(終)
その後。異世界トリップする前と変わらない穏やかな日々が、毎日続いている。
他のスタッフにもじゅうぶんお詫びをし、生まれ変わったように働く私を、店長は「本当に神隠しにあったのでは」「やっぱりどこか頭を打ったんじゃ」と心配していたが、その表情はどこか嬉しそうだった。
空いている時間に話をするようになって、店長ともだいぶわかりあえてきた。お互い誤解していた部分を洗い出すと、似たもの同士の不器用さがわかって笑ってしまった。
あんなに息苦しかった職場が、今では自分が一番自分らしくいられる場所になっている。
有栖川さまがショップに来てくれることはもうないけれど、たくさんの新しい出会いが私を待っている。ひとりひとりのお客さまと向き合って、関係を作っていけたらいい。
それが『仕立て屋スティルハート』が、私に教えてくれたことだから――。
そんな日々が数か月ほど過ぎた、ある日のこと。
ショッピングモールが妙にきゃあきゃあと騒がしかった。
「今日って、誰か有名人が来る日でしたっけ」
首をひねりながら、マネキンの服を替えている店長に尋ねる。
アイドルが特設ステージでミニライブをしたり、地元のゆるキャラがPRをしたりといったイベントが、土日に行われることもある。
「さあ。でも今日は何もなかったと思うけれど……。プライベートで芸能人でも来ているのかしら」
ショップの前を通りがかった女の子たちが、興奮しながら話している。
「ぜったい、海外の有名な俳優さんだって! すっごいイケメンだったもん!」
「ええ~、やっぱり、握手してもらえば良かったね」
「映画の衣装みたいなのを着ていたし、急いでいたし、撮影だったんじゃないの?」
「そうかも。あ~でも、ほんとにかっこよかったあ。黒い髪に青い目の人なんて初めて見たよ。カラコンかなあ」
心臓が、痛いくらい激しくドキドキと脈打つ。身体の体温が、一気に上がるのを感じた。
「海外の映画スターだったみたいね。……どうしたの、桜井さん」
「店長! 心臓が痛いので、早めに休憩いただいてもいいですか!」
「い、いいけど。大丈夫? 顔も赤いわよ」
「大丈夫です、休憩行ってきます!」
さっきの女の子たちが来た方角を、ひたすら走る。道行く人たちがみんな興奮して色めきたっている。
まさか。まさか。
ショッピングモールの長い通路を走っていると、視線の先になつかしい後ろ姿が見えた。
癖のないまっすぐな黒い髪。長身に似合う、ブルーグレーのフロックコート。やたら姿勢のいい、きびきびとした歩き方。
あれは、間違いなく――。
「アッシュさん!!」
私が大声で呼びかけると、その人は声の主を探すように振り向いた。
「……ケイト!」
アッシュを囲むように集まっていた人波をかき分け、私のもとに走ってきてくれる。
ぎゅう、と抱き締められると、周りから「きゃーっ」という歓声があがるのがわかった。
「会いたかった。ずいぶん探した」
少しシトラスの混じったアッシュの匂いを、胸いっぱいに吸い込む。
この声も、体温も、抱き締める腕の力強さも、私が会いたかったアッシュそのものだ。
「アッシュさん、どうしてここへ?」
広い胸に顔をうずめたまま、尋ねる。
「ケイトがいる場所に、と注文をつけて転送してもらったのだが、王宮よりも広い建物に出て驚いた。兵士らしき服装の者にケイトのことを聞いても知らないと言うし」
それはたぶん、ショッピングモールの警備員さんだろうなあ。急にこんな美形に人探しを頼まれて驚いただろうなあ、としみじみ考えてしまった。
いやいや、問題はそこではない。
「そうじゃなくて、まだ一年経っていないのに」
一年経たないと、魔力が貯まらなくて転送魔法が使えないんじゃなかったっけ。
「会いたくて我慢ができなかったから、多めに金を積んで、エルフに無茶をきいてもらった」
子どもみたいに言うアッシュに、思わず笑ってしまった。
「ここじゃ目立ちすぎるから、喫茶店かどこかで待っていてもらえますか? 私、夕方まで仕事があるんです」
「どこがケイトの職場だ? 婚約者として上司に挨拶しなければ」
「ええっ?」
私の職場が見たい、とアッシュがきかなかったので、しぶしぶ連れて行って店長に紹介した。
店長は案の定、目を見開いて口をあんぐり開けていた。休憩時間が終わったあと質問責めにされたのは、だいたい予想どおり。
仕事が終わったあと、待っていてくれたアッシュと一緒に家に帰る。
「ここが、私の住んでいるアパートです。狭いでしょう?」
頭をかがめながら玄関をくぐったアッシュが「おぉ……」と感嘆の声をあげた。
どうぞ、とクッションをすすめると、小さな丸テーブルの前にちょこんと座った。どうもサイズ感が合っていない気がするけれど、なんだかかわいい。
「これが異世界の住居か。見慣れない道具がたくさんあるな……。これはずいぶんと精巧な絵だな」
ベッドサイドに飾ってあった写真立てを、アッシュが興味津々で手に取る。
「写真、っていうんですよ。私が小さいころに撮った家族写真です。これが子どものころの私で、これが両親。こっちがおばあちゃんです」
「そうか、これがケイトの家族か。みんなケイトに似ているし、優しそうだ。近いうちに挨拶に行かねばならないな。……ん? これはもしかして、テレビか?」
薄型テレビを指差して、アッシュが尋ねる。
「よく知ってますね」
「おばあさまからいろいろと、この世界のことを学んだんだ。洋服、というものにもだいぶ詳しくなったし、たいていのものは作れるようになった」
「すごい」
アッシュのセンスで現代日本の服を作ったらどんなものができるのか、わくわくする。今までにないテイストの新しいブランドができるんじゃないだろうか。
「最初は店舗を借りる資金もないから、ネットショップ、というものから始めるといいそうだ。店の名前はケイトに決めてもらえと言われたが、何かいい案はあるか?」
「そうですね……」
ちいさいころ、おばあちゃんとしていた秘密の空想。
世界中のすてきなお洋服を集めた、魔法のクローゼットがあったらいいねって。
そうしたら、こんなお洋服を置こう、お姫さまみたいなドレスも欲しいねって、お絵かき帳にクレヨンで落書きをしていた。
それは子どもの他愛もない遊びだったけれど、もし本当にそんなお店が作れたら。
ううん、きっとアッシュとだったら作れると思う。きらきらした女の子の夢と、可愛くなりたい気持ちがつまった、魔法のクローゼットのようなお店が。
「Magic-Closetはどうでしょう。魔法のクローゼットっていう意味なんですけど……」
私の言葉にアッシュは、
「それ以上の名前は思いつかない」
と微笑んでくれた。
むかしむかし、小さいころ。おばあちゃんの経営するブティックは、私の遊び場だった。
お姫さまみたいなロングスカートやワンピース。シルクのブラウスに、レースたっぷりのコサージュ。きらきら光るアクセサリーと、外の世界を夢見る靴たち。
新しいお洋服を手にしたお客さまたちはみんな笑顔で帰り、そんな場所の主であるおばあちゃんは、シンデレラの魔法使いみたいだと思っていた。
私も大きくなったら、自分だけのお店を作るんだ。すてきなお洋服をたくさん置いて、来た人みんなをしあわせにするんだ。――そう、魔法にかけられたみたいに。
その夢が今、私の手の中にあるよ、おばあちゃん。
今の私を、天国から見てくれているかな。
そっとベッドサイドに目をやると、写真立ての中のおばあちゃんが笑ってくれたような気がした。




