第七話:試合の行方
「プレイ!」
審判役の先輩の声に、千堂君が投球ポーズに入り、俺もバットを構えた。
一球目……フォーク。
俺はまったく反応せず球を見送ると、予想通り低めのボールがくんっと落ち、ベースにバウンドしボールとなる。
じーっと俺の反応を見る鋭い目の千堂君。
正直軌道は見えてたし、落ちきる前に打てる気はした。けど、ボールになる球は無視したほうが絶対いい。
最悪フォアボールでランナー一、二塁にできるんだから。
まあ今ので手が出ない、と思って油断してくれたらいいなと期待してたんだけど、二球目もそんな甘さを感じない、外側からぐいっとストライクゾーンに曲がってくるカーブを投げて来た。
ストライクか怪しかったから、少し引き付けた後バットに当て、一塁線側にファールにしてみる。
……うん。意外にいけるな。
ゲームとバッティングセンターで慣らした感覚が意外にハマっている事にホッとしながら、俺はじっと千堂君の球を観察した。
……外角ギリギリ。
カキン!
「ファール!」
……インコースギリギリのカーブ。
カキン!
「ファール!」
っと。今のはちょっと危なかった。
足をそのまま出したんじゃ、窮屈すぎて引っ張れなさそうだ。
あと、スローカーブだとタイミングが合わせにくいのもあるけど、弾き返しても飛ばなそうな気がする。
早くてインコースに入ってくる球……スライダー、か?
うん。それに狙いを絞ろう。
そんな思考で俺は続く二球もうまく合わせてファールにした。
ワンボールツーストライク。
ファールも五回目になると、流石に周囲が妙にざわつき、千堂君や葛城君の表情にもあり得ないだろという驚きが見える。
特に、クラスメイトの葛城君は、千堂君より目を丸くしてる。
「おいおい。あいつ何であんなにバットに当てられるんだよ!?」
「練習でもノーコンっぷりしか見せてなかったよな?」
ベンチの方から聞こえる疑問の声。
うん。それはその通りだと思う。
俺達が練習らしい練習をしたのは体育の授業だけなんだけど、そこでの俺はというと、捕球は無難にこなしたけど、送球はてんで駄目という、控えに収まるべくして収まったプレイしか見せられてない。
しかも、打撃練習はレギュラーで出る選手メインでやってたし、終わり間際に希望者を募った時も手を上げなかったから、誰も俺のバッティングを見ていない。
結果、期せずしてこんな状況を生まれたんだ。
正直、近間さんと友達になってなかったら、多分適当に流して終わりにしてたと思う。
できない自分と認知されてる方が、人と関わらずに済むし。
でも、彼女の頑張りを見た後に、応援までされている今、それをするのは何か嫌だ。
感化されたのかはわからない。
けど、適当に終わらせて近間さんにがっかりされるのが嫌だったから。
「ファール!」
もう一球ファールにした所で、俺は一旦審判役の先生に手で合図をした後、バッターボックスを出て、ずれた眼鏡を直す。
……まずは塁に出る。
それだけはマスト。
改めて自分にそんなミッションを課していると。
「遠見君! 頑張ってー!」
「いけるぞ! 遠見!」
と、突然俺への声援が大きくなった。
……きっと近間さんとグラ友にならなかったら、こんな声援もなかったんだろうな。
たった一ヶ月なのに、今までの学生生活と違いすぎるこの高校生活。
中学までの俺とは違う、少し充実感を感じるこの状況に、自然と笑みが浮かぶ。
ちらりとまた肩越しに近間さんを見る。
彼女も手を握りながら、眼鏡越しにこっちに真剣な瞳を向けてくれる。
……近間さん。ありがとう。
心でお礼を言った俺は、再びバッターボックスに入った。
そして、千堂君の投じた七球目──低い!
力んだ彼のしまったという顔。投げられた球がこっちの足元に飛んで来たのを、俺は咄嗟にその場でジャンプして避ける。
「ばっか!」
キャッチャーの叫びに後ろを見ると、グラブに収まらない球が彼の後ろに逸れる。
慌てて走って球を追った彼がそれを掴んで投げる構えをしたけど、その時には葛城君は既に二塁に滑り込んでいた。
「おおおおっ!」
「きゃぁぁぁっ!」
喜びと驚き、悲鳴の混じった生徒達の声。
それを耳にしながら、俺は改めて現状を確認する。
ワンアウトランナー二塁。
これでゲッツーの線はほぼなし。
葛城君の進塁を考えたら、今度は一塁線に打つのが正解だと思う。三塁側に打つと彼が進塁できないから。
だけど、俺は敢えてこのまま、狙い球と打つ方向を変えない事にした。
今までそのつもりで打つリズムを作っていたし、ここで下手に変えたら空振りする可能性もある。
周囲の生徒達が千堂君や俺に声援を送る中、その熱とは真逆の落ち着いた気持ちのまま、俺は再びバッターボックスに入った。
キャッチャーから返球された球をグラブで受け取った彼も、天を仰いで深呼吸している。
野球部の生徒だからこそ、上手いのは当たり前。でも、プレッシャーは相手が絶対上だ。
なんたって、相手は大して目立たない帰宅部の一生徒。
そんな奴相手に、同点打なんてプライドが許さないだろうから。
……ふっと、何故か思う。
次の球で最後じゃないかって。
「プレイ!」
理由も何もあったもんじゃないけど、俺はそんな直感を信じ、バットを構えた。
千堂君もコールに合わせて構えると、大きく振りかぶる。
この腕と肘の角度──スライダー!
見抜いた投球フォームから望んだ球が来ると知り、球が腕から離れた直後、動いた。
インコースを狙う速い球。
いけっ!
俺はリズムに合わせ前足をバッターボックスの外側に出し、体を開いて全力でバットを振る。
途中でくいっとスライダーらしい軌道を描く球。だけどその曲がり際を、今までで最も早く振られたバットが捉えた。
バットに感じる重み。そして──。
カキーン!
快音と共に、俺は一気に一塁目掛け走り出した。
打球の行方を見ると、鋭く低いライナー性の打球がショートの頭上を抜けた。
決して足は早くない。
けど、今は全力で走れ!
ゲームでランナーが取る軌道をなぞるように、一塁手前で少し膨らんだ俺は、そのまま一塁を踏み二塁へ走る。
走りながら打球を追うと、レフトとセンターの選手の間でバウンドし、グラウンドの奥へ転がっていく白球。
これなら葛城君はホームに入るはず! なら、このまま行け!
「はぁっ! はぁっ! はぁっ! はぁっ!」
そのまま二塁を蹴り三塁を目指す。
けど、早くも息が苦しくなってくる。でも、まだ! もっと早く!
三塁に向かい必死に走っていると、
「遠見! 回れ回れ!」
ベンチの選手達が大きく手を回し、ホームに走れと合図する。
その後ろで応援してる生徒の中に、拳に力の入った近間さんもいる。
もう球の行方なんて見てる余裕はない。けど、みんなを信じろ!
息苦しさ。足のだるさ。
それを無視して俺は、そのまま三塁を蹴った。
息を止め、もがく力を力に変え、少しでも早く走ろうと足掻く。
キャッチャーはベース上で、捕球のため構えている。
どこまで返球されてるかわからない。
けど、いけ!
近づいたホームベース目掛け、俺は頭から勢いよくヘッドスライディングすべく、前のめりに飛び込み両腕を伸ばした──その瞬間。
「危ない!」
悲鳴のような近間さんの声が聞こえたのとほぼ同時に、後頭部にズキーンと痛みが走り、バーンと目の前に星が瞬き、目の前が真っ白に──。




