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桜雲館の紅姫【完結】  作者: 可燃性
拾陸のこと『選んだ彼らのモノローグ』
110/134

110「願わくは」

 城のように聳え立つ巨大な竈の上に、鉄の大鍋がはまっている。(かまど)の中で赤々と炎が燃え上がっていた。

 ここは『管理局』〝第二層・竈〟――死んだ者の『魂』が最初にたどり着く場所。ここで煮詰められると『魂』に蓄積された記憶のすべてが消えてなくなる場所である。

 部屋は石壁で覆われており、鉄扉が等間隔に配置されていた。竈のちょうど正面には鈴のぶら下がった引き戸があった。もうもうと鍋から立ち込める湯気は、鍋の真上にある排煙口に吸い込まれていた。部屋はじっとりと湿っていた。


 大鍋の両脇には、似た格好の男女二人組がいた。彼らは鍋の中で煮えたぎる妙な色合いをした液体を念入りに、へらでかき混ぜていた。

 かき混ぜるふたりのうち、ひとりは男である。銀色の、癖のついた髪をそのまま背中に流している。上半身は纏う筋肉を惜しげもなく曝け出しており、下半身はオリーブ色のだぼっとした作業服に武骨なブーツをあわせている。

 もうひとりは女だった。顔は傷だらけで左耳が欠けていた。目にかかった前髪は横一線に切り揃えられており、うなじあたりで長い後ろ髪を一つにくくっている。彼女は上半身をサラシ一枚で覆い、下半身は男と同じ、作業服にブーツという井出達だった。


 不意に出入口の鈴が鳴った。来訪者の合図である。気づいたふたりが作業を中断し、鍋にかかった長い梯子を下った。ふたりが地面に到着するのと同じタイミングで引き戸が開き、予想していた人物が現れた。

 黒い帽子に、黒い外套、そして真っ黒な傘を手にした『死神』――正式には〝回収課〟――影経(かげつね)である。

 男の方が影経の背後にいる人物に気づく。彼は息を呑んだ。


「影経殿これは……?」


 明らかに動揺した声を出す銀髪の男に、『死神』影経はぶっきらぼうに答えた。


「……見りゃわかんだろ、霧龍(むりゅう)。……新しい『薪』だ」

「いえ、それはわかりますが……瑠々緋(るるひ)殿と……?」

「……」


 影経は閉口する。次に口を開いたのは、霧龍の傍らに立つ女だった。


「<紅姫>殿のご決断ですか」


 女の問いに影経は首を左右に振った。


「……いや。……違う」

「ではどなたの?」

「……花龍(かりゅう)、あまり詰め寄るな。影経殿が困っておろう」


 語気が強くなりつつある妻を霧龍が制した。

 花龍ははっとなって「……失礼」と乗り出した身を引いた。


 影経の背後で、男女二人組は楽しそうだった。これからどうなるのかわかっていないのかもしれない。

 青い目をした青年は、美しい着物を纏った黒髪の女に無邪気に話しかけている。青年が笑うたび、女は嬉しそうに破顔した。仲睦まじい恋人同士にも親子のようにも思えた。


「……決めたのは<紅>のやつでも、誰でもない。……こいつら自身だ」

「え?」


 花龍が驚く。説明しにくいのか、影経は視線を地面に落として黙っていた。

 霧龍はそんな彼の様子を見て、何も聞かないことにした。

 ただならぬ事情がある、そう思った。


「……相わかりました。これ以上何も聞きませぬ」


 霧龍の言葉に影経が顔を上げた。どこか安堵したような様子だった。

 花龍に目配せすると、彼女は戸惑いつつもしっかりと頷いた。『薪』となるふたりに近づくと女の方が気付いて、霧龍をみとめて薄く笑った。


「あら、あなたは朱然薊(しゅぜんあざみ)の」

「ああ、そうだ」

「うふふ――あなたと白椿(しろつばき)はうまくやりましたね、きちんと跡取りを産んだ……」


 霧龍の眉間に皺が寄る。不快感を露に彼は言った。


「やめよ、かような物言いは好かぬ」

「そうですか」


 女は肩をすくめて、笑っていた。

 この先待っているのは苦痛に耐え続ける時間だというのに、ふたりとも恐怖も怯えも見えなかった。

 ひどく穏やかだから、霧龍は内心気味が悪かった。本当に理解をしていないのだろうか。

 そんな霧龍の心中を察してか、なおも楽しげに女は言う。


「私が怯えていないのが不思議ですか」


 霧龍は努めて無表情に、


「……犯した罪の分、汝らは苦しむことになる。それに、一度『薪』になった者は二度と生まれ変われぬ。汝の生はここで終わりぞ、わかっておろうな」


 と釘を刺した。間違っても満ち満ちた顔で向かう場所ではないのだぞ、と。

 霧龍の言葉を聞いても、女の目には恐怖がひとかけらも宿らなかった。


「ええ、構いませんわ。あの方に会えて……そして、傷をつけられるのなら」


 嘲笑と憎悪の混ざった顔だった。霧龍が思わず顔を顰める。


「邪推が過ぎますよ、朱然薊。私は何もしません……()()()()()()()()


 袖で口元を隠してくすくすと笑う女の様子に、霧龍はぞっとした。

 底知れぬ悪意を感じた。濃厚で絡みつくような――。


「……霧龍殿?」


 花龍に呼びかけられて、霧龍は我に返った。

 飲み込まれそうになっていた。これではいけないと頬を両手で勢いよく叩く。

 ばちん! という大きな音にその場にいた全員が驚愕した。

 影経が心配そうに声をかける。


「……どうかしたか」

「……なんでもございませぬ」


 言って、霧龍は青い目の青年を見遣った。

 罪人のようには見えなかった。けれど、ここにいるということは彼の『魂』はぬぐい切れぬ『穢れ』を抱いているという意味である。自分のなすべきはひとつだけ。

 霧龍は青年の体を担ぎ上げた。彼は抵抗しなかった。


「あれ?」


 およそ体の変化に気づいたのだろう。でも彼は暴れなかった。

 花龍が女を横抱きにしていた。彼女が履いた足袋の先から茶色く干からびている。

 赤々と燃える炎に近づく頃には、青年も女も体の半分が『薪』になっていた。

 青年が、「ねえ」と声をかけた。霧龍は「……なんだ」と感情を押し殺して応じた。


()()()()()()()()()()

「……!!」


 霧龍は一瞬、炎の中に投げるのを躊躇った。

 幸せ? 今この瞬間が? わけのわからない気持ち悪さに青年を見ると、彼は無邪気な子どものような笑みを浮かべていた。


「女神さまと一緒に死ねるんだもの」


 青年の顔が茶色く変色していく。あっという間に『薪』になっていく彼を投げた。

 最後に彼が浮かべた笑みを振り払うように。

 花龍もまた同様に女を放り込んだようだが、彼女もまた顔色が悪かった。

 ぱちぱち、と音を立てる薪の中に、女の哄笑が響いている気がした。


 ◇


 碧衣(あおい)と瑠々緋の顛末はわかっていた。わかっていたから、止めなかった。

 (ひとや)は静かに目を瞑る。そして眼前に広がる曼荼羅(まんだら)に祈った。

 彼女が祈ると、周囲に透明な花が咲いた。はなびらも茎も何もかもすべて透き通っていた。

 どこから風が流れてくる。頬を撫で、髪を揺らし、花びらが音もなく宙を舞う。

 宙に舞ったそれは空気に溶けて、煌めきとなって霧散した。


「……願わくは、彼女の悪意が燃やし尽くされんことを」


 彼女の目からひとつぶ、悲しみがこぼれた。

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