103「*****」
――どこでなにを間違えた。
選択肢は問題なかった。どこの分岐で俺は間違えたのだろうか。
間違えたのは直さないといけない。
バグはデバッグして、元の通りにしないと。
なのに、なんで。
「……離せよ」
俺が言ってもふたりは言うことを聞かなかった。
<紅姫>じゃないから当然だ。けれど俺がここにいたら、彼女は動けないから離してほしかった。
物語の再起動を行わないと。早くしないと。
俺はこの物語の端役ですらない。俺はこの物語には登場しない。存在しない。
だからここにいてはいけない。
「離せよ……なあ、離せって」
「……」
「……」
「おい、聞いてんのか。離せよ、<紅姫>がバグっちまってんだ、早く直さねえと」
「……」
「……」
「なあ……頼むよ……」
今の俺はがっちりと腕の中に抱きかかえられている。動けなかった。
抵抗する体力がないのだ。もともと俺は貧弱だった。
俺が泣きそうになっているのに気付いているくせに、どちらも何も言わなかった。
そりゃあそうか、俺はもう膠ですらない。
俺のわがままをふたりが聞く義理はないのだ。
膠の残骸、残りかす。全部の物語を大団円にしたら俺は消える予定だった。消えるためには存在を縮小させる必要があって。そのために、他人の欲望が必要だった。
<紅姫>がそれを食って、他人に名前を――膠という本当の名前を――渡せば渡すほど、俺を押しつぶしてくれる。『魂』だって軽くなるから火力を上げなくて済むし、全部に得があることなのに。
人形が人間になるみたいに、俺の理想は現実になる。
なりそうだった、のに。
「……ミスったんだ、わるかったよ」
「……」
「……」
「俺としたことが、まさか場所が割れるなんて思わなかった。俺のミスだ、悪ぃ。だからさ、離して――」
「先ほどからなんの話をしているのか、私にはさっぱりわかりません」
冷たい声が頭の上から降ってきた。
俺は怖くてそっちが見られなかった。
「何がミスなのでしょうか。私はあなたをお迎えに上がったのですが」
「……なに言ってんだよ? 俺はもう膠ですらないのに俺を迎えに来る必要なんかないだろ?」
「……膠君」
「俺はもうその名で呼ばれる存在じゃない……。お前の膠は『桜雲館』にいるあいつだけだよ」
「……頑固なのは相変わらずですね」
「……わかんない……」
どこに向かっているのだろうか。
まさか俺は自分が自分で創ったものと出会おうとしているのか?
そんなことあってはならないのに。でも動けない。体力がないし、そもそもこの体には筋肉とか臓器とかそういうひとであるために必要なモノが入っていない。
関節が錆びているみたいに抵抗できなかった。
「膠君、お話は少しだけ聞きました。ご自身がお嫌いだからこそ、<紅姫>を創造されたと」
「……」
「膠君がご自身をお嫌いだってこと、私はずっと知っていましたよ。子どもができてもずっと俺が母親でいいのかなって常々おっしゃっていましたよね」
うれしかったのは本当だ。
うれしかった? いいや、これは俺の感情じゃない。
だってこの感情は幸福だから。幸せなものは全部俺のものじゃない。
「でしたら、私の……私たちのことも、お嫌いなのですか」
悲しい声だった。
なぜだろう。どうして俺にそんな風に話しかけるのだろうか。
「おかえりなさいませ」
そう言って門番が出迎えた。
垂れ目で銀髪の、人の好さそうなやつ。
腕の中の俺を見て「おひさしぶりです、と言ったほうがいいでしょうか」と訊いてきた。
俺は顔を見たくなかったし、見せたくなかったから、反応しなかった。
それでも何も言われることはなかった。
連れていかれたのは最上階――<紅姫>の寝室――ではなかった。
殺風景な広い和室で、ああそういえばここで七葉って女は本條の正体に気づいたんだっけなと思い出した。
俺は畳の上におろされた。前髪の間からふたりを盗み見ると、どちらも困惑した表情で俺を見ていた。
そんな顔をされる覚えなんてない。
「……」
「――カセットに関しては一時的にこちらでお預かりいたします」
その言葉に俺が勢いよく顔を上げると、視線が合った。
恐ろしいほどにやさしい金と赤の瞳。泣きそうになるからやめてほしかった。
俺を好きだという目は、こわい。触れるとすぐ壊れてしまいそうだ。壊したくなんてないのに。
「ああ、やっと顔を見せてくださいましたね膠君」
「……あ」
そう微笑まれたので俺は顔を伏せた。
眩しくって目がつぶれちまう。
「紅錯、しばらく膠君と一緒にいてくださいますか。――私は彼女に」
「……ああ」
彼女? 彼女ってだれだろう。
わからないが、俺にはどうでもいい。
カセットとゲーム機はセットでないと意味がない。<紅姫>を再起動するにはカセットが必ず必要だった。
あれが彼女の基礎をつくるものだから。でも、返してもらえないんじゃ俺は何もできない。
俺は残骸だから。ゴミくずだから。
体がやさしく包み込まれて、抱き締められたことを知る。背中に手を回す気にはなれなかった。
ただこぼれたのは、最初と同じ言葉。
「……なんで」
「……」
答えの代わりに頭を撫でられた。
何度も何度もやさしく撫でられた。
まるで大丈夫だよ、と言われているようで。
泣きたくなるほどやさしかった。
 




