第六話:自己満足
コンコンコン
ノックの音を聞いた瞬間、俺は思わずびくっとすると、咄嗟に正座になる。
「久良君。開けてもいい?」
「あ、う、うん。大丈夫」
「おっけー」
カチャッ
「ごめんねー。待たせちゃって」
「ううん」
ドアを開けて入ってきた風呂上がりの海笑瑠さんが、いつもの笑顔と以前見たパジャマ姿で部屋に入ってきた。
……けど、ドアを締めた瞬間。彼女は自分のベッドじゃなく、俺の脇に正座を崩した形で腰を下ろし、そのまま真面目な顔でこっちを見る。
「あのさ。あの後、お母さんから変なこと言われてない?」
「う、うん。気を遣われてすぐここに案内されて、ずっと独りだったし」
「そっかー。部屋を勝手に漁ったりもしてない?」
「あ、当たり前だよ。そんな事をして、海笑瑠さんに嫌われたくないし」
矢継ぎ早に口にされた質問。
流石に写真立ての話を口にするわけにもいかず、何とか平然を装いそう返事をすると、彼女はほっとした顔をした。
「よかったー。まー、久良君がそんな事するわけないよねー。ごめんね。疑っちゃって」
「気にしないで。急に部屋に男子を入れるってなったら、流石に気にもなるだろうし」
「まーねー」
困ったような顔をした海笑瑠さんが、ふと俺をまじまじと見てくる。
「ど、どうしたの?」
もしかして、俺が嘘を吐いているのがばれたんだろうか?
緊張気味に彼女を見つめていると。
「久良君、ちょっと、緊張してる?」
なんて、少し心配そうに問いかけてきた。
「あ、えっと。まあ……そりゃ、女子の部屋なんて入り慣れてないし。そこで二人で一晩過ごすなんて経験もないしさ」
本音交じり……っていうより、それも緊張する理由だったりはするんだけど。
裏の事実を隠すようにそう答えると、海笑瑠さんも少し恥ずかしそうな顔をした。
「だよねー。前に久良君の家に泊まった時も、寝るのは別々の部屋だったもんねー」
「うん、まあ、あの日も緊張はあったけど、寝る時はここまでじゃなかったかな」
そういや、あの時も色々恥ずかしい事とかあったけど、間違いなく今の方が緊張はしてる。
勿論自宅だったから落ち着く、とかはあるのかもしれないけど、やっぱりさっきまで考えてたことが、少し頭にこびりついちゃってるせいかもしれない。
「でもさー。お母さんってば、何考えてんだろ。もう……」
はーっと大きなため息を吐いた海笑瑠さんは、ちょっと申し訳なさそうにこっちを見る。
「ほんとごめんねー。折角久良君が気を遣って、ワンダーランドの話をしてくれたのに。まさか、こんな事になっちゃうなんてさー」
「いいよ。これで海笑瑠さんの願いが叶うかもしれないし」
「それは、そうかもだけどー」
そこまで口にした海笑瑠さんは、おずおずとこう尋ねてくる。
「でも、久良君ってば、あたしに合わせてくれただけっしょ?」
「まあ、そういう面もあるとは思う」
「ほんと、久良君は優しすぎだし、あたしに甘過ぎっしょ」
「で、でも。俺、やっぱり海笑瑠さんに笑ってほしいし……」
「もうっ。そういう所が優しすぎって言ってんのー」
俺の肩を叩いた彼女は、肩を竦めて見せた後、言葉を選ぶように丁寧に話しかけてきた。
「久良君って、遊園地とかあんまし楽しめない感じ?」
「えっと、その。楽しめないっていうか、楽しみ方がわからないって感じかな」
「家族で遊びに行ったりはしなかった?」
「一応行ったことはあるんだけど、その時も両親や妹が好きなアトラクションに一緒に乗っただけ」
「そっかー。自分でこの乗り物に乗りたーいとか、そういうのもなかった感じ?」
「うん。何か、そういうのであんまり盛り上がる気持ちになれなくって。……何か、子供っぽくないよね」
「そんな事ないってー」
海笑瑠さんがそうフォローしてくれたけど、自分の情けなさに気持ちが憂鬱になっちゃって、彼女から視線を逸らし俯いてしまう。
友達もいなかったし、家族ともそんな感じだったからこそ、正直遊園地に行ってもどうすればいいのかすらわからない。そんな気持ちはやっぱりあるんだよね。
男女が一泊っていうのも抵抗はあったけど、実の所こういう性格だったからこそ、一緒にいても楽しめないんじゃって気持ちも強くって、黒縁先輩と行った方がいいって思ったくらいだ。
「その、何かごめんね。気を遣わせちゃってばっかりで……」
……あ。
俺が変に気落ちしたから、彼女までしょんぼりしてるじゃないか。
「そんな。気にしなくっていいから。海笑瑠さんがワンダーランドに行きたいなら、一緒に行こう?」
「そうはいかないっしょ。お母さんも言ってたじゃん。同情じゃだめだって」
俺の言葉にはっとして、首をブンブンと振る海笑瑠さん。
眼鏡の下の目が真剣になってる。
それだけ、こっちのこともちゃんと考えてくれてるんだよな。
……だけど、俺だって海笑瑠さんの事をちゃんと考えたい。
楽しみにしてるなら、一緒に行ってあげたい。
きっとそれって、俺のわがままかもしれないけど。
「……同情っていうか、その、俺の自己満足じゃ、だめかな?」
「自己満足?」
「うん」
ぽつりと問いかけた言葉に首を傾げた彼女に向かい、俺は頷く。
「その、俺。海笑瑠さんが笑ってくれるなら、それでいいかなって思ってるんだ」
「え? 私に笑ってほしいの?」
「う、うん」
何を変なことを言っているのかって思われるかもしれない。
だけど、俺はその真意を自分なりの拙い言葉で話した。
「俺、最近、隣で海笑瑠さんが笑ってくれるのを見ててほっとするんだよね。多分、グラ友に嫌われたくないって気持ちも理由だと思う。だけど、やっぱり一緒にいるだけで楽しい気持ちになれるし、だからこそ眼鏡越しに笑ってて欲しいなって思ってるんだ」
俺の言葉を真剣な顔をして聞いてくれている海笑瑠さん。
少し緊張で喉が乾き、一度ごくりと唾を飲み込むと、何とか続きを言葉にする。
「その、海笑瑠さん、前にこう言ってくれたでしょ? 『誰にだって初めての事ってあるんだし、気にし過ぎだよ』って」
「確かに、言ったね」
「うん。それでさっき話した通り、俺は遊園地の楽しみ方すらわからない。でも、今までも積極的な海笑瑠さんが、俺と笑顔でいてくれるお陰で、色々な初めてを知って、楽しく過ごせてる。だからきっと、ワンダーランドも海笑瑠さんが一緒にいってくれて、一緒に笑ってくれたらきっと楽しいし、俺も初めての経験をして、別の楽しさにも気づけるかもしれない」
ちょっと一気に話しすぎた俺は、そこで一旦一息吐くと、改めて正座のまま姿勢を正す。
「きっかけは同情だし、熱意が足りないと言われたらそうかもしれない。今の話だって俺の自己満足。だけど、海笑瑠さんがワンダーランドに行きたいなら、俺も一緒にいきたい。その……それじゃ、ダメかな?」
最後は少し弱気になったけど、それでも最後まで何とか口にした俺は、こっちを見たまま呆然としている海笑瑠さんから目を逸らさず返事を待つ。
そして──互いに沈黙してしばらく。
「もう……」
そうぽつりと漏らした海笑瑠さんは。
「久良君ってー、ほんと卑怯だよねー」
そう言って、俺にはにかんでみせた。