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桜雲館の紅姫【完結】  作者: 可燃性
拾捌のこと『不易流行』
123/134

123「受け入れなければ」

「――今の君に抱かれたら最高に気持ちいいだろうねえ、(かや)


 そんな風に言って、恍惚に顔を歪める女を、榧は強く睨みつけた。

 目に痛い色の着物を羽織り、糸目の隙間から覗く赤と金の光は悦に似た色を宿している。

 狂輔(きょうすけ)だ。榧の立場で言えば上司にあたるが、榧の心境としては全くそうではない。今は、己を牢獄に放り込み、最愛と引き離した仇敵に思うほどである。

 狭く薄暗い牢獄の中と外。榧ほどの力があれば簡単に越えられるであろうその隔たりは、豪禅(ごうぜん)という存在がない現状では天と地ほどの差があった。守るべき者が傍にいない状態で、榧が実力を発揮する意味はないのである。


「……豪縋(ごうつい)がこうした、と」

「そうだよ。君の愛息子は一切合切容赦せずこのように処置してくれって小生に頼みに来たんだ。よっぽど、君が仲間の頭をかち割ったことが腹に据えかねたようだね」

「……豪縋を呼べ」

「なんだいなんだい、牢獄から息子に説教するつもりかい? さすがだねえ、榧。君の可愛がりは想像以上でいつも感心するよ」

「よう回る口じゃのう、狂輔。その首……手酷く抱かれた後じゃろ、そういうときぬしは大抵気落ちしとるときじゃ。……瑠々緋(るるひ)はぬしの知り合いかえ?」


 狂輔の口元から一瞬笑みが消える。しかしすぐさま口角はもとの位置へと吊り上がり、「聡明なのに残念だよねえ」と狂輔は言った。


「君ってば観察眼もあるし推理力もある。なんだったら力だって嶺羽(みねは)に負けず劣らずなのにさ。豪禅のこととなると頭がパアになるの、本当に残念だよ。それさえなければ君は『御前六華(ごぜんりっか)』の中じゃ一番……いや、(こう)の次くらいに賢いと思うのに」

「……やかましい。いいからとっと豪縋を呼べ」

「やーだよ。謹慎処分を受けた不届き者の要求なんてのまないよう、小生は。これでも『管理局』の『局長』様、だからね」

「……貴様……ッ」

「ちゃんと反省しておくれよ? じゃないと示しがつかないんだ」

「……示しじゃと?」

「――『慈母』のためさ」


 ふだんの軽薄な口調から一変し、その声は冷え冷えとしていた。聞いたことのない狂輔の声である。榧は思わず口を噤んだ。心なしか周囲の明度が下がったような気がした。


「『慈母』……? (ひとや)が……?」

「君の好き勝手を咎めないなんてあの子が悲しむだろう。だからちゃんと罰して反省してもらわないとね」


 目を見て、榧は嘲笑った。


「っは、ぬしもわてと変わらんじゃろ。そうやって獄のご機嫌取りか、狂輔」

「うるさいなあ、いいからフリでもいいから反省してってば」


 狂輔がくるりと踵を返し、出入り口のほうを見遣った。そして瞠目した。


「え……?」

「あ? なんじゃ」

「……君、誰? あれ? 豪縋君?」

「――いや、俺は豪禅だが」


 その声に榧が色めきだつ。腰を上げて格子にしがみついて狂輔と同じ方向を見ると、そこには確かに豪禅がいた。

 あれだけ長く伸ばしていた髪をばっさりと切り落とした豪禅が。

 身に纏う衣装も普段のゴシックロリータではなく、装飾の少ないすっきりとした黒い衣装だった。


「!? な、な……なんっ……ご、豪ぜ……?」

「一体全体どういう風の吹き回しなの、豪禅? 君、髪を伸ばしたいって言って伸ばしていたんじゃないのか?」

「ああ、だから切りたいと思ったから切っただけだ」

「そ、そりゃあまあ、そうだけれど……」

「豪禅、どうしたんじゃ!? 誰ぞに何を言われた、言うてみい、わてが」

「違う、榧。俺自身が望んで切ったんだ」

「だから誰に――」

「俺が、望んで。俺が、切った」

「な……」


 豪禅の顔は嘘をついている風ではなかった。だからこそ、榧には衝撃的だった。

 髪を伸ばすのは彼の長年の夢であった。艶やかに整えられたそれを情交の時に指で梳くのが榧は好きだった。そうしてもらうのが嬉しいから、と彼もまた手入れに余念がなかった。

 ふたりの愛の証のようなものだった。それを、()()()()()()()

 ゆっくりと榧のもとへ向かう豪禅を、狂輔は驚愕したまま見送った。

 眼前に来てもなお、髪を切った彼が信じられない榧は呆然と見上げるばかりだった。


「……どうして……」

「俺のケジメだ」

「ケジメ……?」

「俺はお前を許し続けた。今でもなお許そうと思っている。――だが」


 豪禅が一瞬目を伏せ、再び上げた。

 赤い瞳は強い意志に彩られていた。


「それでは駄目だ。俺は変わろうと思う」

「……何を、……何を言うとるんじゃ……豪禅……?」

「『蒼氷会(そうひょうかい)』について俺の方で預かろう。――狂輔、閉じ込めておくのはやはり牢獄が適当か?」

「へ? なに? 小生?」


 突然話を振られ、狂輔の目が点になる。対する豪禅は真顔だ。豪禅は冗談を言わない男であり、そして冗談を真に受ける男でもあった。だから狂輔はからかいがある反面、とても面倒くさいと思っていた。

 しかし今の豪禅の真面目さは目を見張るものがある。その面構えはまさしく結菊(ゆいぎく)家を導くに相応しい。


「ああ、お前だ。決定権はおよそ<紅姫>にあるのだろうが……。指示に従って実行するのはお前だろう『局長』殿」

「あ、ああ……うん、ソウダネ……?」


 豪禅の物言いに戸惑いながらも狂輔は返事をする。

 知らないひとと話しているみたいだ、と内心思いながら。


「であれば、牢獄では(いささか)か不便だ。榧は体も大きいしな、だからほかに収容場所があるならそちらに移してもらいたい」

「あ、うん、そう……さ、探しておくね……?」

「よろしく頼む。――榧」

「……?」


 榧は、絶望していた。

 榧にとって不変こそ絶対であった。愛情がそうであるように、豪禅もまた同じであると信じていた。

 変わらぬ愛、変わらぬふたり。それこそ、榧にとって至上だった。

 その事実が覆りそうになっている。現実に打ちひしがれていた。


「俺は変わるが、お前を想う気持ちも関係性もなんら変わりはない。ただ今は、()を通しているわけにはいかないんだ。俺たちは『錠前』だから」

「……豪禅……」

「豪縋のことも叱らないでやってくれ。あの子のやったことは間違っていない」

「……」


 榧は俯き、何も言わなくなった。

 豪禅の真摯な眼差しに本気であることを悟ったのだろう。豪禅は結菊家を牽引していた『当主』だったことに変わりはない。いくら榧が甘やかし、骨抜きにしたとて――彼は決して彼を失うことはないのである。


「それでは後を頼む、狂輔」

「あ、はーい……ウン、……ワカッター……」


 豪禅を唖然と見送った狂輔は、牢獄の中で項垂れる榧を一瞥した。声をかけるのも憚られるほどの悲痛な姿に、狂輔もさすがに茶化せなかった。


(変化は残酷だよ。……でも、受け入れなければ傷つくだけだ、本当に残酷だよ。変わるものってさ)


 狂輔は上着を翻し、榧を入れるのに相応しい場所を思案しながらその場を後にした。

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