02
屋敷を出てすぐ、有栖は名無しへ向かう先を訪ねた。
「で、その終天はどこにいるの?」
「西の森を抜けた先ですね」
「あの先って崖よね。それに本土からは反対側じゃない。よく見つけられたわね」
「ええ。本来ならば終天を観測するレーダーはとっくに撤去されていたはずでした。念の為と夜霧海子氏が、定期的に起動を指示していたみたいですね」
「相変わらず用心深いこと」
感心するように有栖はつぶやいた。
彼女の住む屋敷は、南方の中ほどにある。というより、拓いているのがこの方角のみ。ほかは森だ。
有栖は今にも走り出したい気分であったが、名無しの案内なしではたどり着けないと自制する。
凹凸の激しい地面をふたりはひょいひょい進んでいく。
ところどころに落ちている鉄くずが、さらに道を険しくさせていた。
すべて有栖の壊した廃棄技術。その名残である。
昨夜の零號は東のほうへ向かっていたな、とぼんやり有栖は思い返した。
「そういえば」
それの持ち主に気が回ったおかげか、道中の話題を見つける。森まではまだ少しあった。
「零號ってどういった技術だったの?」
二度、同じ廃棄技術を壊すことは珍しくなくなっていたが、どうにも縁のようなものを感じてしまう。
あるいはそう、初めて人の操った技術を壊したのが最初の零號戦だったから、因縁じみたものを感じた気になっているのか。
「零號は、いつぞやの大戦で開発の進められていた兵器です。血液で持ち主を選別し、一回起動すれば、少なくとも成人男性一人分の血を吸わなければ外れない、諸刃の武器。その代わりに得られる性能は、先日知ったのでは?」
「兵器。だれかを殺すか、自分を殺すかの……そんなの、あまりに無意味じゃない」
「ええ、開発はすぐ凍結になりました。それに大戦自体も先がなかったですからね。せいぜい罪人の血を吸った程度でしたが……その時の試験者のひとりが無断で零號へ乗り込んで……海を渡った」
そしてこの島にたどり着いて、有栖に仕留められた。
意外性もないそれだけの話。実際の導線が明白になってよかったと有栖は思っていた。
だが、男はそこで話をやめなかった。ただ、と続け、
「つながるものがなかったなんてことはないです。そこから生まれた技術はあって、零號ほどの運動能力はなくとも、体の動かない人の補助具として今は本土で運用されています」
それは私情と感じられた。
なにか感情の揺らめきを見咎めたわけではない。
煙に巻くようなうさん臭さが消えるわけでもない。
既視感がある。
そう、さっき鞘についてふれた時も思った。
資料を読み上げるような言葉から変わる時が、名無しにはある。
それがどういう意味を持つのか、有栖には判断しかねた。
「ねえ」
問う。
「どうしてあなたが送られてきたの?」
疑問は、森へ足を踏み入れたのと同時だった。
足場が急に、わたのようにふかふかとした感触となる。
男は足を止めなかった。
ただ、空を求めるみたいに上を向き、
「鳥がいるんですね」
目線を追えば枝の上、おびただしい数の鳥が整列していた。
「ええ。渡り鳥が、羽を休めに。ここは温かくないので、すぐにいなくなってしまいますが」
どこへ行く鳥だろうか。
この島ももう少しで冬終いだが、まだ寒さは抜けきらない。
名無しはしばしの沈黙の後、口を開いた。
「……聞かれればはぐらかす必要はないのですが、自分は廃棄されたのです」
「へ?」
「なのであの時、封書の内容を無視して掃除されるのかと思いました。刃が反対を向いていたので、入れ違いだと気づきましたが」
「いやちょっと待って」
有栖は狼狽して頭を押さえた。
「廃棄って……あなた人じゃないの?」
「れっきとした人ですよ……だからつまりは、完成してしまったのです」
「……ああそう、機能を性能とした、人間と」
それはひとつの完成形と位置付けられた成果だ。
技術が機能を拡張するものならば、その拡張域も性能とできればヒトはひとつ先のかたちを手に入れることができる。
ただ、ひとつの性能に傾倒して可能性を先細りさせると危惧する声もあった。
しかして、今のかたちにこだわった暗愚な意見と、今は鳴りを潜めている。
「それが廃棄されたと。どんな不全があったの?」
「目標に不備はありません。ただ、自分の性能が無意味だと判断され……いえ、まごうことなき無益です」
「どんな性能よ」
どんなものであれ、ひとつの完成形だ。
それがなんの成果も生まず、ただ破棄されるなど、一体どのような事情か。
「説明するのは難しいのですが」
男は辺りを見渡し。
「見ていてください」
地面を見定めたようにひざを折った。
溶けた霜でぬれた土にふれる。
と、途端に新緑の小さな若芽が生え、そしてしおれた。
「これが限界ですか。だいぶ木々に吸われているみたいですね……それでも森がなくならないのは、うまく循環しているからでしょうね」
「えーと、つまり、何?」
「可能性を極限まで引き出し……使い潰す。そんな何も残さない性能ですよ」
しおれた芽は、砂埃に似ていた。あれでは養分にもなれはしないだろう。
これは確かに、無益だと思った。
「つまらないものをお見せしました」
「いいえ。そんなことは。ただ、ひとつ指摘したいことが」
かぶりを振った有栖は、原型のないほどに枯れ果て、けれども確かに残る新芽の跡を見て。
「無益かもしれなくても、無意味なんてことはないです」
「……あなたは、そう言ってくださる人なんですね」
「ただ、思ったことを言ったまでです。それにもうひとつ付け加えるなら」
森の果てはすぐに見えた。
切り立った崖。
絶壁の最上は有栖には見えなかった。
これを超えても行けるのは海まで。
どこへだってたどり着けはしない行き止まり。――それを渡る機能があるならば、別だが。
「私のほうが、つまらないものを見せるかもしれないわ」
崖のふもとに、風が吹けば吹き飛びそうな小屋が仮設されていた。
そのなかから老爺が現れる。
髪はない。鼻下に蓄えられたひげは白く、年輪のようなしわが顔中に深々と刻まれていた。右耳にぽっかりと空いた銃創が彼のかつての身分を物語っている。
そして、背中には、肩甲骨が肥大化したみたいに伸びた鳥の羽。
かつて人は、それに憧れて空飛ぶことを夢見たのだ。
天への憧れは終わった。
ついぞ掴み取った夢の結晶が、そこにはあった。
「掃除屋か……やはり再起を疑わずに飛び立ってしまえばよかった」
割れた陶器に似た声だった。
血走った眼と目線を交わす。
「どこへ行くのですか?」
「愛する女のもとへ」
「どこまで?」
「彼岸までも」
「それが理由ですか」
「ハッ、忌々しい。もはや使い物にならぬ目でもよく見える。その印。あの日、あいつの危篤を知らされ、飛ぼうとした僕から翼を奪った下郎の証よ」
白濁した眼球が名無しの胸元へ向く。
顔中のしわがうごめき、修羅の形相となる。
表情はそのまま、老爺は目をそらした。
「いやいい。翼を壊した嬢ちゃん含め、てめえらへの復讐なんざ興味もねえ。僕はあいつのところへ行くんだ。邪魔するんじゃねえ」
「いいえ、邪魔するわ。そのゆがんだ妄執ごと、その翼折らせてもらう」
「妄執、ね」
翼がはためく。
有栖はまばたきの間に距離を詰める。
斬り払う――が、遅い。
わずかに見えた動線を追う。
渡り鳥の群れが羽ばたいていた。
それは老爺を導く道のようでもあった。
老爺は中空に留まっていた。
狡猾に障害を見定める鴉のような視線が、有栖に落ちてくる。
「愛する女を思うことを妄執と咎めるか、お嬢ちゃん」
「間に合わなかった後悔を愛と呼ばないで」
「恋も知らぬ小娘が愛を語るか」
「騙るわよ、胸張って。だって、女の子ですもの」
「ハッ、その意気は認めよう。だが、届かないよ。お前の言葉も、手足も。ここは人には遠すぎる」
老爺は身をひるがえす。
その目は崖の先――いや、ここではないどこかを見定めていた。
それは彼岸への旅。彼方へ飛躍する、男の末期。
「じゃあな」
「行かせない」
少女の言葉に、行動で応える。
翼が空気を掴む。
波に乗るようにはためく。
どこまでも行けそうな心地を、重力と空気抵抗が阻む。
それでも、崖の上までひとっ飛び。
このまま、どこまでもどこまでも、
「あいつのいる場所まで」
その意志だけは、だれにも阻めない。
天は今、彼だけもの。
だれにだって、届きはしない。
「いいえ、届くわ」
老爺の背後。声がした。
「だって私の手足は」
振り向く暇はない。
有栖の刀が、がら空きの背中を一文字に切り裂いた。
老爺の体が、糸の切れたように力を失う。
墜落していく様を、有栖は重力に従いながら眺める。
落ちていくふたり。
一連の様子を傍から眺めていた名無しは、ゆるやかに着地した有栖を見てつぶやいた。
「あれが天肢か……」
有栖は仰向けに墜ちた老爺を睥睨する。
うつろな瞳は、やはり有栖を見てはいなかった。
後頭部からの出血が酷い。
首の骨が折れているのか、ひゅうひゅうと空気の抜けるような声がした。
「どこで間違ったんだろうな、僕は」
「別に間違ってなんていない。私も正しくはない。ただ」
「ただ?」
「届かないものに手を伸ばしていたから止めた。ただ、それだけ」
過去は過ぎ去ってしまったものであり、落とした後悔は拾えやしない。
どこへでも行けるくせに、ここにはない場所を目指していたことに、有栖は腹立たしさを感じていた。
「ああ、そうか。届かないものに手を伸ばせば、墜ちるのが必定だわな」
そう言葉にしても、やはり老爺の瞳はどこか遠くを見ていて――やがて事切れた。
それを見定めて、有栖は深く息を吐き出した。
「……終わったわ」
有栖は名無しへ体を向けた。
「つまらなかったでしょう。こんな、何も生まない結末」
ただ、一方的な剪定。
それが有栖の得た役割、否、今の有栖の在り方であった。
「だれかがやらなければいけないことで、それがだれかの利益につながっていると思いますが」
「そんな高尚なものじゃないわ。こんな生き方しか、できないのよ」
自嘲じみた言葉を並べる有栖。
彼女の表情に変わりはない。
「一応あの小屋のなかも見ていきましょうか」
老爺の住んでいた家屋に足を運ぶ。
見た目の印象通り骨の組み方が素人目に見ても甘く、仮設とはいえこれを家と表現するのは憚られた。
せいぜい一時的に身を隠すだけの壁といったところだ。
なかには布団だろうぼろぼろの布と、空になった飲料水のボトルがあった。
それ以外にめぼしいものはない。
「再起の犯人につながるものはなし。いいえ、見つける必要はないんでしょうけど。ただ」
有栖は今は外で死に体となった老爺を切りつけた時の感触を思い出す。
「目も利かず、あれだけ体も朽ちた老人にこんなものを建てる体力があるとは思えないわ。そもそも、そう、彼はどうやってこの島に来たの?」
表向きは無人島であれど、実情は世に知られることのない技術の廃棄場だ。
渡航許可はもちろん下りず、厳重な警備網も敷かれている。
ならばそう、名無しがその答えを口にした。
「手引きした者がいます。昨夜合いまった零號の持ち主も十中八九、同様の人物の手引きにより密入したものと」
「それが一連の犯人?」
「そこまでは断定できません」
「……惜しむ必要はない。すべては平等に価値を持つ」
「その言葉は?」
「零號の持ち主に犯人について尋ねた時に返ってきた言葉よ。何かの手掛かりになりそう?」
「一連の容疑者と目された人物のなかに、そのような思想の持ち主はいなかったと記憶しています。そもそも、自分たちが犯人を探し出す必要はないのでは」
「まあね。けど、夜霧海子の手のひらの上でぐるぐるってのも癪じゃない」
「自分は彼女に対して好悪の感情は持ち合わせていませんので。お嫌いなのですか?」
「いいえ。むしろ好ましいとすら思っています。私の手足を作り出したのは彼女ですし」
「天肢、ですか」
有栖は、当然知っているものと何も言い返さなかった。
「彼女は悲観主義者ですから。あの人に従っていると、本当に物事が悪い方向に行きそうで嫌なのよね」
「それが夜霧海子の、天才と謳われる研究者のシミュレーションなのでは」
「だからって、悪い未来へ歩み寄ってやる必要はないじゃない」
有栖は身をひるがえし、表へ出た。景色は変わらない。
「帰りましょう。刀も早く手入れしてあげたいし」
「かしこまりました」
ふたりは老爺の元を後にする。
森を歩むふたり。言葉はない。
そろそろ景色が拓ける。
有栖がふかふかの地面を名残惜しく思っていると、名無しが「あ」と声を上げた。
何事かと彼が視線を運ぶ方向を注視してみれば、先ほど見た渡り鳥の一匹がいた。
それは老爺の死にざまを思い起こさせる姿で、地面に転がっていた。
飛び立つのに失敗したのか。
ふたりは示し合わせるでもなく、自然と足を向けていた。
やはり、その命は尽きていた。
「ここまで、来れたのね」
その語りに、死を悼む色はなかった。
「ここで、終わってしまったのでは?」
「何事もいつかは終わるものでしょう。この子にとって、たまたまそれがこの場所だっただけ」
名無しはやけに鳥を気にしているようだった。
「鳥の飛行には多くの危険が付きまといます。ましてや渡り鳥は恒温動物。基本的に、根を下ろす場所を定めることはできません」
「それくらい空を飛ぶということは難しいことなのよ。あの老爺の言う通り、やっぱり人には遠い場所ね」
こんな近くにあるのに、と見上げた。
だけど、折り重なった葉で見えなかった。
それは思う以上に、身近ではないのかもしれない。
「それでもどこかへ行くには、飛ぶしかない。それは墜ちるために飛んでいるのと同義では?」
「たとえ墜ちるかもしれなくても、届かないものへ届かせるには、飛ぶしかないじゃない」
そう、終天で羽ばたいた老爺のように。
彼の結末は決まっていた。
有栖が手を下す必要は本来なかった。
それでも、刃を振り下ろしたのは、
「届かないものに手を伸ばす姿は確かに尊いわ。けど、手の届くものをないがしろにしているなら、話は別よ」
老爺が濁った眼を言い訳に見ようとしなかったものがあったから。
「彼はあの翼で墓参りに行くべきだったのよ。好きな人の死を認めたくないから逃避行なんて、見てられない」
有栖は鳥へ目を向けた。
「そのぶんこの子たちは素直よ。だって、生きるために飛んでいるのだもの」
「それは――」
続く言葉を、有栖の耳は聞き取れなかった。
特に聞き直す必要も感じなかったので、有栖は元の道へ戻ることにした。
数歩遅れて、名無しの足音もついてくる。
そういえば、と。
渡り鳥を見たからだろう。
かつて飼っていた鳥のことを思い出した。
過ぎ去った日に飛び立った彼の鳥も、あの渡り鳥のように生き抜いていたらいいなと有栖は思った。




