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桜雲館の紅姫【完結】  作者: 可燃性
終のこと『桜雲館の紅姫』
128/134

128「俺らにくれりゃあ」

 夜の闇に『緋紅楼(ひべにろう)』の花が映える。

 その様子をぼんやり眺めながら、膠は妙な熱に浮かされることのない体を冷たい風に晒していた。

 眠れなかった。気持ちが高揚しているからかもしれない。

 膠は今一度思い出す。つい先ほどこの部屋で行われていたことを。


 ◇


 影経(かげつね)(こう)の返答に無言を返し――承認の意味である――、外套を翻して出て行った後。

 膠は左右一列に並んだ『錠前』たちを見た。

 真剣な眼差しで膠からの、否、<紅姫>からの言葉を待っている。

 息を吸う、そして吐き出した。目を瞑り、開いて、それから。


「だいぶ、待たせてしまったかもしれないね」


 その言葉は膠のものではない。<紅姫>――この『緋紅楼』の主のものだった。


「俺の役目は変わらないし、君たちにも今後は『錠前』として俺のもとに『魂』を運んでもらいたい。それが『緋紅楼』のあり方で、住人たちのためでもある。――俺の維持に『魂』は欠かせないから」


 ふたつに分かれていたものがひとつになったとはいえ、<紅姫>の維持は『魂』のみである。


「でも、やり方を変えようとは思っている。俺はこうして立てるし、歩けるし。君たちに吟味してもらうのもいいけれど、自分で動けるなら俺自身でもきちんと『魂』の――『望み』を持つひとのありようと向き合いたいと思う」

「……それって……」


 口に出して驚きを露わにしたのは、壱多だった。

 桜のつぼみがあちこちについた枝を鹿の角のように生やした、零雨の妹である。やわらかくウェーブを描いた亜麻色の髪が、彼女の微かな動きに合わせて緩やかに動いた。


「俺も――、()()()()()

「!」


『錠前』のみならず、驚きは<三結界>にも伝播した。<紅姫>も気配で感じていたが振り返ることなく、話を続けた。


「俺も外に出て世界を見る。彼らの生き様を見て、彼らの『望みを叶えたその先』を共に見たいと思う。最善であれ最悪であれ、彼らが何を想像して、分岐点を選ぶのか。……そうして吟味したものであればきっと俺の腹を満たしてくれるに相応しいはずさ」


<紅姫>の声が朗々と響く。そして、一瞬の静けさが通り過ぎた後に、黒髪で赤い目の男ヴィレントラスが口を開いた。


「――つまり、我々と共に『魂』を捜しに出かけられる、と?」


『だがし屋から紅』で店番を務めている狼男である。変じる要因のない今、彼は黒いサングラスをした人間でしかないため、『錠前』の中ではかなり異質だった。


「そう、その通りだよヴィー」

「……なんと」


 いささか驚きを隠せない様子のヴィレントラスの膝の上で、兎の姿をした藍明が「だめなの?」という風に顔を上げた。体に纏う装飾具がしゃらん、と涼やかな音を立てる。藍明の体を包みこむように撫でながら、ヴィレントラスがさらに言葉を重ねた。


「お体にご負担は? 目覚められてすぐでしょう」

「負担がないと言えば嘘になるけれど……。あんまり()()()変わらないかな」

「普段と……?」


<紅姫>は詳細の言及は避けて、微笑みを返した。それから視線を後ろに向けた。目の動きで察したヴィレントラスが「これは不躾を、失礼いたしました」と居住まいを正した。


「それに、万が一取り逃したところで責任は俺にあるしね。君たちが負う必要もなくなるから」


 言葉を聞いて、イヴとハロウィンが顔を見合わせた。

 自分たちのことを慮っているのを悟ってイヴが肩をすくめる。


「いつまでもお城のお姫様じゃ、俺の『望み』も叶わないから」


 ◇


(俺が俺を知らない限り、好きになることも難しいだろうし)


 結局、己を知るには他者と関わるのが手っ取り早い。

 愛される恐怖も愛する臆病さも、全部三人と関わってこそ、だ。そうでなければ、自分をふたつに分けようなどと考えつかなかったろう。


「だいぶ荒業だったとは、思うけれどね……」

「何がっすか」

「っ!?」


 はっとして見れば、銀髪を掻き毟りながら青年が佇んでいた。凛龍(りんりゅう)である。

 月明かりに裸身が浮かび上がる。彼は寝る時、常に上半身裸だった。


「……お、おはよう……?」

「……そんな時間じゃねえでしょ、まだ真っ暗っすよ」

「……そうだね」

「体、冷えますよ」


 凛龍は掛け布団を引きずってくると、膠にかぶせた。それから自分は隣に腰を下ろす。


「どうかしました?」

「……眠れないだけだよ」

「あんな啖呵切った後だから?」

「……意地が悪い言い方をする」


 むうとむくれて見せると、凛龍が「あ、そういうカオ。前もしてましたよ」なんて言ってくる。

 吹っ切れた、というのは事実らしい。飾らない態度で接してくるのがなんとなくくすぐったい気持ちになった。


「先に言っておくけれど」

「なんすか」

「下手だからね」

「あ?」

「……()()()のほう。……<紅姫>のほうが断然上手なんだよ」

「……はあ」

「なに、その反応。君たちには大事なことなんじゃ――って、ひゃひふんほ!」


 凛龍がほんのりと青筋を立てて、膠の頬を引っ張った。


「セックスが下手くそってだけで、なんで俺が不満に感じるって思うわけ? 俺らアンタの性欲処理じゃないんだけど」

「……ッ」

「俺もそうだし、<三結界>もそうだけど――俺らはアンタが好きだから一緒にいるし、命賭けてんの。セックスなんて二の次」

「……」

「膠さん。あんま変なこと言わないでね? 俺吹っ切れってっから、何するかわかんないよ」


 そう言って凛龍は頬から手を放した。ひりひりと熱を帯びたそこを膠はさすった。


「……ごめん」

「怒っちゃいねえけど、次おんなじこと言ったら押し倒してお仕置きしちゃうかも」

「……不穏だね」

「まあ、俺。一番若いから」


 したり顔をする彼は、見た目相応だった。

 無邪気さがあって眩しい。どうしてもその眩しさが己に不相応ではないか、と不安になるのだが今は口に出すのは憚られた。


(俺の事が好きだから、か)


 素直に受け取り、喜べばいいものを。

 受け取ったそれをどう処理するべきかわからないし、理解不能のあたたかさに戸惑うばかりで、同じように「好きだよ」と口をついて出てこない。言うのは容易い、でも心を伴うと難しいのである。


「――膠さん、てさあ」

「……なに?」


 凛龍は何度か視線を彷徨わせてから、「……若気の至りで聞くけど」と言ってから、


「なんで、そこまで自分嫌いなの? ずっと死空に従わされてきたから?」


 と訊ねた。膠は口ごもった。その様子に「……言いたくないなら無理にとは言わない」と気を遣う。膠は首を横に振って、「えっと」と必死に言葉を捜した。

 改めて言われると、言語化が難しい。


「……嫌い、というか。……無条件に好きになれない、っていうか」

「どういうこと?」

「……怖いんだよね。変わってしまう気がして。俺が俺として確立してきたものが未知に侵略される感覚。……自分が、自分じゃなくなるみたいで」

「……」


 〝ひとの形をした呪具〟-―膠たち緋乃神一族はそういう存在だった。

 道具としての存在価値とひととして生まれた心。道具として役目を果たすたび、死ぬのを恐れて心が痛んだ。それが苦しくて、膠はふたつに分けた。

 心を<紅姫>に託し、道具として膠が役目を果たす。傷つくのは膠であって、<紅姫>ではない。

 自分を守る術だった。


「俺は心を取り戻した時、あの日受けて耐えてきたものも一緒に思い出すんじゃないかって。……怖くなる。今まで『望み』を叶えてきたひとたちのことを、考えてしまって……恐ろしくなる」

「……膠さん、アンタ」

「……俺は弱いんだ。……身も心も未熟者さ」


 これでよく伴侶なんか務められたものだよ。

 自嘲気味に言って、膠は布団を強く抱いた。丸くなった布団の中に、膠の小さな相貌が埋もれる。


「だから俺らにくれりゃあいいんですよ」

「……?」

「辛いのとか苦しいのとか全部。痛いのも。俺らにください、膠さん。一緒に悩んで苦しみましょう」

「……」

「いいの? とか聞かないでくださいね。俺が問題ねえから提案してるんで」


 先んじて言われてしまったので、膠は開きかけた口を閉じる。再び開き、「……凛龍は悪い子にはなれないんじゃない? 良い子が過ぎるよ」と、恨みがましく言った。

 凛龍はふんと鼻を鳴らすと、「冗談でしょ」とうなじを掻いた。仕草は銀龍(ぎんりゅう)そっくりである。


「良い子は弱っている奴につけ込んだりしません」

「つけ込んでるの?」

「そうですけど」

「……ははは、そうなんだ」


 笑みのこぼれた膠を見て、凛龍が「やっと笑った」とこぼした。


「――抜け駆けは感心しませんねえ」


 声に弾かれるようにしてふたりとも同じ方向を向く。

 いつの間にか起きていたらしい紅凱(こうがい)が佇んでおり、凛龍に挑むような視線を向けていた。背後で寝台に腰を下ろした紅錯もいる。


「は? てめえの寝起きの悪さを呪え。俺に文句言うな」

「起こしてくださってもよろしいでしょうに」

「はあ? なんで俺が。俺はお前のおふくろじゃねえっつーの」

「気の利かない子ですね」

「てめえに利かせる気なんかねえ」


 やいのやいの言い始めた隙に、紅錯(こうさく)が音もなく近寄ってくる。膠を凛龍と挟み込むようにして胡坐をかいて座った。紅錯は無言のまま、ぽんぽんと膠の頭を叩いた。


「……?」

「……」

「? なあに、紅錯?」

「……いや」

「うん?」

「……あなたの頭は存外丸いな、と……」

「は?」


 膠は紅錯の赤と金の目を凝視する。凛龍と紅凱も口喧嘩をやめて、紅錯を見遣った。

 当人はさほどおかしなことを言った自覚はないようで、「なんだ?」と視線の意図を問うた。


「頭が丸いなんてこと、前々からご存知でしょう紅錯」


 紅凱が言うと、紅錯は思案気にしてから答えた。


「……いや。……こうやって、頭を撫でる機会は少なかったような気がするな、と」

「……そうだっけ。……ああ、そうかも?」


 膠も記憶を辿った。確かに、あまり頭を撫でられたことはないような。

<紅姫>の記憶の中の紅錯は、姫に付き従う騎士のように従順で、口づけを贈るのも指先だったり足先だったりと細かく過敏な場所ばかりだった。

 紅錯は膠の頭を撫でていた手を頬へと移動させた。紅錯の手のひらから、じんわりとぬくもりが広がる。普段手袋をはめている分、素肌の体温はいささか高く感じた。


「――あなたはいつも俺を誘惑するからな」


 紅錯の口角がかすかに吊り上がった。あまり見ない表情である。

 心臓が大きく飛び跳ねた、気分だった。


「ゆ……!? し、……し、てないと思う、けど……?」

「まあ、ふたりがうるさいからな。致し方ないか」


 言い合うふたりを牽制する意味で、紅錯は膠を横からかっさうことが多い。それで(いさか)いはやむのだ。そして<紅姫>はよくそうして騒動を鎮圧してくれる紅錯に褒美を与えていた。

 不意にその記憶がよみがえった膠は被っていた布団を強く引き寄せて顔を隠した。頬が熱い。


「……その節は世話をかけたよ、紅錯……」

「? 寧ろ世話になったのは俺の方だと思うが?」

「……ッ」


 そんな冗談を言う男だったろうか。膠がますます縮こまるのに対し、紅錯は柔らかな笑みを浮かべて再び頭を撫でた。

 初々しい恋人のような態度を取る膠に凛龍も紅凱も毒気を抜かれ、そしてそうした彼女を自然と引き出した紅錯に対し「やはり勝てない」と思った。

 やさしく三人を包み込んだまま、夜は更けていった。

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