第五話:突然の雷雨
あの後、散々黒縁先輩の説得を受けた俺だったけど、結局回答を保留した。
よくよく考えると、そもそも海笑瑠さんが俺と遊園地に行きたくても、彼女の親が宿泊まで許すかわからなかったからだ。
そっちの話を整理しないと始まらないけど、そこは海笑瑠さんにどうにかしてもらうしかないかもって思って話をしてみたら、さっきまでの恥じらいから一転、一気に困った顔になった。
「あー。やっぱそうだよねー。ねー、先輩」
「なーに?」
おずおずと黒縁先輩を呼んだ海笑瑠さんに、彼女はにこっと小さく微笑む。でも、あれはただの笑みじゃないのは俺でもわかる。
「あの、その……あたしに協力してもらえません?」
「そうね。あなたが遠見君を説得してくれるなら」
なんて交換条件を出され、海笑瑠さんは眉間に皺を寄せる。
こんな調子だし、今すぐ答えを出せる状況とは思えない。
だからこその保留。とはいえ、俺自身は多少腹を括ってもいた。
もし海笑瑠さんのお母さんが許可を出すような事があったら、こっちも色々覚悟しなきゃいけないって思ってたから。
◆ ◇ ◆
あれから二時間ほど。
もう少し黒縁先輩との練習に付き合った俺達は、夕方頃に彼女の家を後にした。
昼間は晴れてたし、天気予報も終日晴れだったはずなのに、今はやや黒みがかった、怪しげな雲が空を覆っている。
日中より少し気温が下がったせいもあってか。半袖のシャツに短いデニムスカートといy海笑瑠さんの服装は少し肌寒そうに見える。
だけど、本人は慣れたものなのか。寒がる様子もなく、「うーん……」と唸りながら悩んでいた。
「ねー。久良君だったらさー。どうやってうちのお母さんを説得する?」
「それは何とも言えないかな。海笑瑠さんのお母さんの事、ほとんど知らないから」
「だよねー」
解決にならない答えを貰って、彼女は大きなため息を漏らす。
「この間は看病って名目があったからオッケーしてもらえたけどさー。今回は遊びだもんねー」
「そうだね。まあ、当たって砕けるくらいしかないんじゃないかな」
「うーん……。砕けたくはないなー」
両手を頭の後ろに回し、困った顔のまま天を見上げた海笑瑠さん。
そんな彼女が「あっ」と短く漏らした。
「ん? どうかした?」
「あ、うん。今、雨粒が顔に当たった気が──」
彼女がそう言いかけた瞬間、俺の眼鏡にもぽつっと一粒水滴が当たる。
しかも、ぽつっぽつっという音が早くも多くなってきて──ってこれ、本降りになるのか!?
しまった。今日の天気は晴れって聞いてたし、レバーレスコントローラーが結構大きいから、リュックに空き作りたくって折り畳み傘とか置いてきちゃったんだよ。
どこかに雨宿りできる場所は……。
慌ててきょろきょろと周囲を見回す俺達。
「久良君! あそこ! あそこ行こっ!」
海笑瑠さんがはっとして指を差したのは、臨時休業なのか。シャッターが閉まったお店の入口の上にせり出した軒先のテント。
「う、うん!」
慌てて駆け出した俺達が軒下に退避すると、まるで狙いすましたかのように雨が一気に本降りになった。
「ふぅー。危なかったー」
「ほんとだね。ちなみに、海笑瑠さんは傘とか持ってる?」
「ううん。久良君は?」
「俺も。今日は一日晴れって言ってたし」
「そうそれ! 折角天気予報を信じたのにさー。最近外れる事多いんだよねー。ほんと参るっしょ」
突然の災難に互いにため息を吐く……って、タイミングが完全に被った。
思わず彼女の方を見ると、それに気づいたんだろう。
「ほんと。類友だからタイミングもバッチシだね」
なんて笑ってくれたんだけど。
ゴロゴロ……
随分遠いけど、雷の音が耳に届いた瞬間。ビクッと一瞬身体を震わせた海笑瑠さんの顔がみるみる青ざめた。
「どうしたの?」
「あ、えっと、今の、もしかして……」
「多分雷じゃないかな。雲も怪しげだし」
うん。夕方とはいえ完全に暗雲が空を覆ってる。ちょっと不気味な感じだな。
そう思っていると、海笑瑠さんがカタカタと震えだした。
「だ、大丈夫?」
「あ、その、大丈夫かって言われると、その──」
遠くの雲が一瞬まばゆく光るのが見えた瞬間、また彼女の言葉が消える。
「もしかして、海笑瑠さんって──」
ドォォォォォォン
「キャァァァァァッ!」
やや遠くに聞こえた、落雷の音と同時に、俺の耳をつんざく叫び声がしたかと思うと、突然彼女が俺の腕に抱きついてきた。
はっきりと感じる柔らかさ……って、こ、これ、胸!?
「み、海笑瑠さん!?」
思わず上ずった声をあげたけど、彼女は俺の腕にしがみついたまま。
「ご、ごごご、ごめん! ごめんね! だ、だけど、あ、あたし……」
泣きそうなくらいの震え声。同じくらい体を震わせてるけど、寒いってより、恐怖してるみたいだ。って事は──。
「雷、苦手なの?」
俺の問いかけに、コクコクと壊れた人形のように頷く海笑瑠さん。
屋根代わりのテントのお陰で雨は避けられてるけど、既に本降りで動ける状況じゃない。急な雷雨に道を歩いていた人達も足早に去って行き、今ここにいるのは俺達二人だけ。
流石に雷雨の中を走って帰るのは危険。
だけど、このままじゃ海笑瑠さんが怖い思いをするだけ。
肌を撫でる風も冷たくなってきてるし、このまままじゃ流石に──そうだ!
「海笑瑠さん。ちょっとごめん!」
「へっ!?」
腕にしがみついている彼女を無理矢理引き剥がすと、俺は急いで濡れていない床にリュックを降ろし、自分が着ているジャケットを脱いで、彼女の肩に掛ける。
「く、久良君!? それじゃそっちが寒いっしょ!?」
驚く海笑瑠さんに返事はせず、俺はそのままリュックから愛用のヘッドホンを取り出し、電源を入れた。
こっちは格ゲー用じゃなくって、スマホで音楽を聞く用の無線タイプ。こいつなら……。
俺は素早くヘッドホンの電源を入れると、また光った空を見てひきつった顔をした海笑瑠さんに、すぽっと被せる。
「な、何!?」
予想外のことに戸惑っている彼女をそのままに、俺はスマホを手にしロックを解除すると、ミュージックアプリを開く。
この間カラオケに行った時に聞いたような、海笑瑠さんが好みそうな曲なんて入ってない。
けど、今はそんなのどうでもいいから、何かかけるんだ。
俺がチョイスしたのは、父さんが好きだったアーティスト、TNMETWALKのマイリスト。
それを再生してあげると、海笑瑠さんがはっとしてこっちを見る。
「これ、もしかして──」
ゴロゴロ……。
やや控えめな、だけど近くなってきた雷の音。
だけど、彼女はそれに気づいて言葉を止めたものの、さっきほど怯えた顔はしていない。
うん。やっぱり少しは効果がありそうだ。
俺はリュックのチャックをした後、再び背中に背負うと彼女に向き直った。
「そのヘッドホン、ノイズキャンセリングが付いているんだ。音楽も掛かってたら、少しは雷の音もごまかせるんじゃないかと思うけど。どう?」
「う、うん。さっきよりは全然──」
ピカッとまた雲の中で見えた光。
瞬間。
「ひゃっ!!」
変な声をあげた彼女が、俺の胸に飛び込んできた。
また押し当てられた胸の感触に、思わず俺もまたびくっとしてしまう。
「ごごご、ごめん! 光も、や、やっぱ、こ、怖くって」
だけど、そんな感触への戸惑いなんかより、海笑瑠さんの方が気になった。
さっきまで少し落ち着いていた震えが、また戻ってきてる。
やっぱり凄く怖いんだな。どうやったら落ち着くだろう……。
俺が今まで、誰かに落ち着かせてもらった時って……。
雨音だけを聞きながら、そんな事を考えていると、ふっと昔の事が思い浮かぶ。
それは子供の頃、母さんに慰められた時の記憶。
「海笑瑠さん。目を瞑ってて」
「え? う、うん」
返事を待って、俺は両腕を彼女の背中に回し、優しく抱きしめた。
「く、久良君!?」
「ごめん。こうしたら、少しは落ち着くんじゃないかと思って」
何となく小さい時、母さんにぎゅっと抱きしめられた時、凄くほっとしたのを思い出したんだ。
勿論、海笑瑠さんが同じかはわからない。
だけど、さっきまで震えが少しずつ収まってきたのはわかる。
「……大丈夫?」
「う、うん。だけど、ご、ごめん。そ、その……雷が落ち着くまで、このままで、いい?」
「うん。いいよ」
俯いてて顔はわからない。
だけど、声が少し恥ずかしそうで、それが俺に羞恥心を与えてくる。
ただ、要所要所で雷が光り、時に落雷の音が鳴ると、完全には防げない音に、時折びくっとする海笑瑠さん。
それはやっぱり羞恥心なんか忘れるくらい、心配する気持ちを大きくして。
俺は、何とか彼女が怖くならないように祈りながら、ただ無言で抱きしめ続けた。




