誰でもよかった
『戻らない日常』
第19話「誰でもよかった」
人は理由を探す。
耐えがたい出来事に意味があると思いたいからだ。
「あの時こうしていれば」とか、
「何か特別な事情があったのでは」とか、
「きっと何か理由があるはずだ」と。
けれど現実には、理由があるから耐えられるわけでもないし、
理由がないから壊れることもある。
この事件は、その最悪の形だった。
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1 火葬のあと
火葬が終わっても、誰も実感を持てなかった。
骨壺になって戻ってきた幸枝を前にしても、
「これで終わった」とは思えない。
むしろ、どこかでまだ、
「何かの間違いじゃないか」
という気持ちが消えない。
江守家でも、石田家でも、その空気は同じだった。
百合愛は、帰宅してからずっと泣いていた。
泣くのをやめると、本当に幸枝がいなくなる気がするのだ。
「うそだよね……」
何度も同じことを言う。
「幸枝さん、また来るよね……?」
小百合は娘を抱きしめながら、自分も涙をこらえられない。
幸枝は、恋人の相手というだけではなかった。
百合愛にとっては、本当に“姉みたいな人”だった。
小百合にとっても、一也にとっても、二人目の娘みたいに思っていた。
「なんで……」
小百合が呟く。
「なんであの子なん……」
一也は言葉が出ない。
問いがあまりにも大きすぎて、何を返しても嘘になる。
石田家でも同じだった。
星羅は、自分の部屋へ戻ってから、ずっと机に向かったまま動けない。
何かをしようとしても、全部が途中で止まる。
幸枝の声が、笑い方が、買い物の時の表情が、頭の中に次々浮かぶ。
「幸枝……」
その名前を言っただけで涙が出る。
星羅にとって幸枝は、“恋人の妹”ではなかった。
それよりずっと近い、妹みたいで、友達みたいで、守りたくなる存在だった。
「なんでよ……」
星羅はベッドに座ったまま、ぽつりと呟く。
「なんで幸枝なんよ……」
夏菜子も道隆も、雄介も詩織も、それぞれに同じ問いの前で立ち尽くしていた。
答えのない答えを探して、家の中をさまようみたいに。
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2 好きだったもの
江守家の居間で、百合愛がふと棚の上を見た。
そこにあったのは、幸枝が前に
「これめっちゃ好きなんよ」
と言っていた、ファイブピーチ★のアルバムだった。
カラフルなジャケット。
明るい笑顔。
生きることそのものに力をくれるような、前向きな曲が詰まったアルバム。
「……これ」
百合愛が手に取る。
小百合も、すぐにそれが何か分かった。
「幸枝さん、好きだったね」
「うん……」
百合愛は震える手で再生ボタンを押した。
流れ出すイントロに、部屋の空気が少しだけ変わる。
その瞬間、一貴の胸に、いくつもの場面が一気によみがえった。
ライブ会場で、幸枝がタオルを振って笑っていた顔。
「この曲、めっちゃ元気出る!」と跳ねるみたいに言った声。
カラオケでその曲を歌って、画面に満点が出た瞬間、
「見て見て!」
とピースしたあの顔。
明るくて、ちょっと得意げで、心の底から楽しそうな顔だった。
一貴はそこで、とうとう顔を覆った。
「……無理だ」
曲が悪いわけではない。
むしろ幸枝が好きだったものだからこそ、余計につらい。
好きだった音楽、好きだった花、好きだったケーキ。
全部が、幸枝のいない今となっては、思い出を連れてくる刃になる。
百合愛も泣きながら言う。
「この前、一緒にカラオケ行った時もさ……」
「……」
「満点出て、“ほら見て!”って、めっちゃ笑ってたのに……」
その言葉に、小百合も泣いた。
一也は、アルバムジャケットを見つめたまま、目を閉じる。
思い出は、優しい。
でも優しいからこそ、今は痛い。
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3 警察、身元を絞る
一方、尾道署の捜査本部では、ようやく一本の線が具体的な人物へつながり始めていた。
公開した防犯カメラ映像。
店の外から中を見つめる男。
その顔を見て、福山西警察署へ情報提供が入る。
「この男、見覚えがあります」
通報してきたのは、太田大地の住むアパートの隣室の住人だった。
男の特徴。
住んでいる部屋。
そして、事件当日の夕方から夜にかけて、
「その部屋の明かりがついていなかった」
という証言。
その情報が、尾道署へ共有される。
「太田大地、二十一歳。福山市、備後赤坂駅近くのアパート住まい」
「大学生」
「前歴なし」
「生活実態はやや不安定」
捜査員たちは資料を並べていく。
SNS。
行動範囲。
尾道までの交通手段。
事件当日の足取り。
公開映像との照合。
そして、顔写真を並べた瞬間、室内の空気が変わる。
「一致度高いな」
「ほぼこれで間違いないだろう」
太田大地。
名前が、ようやくつく。
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4 前日の親子
その前日。
太田家では、両親が大地の様子に耐えきれなくなっていた。
ニュースは連日、尾道の事件を報じている。
若い女性。
クリスマスイブ。
性的暴行を伴う殺人。
その内容を見ながら、両親の胸には言いようのない不安が広がっていた。
大地の部屋。
閉め切られたカーテン。
こもった空気。
目の合わなさ。
どこか落ち着かない様子。
母が、とうとう聞いた。
「あんた……」
声が少し震えている。
「まさか尾道の事件に関係してるんじゃないだろうね?」
大地は、一瞬だけ動きを止めた。
でも次の瞬間には、何食わぬ顔で言った。
「俺は知らない」
父も、その顔をじっと見た。
「ほんとか」
「知らないって言ってるだろ」
あまりにも平板な声だった。
怒るでもなく、焦るでもなく、ただ“面倒くさい”という顔。
その平静さが、逆に不気味だった。
両親はそれ以上追及できなかった。
したくなかったのかもしれない。
本当に聞いてしまうのが怖かったのだ。
だが、その問いが翌日、現実になる。
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5 任意同行
警察は太田大地に任意同行を求めた。
アパートの前に立つ捜査員。
ドアを開ける大地。
そこで彼の顔が一瞬だけ固まる。
「太田大地さんですね」
「……はい」
「少しお話を伺いたいことがあります」
大地は最初、何も知らないような顔を作ろうとした。
だが、目の奥の動きは隠しきれない。
両親は部屋の奥からそのやり取りを見ていた。
母は、もうその時点で座っていられなかった。
父も、声を失っていた。
「……尾道の件ですか」
父がやっと出した声は、かすれていた。
捜査員は明言を避けたが、それで十分だった。
母の顔から血の気が引く。
「……うそでしょ」
大地はそれでも、まだ完全には崩れない。
いや、崩れないのではない。
現実を現実として受け止める回路が、すでにかなり壊れていた。
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6 人物像の異様さ
取り調べが始まる中で、太田大地という人物像の輪郭も見え始める。
大学では目立たない。
友人は少ない。
交際経験はない。
過去に女性へ一方的な好意を向け、拒まれた経験がある。
その後、他人の恋愛や幸福に強い劣等感と敵意を抱くようになっていた。
しかしそれだけなら、まだ“よくある鬱屈”の範囲に見えるかもしれない。
本当に異様なのは、その先だった。
自分は本来、選ばれる側だと思っている。
拒否は“相手が正しく自分を見ていないだけ”だと思っている。
相手の意思より、自分の思い込みのほうを現実として扱っている。
そこに、他人を人間として見る視点が欠けていた。
幸枝は彼にとって、
ひとりの女性でも、誰かの娘でも、恋人でも、夢を持った人間でもなかった。
ただ、自分の欠落を埋めるための“対象”に過ぎなかった。
そのことが、捜査員にも少しずつ見え始める。
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7 “誰でもよかった”の輪郭
太田大地の供述は、最初はあいまいだった。
でも矛盾を突かれ、映像を示され、移動履歴を詰められるうちに、少しずつ崩れていく。
そして浮かび上がるのは、信じがたいほど空虚な動機だった。
恨みがあったわけではない。
因縁があったわけでもない。
幸枝を前から知っていたわけでもない。
テレビで見た。
店を見に行った。
幸せそうに見えた。
婚約者がいると知って、余計に腹が立った。
でも本当は、それすら決定的な理由ではない。
ただ、自分の中の鬱屈と欲望の捌け口を探していた。
そして、たまたま目についた。
つまり――
誰でもよかった。
たまたま、幸枝だった。
ただ、それだけだった。
その事実が、遺族にとってどれほど残酷か。
理由があるなら納得できるわけではない。
でも理由すら空っぽなら、人はどこに怒りを置けばいいのか分からなくなる。
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8 加賀家と江守家へ
警察は、現時点で判明している捜査状況を、加賀家と江守家へ伝える。
まだ“断定”ではない。
だが、太田大地という名前が出た時点で、家族の中にはもう、戻れない確信が広がった。
「二十一歳……?」
今日子が呟く。
「そんな若い子が……」
龍樹の顔は変わらない。
だがその目の奥には、これまでとは違う種類の怒りがあった。
「うちの娘を、何やと思うとるんじゃ」
低い声だった。
その一言の中に、父親としての全部が入っていた。
一貴は、しばらく何も言えなかった。
そしてやっと、ひどく掠れた声で言う。
「……幸枝は、人や」
「……」
「お前のためのもんじゃない」
その言葉は、太田本人に向けられているようでいて、
同時に、自分自身にも言い聞かせているようだった。
幸枝を“事件の被害者”や“奪われた人”だけにしてしまいたくなかった。
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9 答えのない答え
火葬が終わっても、
名前が出ても、
犯人が絞られても、
答えは出ない。
なぜ幸枝だったのか。
なぜこんなことをされたのか。
なぜ防げなかったのか。
遺族は、答えのない問いの中をさまよう。
ただ、“誰でもよかった”という言葉の前では、そのさまよいすら行き場を失う。
誰でもよかった。
その空虚さは、怒りよりも先に、人を絶望させる。
それでも、残された人たちは生きなければならない。
名前を呼びながら。
答えのない答えを探しながら。
もう戻らない日常の前で、立ち尽くしながら。




