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桜雲館の紅姫【完結】  作者: 可燃性
拾伍のこと『正体』
104/134

104「ごきげんよう」

 かつての女神はその嫉妬ゆえ、世界すらも滅ぼそうとした。

 女神の想いを受け止めた『慈母』はその身を挺して、世界を守ろうとした。もはや力の残らぬ身を最後の慈悲を以て封じたのである。

『慈母』を失っては立ち行かなくなる――だから、()()()()()()()()

 それが、今の世界。何度目かの、始まりだった。

 最初の始まりを生んだのは紅凱(こうがい)。次の始まりの契機もまた、紅凱であった。

 何の因果か――否、およそ紅凱であってしかるべきだったのだろう。

 彼は――。


 ◇


 和室を離れた紅凱はその視線を廊下に向けた。

 廊下に佇んでいるのは少女。銀色の髪に瑠璃色の瞳、見慣れない白黒の衣装と古びたトランク。見目こそ姫綺(ひめあや)なのだけれど、雰囲気がどこか違う。

 紅凱は彼女の正体について知らない。しかし、同じものだからなんとなくわかることがあった。


「……連れてきましたよ。だいぶ、嫌われているようでしたが」


 ため息交じりに紅凱がそう言うと、姫綺は疲れたように笑った。

 (こう)は別にいる、連れてきてほしい。このままだと彼女は消えてしまうから。

 そんな話を藪から棒にされて勿論驚きはした。したが、それよりも『消えてしまう』という言葉が紅凱たちの背中を押した。


「嫌われているわけではない、と思います。膠さんご自身、こうなることを予想していなかったようでしたから」

「なのにあなたは予想がついた」

「……はい」

「……さすが、といったところですね」


 紅凱の困ったような顔に、姫綺もまた同じ表情をした。


 ◇


『桜雲館』には多種多様な部屋がある。

 和室は当然として、洋室の準備もあるし、コンクリート壁に囲まれた牢獄のような部屋も用意されていた。狂輔が悪意を持って手を加えている部分もあるけれど、基本的な部分はすべて、<紅姫>が関与している。だから部屋の種類にも何か意図があるのだろう。だが考えたことはないし、教えを乞うたこともない。そうしたいならそうさせるべき、と紅凱含め<三結界>は思っているからだ。


「究極の甘やかし、でございますね。だからこそ今の今まで彼女は身を隠していたのですけれど」


 そう言ったのは姫綺だった。

 レースのカーテンがかけられた窓がひとつだけある、洋風の小部屋。

 机と二脚の椅子だけ用意されたその場所に、姫綺と紅凱は向かい合わせで座っていた。机の上にはいつの間にか紅茶が用意されていた。優雅な仕草でカップを口元に運びながら姫綺が言う。

 紅凱は何も言わなかった。

 甘やかすとは考えていない。彼女はこの世で最も大切にするべき存在なのだから、そう扱いのは当然である。少なくとも紅凱が創造されてから膠以上に大切なものは存在していない。たとえ息子であろうと、膠と比べてしまえば妻のほうに傾くのだ。


「……身を隠していた、というのはあなたも同じことでは?」


 紅凱の追及に「ええ、そうでございますね」と姫綺は笑った。


「あなたは月光都(げっこうと)姫綺……ではないですね?」


 姫綺は先ほどと同じように肯定した。

 ええ、そうでございますねと笑みを崩さないまま。


「いつぞやにお会いしましたが、その時あなたの名は訊いておりませんでしたね」


 朧気に覚えている。

 ぼんやりとした意識の中に、少女の声がしていた。


 ――やはり、これは

 ――慈母様のために

 ――取り戻さねば


 あれは確かに姫綺の声だった。けれどその時のことを聞く機会を逸していた。

 たぶんこれが、そうである。

 紅凱は姫綺を見据えた。


「あなたは、一体誰ですか」


 紅凱が訊ねる。

 姫綺は微笑んだまま、答えた。


「私は、『魔女』でございます」


 紅凱は眉間に皺を寄せた。



 ◇


 精霊。――それはあらゆる現象の根源。

 魔女。――それは精霊を管理し統率する存在。

 精霊はもともとこの世界にいたけれど、『魔女』は神々が創った。しかし『魔女』はなかなかひとに受け入れられなかった。

 妖しき術を使う異端の者。そういう風に見られて迫害された時代もあった。それでも生き続けた。生き続けた最後のひとりが、


「私の母、銀華麗氏(ぎんかれいし)瑠璃光(るりみつ)でございます」


 姫綺は苦々しげに言った。

 紅凱も『魔女』に関する知識はあった。紅凱と紅錯もまた神々に創られた存在だから。

 そういうモノがいるという情報は、創造された時点でインプットされていた。

 ただし、あくまで情報としてだけだった。

 紅凱が創造されていた時には既に『魔女』はいなかったから。


「確か、『強欲の魔女』……と呼ばれておいででしたかね」

「ええ。母に対する記憶であるのは色狂いで強欲だった、ということだけでございます。私はたまたま生まれた副産物……いえ、母に言わせてみれば〝景品〟だったそうです」

「景品、ですか」


 神の被造物でもその言いぐさが実の娘に向けるものではないということはわかった。


「はい。髪の色から察するにおそらく『龍神(りゅうじん)』のどなたかと交わって生まれたのが私だと思いますが、……父親は存じません」

「『龍神』すらも誑かす『魔女』……なかなかお強いですねえ」

「実力はありましたから。……人格は、破綻しておりましたけれど」


 姫綺は視線を外したまま言った。


「……それで、あなたはどうして生き残ったのです?」


 紅凱が訊ねた。

『魔女』は淘汰されたはずだ。ほかでもない生みの親たる神々の手によって。

 姫綺が持つ、瑠璃色の光が紅凱を見た。瞳の中には片目にそれぞれ異なる模様が浮かんでいる。

 薔薇と三日月の模様だった。


()()姿()()()、その理由でございます」


 詳らかに語らぬ姫綺に、紅凱はただ、「……なるほど」と返した。

 つまるところ、()()()()()()()()()()で、『魔女』の身を隠匿していたである。

 紅凱の返答を聞いてすぐ、姫綺ははっとなった。それからぽんと手を打って、「そういえば」と言った。


「名乗りそびれてしまいましたね、私の名は」


 姫綺はおもむろに立ち上がった。

 そしてスカートの裾を掴むような素振りを見せて恭しく礼をとる。


「ごきげんよう、神に創られしモノ。私の名は銀華麗氏綺光(きみつ)。姫綺を名乗り今の世まで生き延びた『魔女』にございます」


 紅凱もまた同じく立ち上がって胸に手を当てるとお辞儀をした。


「お初お目にかかります『魔女』。私は紅凱。『第一機構・王の座』にて創造された『統率機構(とうそつきこう)

 でございます」


 それは、神々が創造したふたりの邂逅(であい)だった。


 ◇


「紅錯さんは、あなたの……」

「もとは副産物でございました。しかしながら出来がよかったので『複製品(レプリカ)』として共に」

「なるほど、ではあなたは」

「『原盤(オリジナル)』というものですね、天上種は『本基(ほんき)』などと呼んでいたそうですが」


 神々は下界には降り立つことのない高貴な存在である。逆を言えば天に縋りついてふんぞり返っている無能、とも言えなくもない。

 直接は手を下せないから相互干渉を図るための道具を用いるのだ。所謂インターフェイスである。

 それが、綺光――正確には母である瑠璃光だが――であり紅凱だった。


「あれは唯一無二の『増幅回路』です。ゆえに天上種たちの関心は高かった……だから私の性格および趣味嗜好――すべてを複製させて宿したわけですが。自我を破壊されたと誤認して落胆する天上種を見たときは心がすかっとしましたね」

「なるほど。紅錯さんを守ろうとなさったのですね」

「さあ……わかりません。今思えばそうなのかもしれませんけれど」


 ひととしてはまだ不完全でしたから、と紅凱が付け加えた。


「それよりも膠君のことを知りたいのですよ、私は」

「ああ、そうでございました。失礼」


 綺光が居住まいを正した。

 ここから本題である。


「申し上げました通り、そして、実際にご覧いただいた通り、<紅姫>というのは膠さんが創造した登場人物……いわばキャラメイクされた膠さん自身の理想の姿です」

「理想の姿、ですか」

「<紅姫>と膠さんと同じ領域内には存在できません。即ち『外』に出ると膠さん……プレイヤーと同じ領域内に理想上の人物が存在することになりますから、<紅姫>に致命的な欠陥が生じます」

「……なるほど」

「現状<紅姫>は機能しておりません。だから膠さんはリセットをしようとした」

「……」


 ――ミスったんだ、わるかったよ


 膠はそう言った。

<紅姫>の機能を停止させたことが、彼女の言うミスなのだろう。

 紅凱は自然と拳を握っていた。


「……よくお気づきになられましたね」


 自分自身の至らなさにひどく悔やみつつ、嫉妬をわずかに滲ませて紅凱が訊ねた。

 綺光は紅凱の思っていることがわかるのか、「私も同じでしたから」と答えた。


「私も自分自身を好きになれなかった。母の面影があると思うと姫綺でいることのほうが正しいように思えた……変えてくださったのは周囲の皆様と、やはりあなたの息子さんのおかげでございますね」


 綺光の言葉に紅凱はなんだか面映ゆかった。

 息子たちのことは紅錯に任せっぱなしであったから、自分はほとんど交流がなかった。寧ろ敵対していたくらいだったから、そんな風に言われるとなんとも言いがたい気持ちになる。

 だから否定するように紅凱は首を横に振った。


「……私は、父親として何もしてやっておりません」

「あなたがどう感じていらっしゃろうと、あなたはふたりの父親でございますよ。誰よりもふたりが、蓮兄(れんにい)さんと紅壽(こうじゅ)がそう思っているのだから」


 父親がふたりなんて稀有な現象に、息子たちはすぐに順応した。

 どちらをどう呼ぶか悩んだようだが、結局どちらも「父さん」と呼んでいた。


「……()()()()()()()()()()()()()、か……いやはや、我が身に染みるような言葉とは思いませんでした」


 いつかの<紅姫>の言葉である。親を親として作るのは子どもである、と。

 父親らしいことのすべては紅錯に任せていた。自分には別にすることがあったから、息子たちとは生まれてすぐ離れた。もちろん、膠とも。

 それからはずっと敵として皆の前に立ち続けていた。だから、あっさりと受け入れられてしまって紅凱の方が困惑した。

 そのことを思い出して紅凱は溜め息交じりに言った。


「まったく……『御前六家(ごぜんりっけ)』も『六華(りっか)』もお人よしが過ぎると思います。操られていたとはいえ、世界を壊す要因となった男をああも受け入れてしまうとは」


 すると、「あら」と綺光は意外そうな声を上げた。


「どうであれ膠さんの夫君ですもの。警戒することなんて何もございませんよ」


 紅凱は一瞬呆気に取られて、それから破顔した。


「……そうですね。膠君が信じる者に間違いはない、か」

「ふふふ」


 くすぐったい気持になって紅凱は首を掻いた。

 それから上がった口角を真一文字に戻し、綺光を見る。


「自分と同じように自分ではない誰かになっていたからこそ、あなたは膠君が<紅姫>を創造し自分自身が消えてしまおうとしていたことがわかったのですね?」


 紅凱の確認に、「はい」と綺光は明瞭に頷いた。


「なんとなく操り糸のようなものが繋がっているように感じました。一度だけ膠さんは『幸せはいつか壊れてしまうから怖い』とおっしゃっていたことがあって……その時は『昔の俺はそんな風に思っていたんだけれどね。今は全然怖くないよ』と誤魔化しておいででしたけれど」

「……」

「<紅姫>という存在を通じて膠さんは幸福を享受することができるようになった。なぜならそれはかつて嫌っていた自分ではないから。そう思うだけで安心だったのでしょうね」


 嫌いな自分と理想の自分。

 わがままを言い、笑い、幸せな自分。

 それを見る自分。

 ――歪な形で享受する幸福。


「お聞きしたいことがございます」


 紅凱が訊ねた。綺光はやわらかく笑って返事をする。


「はい、私でわかることでしたら」

「膠君の顔は黒い影に覆われておりました。あれはなんですか」


 姫綺の視線が微かにした方向にずれたのに、紅凱は気づいた。

 しかしそれを指摘する気にならなかった。


「『顔のない隣人』でございます」

「顔の……?」

「膠さんは段々と本来の基礎となっていたご自身すら捨てようとしていた。ひとの欲望を食らうことで、己の器を圧迫して消そうとしていたのです」

「な……!」


 紅凱は目を見開いた。


「<紅姫>の役割である『魂』の『穢れ』を食らう行為。あれは<紅姫>自身が空っぽだからこそ溜め込めるのです。でも、膠さんを基盤としていますから溜め込めば溜め込むほど、彼女の存在を圧迫します。ドッペルゲンガーが周囲に認知されることで本人と同一視される……、ようなもの、でしょうか」


 ここに、ふたりの同じ顔の人間がいる。

 片方は周囲に認知されていて、片方は全く知られていない。

 とすると、その顔を持つ人間はたったひとり、と認識されやすくなるだろう。

 誰の記憶にも残らない存在――それは果たして存在していると言えるだろうか。

 膠がやろうとしているのは、初めからドッペルゲンガーなど存在しないと認識させることである。


「それはつまり……、このまま<紅姫>が『魂』を食らい続ける行為こそ、膠君が消えてしまう原因だと……っ?」


 紅凱の問いかけに綺光は神妙な面持ちで頷いた。

『魂』の『穢れ』を軽減することで、『大鍋』に運搬したとき火力を上げずに済む。だから狂輔――『局長』もその行為を容認していた。彼女自身苦痛を訴えたことがないから特に問題ないと認知されていたが、それこそが膠を蝕んでいたなんて。


「……膠さんはもしかしたらずっと、……死にたかったのかもしれません」


 それは奇しくも碧衣(あおい)の望みとよく似ていた。

 ひとりがいいか悪いかの違いだけで。


「……膠君……」


 紅凱は額を手で覆った。

 変わったのは良い兆候だと思っていた。

 前向きになれたのだ、と。


「紅凱さん」

「……はい」

「膠さんはとても頑固です。説得は、……一筋縄ではいかないか、と」

「……」


 紅凱は知っている。

 彼女は一度決めたことに対し頑として譲らない部分があった。

 連れてくる最中、ずっと「俺は膠じゃない」と言い続けたその心がそう簡単に開くことはないだろう。

 だとしても、選択肢はひとつだけ。話を聞いたその瞬間、思ったことだった。


「――覚悟の上でございます」


 紅凱は言った。

 おそらくこれは紅錯も凛龍も同じ。

 愛する者の真実を受け入れずして、なにが夫だ。

 人生を共にすると誓ったのなら、それは最後まで貫き通す。

 紅凱の目に意思をみとめた綺光が、眩しいものを見るように微笑んだ。

2024/07/08 加筆修正

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