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夢の島のありす  作者: 綾埼空
終天
2/9

01

 かつて、籠のなかの鳥が羽ばたいていくのを見送った。

 幼少のころ、生まれながらに自由を知らない鳥を手慰みにと与えられた。

 生き物は好きだった。さわれずとも、営みを見ているだけで好ましい感情を得ることができた。

 その鳥は、いつだって窓の向こうの空を見ていた。羽ばたくことも知らないくせに、瞳だけが空を知っていた。

 だから、空へ羽ばたいてほしいと思った。そのための機能(つばさ)はあるのだから。

 けれど、私に籠の鍵を開けることはできない。そのための機能(てあし)がないから。

 鳥は、一生そのままなのだ。

 むごいことだと感じた。

 私と重ね合わせたわけではない。私ははじめからこれが限界だから。

 どこへでも行けるのに、どこにも行けないのは悲しいと思ったのだ。

 その事実に夜な夜な涙した時もあった。

 この心中をだれかに話すことはついぞなかった。せっかく買ってもらったものを逃がしてくれというのはわがままだとわかっていたから。

 なのにその日は、不意に訪れた。

 動くことを知らなかった金具が軋む音を立てて、鳥籠の扉が開かれた。

 突然に提示された自由へ鳥は首を傾げたりしていたけれど。

 それが与えられたことへの疑問はなく、それが当たり前とばかりに翼をはためかせて飛び立った。

 ひな鳥みたく不器用に飛んでいく姿に目を奪われ、思い出を塗りつくされた。

 だから、籠を開けた人がだれだったかは、よく覚えていない。興味もない。

 ただ、今でも思うのは。

 目もくらむ彼方へ飛び立っていったあの鳥は、どこまで行けたのだろう。



 ◇ ◇ ◇ ◇



「……ん」


 目が覚める。

 かすむ瞳に映るのは天蓋で、いつも通りの夜床だと有栖はあくびする。

 夢を見ていた気がしたか、どんなものであったか忘れてしまった。


「夢はすぐにどっか行っちゃうからいやね」


 手を支えに上体を起こす。するりと落ちたタオルケットを払い、片腕で伸びをした。

 固まった体がほぐれていく感覚に、ぼやけた意識も輪郭を取り戻していく。


「おはよう」


 抱きかかえていたティディベアに挨拶した。

 くすんだ毛並みのくまだった。修繕の跡もいくつ、と数えられる程度に見受けられる。

 有栖が幼少のころから愛用していたぬいぐるみだ。

 空いた枕元にティディベアを寝かしてやり、ベッドから降りる。

 ぺたぺた素足のまま、姿見の前まで移動した。

 そのことに、彼女のなかで違和感はない。

 鏡のなかに反射する少女は、彼女が嫌気のするほど代り映えがなかった。

 ざっくり切り揃えた夜色の長髪は、手櫛のいらないほどに整っている。

 十の齢から二年経っているというのに、いっさい幼さの抜けない顔立ちも健在。

 身長も六年前から変わらぬまま。姿見の前にしても、母親の真似事をする幼子にしか見えなかった。

 ないをいくつも重ねたのが霧切有栖であった。


「ないものねだりをしても仕方がないわ。今あるものを大切にしましょ」


 真白のパジャマをはらりと脱ぐ。鏡に映る手足に継ぎ目はない。しいて特徴的な部分を挙げれば、ふとももの内側とわきの下にひっそりと、二対の翼の刻印が入っていることぐらいか。

 肉感の薄い、未成熟な肢体であった。

 キャミソール姿のままクローゼットを開く。

 中にはびっちりと同じ服がセットで並んでいた。そのうちのひとつを取り出す。

 いわゆるロリータと呼ばれるその服は、着脱のに繊細な砂糖細工を組み上げるような手間を要する。

 だからといってその苦労に応じた動きやすさがあるわけでもない。

 可愛らしさという拘束具。

 けれど有栖にとって、その重たさが愛おしかった。

 姿見に目を配ってほころびがないかを確認する。

 ひらりと一回り。スカートがアンブレラのように膨らむ。


「よしっ、今日もかんぺき」


 したり顔でひとり、出来栄えに満足する。


「さて、今日は何をしようかしら」


 一日の予定を思い浮かべる。優先順位と所要の時間を、頭の中に作った溶けにはめ込んでいく。


「よし。まずはご飯よね」


 ざっくり概算で一日の使い方を決めた有栖は、冷蔵庫の中身を思い出し――その思考にさざ波が立つ。

 こんこん、と。

 ノックの音がした。


「っ!?」


 音源は外。

 有栖は反射的にベッド脇へ滑るような動作で足を運んだ。上体を屈め、ベッド下に隠していた抜身の刀を手に取る。

 この島に有栖以外の住人はいない。公的には、だれも存在しない無人島としてここは登録されている。

 いるとすれば昨日の零號の宿主のような、不法侵入者だ。

 ましてやこんな場所にノックをするなど、有栖の存在を理解しての行動だろう。

 有栖が消えて得をするものなど、今はごみの数ほどもいるのだ。

 そろりと窓から外を窺う。

 山積した瓦礫と草も生えない荒れ野から目線を下に。

 角度の問題で見えにくいが、扉の前に人がひとりいた。

 手のなかで柄を回す。刃を自身へ向けるように持ち替える。

 窓縁へ跳び乗ると同時に窓を一気に開け放つ。つま先でわずかな段差を掴み取り、一気に上体を中空へ投げ出す。


「――っし」


 短く息を切り、地面へ向かって思いっきり蹴り出す。

 音に反応してか顔が有栖のほうへ向く。どういう嗜好かわかりかねる丸眼鏡が特徴的な、男に見えた。

 わずかな視線の交錯。だが遅い。

 反射が意識へ切り替わる前に有栖は接地する。

 男の懐に降りかかる黒い影(ありす)

 その狙いは顎先。鈍色の峰がかすめる軌道で振り上げられる。

 針のような精緻な鋭さ。

 その細やかさ故、不意を突けば絶対に避けるすべのない一閃。

 しかして、それもまた反射か。

 男の上体が半歩後退した。

 低い鼻頭の薄皮一枚も捉えられずに刀が泳ぐ。

 そのまま体を回して蹴り上げようとした有栖だったが、その前に気づく。

 やけに着慣れた燕尾服の胸元。

 有栖の手足に刻まれているのと同じ文様のバッチがついていた。


「ごめんくださいな」


 動きを止めた有栖に向けて男は口を開いた。胡散臭いしゃべり方だった。


「本土から派遣されてきた者なのですが……案内状、届いてませんでしたか?」


 問われ、有栖は思い出してみる。

 といってもすぐに「あー」となんともやる気に欠けた間延びした声を出したのだが。有栖の脳内では別にシナプスははじけず、受容体もそれらしい働きを求められることもなかった。

 膝を軽く曲げて跳躍する。

 くるりと背面跳びの要領で、巻き戻しのように二階の自室へ戻る。

 ベット脇の引き出しを開け、封の切られていない手紙の束の、一番上のをつまみ出す。

 丁寧に口を切って、中身の文章に目を通した。

 そこには、破壊された廃棄技術の復活の原因究明の命令と、それに伴う人材派遣の旨が記されていた。


「これのことか……」


 自身でもたちが悪いとわかっているが、必要に迫られるまでものをそのままの形で保管してしまう癖が有栖にはあった。

 自室の扉を開け、ぼろぼろの廊下を渡り、ぎしぎし軋む階段を降りる。

 大きなエントランスに着き正面、出入り口の扉を開け放った。

 いきなり襲い掛かった有栖を咎める視線もなく、ただ茫洋と突っ立った男を出迎える。


「ようこそ、廃棄された可能性の残骸が積もる、夢の島へ」


 非礼を詫びるため、有栖は腰を折った。


「先ほどは失礼しました。私がこの島の掃除屋を任されている霧切有栖と申します」

「ええ、お姿は写真で存じ上げております。行き違いのないようでで幸いです」


 目線を配れば、男はそう言って微笑んだ。

 眼鏡かけのような男だと有栖は思った。

 全体の特徴がどうにも薄い。燕尾服すらなじみすぎて男の影のようであり、唯一まんまるの眼鏡だけが浮足立って強い印象を与えてくる。

 男が左手を掲げる。なにやら紙袋を持っていたようだ。


「簡素なものですが、どうぞ。そちらを摘みながらご報告を聞いていただければと」

「さっそくお話? 有能なのね、あなた」

「これもただの手土産ですよ。終天の飛行観測がなされましたので」

「終天……?」


 終天という固有名詞に、有栖は聞き覚えがなかった。

 つまりは有栖が壊したことのない廃棄技術ということで、そんなことは本来あり得なかった。

 それを踏まえての報告なのだろう。

 有栖は横に逸れ、男を迎える体制をとった。


「どうぞ。見ての通りぼろぼろの家屋ですが、雨風くらいはしのげますので」


 家屋の上体に目を配る男。有栖に言われたから建物の状態を認識したとばかりに目線を走らせる。その瞳には、カビとツタが這いずり回り、今にも崩れ落ちそうな焦げ色の館が映っていた。

 こんな廃屋が夢の島において唯一現存する建物だというのだから、廃棄技術(ごみ)の投棄場というのも頷けよう。

 一通りねめ回した男は歩を進めた。

 足音がしなかったことに有栖は少し驚いた。

 今にも割れそうなほどに張り詰めた床は、うぐいす張りにも負けず劣らずの鳴き声を発する。

 歩き方を見ても特殊かどうかは判別できなかった。別に武芸者でもなんでもないのだ。


「どうかされました?」


 問われ、有栖は頭を振るう。


「いいえ。客間へ案内しますので、どうぞこちらへ」


 戸を閉め、入口正面にある部屋へ向かう。足音はしない。

 左手に伸びる階段を無視して扉を開ければ、そこが客間であった。といっても、飾り気のないテーブルに五脚の椅子が並んでいるだけなのだが。

 だれが使うでもない空間は、やけに朽ちて見えた。せめてほこり被っていないことに家主の性質が見える。


「そういえば」


 有栖は客人へ席を勧めようとした矢先に、そう前置きした。


「あなたの名前を聞いていなかったわね」


 手紙には固有名称までは書かれていなかった。


「自分に名前はありません。それでもしいて固有の名称が必要ならば……どうぞ、名無しとお呼びください」

「ななし……名無し、ね」


 有栖は手で着席を促した。同時に彼女も座る。椅子は、人をもてなし慣れていないように甲高い音を立てた。


「じゃあ、名無しさん。その終天? について伺いましょうか」

「ええ。けどその前に、そちらの包装を解いていただければと」

 今まさにテーブルの上に置いた紙袋を指さされる。


 別に中身を急いて確かめようという気持ちはなかった。だから、その促しを卑下にする必要性もなかった。

 言われるがままに質素な包装の箱を取り出して、糊付けを刀の切っ先で剥がす。

 店名だろうか。筆記体の横文字が印字された箱を開ければ、なかには小瓶が眠っていた。

 瓶のなかには、色鮮やかな十色の何かが入っていた。

 最初は、金平糖かと思った。

 だけど、あんなにちっちゃくもとげとげもしていない。

 指先でつまんでも逃げなそうな大きさで、もっと丸っこい。


「なにこれ?」


 矯めつ眇めつしていた有栖の疑問は、ふいに言葉となった。


「マカロンですよ。本土では珍しくもなんともない、いたって普通の洋菓子です」

「まかろん……」


 有栖の瞳がまじまじと興味を示す。

 はしたないと思いつつも、醸す雰囲気はお預けを食らった犬のそれだった。


「どうぞ」


 その反応を予期していたように、名無しは食指を促した。


「これから苦いお仕事の話をするのですから、その添え物くらいは甘いものがいいでしょう」


 なるほど、と答えた意識は上の空。

 剥き身の刀を床に寝かせ、瓶の蓋をひねる。

 果実のような色合いから想起される芳香はなかった。

 好奇に震える指先で一個、鮮烈な青色の粒を摘み取る。

 雲みたく軽い。

 指先に伝わる感触はさらついており、焼き菓子だとわかった。

 はたして、口に入れても食感はあるのだろうかと訝しみながら唇へ運ぶ。

 食み、舌先で舐める。ほんのりとあまやかな薫りがした。

 喉が鳴った。警戒の堰は切れ、一気に口へ招き入れる。

 噛むと、意外なことに食感があった。

 口の中でほろほろとほころぶ砂糖菓子。

 ほどけて消えていく生地をぺったりとしたクリームが繋ぎとめて、飲み込む瞬間まで軽やかな感触を保ってくれた。


「おいしい」


 その賛辞は自然と口をついた。

 表情が緩んでしまいそうになるのを、深く息を吸って押し込める。

 有栖は甘いものが好きだ。死ぬならホイップクリームに窒息したいと思っているくらいの甘党である。

 有栖の満足が伝わったのか、はたして名無しは「さて」と口吻を切った。


「終天についてお話ししましょう」


 そういえば本筋はそれだったと、有栖は知らず緩んだいすまいを正す。


「私はその終天という廃棄技術に心当たりがないのだけれども」


 本来、有栖の知らない廃棄技術など存在しないはずだ。なぜなら、


「廃棄技術は一通り私が壊したものと思っていました」

「ええ、あなたが掃除屋を任じられる前、不活性化という落としどころでなあなあにしていたものも含めて、すべて壊していただきました」

「ええ。生み出された技術には、利権が発生する。たとえ、いかな不全が伴おうとも。だからこそ、私という必要悪の存在が黙認された」


 ゆえに有栖の知らぬ廃棄技術は存在しない。

 だから知らないとしたら、まだ廃棄されていない技術か、もしくは、


「終天は、壊していただく前に自壊した技術なのです」

「そう、そういう代物なの……」

「ええ。なにせ終天に付随した不全は、絶対に宿主を墜とすというものですから」


 廃棄技術には、破棄されるに足る理由が存在する。

 技術とは、持ち主の機能を拡張するものである。

 その代償として、持ち主の可能性を奪い去るとしたら本末転倒だ。


「終天と呼ばれる技術は、人個人での飛行を可能とし、一人としてはいまだ未開拓であった天を終わらせたものです。しかし、不規則な間隔で墜落し続けたのです。不備があったわけではなく、最初から備わった機能のように。その結果として、壊れたのです」

「そのがらくたをこの島に投棄して、だれかが直したと」

「直した、という表現は適切ではないと判断します」

「……だれの判断?」

「夜霧海子(かいこ)氏です」

「そう……なんでだって?」

「直るようでは、壊す意味がないと」

「まあ、そうよね。じゃなきゃ私の存在意義にかかわるわ」


 嘆息する。

 名無しの送られてきた意味を改めて推し量る。


「じゃあ、どのように復元されているの?」

「それを調べるために自分たちがいる、というのは短慮でしょうね。つまり、答え合わせなのでしょう。犯人にあたりはついていて、そやつが尻尾を出すのを待っていると」


 あるいは、もう罠のなか――と名無しは語った。


「私たちは撒き餌ってことね」


 少し遠回りしたが、出た結論は有栖にとって馴染み深いものだった。


「じゃあ、お掃除と行きましょうか。終天をもう一度、壊しましょう」

「はい。幸いに、飛行観測から大体の場所の割り出しは済んでいます。それに、宿主の身分も」

「へえ、どんな人なの?」

「終天の唯一の生還者であり、最古の||渡り人(パイロット)です」

「最古……そう、奪ったのね。そりゃ、疑う余地もないわ」


 テーブルの下で有栖は、無意識に脚をさすった。


「だからこそ、命を拾えたのですがね。量産化へ向けて本格的なテストを始めてから、不全が発覚したのですから」

「そんなの関係ないわ。空へ、一度飛んじゃったんでしょ? 翼をもがれた鳥の心境なんてわからないけど……どこにも行けなくなってただ生きているだけは、苦痛よ。それこそ、死んでしまいたいくらいに」

「そういうものですか」

「だからもう一度飛んだんでしょう。いずれ墜ちるとわかってても。どこを目指しているのかは、知らないけどね」


 そう言って有栖は、一粒だけ食べたマカロンの蓋を閉めた。


「さっさ行きましょう。どこぞに飛び立たれて、私の失態と言われたらたまらないわ」


 刀を手に立ち上がる。


「先ほどから気になっていたのですが」

「何?」

「その刀、鞘はないのですか?」


 鈍いきらめきが、男の眼鏡に映り込んでいた。


「昨夜、再起した零號の掃除の時に砕かれちゃって」

「……その破片は残っていたりしませんか?」

「残っているといえば、残っているけど……どうして?」

 視認できる範囲で拾い集めて、今は封筒にまとめて寝室の引き出しにしまってある。

「破片から照合して、鞘を取り寄せることができるかもしれません。むき出しのままでは何かと不便でしょう」

「たしかに、錆びたら困る」


 そもこの刀は拾い物であった。

 本土から海を渡って逃げ遂せてきた、もう枯れかけの零號の使い手が持っていたものである。

 それが最初の零號戦であり、だから弱点を知れていたのだ。

 ゆえに鞘を直すには刀を本土へ送らなければいけないと考えていた。

 写真でよいとしても、本土から人を呼ばなければならなかった。


「そうね、じゃあ後で預けるわ。まずは、終天よ」

「承知しました。では、ご案内いたします」


 どこか満足げにうなずき、名無しも立ち上がった。

 ふたりは部屋を後にする。

 扉を閉めた振動か。

 置いて行かれた砂糖菓子が、空いた隙間を寂しがるようにころりと転がった。

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