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陰陽姫と平安の都  作者: 月森あいら
9/9

終章

 真赭は、顔を上げた。聞き慣れた声が聞こえたのだ。

「清彰さま」

 濡れた手を、腰につるした手ぬぐいで拭う。ついで顔も拭って汗を取ると、訪問者のもとに駆けていった。

「わざわざ、おいでになるなんて。なにかあったのですか?」

「なにもないと、来てはいけないのか?」

 清彰は、ぶっきらぼうにそう言った。そして真赭を、頭の先からつま先まで見た。

「本当に、賤の者になってしまったんだな」

「はい。重い袿も、髢もつけなくていいんです」

 花開く笑顔で、真赭は言った。

 真赭の後ろから、どうしたと覗き込んでくる者がある。背の大きい者、小さい者。金の髪、銀の髪、赤に白。瞳の色もさまざまな彼らを前に、清彰は居心地悪そうに身を揺らした。

「私は……着てくるものを間違えたな」

「あら、そんなことはありません」

 烏帽子と直衣という、貴なる者の普段着という選択は間違っていない。真赭は、にっこりと微笑んだ。

「神后とか大冲とか。太乙も、直衣ですよ。もっとも、直垂とかが似合うとも思えないんで、いいんですけれど」

「あの者たちは、式神じゃないか」

 はい、と真赭はうなずいた。

「ですから、姿を現しておくのも珠になるのも自由で。わたしも気楽です。今までみたいに隠しておかなくていいので」

「しかし、まわりの者に不審に思われないか?」

 清彰にしては、気の利いた物言いだ。

「こんな小さな小屋に、十二……十三人も住めるとは思わない。人が増えたり減ったりするなど、おかしいと言われないか?」

「まわりの人は、わたしが陰陽師だって知ってますから」

 なんでもないことのように、真赭は言った。

「みんなが式神だってことも知ってます。珠になるのも、人の姿を取るのも。見せてあげたら、喜ばれました」

「後宮では、出し惜しみしていたのにな」

 清彰がそう言ったのは、どういう意味だったのか。真赭は、きょとんと首を傾げた。

「清彰さまも、後宮の皆さまみたいに式神に興味がおありだったんですか?」

「そういうわけじゃない……」

 清彰は、首を振った。真赭はますます首を傾げ、元結にした腰までの髪がさらりと揺れる。風に、小袖の裾がぱたぱたとひらめいた。

 今は、もう九月(ながつき)。風は肌寒く、清彰が小さく身を震った。

「まぁ……元気そうで、なによりだ」

 彼は、照れくさそうにそう言った。はい、と返事をした真赭から目を逸らせる。



 もう、ひと月以上前の話になる。内裏が、前代未聞の大騒ぎになった。大きな火事が起こったのだ。

 そもそもの始まりは、藤壺中宮が病に倒れたことであった。中宮を襲った病は、たいそうな物の怪が憑いてのことだと、話はその日のうちに都中に広まっていたらしい。

 あの日は、東京の者も西京の者も、たくさんの者たちが内裏に集まってきていた。それほどに高貴な女性を脅かす物の怪とは、どのようなものか。恐れる者も多かったけれど、好奇心を隠せずに内裏にやってきた者も多かったのだ。

 突然内裏に巨木が現れたのも、現れた木が燃えるのも、たくさんの者たちが見た。

 炎は巨木を包み込み、根までを根こそぎ焼いた。それだけでは足りないとばかりに内裏をも焼き焦がした。紫宸殿は炎上したし、火は仁寿殿にも及んだ。

 宜陽殿と校書殿が少しばかりの引火で済んだのは、中に収めてある品の数々のことを思っても、不幸中の幸いだった。この火災で多少の怪我をした者はあれど、亡くなったのはたったひとりであったのも、また不幸中の幸いだったと言えるだろう。

 しかし、あれだけの炎である。風に乗って容赦なくなにもかもを呑み込もうとした火は恐ろしく大きく、凄まじく、誰もがこれこそ客星の予言したことと震え上がったという。

 巨木は、物の怪の転じた姿だった。中宮の病を起こさせた物の怪だった。物の怪を木として封じたのも、それを焼いた炎を上げたのも、あるひとりの少女だったというのだ。

 聖なる炎を呼び起こした少女は、陰陽師だった。女が陰陽師というのが珍しければ、それが少女だというのも驚きである。さらにはその少女が中宮を救い、物の怪を封じ焼き払ったとなれば、話題になって当然だった。

 少女には、十二人の守護者がついている――もっともそこに、もうひとりいた女性は誰なのか。突き止めた者はいないけれど。



「さすがに、あれが中宮さまだとは誰も思っていないみたいです」

 真赭は、都でいまだ語られる噂話を清彰に伝え、くすくすと笑った。清彰は、顔を歪ませている。

「目覚められた中宮さまは、開口一番わたしが小袖に袴だって、そんな格好で表に出ちゃだめだっておっしゃったんですよ」

 そのときのことを思い出したのか、真赭はまた笑ってしまう。

「中宮さまだって、同じような格好だったのに。もっともそんな格好だったから、わたし以外にもうひとりいた女人が誰なのか……よもや中宮さまご本人だとは、思ってもみないみたいですけど」

 一方の清彰は、渋い顔をしている。

「どうしたんですか?」

「……いや、母上が、な」

 居心地悪そうに、清彰は言った。

「おまえを連れてこいとうるさいのだ。今日こうやっておまえを訪ねたのは、母上が何度も私をせっつくから……」

「また物の怪とか、そういうわけじゃないですよね?」

 思わず真赭が声を上げると、清彰は首を振った。

「そういうわけじゃない。ただ母上が、おまえに会いたいと仰せになって」

 ほっとして真赭は胸を撫で下ろす。そして顔を上げて清彰を見た。

「もちろん、中宮さまのお呼びとあらば、行きますけど」

 久しぶりに聞いた中宮の消息に、真赭は顔を輝かせている。

「でも、すぐにとは行きません。今日も、仕事があるの。たくさんの人が、わたしを待っていてくれるんです」

 清彰は、小屋のまわりを見まわした。三々五々、集まってきている人々は、真赭に夢占や暦読みをしてもらおうとやってきているのだ。真赭は、微笑んでうなずいた。

「今日の夜は、ちょっと……物の怪を祓って欲しいって依頼がきてて。そっちに出向かなきゃいけないの」

「恐ろしくはないのか、そのような仕事」

 物の怪、と聞いて清彰は背筋を寒くする。しかし真赭は、笑うばかりだ。

「大丈夫です。物の怪祓いなら後宮にいたころたくさんしたし、それに十二月将のみんながいてくれるから」

 真赭は、ちらりと小屋のほうを見た。顔を覗かせているのは、小吉と大吉。彼らは真赭と目が合うと、いたずらを見つかった子供のように、さっと影に隠れてしまう。

「あのとき、招霊木の前で呪を唱えていたわたしを見ていた人は多かったみたいなんです。あれだけのことができるんだったらって、信用してくれて。だから、こうやって……いなくなってしまった仲間の、ねぐらを借りて」

 そう言って、真赭はせつなく胸を震わせた。その理由は、清彰にはわからないようだけれど。

「だからいつになるかわかりませんけれど、必ず伺うって。中宮さまには、そうお伝えください。わたしはひとときも、中宮さまのことを忘れたことはありません」

「それを聞けば母上も、喜ばれることとは思うが……」

 自分の格好を恥じていた清彰だけれど、増えてくる人々の中、ますます自分が浮いて見えるらしい。あたふたと慌てている清彰に、真赭は思わず笑ってしまう。

「それに、昼間堂々と訪ねていって……わたしがわたしと、ばれても困るから」

 小さな声でそう言った真赭は、小さく肩をすくめた。清彰も、ああ、と小さく答えた。

 内裏での火事のとき、たったひとり出た死人。それは、春宮妃だった。内裏を出たいという真赭の望みを、中宮は叶えてくれた。死んだことになった春宮妃は身分を捨てて西京の一角に小屋を構え、賤なる者として暮らし始めた。

 真赭がもと春宮妃だとは思いもしない人々は、しかしその顔を知っていて、あの呪われた巨木を封じた陰陽師がここにいると噂になった。かくして真赭は、方便(たずき)の手段を手に入れたわけである。

「しかし、貴族の中にも多いのだろう? ここにやってくる者は。その者たちは、知っているんだろう……? おまえがもと春宮妃で、天雲真赭で。……陰陽姫だと」

 最後の言葉を、清彰は言いにくそうに言った。しかし真赭は明るい表情のまま、はい、とうなずいた。

「宮廷陰陽師には頼めないことを、頼みに来ます。あっちにも後ろ暗いところはあるわけだから、お互い秘密は秘密ってことで」

 くすっと真赭は笑った。

「それに、そういう人たちって口止め料なのかなんなのか、たくさんお礼をくださるんです。結構いい稼ぎになりますよ」

「稼ぎ……」

 春宮の身には縁のない、今まで聞くこともなかっただろう言葉を清彰は繰り返した。そんな清彰がおかしくて、真赭はくすくすと笑う。

「陰陽姫って、言われるの前はいやだったけれど。今では、それが看板になるからいいんです。西京の、北のほうにはやっぱり女人の陰陽師がいるらしいです。会ったことはないけれど、その人と区別して、わたしのことは『陰陽姫』って」

 清彰は、唸るばかりだ。そんな清彰を見てくすくすと笑い、真赭は言った。

「陰陽師って名乗るのも、前は抵抗があったけど……今なら、もうむしろ、胸を張って言えます」

 言って、真赭は清彰に笑いかけた。清彰は、居心地の悪そうな顔をする。

「清彰さまも体験なさいます? 今から、開店だから。なんならご一緒に、夜の物の怪封じにもまいりましょう」

「いや、私は……!」

 大きく清彰は首を振る。真赭は、ますます大きく笑った。

 声がかかる。真赭に早く占ってほしいと、待ちきれない者の声だ。真赭は「はぁい」と返事して、そして再び清彰に向き直る。

「じゃあ、せめてわたしが働いているところ、ご見物ください。面白いものが見られるかもしれないし」

「面白いものって……」

 清彰は、口ごもるばかりだ。そんな清彰にくすくすと笑いながら、真赭はふわりと髪を揺らして小屋の中に入っていく。

「お待たせしました。今日の一番は、どなた?」

「わたしです、わたし」

 再び現れた真赭は、浄衣姿だった。袍も袴も真っ白で、このような格好なら確かに陰陽師らしく見えるだろうけれど。清彰は、目を丸くしている。

「おまえ……それ、男装じゃないか」

「だって、重ね袿は重いんですよ。こちらのほうが動きやすいの。いつ、なにがあるかわからないし」

 小屋の中には、文机がある。それを挟んで真赭は客と向き合う。夢を言葉で解いてみせたり、人相を見たり。算木や筮竹を使ったり。

 今日の一番客は、悪い夢を見たという女人だった。声高に、いかに恐ろしい夢だったかを真赭に話した。

「悪夢を見たときは、この歌を読んでください。『夢はみず難波のこともいはでよし ちがひやり戸のうちに寝たれば』」

 そう言って、真赭はすらすらと歌を書きつけていく。紙を受け取った女人は、深くうなずいた。

 もっとも、字を読める者は賤の中には稀である。この女人も実は身分高く、しかしなんらかの事情で民間陰陽師に頼らなくてはならないのかもしれない。しかしそのあたりは真赭も追求しない。だからこそこうやって、たくさんの人に頼りにされているのだ。

「次のかた、どうぞ」

 真赭は張りきって声を上げた。次に入ってきたのは、童を抱いた老年の男性だった。



「春宮」

 小屋の外で、真赭の仕事ぶりを眺めていた清彰は、声をかけられてはっとした。

 そこにいたのは、白の袍と木蘭色の指貫の男だった。髪は銀色で、瞳は青である。扇で口を押さえている彼が誰だったが、清彰は少し考えた。

「……真赭の、式神だな」

 男は答えずに、ただ目だけで清彰を見た。

「そう……真赭が、太乙と呼んでいた。以前私に、狐火を仕掛けた式神だ」

「おまえ、今の真赭をどう見る?」

 清彰は、顔を引きつらせた。清彰を『おまえ』と呼ぶのは父である帝と、母である中宮ぐらいなものだ。しかし男――太乙は、そのようなことを気にしたふうもない。

「どう見る、とは? どういうことだ」

「後宮にいたときの真赭と、今の真赭だ」

 清彰の物言いに苛立ったようだった太乙は、それでも扇を持つ手に力を込めることで心を静めたようだ。それ以上はなにも言わず、じっと清彰を見ている。

「……生き生きしている」

 ややためらったのち、清彰はそう言った。

「後宮の……特に春宮妃になってからの真赭は、元気がなかった。魂をどこかに置いてきたようだった。しかし……今は、以前の……水干姿で走り回っていたころの真赭よりも、元気そうだ」

「おまえも、そう見るか」

 太乙は、口もとを扇で隠した。だからその表情はわからなかったけれど、笑ったのがわかったような気がした。

「真赭は本来、自由に空を翔る小鳥なのだ。しかし後宮で生まれ後宮での生活しか知らなかったがゆえに……おまえのかけた罠に、かかった」

「私は、罠なんかにかけていない」

「いや。おまえだ。おまえが枷をつけたのだ。おまえが真赭を縛った」

 太乙は、責める調子を隠しもしない。清彰は、ひるんだ。

「ゆえに、心の空洞を飛英に狙われ……もう少しで私は、私たちは……真赭を、失うところだった」

「飛英?」

 なんのことだろうか。人の名か。しかし太乙はそんな清彰の疑問に答えることはない。扇で口もとを隠したまま、じっと清彰を見つめている。

「そんなおまえが、恥もなく真赭を訪ねてくるとは片腹痛い……が、中宮の望みなら、仕方がない」

 ふっ、と太乙は息を吐いた。彼はなにを言いたいのか。苛立つ清彰に、冷たい青のまなざしが突き刺さってくる。

「真赭に、関わるな」

 太乙は言った。その声は視線以上に冷ややかで、清彰はなおもたじろいだ。

「おまえは、真赭の枷にしかならない。おまえは真赭を腐らせてしまう……そのような者が真赭のそばにいることを、私は許さない」

「式神のくせに……」

 呻くように、清彰は言った。

「そのようなこと、私に命令するのか」

「ああ。疾く、ここから立ち去れ」

「いやだ」

 清彰は、顎を反らせて言った。

「私は、好きなときに真赭を訪ねてくる。母上のご命令があろうとなかろうと、だ。おまえにどうこう言われる筋合いはない」

「母上、母上、と……乳離れせぬ童が」

「なにっ!?」

 清彰は歯を剥き、太乙はそんな彼から一歩離れる。ふたりの間では、今にもちりりと炎を上げそうな視線がぶつかっていた。

「式神が」

「童が」

 ふたりは、一触即発だ。かたわらには真赭との対面を待って並んでいる者たちがいる。彼らは一様に、ふたりの対決を興味深げに見つめていた。

「ほう……真赭の取り合いか?」

「いいな、面白い」

「どちらが陰陽姫をものにするか、賭けるか?」

 観衆の見せものになっていることにはわかっていたが、この場で引くわけにはいかなかった。清彰はますます視線に力を込め、太乙の青い目を睨んでいた。

「太乙、太乙 ちょっと来て!」

 声がする。小屋の中の真赭だ。太乙は、今までの睨み合いなどなかったかのようにひらりと身を翻し、清彰に背を向ける。

「あ……、おまえ、待てよ!」

 ふん、というように太乙は清彰を一瞥した。そのまま、小屋の中に入ってしまう。

「兄さん、気の毒だねぇ?」

「まぁ、真赭の手伝いができないんじゃ仕方がない。おまえさんも太乙に対抗できるくらいの力を持つか……」

「真赭を振り向かせるだけの魅力がないとだめだよ」

「今のところは、兄さんには難しいみたいだけどね?」

 皆、口々に勝手なことを言う。清彰は彼らを睨み、声を上げた。

「うるさい……おまえたち、勝手なことを言うな!」

「ちょっと、清彰さま。うるさいわよ」

 見れば、小屋の前には真赭が出てきていて、手を腰に当てている。その後ろには、やはり扇で口もとを隠した太乙がいた。

「騒ぐなら、ほかに行ってちょうだい? 近所の人たちに迷惑じゃないの」

「あ……、すまない……」

 まわりの者が、どっと笑う。走って逃げたい衝動に駆られながらも、そのようなことをしては太乙に負けてしまったようで、悔しい。

 小屋から出た真赭は、空を仰いだ。見上げる彼女に釣られて、清彰も空を見上げる。

「秋、だな……」

 平安の都を騒がせた今年の夏も終わって、すでに秋深く。

 都には、新しい風が吹き始めている。


〈終〉

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