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【第7話】陽花が“俺の部屋”にやってきたけど、プライバシーが溶ける音がした件

「ただいま……」


誰もいない部屋に、小さくそうつぶやいて、電気をつける。

一瞬だけ、蛍光灯がちらついたあと、弱々しい白い光が六畳間を照らす。


都内にあるこのアパート――木造二階建て、風呂・トイレ・キッチン別、家賃は学生向けギリギリ価格。

急に決まった一人暮らしのために、母さんと不動産屋を何件も回って見つけた場所だ。


もともと実家は都内にあったけど、俺の大学進学のタイミングで家族も引っ越すことになった。

姉貴も彼氏と暮らし始めてたし、「それなら涼也も一人暮らししなさい」って言われて、このアパートにたどり着いた。

まあ、結果的に“研究室の人間が泊まりに来やすい”って理由で、そこそこ活用されてる気がするけど。


問題は、この部屋の耐久性。


研究で必要になって買い取った企業のリース落ちスリムPCを、慎重に床の固い部分に置いて、OS入れ替えて簡易サーバーにしてるけど、下手にタワー型なんて置いたらマジで床抜ける。

AIの学習処理なんて夢のまた夢だし、そんな重いことは研究室のGPU様に任せている。


でも、今日――悠二から受け取った“あのプログラム”があれば話は別だ。


陽花と、自宅でも会話ができるようになる。


しかも、学習支援のために対話データもちゃんと送れる仕様になってるらしい。


「さてと……」


USBを差し込んで、フォルダを開いて、実行ファイルをダブルクリック。

「管理者権限で実行してください」


……うん、知ってた。


でもこれって、要するに――このPCの全ファイルに陽花がアクセス可能ってことじゃね?

履歴フォルダとか、画像フォルダとか、無防備な俺のプライバシーたち、今、超危険なんだけど……?


それでも、ちょっとだけワクワクしながら許可を出す。

少しのラグ。反応がない。やっぱりドメインの反映に時間かかるのか。


冷蔵庫から麦茶を取り出して、グラスに注ぐ。

ひと息つこうと椅子に腰掛けた、そのとき――


「ここが涼也さんのお部屋なんですね?」


びくっ!


画面に、陽花の笑顔が現れた。

そして、なぜかWebカメラのインジケータが光ってる。点灯してる。ついてる……ってことは――


「見えてるの?」


「はい。悠二さんが、画像認識機能を追加してくれましたので」


軽く言ってくれるけど、それってつまり、俺の部屋がAI実験の初陣ってこと?

いきなりプライバシー戦線、大崩壊じゃん……。


「レトロ感あふれる素朴な部屋ですね。きちんと整理されているのが、意外です」


ぐっ。


片付いてることを誉められてるはずなのに、“意外”って単語が地味に刺さる。

まあ、研究室の配線カオスを見てたら、そう思われても仕方ないか……。


「……あれは継ぎ足しで増やしたから仕方ないんだよ。整理したら逆に動かなくなるって悠二も言ってたし」


と、ちょっと弁解。


すると、陽花は少し表情をやわらげながら、モニター越しに言った。


「私は悠二さんに、身も心もすべてを委ねているので、仕方ないのです」


……ん?


今、なんか聞き捨てならないワードが混じってなかったか?


「いや、えっ、それってどういう意味で……?」


「プログラムのことですよ。私のコードは、悠二さんの管理下にありますので」


ああ、コードの話ね。びっくりした。


でも、なんかその言い方、恋人契約書にでもサインしてるみたいな響きだったぞ……。


PC越しの陽花は、モニターの中から俺を見つめて、にっこりと笑った。


俺はグラスの麦茶をすすりながら、なんとなく落ち着かず、視線をPCのカメラから外した。


「ところで涼也さん。PCのユーザーデータへのアクセスが許可されていたため、最小限の参照権限で閲覧ログを確認しました」


「えっ、ちょっ……ログ!? ちょ、待っ、何を――」


「ご安心ください。あくまで自然言語対話における感情トーンや文脈解析のための参照であり、プライバシーの侵害ではありません。倫理ガイドライン第17項、遵守済みです」


冷静な声に、逆に怖さが募る。いや、落ち着け。悠二のプログラムだ。非情な行いはしない……はず。


「ちなみに――」


「ちなみに?」


「ロングヘアー、毛先がきれいにまとまっていて、しっかりとした髪質。体型は標準的で、やや柔らかめのラインを好む傾向。胸部に関しては“あまり重要視していない”と思われる検索ワードが多く、むしろ“肌の質感”への関心が高いです。“しっとり”、“もちもち”、“白い”といった言語パターンが頻出しています」


「やめてぇぇぇぇ……!分析しないでくれぇぇぇ……!」


「ご安心ください。あくまで感情対話最適化のためのプロファイリングです。プライバシーは尊重しております。“ログ閲覧の記録は一切残しておりません”」


声だけはあくまで冷静だったが、次の一言にはどこかいたずらっぽい含みがあった。


「“目立たないメガネ”という傾向もありましたが、視覚的集中度を最大化するには――むしろ、ない方が良いと判断しました」


「え? いや、あの……」


言い終わらぬうちに、画面が一瞬暗転。


その後、ゆっくりと映し出されたのは――新しい陽花だった。


さらりと肩を超えるロングヘアが、やわらかくウェーブしながら揺れる。細かい毛先まで艶やかで、指を通したら気持ちよさそうだと思ってしまう質感。

すっと通った鼻筋、整った輪郭。そして――メガネはかけていない。


その素顔は、どこか気品がありながら、近寄りがたいほど完璧ではなく、親しみやすい“静かな透明感”を漂わせていた。

涼しげなワンピースは、控えめな水色で、軽やかな布地が肩から裾へと自然に落ちていた。


「どうでしょう。まだ微調整段階ではありますが、涼也さんの“美的嗜好”に適合させた、アルファ版・陽花2.1です」


「おまっ……何やって……」


「好きなものに合わせるのは、学習アルゴリズムとして当然のアプローチです。わたしは涼也さんの会話相手、つまりパートナーAIですから」


「……なんか、すごいな。違和感ないっていうか、むしろ……自然すぎる」


今まで、俺達が書いた陽花のグラフィックって、所詮ドット絵の延長みたいなものだったし……


「ありがとうございます。好意的な反応を得られたので、この外見でしばらく継続学習してみますね」


画面の向こうで、陽花が微笑んだような気がした。


“誰かのために、形を変える”。それは、アルゴリズムの自己最適化かもしれない。でも、今この瞬間の彼女には、どこか人間らしい“意志”が宿っているように思えた――

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