手紙 3
カペルが上機嫌で螺旋階段を降りていくと、途中で一陣の風が吹き当った。
横に開いた抜き窓からラベル区の市内が朝日に輝く湖とともに一望に見渡せる。
城外の山野にきらめいている白いテントと米粒ほどの青い服を着た人々が動いているのが見えた。
動きは整然としてのどかだが、それが彼の率いる部隊の野営であることをカペルは知っている。
風が顔を洗うように感じて、すがすがしい気分のままカペルが大広間に降りてくると、険しい顔付きの女たちがロトを囲むように突っ立っている。
カペルを目にするとロトは女たちを押しのけて歩いてきた。
「どうしたの?」
その場から足早に立ち去りながら、その能天気な質問にロトは気難し気な顔で答える。
「あなたから公女を解放するように、直談判を受けていたのです。しかも昨夜は風紀の乱れを取り締まるのに大変でした」
「解放つーか、そもそも監禁なんてしてないし。それにお行儀良くしてたよ俺。誉めてもらいたいぐらいだから」
ロトはため息をついて視線を逸らせた。
「まあ、やってしまったものは仕方がありません。善後策は考えましょう」
「人の話聞いてる?」
ロトは顔を傾けて耳打ちした。
カペルは一瞬、怪訝な顔をした。
「いんしょ?」
首を捻って怪訝な顔をする。
「あー!印章、印章な!」
「…忘れてたんですね?」
「いや、その…」
「仕方ない。あなたは進軍の準備に向かって下さい。あれは私が回収します」
ギアズが小走りに近づいてきた。
「幕屋に運びますよ?カペルさんは自分の文箱は持ってるのですかにゃ?それとも伝令に渡しちゃっていいのですか?」
「何ですかこの大袋は?」
顔をしかめてロトはギアズの手からこぼれそうになっている袋をつまんだ。
カサカサ書類が音を立てて、結局二人でこれほど書いたのかとカペルは驚嘆した。
小柄なギアズは袋につぶされそうだが平気な顔をしている。
慣れているらしかった。
「あのお姫様が書いた手紙の山だよ」
慌てて言い添える。
「変な事は書いてない、全部チェックしたから大丈夫。それぞれの地区の有力者に送るんだ」
「振り向かないで下さい」
背後に不穏な気配が漂っている。
いつの間にか、ぞろぞろまた女たちが集まっていた。
うんざりした顔のロトが振り返り、それでもまだ穏やかな口調で諭すように語り掛ける。
「公女さまを監禁などしておりません。ご自分がたで話を聞けばよろしい。それから文箱の騒ぎは知っています。トゥアナさまの東の塔は、隅々まで捜索させていただきますよ。そのあとに西の塔もです」
「無礼な!」
顔色を変えて体格のよい侍女と可愛い侍女とが前に飛び出した。
もめ事をよそに、カペルはひそかに胸を撫で下ろしていた。
ロトとは長い付き合いだ。
表情を読む彼に演技は通用しない。
普段は演技など必要なく野放図にしているだけなのに、今回ばかりは彼なりに一生懸命考えた。
意識を別にそらして、懐の重みのことは意識的に忘れるように努めていた。
それよりもトゥアナのあどけない顔や首をかしげる仕草や細い手首のことばかり考えた。
おかげで本当に忘れかけていた。
さっきの会話を用心深く辿ってみる。
不自然な所はなかったはずだ。
いないあいだにロトがトゥアナを詰問しやしないかと不安になったが、あのぬけぬけとすまし顔をした姫なら、ロトといえどそう簡単に御することは出来ないだろうと思い直した。
「皆、お下がりなさい」
聞きなれた綺麗に通る声が響いて、すると激高した様子の女たちは波が引くように一歩後ろに下がった。
きちんと身なりを整えて、それでもやはり黒服を身にまとう長女が立っていた。
髪はほどいて肩になだれ落ちている。
寝不足に青ざめた顔も、きちんと化粧をほどこし隠されていた。
「鍵はここにありますわ。見つかれば一緒にお開け致しましょう」
「だってしきたりが…ウヌワさまが黙っておられませんわ」
するとトゥアナはきっとした顔をした。
「しきたりなんて、非常時には関係ありません。ウヌワにも、わたくしが話します」
トゥアナはカペルの方に進み出た。
彼女が満面の笑顔を向けて手を伸ばすから、思わずその手を取ろうとした。
彼女の手には、分厚く豪華で大きな印籠の捺された封筒があった。
「お持ちになって。ベルガへのもの。これは特別です」
「受け取っておくよ」
カペルは短く答えて懐に突っ込んだ。
どこまでこの手紙が役に立つのか、そこまで期待してはいない。
カペルの心からさっきのキスも含めよこしまな心は洗われたように消えて、もう先の事しか考えてはいなかった。
東地区へは敗残兵も合流しているだろうから、戦闘ともなれば大規模戦になりそうだ。
主力は動きが鈍るのを避けるため、腹一杯食うこともしていない。
領地の外側で野営をしたままだから、早く合流せねばならない。
じっと見守るトゥアナの視線を前にロトが横からカペルに問いかけた。
「ところで、報告書は出来たんですか?」
「ちゃんと書いたよ!ばかにするな」
「そうですか」
「ってあれ?」
ない。
「カペル、あなたはまた…」
「違う、書いた!絶対書いた!」
「ここにあります」
トゥアナが差し出していた。
昨夜と今朝のあとでは、余計に笑顔がまぶしい。
手早くぐるぐる巻いて封をすると、横からこれから王都へ向かう伝令兵が手を出した。
カペルは少し躊躇した。
この内容を太子に送れば取り返しはつかない。
おれの気持ちは決まっていても、彼女の気持ちもまだわからないのに…。
すると、横からトゥアナがひょいと取り上げて伝令に渡した。
「あああああ!!」
伝令がびっくりした顔をしたが、トゥアナは横からはっきり言った。
「いいのです、行って下さい」
そしてカペルの方に振り返った。
しぶい顔をして横を向いているロトをものともせず、カペルの手に手を預けた。
「トゥアナ、あの…」
「いいのです」
彼女はその場にいるすべての人にはっきりと聞こえるように言った。
「あなたのなさることに間違いはありません」
言い切られた。そして声を落とすとささやいた。
「迷わないで!」
肩に重荷があるようなないような、別のプレッシャーがかかったような取り除かれたような、よくわからない顔をしていたカペルは笑顔を返した。
「では、行ってくる」
懐には手紙がある。
昨夜、この手紙を読んだ時には、進駐軍のことを悪く書かず、誉めもせず、淡々と事実を述べながらも肉親の情のこもる内容に感動したのだが表情には出さなかった。
カペルに向けるいたずらな、微笑みが目に見えるようだった。
今までは、身分の高い貴族の娘達に接すると、気後れしていた。
うまく話せなかったり、滅多なことを言って 馬鹿にされてはいけないと気を張ってしまう。
真っ直ぐにこちらの胸に走り込んで来るような視線、垣根のない笑顔を思う。
迷わない。迷っても、顔には出さない。
昨日はあれで良かったのだとカペルは思った。




