冬晴るる日⑨
クレアを背負い山に向かって歩く。山の方面には敵の兵士は待機していなかった。私たちの通ってきた道にどちらのものかも分からない血の跡が残る。進めば進むほど、雪は深くなり寒さも厳しくなる。
涙が溢れ落ちた。その涙さえ、このジェニラーム山の寒さで凍ってしまう。
「ッ、クレア、死なないでくれ。生きて。……私をひとりにしないでくれ」
どれだけ歩いたか知れない。辺りには何も見えず、防寒具代わりに身につけてきたフェデリーカたちの上着も、この寒さではないのと同じだった。顔にあたる吹雪が痛い。白く染まる息もすぐにかき消される。深い雪は足を取り、体力を消耗する。どこに向かって歩いているのかも分からない。
次第に体の限界が近づいてきたのだろう。足元がおぼつかない。何とか気合いで踏ん張り歩くも、視界が歪む。寒さで体の震えが止まらない。
目に映る世界がひっくり返る。倒れ込んでしまったのだろう。立ち上がろうとしても倒れ込む。暗くなっていく視界の中で最後に人の影が見えた気がした。
はっと目が覚める。上手く体が動かない。もしや死んでしまったのではと勘ぐったが、目に映る木の天井がそれを否定する。これは現実だ。悪い夢でも見ていたかのように、あの寒さは全く感じられなかった。
「ん? おお、目が覚めたのか」
「! あ、なたは」
突然現れた人間に警戒心が引きずり出される。自分のいる、ベッドの上だろうところから動こうとしたが、惨めにも立つことができず転げ落ちた。
ここまで上手く動けないとなるとかなり弱っている。そんな私を見かねたのか、上から手を差し出し、持ち上げると私をベッドの上に座らせた。その時初めてしっかりとそいつを認識した。
大男だ。まっさきに思ったのはそれだった。私よりも遥かに高い位置に頭がある。カーティス兄さんや父上よりも高い、二メートルはありそうだ。私の座っているこのベッドもふたたび目を向けると、屋敷のサイズよりも大きなものだった。周囲に置かれた家具もサイズが大きく、彼のために作られたものなのだろうことがよく分かる。
「おめえさんら、運がよかったなあ。あんな大怪我でよく生きとったもんだ。……そんなに心配そうにせんでも、そっちの子も、まだ目え覚まさねえがそのうち起きるだろうさ」
その言葉に、ようやく隣で眠っていたクレアを認識した。こんなに近くで眠っていたのに気づかないとは、よっぽど焦っていたのだろうと自分で実感する。もう一度周囲を見渡す。
足元には熊の毛皮だろうか。暗くてあまりよく見えないが毛量が多く、毛が硬い敷物が敷かれてあった。机の上を見ると、私たちの荷物が一式、綺麗に畳まれておいてあった。
「この寒さで傷口と血管が凍って止血状態になってたんだろうさ。体温が下がりきる前に出血死を免れた。おめえさんら、ほんっとに運がよかったなあ」
そう言った男の言葉に驚く。寒さで血管が止血状態になっていた。死を覚悟して、屈辱を味わうくらいならと選んだ選択は間違いではなかった。
「それだけじゃねぇ、魔法だな。痕は残っとるが、大きい傷以外は塞がっとった。お前さん魔法使いだったのか?」
「私じゃない。この子自身だ」
「……そうか」
深くは聞いてこなかった。私が口を閉ざしたのもあるが、歳をとった老人というのは無駄に相手の内を読むのが上手いのだ。年の功というか、年齢相応の経験というか。ともかく、無理にこちらの事情を聞こうとしないのはありがたかった
隣に座りながらクレアを見る。彼女の目元にかかっている髪をどける。いつも明るく輝く向日葵の目は閉じられたままだった。
じっとクレアを見つめて黙り込む私に痺れを切らしたのか、男は大きな声で勝手に自己紹介を始めた。
「ワシはガルム。この山の民だ」
「……カミラ。助けて、くれたんだろう。この山はもう随分前に人はいなくなったと思ってたんだが」
「ここの集落はもうかなり昔に無くなっちまってなあ。だが、故郷を捨てることはワシには出来んかったんで、一人になってもここで暮らしとった」
予想通り。ここに住んでいた民はもう居なくなっていた。彼、ガルムただひとりを除いて。
それから、彼は何かと世話を焼いてくれた。食事を出し、着替えを用意して、クレアの怪我の状態も見てくれた。なぜこんなに世話を焼いてくれるのか、探っても答えは出ないだろうと直接聞けば、ただの老人のお節介だと言われた。次第に私の体も回復し、ガルムの手伝いをするようになって二ヶ月。
クレアが目を覚ました。
「っ、クレア」
「……ミリー?」
「よかっ、た。っ……よかった」




