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桜雲館の紅姫【完結】  作者: 可燃性
拾漆のこと『その声を届けたい』
117/134

117「やっと会えました」

 服はふだんとさして変わらないものであった。裸身に羽織っていた赤い着物を、薄手のワンピースの上から羽織るようになったくらいの違いだった。足と首の赤い紐は変わらずぐるぐる巻きである。

 着替え終えて、どうだと聞いてすぐのことだった。


「うーん……」


 紅錯(こうさく)紅凱(こうがい)も大柄だ。長躯にみっしり筋肉が詰まっているから抱き着かれて体重をかけられれば当然重い。凛龍(りんりゅう)もふたりほどではないけれど、長身に類する体をしているし彼もまた筋肉質だった。

 反対に(こう)は体が小さい。恒常的に栄養不足だったから、あまり育たなかったのである。生まれ変わってなんとか人並みの肉はついたものの、身長は思うようにいかず低いままだった。

 身長差は天と地ほどある。だから行為の最中押しつぶされそうなることは、ままあったろう。あったろうと、予測の域を出ないのはその記憶が<紅姫>のものだからである。膠には輪郭部分をようやっと捉えられるくらいの認識しかない。だが、今まさに実感している。

 膠は三人の男に押しつぶされていた。


「……あのさあ、……ねえ、ちょっと」

「……」


 誰ひとりとして言葉を発しない。

 狂輔に凛龍を呼ぶようお願いして、彼はほどなくしてやってきた。一言二言交わしたくらいで凛龍が無言のまま膠を抱きすくめ、ついで後ろで見守ることを放棄したふたりがのしかかってきた。

 男三人が織りなす団子の中心で、膠は身動きが取れなかった。


「どいてくれる? 俺が死ぬんだけど」

「……」


 死ぬ、という言葉を出した途端、すっと三人がほどけた。まさにほどけるに相応しい身の引き方だった。皆真顔で正座をしている。怖かった。


「やあ……ええっと。……凛龍? 大丈夫?」

「……芸能人に好きとかないんすけど」

「うん?」


 突然何の話なのか。膠が彼の言葉の続きを待った。


「すげえ好きな芸能人に生で出会った感じってこんなんなんすかね……感動で言葉が出ないっていうか」

「言葉が出ないの?」

「出ないです。今俺の中でいろんな感情が暴れまくっててよくわかんないです」

「だから真顔なの?」

「笑っていいのか怒っていいのか泣いていいのかわかんなくて……」


 要するに混乱極まってどういう感情であればいいのかわからない、といった風らしい。

 紅錯が真顔なのは常であるし、紅凱は嫉妬心を必死に抑え込んでいるのが丸わかりだったのでふたりについては言及しなかった。

 膠はとりあえず凛龍の頭を撫でるため立ち上がる。するとタイミングを狙っていたのか、彼は上体を倒してそのまま抱き着いてきた。腰を通って背中で交錯する腕に力をこめられる。迷子の子どもがやっと親に出会えたような反応だった。膠は銀色の頭を撫でた。肩が震え始める。


「……った……よか、……った……!」


 涙にまみれた声が何度も安堵を口にした。膠は頭を何度も何度も撫でた。


「不安にさせてごめんね凛龍。もう大丈夫だよ。……信じてくれてありがとう」

「……う、……うぅ……」

「いい子だね」

「……い、いこじゃ……ない、です……」


 ぐすぐす言いながら凛龍が律儀に否定した。いい子は卒業したと宣言したからだろう。

 妙な真面目に笑みがこぼれる。


「そう。でも悪い子でも好きだよ、凛龍」

「っ!」


 凛龍が顔を上げた。黄金が涙に濡れて宝石のように輝いている。


「……こ、こぅさ……」

「ああ……もう……。泣かないでってば……俺は泣き止ませるの得意じゃないんだよ……」


 膠が凛龍の涙を何度も何度も拭った。けれど彼の涙はとめどなかった。

 子どものように泣いて感情を露にする凛龍を、膠は慰め、紅錯は黙って見守り、紅凱は呆れながらも笑っていた。

 ひとしきり泣き終えると凛龍は自分の腕で目元を強く拭って立ち上がった。


「おかえりなさい、膠さん」

「はい、ただいま。――凛龍、大きくなったね」


 久しぶりの再会のように、膠が言った。凛龍は面食らって驚いたが、「そりゃあ結構経ってますからね」と答えた。


「『御殿(ごてん)』の準備は整っています。すぐにでも、父さんが迎えに行ける、と」

「そう。龍の背に乗るのも久々だから落とされないよう気を付けるよ」

「大丈夫ですよ、俺の親父ですから」


 凛龍が胸を張るが、後ろで紅凱が「さっきまでみっともなく泣き喚いていたくせによく言いますねえ」と小言を言った。凛龍は振り返って彼を威嚇し、威嚇された紅凱は「っは」と鼻で笑った。ばちばちと火花が散る場面を見るのは、膠にとって初めてだった。<紅姫>の記憶には色濃いのだけれど。


「俺には知らないことばかりだなあ」


 胸中で言ったつもりの台詞が舌を滑った。聞きとめた紅錯が「これから知ればいい」と笑う。膠は彼の言葉を受けて「そうだね」と返した。

 穏やかな空気に、いがみあっていたふたりが肩を落として同時に顔をそむけた。


 ◇


 龍の背中に乗るのはいつぶりだったか。記憶を辿っても自分のものには思い当たらなかったから、膠は思い出すのをやめた。たぶん、それは<紅姫>の記憶だ。

 銀色の龍は機嫌よさげに鼻歌を歌いながらやってきた。屋敷ひとつを覆い隠せるほど巨大な龍は鼻先をぐいっと部屋に押し込み、その黄金色の目で膠を見遣った。凛龍の父、『慈父』銀龍(ぎんりゅう)の本来の姿である。

 ぐるぐると喉を鳴らしたかと思うと、がばりと口を開いて、「おはようさん」と言った。


「……おはよう、銀龍。久しぶりだね」

『そうだな、この姿じゃ随分ご無沙汰だ。ようやっと荒れ狂っていた〝御殿〟もきれいになったからお迎えに上がったぜお姫様』

「ありがとう」

『万事問題なさそうな具合だな。ひとまず乗りな』


 龍の頭がぐっと下がる。つまるところ鼻先から背に渡れということだ。膠が恐る恐る眉間あたりに足を置くと、ふわりと突然体が宙に浮いた。紅錯だった。脇に手を差し入れ猫の子をそうするように膠の体を抱き上げる。首あたりに降ろすと彼はそのまま元の場所に戻った。一緒に行く気はないらしい。<三結界>が誰も行こうとしないので膠は不思議に思って、そのトパーズの塊みたいな目を見遣る。銀龍は瞼を押し下げて『俺の背は定員一名だ』と言った。


「え?」

『〝御殿〟はそうそう大勢で訊ねるところじゃねえぜ、お姫様。精々一回につき一名、ってところだな。それは俺の息子も例外じゃねえ』

「……そう、なんだ」

『タイマン張れって話じゃねえんだから、そう緊張しなさんな。ちゃんと茶も出る』

「別にもてなしのことを気にしているわけじゃないよ」


 膠が言うと銀龍は『だよなあ』と快活に笑った。大きな体で笑うので、その声は轟雷のように響いた。


『そいじゃま、ちゃんと捕まってな。ああ、鱗は元に戻るからちょっとぐらい土産に持ってってくれてもいいぜ』


 そんな風に冗談を言いながら、銀龍は体の向きを変えた。凄まじい風が一瞬視界を塞ぐ。腕で顔を守りながらそっと目を開けると、雲海に囲まれていた。

 整然と並んだ鱗がきらきらと星空のように瞬いている。触れると硬く、金属を平べったく伸ばしたような感触だった。


『鬼の角、龍の鱗……〝狭間(ハザマ)世界(セカイ)〟じゃ価値ある宝物だ』


 膠は説明を聞きながらやさしく鱗を撫でた。無機物のようだが、内側から生き物の熱を感じた。


「そうだね、とてもきれいだ」

『凛龍の鱗もなかなかきれいなもんだが、強度が足りねえ。龍の鱗は成長するほどに硬くなっていくのさ。土産にすんだったらめくるように上に引っ張りな。横に引っ張ると手が滑ったときに指切っちまうからよ』


 銀龍がしきりに土産に、と言うから言葉に甘えて膠は鱗の一枚を言われた通りめくるように剥ぎ取った。剥ぎ取られた部分は黒い地肌が露になった。痛くないのかと心配になったが『すぐ生えらぁな』と銀龍は呑気に言った。


『そろそろ着くぜ』


 鱗を手にしたまま視線を上に向ける。雲海の中に御殿と呼ぶに相応しい豪奢で神々しい建物が浮かんでいた。白を基調としたその建物は、注連縄の垂れさがった鳥居が囲っていた。鳥居は銀龍の接近に気づくと道を作るように横一列に並んだ。


(ひとや)ぁ~帰ったぜ~』


 まるで仕事帰りに玄関の戸を叩くような調子で、銀龍は鳥居の道を進んでいった。

 光があふれて視界を真っ白に変えたかと思うと、次の瞬間目に飛び込んできたのは階段だった。


『悪いが、案内はここまでだ。階段は自力で上がってくれな』

「わかった、ありがとう銀龍」

『お安い御用だ、気にすんな』


 階段は果てが見えなかった。けれどここで駄々をこねるような真似をするつもりはない。

 膠は銀龍によくよく礼を言って雲の中の階段を仰いだ。階段は透明だった。手すりのようなものはなかった。膠はつばを飲み込んで歩き出す。一段一段踏みしめるごとに心の澱が少しずつ浄化されるような清々しい気持ちになった。

 素足で踏む階段は冷たく心地よい。自分の足で歩く不思議な感覚を、文字通り踏みしめながら膠は階段を上がっていった。

 とうとう最後の一段である。意を決して踏み入れるとぱあんと視界が晴れて世界が一変した。

 畳敷きの部屋が薄い布で隔たれている。布の向こうには人影があった。影は膠に気づくと衣擦れの音を立てて近づいてくる。布が影を避けるように開くと現れたのは藍色の髪をした女だった。

『慈母』獄である。

 獄は膠をみとめると、淀みを祓う一陣の清らかな風のように笑った。

 そして、降り注ぐ日の光のように、やわらかに言った。


「ああ、やっと会えました」


 その言葉を聞いて、膠はなんだか無性に泣きたくなった。

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