第八話:壊れた物と得た機会
──ん……。
「遠見! 遠見! しっかりしろ!」
……この声、体育の先生の声だ。
あれ? 俺、何で声掛けられてるんだっけ?
ゆっくりと目を開くと、眩しさに顔をしかめる。
「遠見君!」
えっと、この声は近間さんか。
何となく、みんなに覗き込まれてる気がするけど、誰が誰かあまりよく見えない。
眩しいから……ってより、ぼんやりしてる……ああ、眼鏡をしてないのか。
何となく、すぐ隣にいる金髪は近間さんってわかるんだけど……って、あれ?
えっと、何でこんな事になってるんだっけ?
俺、何してたっけ……ああ、走ってた。走ってたけど、何で……って、そうだ。俺、代打で野球の試合に出て……あっ!
「試合は──痛っ!」
思わずばさっと上半身を起こした瞬間、ズキリという鈍い痛みに思わず後頭部を抑えた。
「こら! 勢いよく頭を動かすんじゃない!」
先生にそう怒られたけど、何でそう言われたかがわからない。
思い返すと、危ないとか言われた気がするけど……。まあ、とりあえず謝っておかないと。
「す、すいません。それより試合は?」
「おいおい。目覚めた矢先にそっちの心配かよ」
俺の反応がおかしかったのか。
誰かが俺に呆れた声をあげると、周囲の生徒達から笑い声があがる。
「ちゃんとお前のお陰で、C組が勝ったぞ」
ふとすぐ隣にいた葛城君の声に顔を向けると、美香さんらしき人と一緒に並んでこっちを見ている気がする。
でも、勝てたってことは、あれはランニングホームランになったのか。
なんか、凄いラッキーだったな。
「そっか。それなら良かった。でも、何で俺寝てたんだろ?」
「寝てたんじゃないよ。ボールが頭に当たって意識失ってたの」
「ボールが? 何で?」
声で正解と判断し、美香さんに思わずそう問いかけると、
「遠見、悪い!」
と、勢いよく頭を下げたのは、さっき悪態を吐いたであろう男子だった。
ちゃんと見えてないけど、声からすると多分千堂君かな。
「俺が中継でボールをキャッチャーに投げたんだけど、手元が狂ってお前に当てちまって……」
「……あー。だから後頭部が痛いのか」
それでか。頭に球を受けるなんて記憶なかったから、こんな感じになるなんて知らなかったしなぁ。
なんて納得していると。
「……遠見君。流石にそれ、危機感なさすぎっしょ」
近間さんから少し不満そうな呆れた声がした。
「そうかな? でも、こうやって意識もあるし、大丈夫──」
「なわけないっしょ! 後頭部にボール当たって、意識失ってるんだよ!?」
俺の返事を遮って、近間さんが思わず声を荒げる。
「まあまあ。海笑瑠の心配もわかるけど。遠見君は千堂君に、大丈夫って言ってあげたかったんだよね?」
「あ、うん。ごめん」
流石にちょっと言葉足らずだったか。
これだけの人に囲まれて話すとかそうそうなかったし、まだ後頭部の痛みがそこそこあるから、ちょっと頭が回ってないんだよな。
ただ、今そんな話をして、千堂君を心配させても始まらないし。
「こうやって起きて、ちゃんと話せてるし。千堂君も気にしないでいいよ」
「……ああ。悪い」
「ううん。それから、近間さんも。ごめん」
「……まあ、反省してるならいいけどさー」
ぺこっと頭を下げると、何となく近間さんがそっぽを向き口を尖らせたように見えた。
ぼやっとしっぱなしだけど、最近近間さんの行動をよく見てきたから、これは雰囲気で何となく分かる。
っと、そうそう。
「あの。誰か、俺の眼鏡取ってもらえませんか?」
流石にずっとこのままじゃ目を凝らさないと見るのも辛い。
眼鏡を掛けてちゃんと見たいと思った俺に対し、周囲から上がったのは、「あ……」っという、ためらいとも戸惑いともとれる声だった。
……ん? 何でこんな空気なんだろう?
誰に聞くでもなく、周囲をきょろきょろしていると。
「お前の眼鏡なんだか……こんな事になってるんだ」
そう言って、バツの悪そうな声で先生がすっと俺の目の前に眼鏡を差し出してくれたのは──これ……眼鏡、だよな?
俺が逆に戸惑うくらい、変形した眼鏡。
細いフレームは色々あらぬ方向に折れ曲がり、中央の鼻の当たる部分も大きくひしゃげていた。
片方のレンズは外れてる。残ったレンズも強く地面を擦ったのか。砂でついたであろう細い線状の傷が入ってしまっている。
……あー。
それを見た俺は、妙に冷静だった。
「お前がヘッドスライディングした時、ボールが当たった勢いで、熊谷の足元に偶然吹っ飛んでな」
「その……わりぃ……」
「うん。気にしなくっていいよ」
多分キャッチャーをやっていたであろう、彼の申し訳なさそうな声に顔を向け、俺は自然に笑っていた。
「は? いや、これ弁償もんだろ?」
「別に、自分がヘッドスライディングしたのが悪いだけだし。熊谷君が踏んじゃったのもたまたま。だから気にしなくっていいよ」
内心は、正直ちょっとがっかり感がなかったわけじゃない。
これ、両親が海外に行く前、高校の入学祝いも兼ねて買い直してくれた眼鏡だったから。
でも、いつか物って壊れるし、眼鏡だって消耗品。度数が合わなくなれば買い直す必要もあるんだし、遅かれ早かれだしさ。
ちょっとだけ名残り惜しむように、壊れた眼鏡を手にすると、残った眼鏡のレンズ越しに周囲を軽く見回した。
普段かけてるより距離があるから、レンズ越しのみんなは小さく見える。
何となく、俺が笑った事に驚いた生徒。憐んでいる生徒など、表情は様々。
近間さんも、何となく寂しそうに俺を見てる。
眼鏡ひとつでそこまでの顔、しなくってもいいのに。
そう思いながら、俺は眼鏡を閉じれる部分だけ閉じて手に握ると、その場で立ち上がった。
まだ後頭部は痛いけど、ふらふらとはしないかな。
「先生。念のため保健室に行っても良いですか?」
「あ、ああ。一人で大丈夫か?」
「はい」
「ダメだよ遠見君。眼鏡ないんだし。海笑瑠、付いていってあげなよ」
俺と先生の会話に割って入った美香さんは、突然俺の付き添いに近間さんを指名した。
「え? あたし?」
「そ。もしそのまま家に帰れーってなっても、家近いし付き添いできるでしょ?」
「あー。確かにそうだねー」
突然の指名に戸惑った声を上げた近間さんだったけど、そんな美香さんの言葉に納得した声をあげる。
けど、それとは別の声もあがってきた。
「遠見。お前それ本当かよ!?」
「え、あ、うん」
「何だよそれー。羨ましいなー」
「最近一緒に登校してたのもそれが理由か?」
「え? あ、その──」
「そうだよー。席も隣で家も近いとか、運命感じちゃうよねー。近間だけに」
急に食いついてきた男子達にしどろもどろになっていると、普段通りに明るく返した近間さんが、俺の脇に並ぶ。
何となく、今の微妙なギャグにドヤっている顔をしている気がするな……。
「それでは! 不肖、近間。遠見君を保健室までエスコートしまーす!」
「いや、エスコートってほどじゃないと思うけど」
「いいのいいのー。では、お手を拝借ー」
……え?
そんな言葉とともに、近間さんがみんなの前で俺と手を繋ぐ。
瞬間、周囲が一気にざわめいた。
「ち、近間さん。それ手打ちの時ので、こういうのをする時のじゃ──」
「細かいこと気にしなくっていいの。眼鏡ないとほとんど見えないし、絶対危ないっしょ」
「え、いや。見えないは見えないけど、まだ明るいしそんなに──」
「いいのいいの。このあたしに任せてよ。じゃ、みんな。また後でねー」
「近間。いいか? あんまり頭を揺らさないよう、慌てず連れて行けよ」
「はーい!」
正直表情をはっきりとは読み取れないけど、軽快な返しは間違いなく普段の近間さんらしい。
とはいえ、みんなの前だし流石に恥ずかしいんだけど……。
俺の困った顔も関係なく、近間さんが「行こっ」って言って手を引き歩き出す。
流れに任せそのまま付いていくしかない俺。
その後ろでは……。
「あの二人、まさか付き合ってたりしない?」
「友達であそこまでするか!?」
「くっそー。遠見の奴、役得じゃねえか!」
などなど、かなりの驚きや妬みの声があがったのは言うまでもないんだけど……近間さん、勘違いされて困らないんだろうか?




