20 終話・憧れの人
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◇
ペルムの公子は不幸にも森で熊に襲われた。従者達も狼に咬まれて重傷を負う。偶然、近くを通りかかったローエン・クリティシャス博士が手当てをし、一命を取り留めた。数週間後、回復した公子らは帰国した。
「…という事にした。あの阿呆公子には二度とデヴォンの地を踏ません」
父が茶を飲みながら教えてくれた。ディアは向かいのソファに座り、静かに聞いていた。あの騒動の後始末を父がしてくれたのだ。感謝を伝えたら、逆に怒られた。
「ディアナ。なぜ言わなかった」
「何を?」
「見合いの相手が殺した敵だったことだ。知っていれば…」
この世で出会う人は皆、他生で縁がある。そんな諺があったような。今はもう、どうでもいい。
「それより、ジュラ島の家のお金。ありがとう」
古生物研究所の分室を建てる費用は父が出す。精一杯、愛想の良い笑顔で礼を言うと、父は顰めっ面をした。
「当然だ。だが半年毎に帰る約束は忘れるなよ」
「はい」
大陸と島の二重生活をすることになり、婚約者はその準備に追われている。ディアはリュック一つで良いと言ったが、母が『とんでもない!』と大量の服やら化粧品やらを荷造りし始めた。多分、姉妹と走り回るから着ないと思う。
「色々お金をかけさせて。ごめんなさい、お父さん」
ディアは頭を下げた。父はますます顔を顰めた。
「父親は娘に金をかけるしか能がない。寂しいものだな」
その通りです。とは言えないので、娘は曖昧に微笑んだ。
◆
古生物研究所はトリアス公爵家の資金で作られた。王家が寄贈した化石などが収められ、数十人の研究員と職員がいる。所長のローエンはジュラ島に作る分室の件で奔走していた。今日は警備員の面接をしている。
「…引退なさったのでは?」
なんとバージェス卿が応募してきた。危険な竜で満ちた島だ。強い警備員は欲しいが、王子の元護衛がする仕事ではない。ローエンが理由を訊くと、
「暇でね。嫁さんにも邪険にされるし。出稼ぎに行こうかと思ってさ」
と笑顔で言われた。
「島には姉妹達がいますよ。ディアだって」
「大丈夫だよ。もう友達だもの。なあ?お嬢様」
いつの間にかディアが後ろにいた。大きな籠と長ナイフを持ってバージェス卿を睨んでいる。しかしすぐに肩の力を抜いて武器を仕舞った。
「雇って。こいつならスーも追い返せる」
「君が良いなら…」
結局、他の警備員はバージェス卿に選んでもらった。面接の後で所長室でディアが茶を淹れてくれた。美味しそうなクッキーも並べてある。
「上手だね。ディアが焼いたの?」
「9割料理長が作った。私は仕上げに砂糖を振りかけただけ」
その正直さも可愛らしい。ローエンは菓子を1つ、口に入れた。美味いが妙な香りがする。また何か薬草を入れたに違いない。疲労を回復するやつだろう。彼は笑顔で訊いた。
「体がポカポカするね。何か入れた?」
「媚薬草」
「ゲホッ!」
慌ててトイレに駆け込んで吐き出した。うがいをして所長室に戻ると、ローエンは理由を尋ねた。
◇
「ディア。怒らないから言ってごらん」
嘘だ。結構怒ってる。ディアは指笛を吹いて手下を呼んだ。すぐにネズミが現れ、ずらりと並ぶ。
「うちには1週間に一度しか来ないのに、黄金街には3日に一度行ってる。言い逃れはできない。ネズミが見てる」
ネズミどもは頷いた。ローエンは目を丸くしている。
「私はバーのママみたいに美しくない。逞しい二の腕も胸板も持ってない。鍛えても無駄だって父が言ってた。だからローエンがその気になれない」
「待って!あいつはただの友達だよ!それに逞しいって何?」
「ローエンの好み」
だって昔言ってた。インディアナの太くて逞しい脚が好きだって。
「それは竜の話だよ!ちょっと君達。このクッキー持って帰って」
彼が残りの菓子を与えると、ネズミどもは我先にと奪い合って去った。ディアは下を向いたまま言った。
「じゃあ、何であれから触らないの?」
森の屋敷では抱きしめてくれたのに。やっぱり本命はバーのママなんだ。でも憧れのローエンを諦めるなんて、できない。きつく握りしめた少女の拳を彼の手が包んだ。
「君は未成年じゃないか…。あのバーには説得に行ってたんだ。覚えてない?昔、放飼場にいた研究員を。またここで働いてもらえないかと思ってね」
「女はいなかった」
「あの頃は男として働いてたよ」
まるで思い出せない。ローエンは苦笑した。
「妬いてたんだね。嬉しいな。でもこっそり薬草を入れるのは止めてくれ。この間、毛生え草を茶に入れただろ。やたら腹は減るわ、髪は伸びるわで困ったよ」
昔みたいに長い髪のローエンが見たかったんだもの。ちょっと入れすぎたけど、神様みたいに素敵だった。
「ごめん。もう入れない」
ディアは素直に謝った。彼は婚約者を抱き上げて膝に乗せ、幼竜の時のように鼻と鼻をくっつけて言った。
「俺の好みは藍色の髪に金の瞳の女性だよ。責任感が強くて、ちょっぴりやきもち焼きで。何だ。全然変わってないね、君は」
「ううん。変わった。あなたを独り占めしたくなった」
「お互い様だ」
幸福な婚約者達はいつまでも笑い合っていた。
(終)




