手紙 1
「ちがいますってば。この地域はこうなの!これでいいの」
「ラベルに五支族、モントルーに七支族、この一族はラベル側なんだろ?あっちに味方しないんじゃないか?」
「ここの家、物凄く奥さまが強いの。けど家長本人のことなんだけど、若い恋人がいてモントルー出身なの」
トゥアナは声をひそめ、眉もひそめて重大な秘密を打ち明けるようにカペルの耳元にささやいた。
「いい年してメロメロなのよ!何だって言うこと聞いちゃいますわ」
「耳に息かけるのやめて」
「奥さまは最近具合がよくないし、伏せっているの。こんなとき親戚を助けてってねだられたら、コロッと言う事変わっちゃうわ」
「もう十通は書いたぞ!これだけやったらどんな状況が来ても対応いけるだろ」
「眠いのはわかるわ。頑張って下さい。もうちょっとなんだから。あと三通だけ」
「ほら増えた!さっきより増えた!」
行軍の疲れもあって赤い目になっているカペルは、頭から机に倒れ込んだ。
恨みがましく机の上から尋ねる。
「そもそも手紙って、そのモントルーのおやじさんだけにじゃなかったのか?」
「だってわたくしたちの連名に出来るチャンスがあるなら、するしかないもの。やれるだけやってみて?徹夜仕事だって言ったでしょ?ねえ、聞いてらっしゃるの?」
服の裾を引っ張られて揺すぶられた。もうめげそうだ。
眠くはない。眠くなんか。徹夜で三日三晩行軍なんてざらだ。行軍とはわけが違う。
安心したのだ。
うまい食事に向かいの部屋に覗くのは、白くて柔らかい上質のベッド、そばでは思ったよりずっと可愛い娘がワーワー言っている。
ここは安全な場所だ。眠い。
ぼんやり、口が動いた。
なし崩しでやっちゃえる気がしないよ、アギーレ。
やっぱり、町の娘たちとは違うよな。どこか襟を正すような雰囲気がある。
しかも領地の民のため、こんなに心を砕いてる。
今日はだめでもきっと彼女とは大丈夫だ。
うまくやって戻ってくれば、飛び出してきて迎えてくれる。
きっと抱きしめても嫌がらない。顔を赤らめてキスしてくれる。
これがほぼ初対面なんだから、押し倒すにはちょっと早すぎるよな。
ここまで親しくなれれば十分だ。十分すぎるほどだ。
いや、初対面じゃないみたいだ。ずっと前から知り合いだったようだ。
はじめてだが、はじめてじゃない。
知っていたんだ、トゥアナ。
あなたが教えてくれたから。
カペルは眠っていた。
朝日が昇る頃、部屋の外にはサウォークがいた。
見張りの兵士は見ないふりをしている。
二人が立てこもったラベル公の私室の扉を前にして、大きな扉をそっと覗くか声をかけるかと思案していると、後ろから指で肩をたたかれた。
振り返ると、そこには昨夜の金髪美人が立っている。
「おねえさん、なんでここにいるの?」
「侍女たちが泣いたり騒いだりしてるから、あたしが変わりに来たの。許可はもらったわ」
お姫様にしては奇妙なほど色っぽい三女は、着替えの入った籠を置き、唇を尖らせて皮肉に言う。
「大したことでもないのにね、騒いじゃってばかみたい」
この立場からは何とも答えづらい。
サウォークはまるでロトがするような難しい顔になって腕を組んだ。
それから副官のサウォークです、と柄にもなく丁寧にお辞儀をした。
「あたしは三番目のセレステ。素行が悪いって噂、聞いてるんでしょ?」
「ぜんぜん」
セレステは扉を控えめにノックした。
「姉さん?トゥアナ、起きてる?」
バタバタ騒がしい音がした。
美人は振り返るとサウォークに手で合図をした。
「とりあえず私だけ入ってみるわ。副官さんはここで待っていて」
「頼むよ、様子教えてね、おねえさん」
──妹たちをどうか、助けて頂きたいの。私はどうなってもかまいません。
──わかっている。兵士たちに手出しはさせない。あなたがここに来さえすれば――
「ねえ、起きて!」
ぼんやりした視界が晴れると、黒目がちな大きな眼がすぐそばにあった。
机に突っ伏して、気絶するように寝ていたらしい。
マホガニー材の高級机の上に、大きなよだれの池が出来ていた。
カペルは慌ててナプキンでふき取り、ついでにフィンガーボウルの水を使って顔を洗った。
窓の外はまだ、薄暗い。
カペルは目をこすって、あくびをした。
いい夢を見たと思ったのに、夢は夢に過ぎず、あっという間に朝靄の中に溶けて消えて行った。
惜しいことをした。何で寝ちまったんだ俺は!
残念な気持ちが急にカペルの胸の中で膨らんだ。
情けない。
全く何もなしなんて有り得ない。
これじゃ二人きりになった意味がない。
外からの呼びかけに答え、トゥアナは立ち上がって扉へ向かう。
彼女の髪も服も、もつれて皺だらけになっていた。
急には開かず、用心深く窺う。
「セレステを寄越したのね」
「お食事と着替えよ!お姉さま!カペルさん!」
呼び掛ける声の後ろでごにょごにょ聞こえるのはサウォークの声に違いない。
「カペル、ロトが待ってるからな~」
「今行く!」
「伝えたからな俺は~」
「わかってるよ」
(えーと朝の予定は)
ロトに怒られないように、毎朝の予定は几帳面に書き込んでいた。
カペルが上着の胸ポケットから手帳を引っ張り出すと、はずみで何かがぽろりと落ちた。
トゥアナがかがんで拾い上げる。
「何ですの?」
カペルは顔を背けた。
それから背中を向けて、鏡ごしに彼女の顔色をちらっと窺った。
胸が熱くなって動悸が激しく、耳がガンガン鳴ってきた。
「押し葉だわ」
乾いた枝に乾いた赤い実がいくつか、宝石のような生彩は失っても鮮やかさはまだ残っている。
彼女の柔らかい手の中で、枝葉はかさかさ音を立てた。
トゥアナはしばらくじっと黙って眺めていた。
カペルが沈黙に耐えられなくなった頃に、ぽつりと漏らす。
「この木があるの、私が一番大好きな場所です。覚えてて下さったのね」
「あなたがそう…書いてたから。川沿いの橋の下を探したら…そこにあった」
カペルは鏡さえ正視できなくて下を向いた。
彼女のために折ったとも言わなかったのに、トゥアナにはあんな棒切れを見ただけでそれとわかる。
彼自身は、木の名前さえ覚えていないのに。
「本当は花が良かったんだが…季節外れだったし、こんな葉だけじゃどうしようもないし」
もごもご、口の中で言い訳しているカペルの前で、トゥアナはくしゃくしゃの髪の中で突っ立ったまま、枝をずっと握りしめている。
「こんなもの、喜ばないかと思った」
「そんなことありませんわ。嬉しいわ」
三女が扉を開いて、顔を出した。
「そろそろ、時間なんでしょ。楽しい時間は終わりよ、お二人さん」