守ってくれなかったとして政府を訴えたい男性
• 隣人の「スパイ猫」に対して接近禁止命令を出したい孤独な老婦人
• 歯科医が脳に追跡チップを埋め込んだとして700万ドルを要求する若者
カヨの表情は一切変わらなかった。まるで企業の財務諸表を読んでいるかのようだった。
カヨ
「どうしてこれらの案件を全部受けているのですか?」
レイチェル
「私……断れないんです。」
レイチェルは目を伏せ、声が小さくなった。
レイチェル
「彼らは本当に絶望しているんです。あの椅子に座って泣くんです。この街で誰も目を合わせてくれないと言って……私が断ったら、彼らにはもう誰も残らないんです。」
カヨ
「あなたは彼らを助けていませんし、自分自身も助けていません。」
カヨは静かに、しかしはっきりと言った。悪意はなく、ただ事実を述べているだけだった。
カヨ
「これらの案件に法的価値はありません。あなたは自分の人生を無駄に消耗しているんです。あなたは弁護士です、レイチェル。セラピストではありません。」
レイチェルの目に涙が浮かんだ。
次の1時間、カヨは驚異的な速さで案件を整理していった。感情を完全に排除し、法的妥当性だけを基準に判断した。
やがて床に三つの山ができた。
• 却下:巨大な山
• 検討:小さな山
• 受理:たった三つのファイル
カヨ
「『ノー』と言う技術を身につけなければいけません。」
カヨは小さな山を見ながら言った。
カヨ
「それは残酷ではありません。プロとして生き残るためのスキルです。」
レイチェル
「わかっています……でも……」
カヨ
「あなたにはできます。ただ苦しむことを選んでいるだけです。」
そのちょうどその時、電話が鳴った。レイチェルが反射的に受話器に手を伸ばした。
パチン。
カヨが軽く指を鳴らした。レイチェルの手が止まる。カヨが代わりにスピーカーフォンを押した。男の声が部屋に響いた。
声
「幽霊が俺の寝室に忍び込んで、財布から500ドル盗んだんだ!!」
カヨは無言でレイチェルを見た。断れ、という目だった。
レイチェルはごくりと唾を飲み込んだ。
レイチェル
「……申し訳ありませんが、その案件はお受けできません。当事務所は法定法のみを扱っております。精神保健の専門家にご相談されることを強くおすすめします。」
すぐに受話器から大声の罵声が飛び出した。レイチェルの手が震えた。カヨは落ち着いて電話を切った。
カチッ。
部屋に静寂が戻った。
カヨ
「ほら、完璧にできました。」
レイチェル
「すごく後ろめたい気持ちになります……」
レイチェルは両手で顔を覆った。
レイチェル
「まるで自分の人間性を投げ捨てたみたいです……」
カヨ
「あなたの性格特性を考えると、それは正常な反応です。」
カヨの声がわずかに柔らかくなった。
カヨ
「でも、それは必要なことです。溺れている人が他人を助けることはできません。」
夕方になる頃、カヨは事務所の運用システムを完全に再構築していた。
• 丁寧に断るためのテンプレート
• 厳格な週間スケジュール表
• 小規模ビジネス向けの明確な目標設定
• 必須の7時間睡眠ルール
全てが完璧に整理されていた。
ビルを出た時、ロサンゼルスの暖かい夕方の空気が二人を包んだ。エマはカヨを純粋に尊敬する目で見つめた。
エマ
「カヨ、あなたは今日本当に彼女の人生を救ったわ。」
カヨ
「まだです。」
カヨは三階の窓を見上げた。
カヨ
「システムは、機械が動き続けなければ機能しません。残りは彼女次第です。」
その夜、ホテルに戻った。
健一はキングサイズのベッドに横になり、地元のテレビをぼんやり見ていた。
健一
「今日はどうだった?」
カヨはバッグを開けながら答えた。
カヨ
「エマの友人を助けました。彼女は弁護士で、非常に不安定なクライアントの山に埋もれていました。」
健一
「不安定って、どんな?」
カヨ
「UFO誘拐、政府の脳内チップ、隣人のスパイ猫などです。」
健一は思わず笑い出した。
健一
「それで、お前は何をしたんだ? 法律的な弁護でもしてやったのか?」
カヨ
「事務所の全面的な運用監査を行いました。無駄な案件を排除し、境界線の設定方法とクライアントの断り方を教えました。」
健一は妻の顔をじっと見て、苦笑いを浮かべた。
健一
「……おい、カヨ。念のために聞いておくけど、お前はカリフォルニア州の弁護士資格を持ってなかったよな?」
カヨ
「効率と人間管理の原則は普遍的なものです。」
カヨは落ち着いて腕時計を外し、ナイトスタンドに置いた。健一は小さくため息をついた。
(カヨ……お前は一体何なんだ?)
カヨ
「あなたは明日、トシキたちと出かけるのでしたね?」
健一
「ああ。シンディの高校時代の友達に会うらしい。超健康オタクのアスリートタイプだってさ。」
カヨの口の端がわずかに上がった。
カヨ
「そうですか。それは興味深いですね。私とも話が合いそうです。」
健一
「シンディによると、お前より厳しいかもしれないって言ってたぞ。」
カヨ
「私より厳しい?」
カヨは本気で興味を持った様子だった。
カヨ
「それは会ってみたいですね。」
健一は毛布を胸まで引き上げた。
健一
「……明日は俺の血圧が大変な事になりそうだな。」
翌朝。ジマーマン法律事務所。
朝の陽光がブラインド越しに優しく差し込んでいた。レイチェルは昨夜、カヨの指示通りに7時間きっちり眠っていた。ブラックコーヒーを飲みながら、彼女は数ヶ月ぶりに「人間らしい」感覚を取り戻していた。
その時、電話が鳴った。レイチェルは深呼吸をして受話器を取った。
レイチェル
「ジマーマン法律事務所です。」
次の瞬間、男の叫び声が受話器から飛び出した。
声
「ビッグフットが俺のトラックをめちゃくちゃに壊したんだ!!」
レイチェルは一瞬固まった。カヨの声が頭の中に鮮明に響いた。
「あなたは全員を救うことはできません。その案件に法的価値はありません。」
レイチェルは口を開いた。
レイチェル
「……申し訳ありませんが、その案件はお受けできません。当事務所は——」
声
「お願いします、ジマーマンさん!」
男の声が完全に崩れた。
声
「誰も信じてくれないんです! 警察は俺の話を聞いて笑い飛ばしただけでした! あなただけが、俺を怪物扱いしなかった……お願いです、5分だけでいいんです!」
レイチェルの手が止まった。あの孤独な声。あの絶望。彼女はそういう人を、どうしても見捨てられない。
レイチェル
「……森から出てきたと言いましたか?」
声
「そうです! 身長は優に2メートル40センチはありました! 赤く光る目で——」
レイチェルは長いため息をついたが、唇には優しい微笑みが浮かんでいた。彼女の手は自然に机の上に新しい空のファイルフォルダを引き寄せた。
フォルダのタブに彼女は書いた。
「Bigfoot Car Destruction Case」
レイチェル
「全部話してください。最初から。」
30分後。
レイチェルは電話を切り、静かな事務所で顔を両手で覆った。
レイチェル
「……ああ、またやっちゃった……」
でも、昨日のような重い罪悪感はなかった。彼女はカヨが作った完璧なスケジュール表をちらりと見て、窓の外に広がるカリフォルニアの空を見上げた。
レイチェル
「……どうか、せめて一回だけでも普通のクライアントを送ってください。お願いします……」
すると、まるでタイミングを計ったかのように、再び電話が鳴った。
レイチェルは深く息を吐き、柔らかく、温かく、諦めの混じった笑みを浮かべて受話器を取った。
レイチェル
「……また始まるわね。」




